プロフィール23・圧縮

20081130085832
今年は紫色が流行りらしいです。それもラベンダー色とかほんわかした色調ではなく、濃いめの紫。流行りの色だなんて、誰がどう決めるんだか(⌒~⌒)?もうひとつのトレンドはアニマル柄なんだとか。「流行に左右されるのも何だかね~っ」とか言いながらも、街で目に映る色味は気になるっていうものです。そこで、足の爪=ペディキュアを【豹柄】にしてみました(;∇?)/~~。これはスゴイ贅沢(^∀^)ノ。だって冬だから素足にサンダルなんて履かないので、誰も見ないし気付かない。人知れずオシャレしている足元を想像しては、ほくそ笑むのですよ~!「ブーツの中は豹柄だぞ」ってね(^_^;)。さて、前回の【プロフィール】では、【トーク・コンサート】の仕事が舞い込み、それがいかにキツイ仕事だと訴えてきましたが。ピティナのピアノステップでは、それに加えて【ワンポイント・レッスン】という仕事もあるんですよ。舞台の上にて一人10分ほどの短い時間で、聴衆の前で指導を施すというスタイルのレッスンです。まさに圧縮レッスン。生徒さんに一度弾いてもらえば、レッスンの時間は更に短くなります。そこへもってきて、使用前・使用後ではないけれど、レッスンした後で何かしら変化を見せることを聴衆は期待していますからね!時間厳守は基本です。時間が超過してしまえば、分刻みの全体スケジュールが押してしまうので、開催側が困ってしうという事情は痛いほど理解力していますのでね(>_<)。一回さらりと聴きながら、ほんの数分間で当人に何を伝えられるか、どう伝えるかを頭をフルに回転させてまとめます。言い換えれば、短時間で教えられることと、この場では無視しなくてはならない事項と分けることもします。初対面の相手のお子さんの性格、能力、適応する力など様々な事情が分からないのですから、こちらのアンテナはピンと張りますね~。しかも、舞台上で繰り広げられる指示は、客席で聞いている方々にも参考にならないと面白くない。ステージで行われるものは【ショー】であると考えますから。余談になりますが、アメリカでクラシックコンサートに出掛けて、入口で声を掛けられる言い回しに「Enjoy the show!~エンジョイ・ザ・ショー」というのがあります。クラシック音楽なのにショーだなんてと、初めはしっくりこなかったものですが、舞台に掛けるものは全てがショーなんですよ。ショーマンシップは、その頃の影響かな~(*^o^*)。他の仕事依頼と同じように、ワンポイント・レッスンの依頼も、ある日ファックスで何の前触れもなく入って来ましたね(-"-;)。「鈴木先生には以下の方のワンポイント・レッスンをお願いいたします。了承して頂けましたら譜面のコピーを送付させて頂きます。」こんな感じの文章が、ファックス用紙の下の方に書かれていて、「あっ、そうなんだ~」って感じで新規の仕事を受け取るのでした…。「どうしたら良いんだろうか?」初めての仕事にナーバスになると、「このご時世に仕事がやってくるなんて良いじゃないっ(`o´)!」と、周りは喝を入れて励ましてくれます。「うん…、そうだよね~」と、気をシャンと持ち直すこと度々…(^_^;)。それにしても、講評を書いて、トークコンサートをした上に、ワンポイント・レッスンと、一日の内にこなした日には【鉄人ハルク】にでもなった気分ですね。ハルク?「それって、己が強くなったってことかって?超人なみってことかって?」…いえいえ v(^o^)、ミドリ色に顔が染まるってことです(ρ_;)!この他にも、楽器店の開催するワンポイント・レッスンという仕事もありますが、こちらは「ひとこま40分」などと長めの時間枠をとれるので、いくらかはゆったりとレッスン出来ます。いずれにしてもバックグラウンドを知らない生徒さんと、その場でコミュニケーションをとらなければならないという点では同じこと。短時間に集中する仕事です。
スポンサーサイト

発表会プログラム

20081130003223
発表会のプログラムが刷り上がりました。やっとの思いで作りましたぁ~。毎年、自前でこつこつ作っております。少なくとも200部は作成しますよ~。プログラムに今年の賞歴なんて載せるもんのだから、エラク細かい骨の折れる作業になるんです。中身8ページ、プラス表紙の、ちょっとした本みたいに作ってあります。将来、何年にどこでなにをしていたか、本人がトラックバックできるようにしてあります。門下生は、これが当たり前と思わないように( ̄・・ ̄)~!←なにがなんでも恩を着せたくなっている。今日から一家族一部づつお配りしています。親戚、友人、知人を招待したいと希望される方は、先方に差し上げるプログラムを用意してありますので、その旨をお申し出ください。残りは当日までに作成しますので、受付にて貰って下さい。このプログラムは、私が一部一部、手で刷り上げて、折りたたみ、ホチキスで製本しています。プログラムは大切に扱いましょう!今年も【クリスマス・コンサート】と題した門下生の発表会は、12月21日の日曜日、東金文化会館の小ホールにて開催されます。第一部は幼稚園児と小学1~4年生の演奏で、午前10時の開演です。第二部は小学5と6年生が出演して、11時30分に開始予定です。第三部には中学生が出演します。開始は12時30分からです。第4部は14時丁度に始まります。この部では高校生と大学生が熱演を聴かせてくれることかと思います(^◇^)┛。終了は4時半~5時あたり。入場無料です。どなたでもどうぞ聴きにいらして下さい(^O^)~♪。長丁場になりますので、ご興味のあられる部を聴きに来られるのが良策かと。では、お待ちしております。

プロフィール22・胡桃

20081128064032
「そりゃ~っ、大変さ!書くことと弾くことは、使う脳ミソのパーツが違うんだよ。頭の切り替えなんて、そう簡単にはできないよっ。」水戸ステップでご一緒した小原久幸先生は、そうおっしゃってズボンのポケットの中から銀色(多分銀色だった~?)の胡桃を二つ取り出したんです。「はぁっ…、何ですかぁ、それっ(ToT)?」小原先生は、演奏時間が近づいてくると、ポケットに手を突っ込んで胡桃をモニョモニョ~っと動かしては、指先を刺激しておくのだそう。末端神経を目覚めさせるのだとか…。ふぅ~ん(¬з¬)。初めてのステップでのトークコンサートは、四国の香川県は観音寺という街で開催されたステップで、2005年11月のことでした。その直前に、水戸のステップでお会いした小原先生に「初めてなんですが、どうしたら良いです?」と、泣きつこうと思ったんですね。ところが、小原先生には「大変だよ~。覚悟して行きなさい」と、かえって脅かされただけだったんですよ~(;_;)。弾いてみると、確かに大変辛い環境でしたね。散々講評を書いた後に、ほとんど朝からピアノを触らない状態で弾くのですから。いや~、朝からどころではないですよ。前日の移動日だって、ピアノには触れていないし(-_-#)。例えれば、痺れた足で無理に歩こうとするような感覚に似ているかな~(ρ_;)。思うようには動かない。しかし、そんな事情を聴いて下さる方々に感じ取られる訳にはいかない。同情されるのも、それまたどうかと思うし…。居並ぶピアノの先生方にがっかりされても気の毒だ…。「せっかく呼んだのに何これ?」では、まずい(≧ω≦)!だいたい他のアドバイザーの先生方は、私にも講評を心の中で書いているやも知れないしなぁ~。なんで私が弾かなくてはならないんだ?何くそっ、やるしかないっ。女の意地だっ(;`皿´)。ド根性!…とかなんとか葛藤しつつ、初めてのステップでのトークコンサートは何とか弾きましたよ。その時にご一緒した宝木多加志先生が「あんたの左手、動くはね」と、おっしゃって下さった一言が救いでしたね。この世界、なかなか誉め上手な同業者は少ないですから( ~っ~)/。その後も、愛知県は名古屋の植田、沖縄県の離島石垣島に、同じく沖縄の宮古島、長野県は伊那、千葉では自前ステップの東金と成東~。ぽろりぽろりと入って来るステップと絡ませたトークコンサートの依頼を引き受けてきました。それを聞き知ったのか、ヤマハの開店祝いイベントのトークコンサートなどの仕事も飛びこんだりで、弾かせてもらえる場所は地域的に広がりを見せてきました。演奏家にとって、この厳しい環境に慣れるかと言えば、慣れるというよりは【あきらめ】みたいな心境に落ち着いています。「こんなものよね~(-_-#)。」最近のピティナ本部から送られてくるマニュアルには「先生には、講評を書いて下さったく直後で大変弾きにくいかとは存じますが、〇〇先生よろしくお願いいたします~」という下りがあります。それは割愛してもらっています。「言い訳チック」な響きがあるのはどうかな~って思いますのでね(^◇^)┛。まっ、その一文をどう受け取るかは、本人の問題ですけれど…。しかし環境って、さらにシビアにもなれるんですよ。講評に演奏のみならず、プラス+ワンポイント・レッスンってのもありましたから⇒お陰で鍛えられます(;∇;)/~~。

プロフィール22・次の一歩

20081127130037
これは明太子に見えますが、明太子ではありません。長崎の銘菓「カステラ・サブレ」。歯ごたえのあるカステラ、もしくは、やわらかいサブレって感じで不思議な食感です。生徒の修学旅行土産でした。ありがとうね~!さて、ある日の千葉支部の総会に参加した折のこと。通常のように、予算だとか支出だのの報告が続いていた。正直…、興味が沸かない議題に「ぽけら~」っとする(‘o‘)ノ。その内に、いかにして経費を削減できるかとか、お手伝いのスタッフを確保できるかという話題に入ったんですね…。相変わらず、ぼけ~っと。終わったら何食べようかなぁ…。あら、あららっ~?視線がこちらに向いたような~(¬з¬)。「鈴木先生、いかがですか?」余計なことは言っちゃダメ(`o´)。そう頭の中で防御の声が響くと同時に、口が勝手に喋ってましたね。空気がシラケると、話し出さずにはいられないってタイプなんですよ⇒この性格のせいで【貧乏くじ】を引いたり、【出る杭】になってみたりを繰り返してます。とほほ…(∋_∈)。「あのぅ、お手伝いはお約束できませんが、ピアノなら弾けます。」←ピアノ教師が集う支部総会において、こんな発言をして干されなかったのは、まか不思議…(-_-#)。支部長の由良先生の穏やかなお人柄に助けられたのかも?「それでは、ピアノステップでクイズ形式のトークコンサートをやって、子供達にちょっとしたプレゼントを配ってみては如何かな~?」この提案を受けて、急に話し合いに活気が出てくる。「私、シールを安く買えるところ知っているわ。」「ねぇ、【ショパン】とか言うチョコレート売っているでしょ。あれなんか、どうかしら?」「それなら私、菓子問屋に掛け合ってみても良いわよ。行きつけがあるの。」「で、予算はどれくらい?鈴木さんがタダで弾いてくれるとして。」あ~っ、は~ぁ…(^。^;)。話しは実行に向けて加速する。トークコンサートの内容はそっちのけで、用意する【景品】で盛り上がる。そこに冷静な由良先生、再び登場。「それではプレゼントは先生方にお任せして、クイズの内容はどのようにしましょうか?」そちらの話題も盛り上がり喧々囂々(°□°;)。結局「曲名当てクイズ」に落ち着いたんですね。当日はステップで演奏して講評を書いて貰った上に、トークコンサートにプレゼントまでついて、それはそれはハッピースマイル~(o^∀^o)ステップとなり、大盛会でしたよ~。【エリーゼのために】を弾いて、「この曲名を、これから言う三つの中から選んで手を挙げてね。【あなたのために】【エリーゼのために】【いとしのエリー】さぁ、1番だと思う人は手を挙げてぇ~。」こんな感じで三問ほどクイズを繰り返し、最後に一曲スクリアビンの左手のためのプレリュードを弾いて、ミニコンサートはおしまい(*^o^*)。プレゼントは、立ち上がった正解者に、会場内に待機したスタッフが走り回ってシールやお菓子を配るという手順⇒子供も大人も大満足(-^〇^-)。スタッフの方々お疲れ様でした~(≧∇≦)。しばらくしてピティナの本部からステップのアドバイザー依頼がファックスで入り、その紙の下の方に「トークコンサートをお願いしたい」とあったのが最初。承諾の項目にマル印○を記入して送り返す。いつも仕事はこんな感じであっさりと、何の前ぶれもなくやってくる。初めのトークコンサートは、2005年11月23日の祝日、四国の観音寺でのことでした。「何故に私?」後から聞いた話しでは、由良先生が何かの折に、「鈴木直美は面白い」と本部に報告してくれたらしいです。面白いか…。「鈴木直美はピアノが上手い」では無かったような…(^。^;)?それ以来、全国各地でピティナのピアノステップに絡めたトークコンサート依頼が続いて入ってくるようになりました。それが、いかにキツイ仕事かって(ρ_;)。その事情は、また明日。

プロフィール21・追い風

20081126002525
【一枚のチラシ】が転機になったことは、以前にお話ししました。(【プロフィール7・一枚のチラシ】10月12日付けのコラムに書いてあります~(^O^)。良かったら戻って読み返して下さいね。)一枚のチラシが縁となり、白子町の生涯学習課からコンサートの依頼を受け、それに繋がるかのように山武町からもコンサート依頼を受け、成東文化会館からはピアノ協奏曲の依頼が入り、毎春に開催していた東金文化会館での自主公演も数年後には会館側との共催になり、負担がう~んと軽くなりました( ~っ~)/。この田舎では、立派なホールがあちらこちらに散在しています。その昔、竹下内閣の国策【故郷創成基金】でばらまかれた巨額の税金を注がれたのかも知れませんが…?各ホールはスタインウェイのフルコンは当然のように備えてあります。「このピアノで、家が一軒買えちゃうんだってねぇ~!」これが会館の方の印象ってのも、ほのぼのとしていて笑えます。設備は整っているのに⇒使い手がさっぱり居ない状態…。いつも閑散とした雰囲気(>_<)。そこへもってきて、税金の無駄遣いが糾弾される昨今の事情があり、会館の使用状況に関しては何とか活性化を謀りたいところ。地方を巡業する演歌歌手などを呼んだところで、教育的目的といった響きは乏しい。映画会を催したところで、中々人は集まらない。堅苦し過ぎないクラシック・ピアノの演奏会なら建前に合うし、どうだろうか?表向きは良い。そんな風潮が、追い風となったのだと思います。立て続けに公共の施設を抱える団体から演奏会の依頼が入ってきました。その他にも、ちょこちょこっとした演奏依頼は続いたんです。【月光の夏】の映画とかませたイベント・コンサート、大里という地元の不動産管理会社の持つちょっとした会場でのリサイタル、酒々井という街の芸能大会でのゲスト出演、ゴルフ場でのディナー・コンサート、などなど…。実に様々~な仕事ってあるんですよ。職業ピアニストとは、弾くことによって某かの稼ぎがあるというばかりではなく、膨大なレパートリーを持っていなければならないんですね。様々なニーズに応える為に、常にレパートリーは増やしています。だって「それ弾けない」って言う勇気がないですからね(>Σ<)。プロなら何でも弾けて当たり前。練習なんかしなくたって弾けるだろう。そう思われていることもしばしば。いいや、必死なんですよぉ~。←ってことは、お客さんに感じさせてはならないという性もある。追い風に吹かれた帆は、常に風を受けて膨らまないことには船は走らない。そんな当たり前のことも、実際に風に吹かれて、初めて知るんですよ。千葉県内で弾く仕事が、日本全国へと広がりを見せてきたのはピティナのピアノステップがきっかけでした。その事は、また明日~。

プロフィール20・向い風

20081125095634
日本に帰ったところで仕事があるわけではなかった。入居した社宅にて練習しようにも、防音の施されていない部屋ではどうにも身が入らない…(ρ_;)。「そうだっ!引越ししよう。千葉なら広い家が買える\(^ー^)/。」←千葉県民の皆さん、ごめんなさい。でも10年前はまだまだバブリーな時代で、たいていの県外人は、そう思っていたかと…(^。^;)。…で、千葉に越してきたものの仕事はない(∋_∈)。最寄り駅から車で山に向かうこと5キロ。生活は不便ではあるけれども、自宅周辺は自然に囲まれた環境で、ピアノの練習は心おきなくできるようになった。生徒も募集してみればぼちぼち集まってくれた。でも…、弾く場がないのは相変わらず(;_;)。「弾く機会がなきゃ、自分で作れば良いじゃん(-^〇^-)。」←余談ですが「じゃん」は【横浜弁】です。隣街の東金文化会館にある小ホールで自主公演を開いた。知名度なんてないから集まってくれたお客さんはパラパラ~っと。張り切ってショパンのバラード4曲に、モーツァルトのソナタに、ヒナステラやラヴェルにと、たっぷり2時間は弾きまくったけれど…。千葉の東金では、弾けば弾く程、お客さんは「ちんぷんかんぷん~」となることが分かった。よし、それならトークをもっと砕いた話しにして、おまけにプログラムノートも書いて解説しちゃいましょ~o(^-^)o。片田舎において、聴衆を育てる楽しみを見出だしたんですね(…おこがましい言い回しですみませんが)。そうだっ、この自主公演で、毎年同じ曲を二度弾かずに10年続けられるか頑張ってみようっと。これが己に課した課題でした。目標立てるのが好きなタイプかも。地元を基盤にした演奏活動は、順調な事ばかりではなく、反対にも会いましたね…。東金文化会館の大ホールで開催されていた住民向けの「芸術祭」に出たものの、「あなたは出ちゃ駄目」と断られたり。個人経営のスタジオでは、招待券を出すことについてオーナーと食い違ったことも。「より多くの方に聞いてもらいたい。」そう考えて招待券を出したいというこちらの意向は、貸しスタジオのオーナーには理解できなかったらしい。図書館のある公共施設での無料コンサートも、寒風の中での演奏だったり…(ノ△T)。小学校での演奏会は騒然としてピアノの音など聞こえないことも…。そんなこんなで、めげながらも活動を続けているうちにも、次第に仕事が舞い込んでくるようになったんです。弾くことによってお金をいくばくか貰えるようになって、職業ピアニストと言えるんだよね~。そう、ぼちぼち思えるようになったんですね。まっ、しょぼしょぼ弾いてちょっぴりの収入ですが…。それでも、仕事としての重大な責任感を伴います(^ー^;)/。「例え、あなた方が危篤でも、舞台は勤めるわっ。あきらめて頂戴!」まるで舞台女優ごとしの鼻息の荒いことっ。で、家族のリアクションは⇒「どうぞぉ~(┳◇┳)。」また始まった~って感じ?どんな風に演奏の仕事が繋がっていったのかは、次回にお話ししますね~!

プロフィール19・職業ピアニスト

20081124223416
幼稚園の先生になりたいという娘は、レッスンにやってきた生徒の妹や弟の遊び相手をしてくれることが時々あるんですね~。幼稚園児や低学年を相手に、上手に遊びの相手をするのには感心します~( ~っ~)/。折り紙を教えたり、色塗りに、お絵かきにと、レッスンをしている一時間もの間、小さな子供を飽きさせずに相手をするんです。まぁ~「面倒を見させられる」と、本心は思っているかも知れないけれどね…(^。^;)。それにしても、上手に折った折り紙を嬉しそうに抱えて帰る小さな子供の顔を見る度、彼女の手腕には感服しますよ。これも才能だなぁ~、なんて思ったりします。誰にでも出来ることじゃないですよねo(^-^)o。「へぇ~っ、これ自分で折ったの?上手だねぇ。」「私、器用だから。」誉めると、こう答えるのには笑える。自分にあった職業って何だろうか? 小さい頃は、考古学者に始まり、刑事に憧れ~、料理研究家に、インテリア・デザイナーと、様々な職業に興味を持ちましたよ。【音楽の道】への布石は、親の夢でした。望まれていた男の子を産まなかった母親は、娘を音大に進ませることを夢としたんですね。自分で音楽の道を選択したという訳では、当初は無かったです。まぁ~、当時とすれば【お世継ぎ】みたいに男子誕生が期待されていたらしいですから、女の子なら音大にでも入れて体面を保ちたかったとか…(^。^;)?。父親が、それを望んだかどうだかは定かでは無いのですが(T_T)。母親の思い込みは、すごかったですよぉ。今では、「あなたがピアニストになりたいって言ったから、お母さんは一生懸命に頑張ったのよっ。」と、のたまわっていますが、多分その頃の私は母親のご機嫌を伺ってそう言ったのだと思います(*^o^*)。とは言うものの、音中から音大へと何の疑いも反抗心もなく進学し、卒業してから親の経営するピアノ教育で教え、叔父の経営する楽器店に出入りし、そのツテでビクター音楽教室の講師になり…。就職に悩まず、親と同居し、家事を手伝うでもなく、空いた時間にテニススクールに通い、週末は友達とスキーに出掛けのパラサイト人生。←何が不満なんだっ(`o´)。そんな甘ちゃんの癖に、ぬるま湯に浸かっているかのような居心地の人生に、もの足りなさを感じていましたね~。このままじゃ~、いかん!!→それなら留学だっ。→ドイツ語は苦手だから、まだましな英語圏にしようっと。こんな安楽な経緯でした。本当に運が良いというか…。当時、楽器店を経営していた叔父の知り合いが西海岸に居て、ホームステイ先として受け入れてくれる段取りにあれよあれよという間になったんですね。国音に戻り「留学したいから推薦状を書いて下さい」と頼んだところ、当時、学長であられた海老澤敏先生が奥から出てこられて「何で在学中に熱心に勉強しないのに今更留学かな~」と、シラけた眼差しを向けられ大いに恥じ入りましたよぉ~(^_^;)。しかし、人生そんなに甘くはない。どこかでつじつまが合うように勉強しなくては、話しにもならないってもんです。結局10年に及ぶアメリカ生活の内、六年間を留学生として勉強&練習に追われましたね。何も威張ることではないですよ。それまでのサボり人生の埋め合わせなんですから…(^_^)v。乏しいレパートリーを何とかしようと、片っ端から弾きまくって暗譜したりと、無茶苦茶に頑張ってましたよ。そんな中、「君なら、大したピアニストではなく、そこそこのピアニストにはなれる。」そう励ましてくれた恩師ガーツ氏の言葉に「職業ピアニスト」を意識し始めたのだと思います。20歳もとうに過ぎてのスタート。遅くから本腰入れて勉強した割に、何とかつじつまを合わせていけたのは、手先が器用だったからかな?娘の折り紙を見ながら、振り返ったりしてね\(^ー^)/。明日からは、そんなこんなの留学生活は割愛して(以前にその辺りの話しは【師事録】で書いています。6月13日からの連載になります)、日本に帰国して後、どのように演奏家と呼ばれるようになっていったのか、その辺の推移をお話ししましょう。

プロフィール18・将来の夢

20081124074233
北鎌倉は円覚寺に足を延ばしました。中高と北鎌倉女子学園で過ごした私にとって、特別に懐かしい場所です。円覚寺は「えんかくじ」ではなく→正確には「えんがくじ」と発音することは、卒業してから知りましたけどね…(*^o^*)。写メに映っているのは、国宝の釣鐘。約700年前の物だそう。この釣鐘が安置されている高台は、昔からのお気に入りの場所です。釣鐘の脇にある茶店は展望台になっていて、道路を挟んだ向かいの山の中腹に北鎌倉女子学園を臨むことができるんです。円覚寺は学校に通っていた頃から、しばしば訪ねたものでした。華やかな鶴岡八幡宮より、広々としたオープンエアーな建長寺より、山の中腹に張り付いた地味~な感じの円覚寺は、当時から一人で空想に耽るのが好きな性格の私には合っていたのだと思います(^w^)。北鎌倉女子学園に通っていた頃には、「ごきげんよう」という気取った挨拶と、【中年のヒステリー女性教師】に辟易したものだけれど…(>_<)。実際に自分が【ヒス女】になってみれば、全てのことはポジティブに感じられ懐かしい思い出になるってもんです。あの頃は良かったなぁ~ってね。教室の窓越しに眺めていた北鎌倉の山の景色は好きでした。雨の日のけぶるような墨色の景色は、一等好きなシーンのひとつでしたね。春先には山は桃色に染まり、秋には紅葉した橙色と黄色の配色が目に鮮やかに映ったものでしたよ。そのいつも眺めていた景色の中から、学校の遠景を見るのはまた格別~な感覚ですo(^-^)o。「ねえ、何になりたい?」「考古学者。」えっ?レースクィーンになりたいと言うユリちゃんは、「考古学者」と答えた私を不可解と感じていた。「考古学のなにが面白いんだか分からない」と訝っていたけれど(^。^;)。当時の私はエジプトに興味を抱き、文献を読みあさっては古代エジプトに思いを馳せる⇒変わった子供でしたね~( ̄∀ ̄)!それが何故にピアニスト?

解禁

20081122232224
巷ではボジョレーヌーヴォが解禁だとかで賑わっていますね~。こちらの話題は【みー子さん】の解禁です。以前に取材を受けたとお話しした【連載・みー子さんのピアノ・アレ・コレ】が、ピティナ・ホームページに昨日の夕方5時からアップされてます。http://www.piano.or.jp/、または、http://www.piano.or.jp/report/mi-ko/003-1.html←にて、ご覧いただけます(^o^)/。私ごときに会いに、はるばる都内から千葉の片田舎まで訪ねて来て下さったライター&イラストレーターの飯田さん。取り留めのない話しに耳を傾けて、簡潔にまとめて下さいました。ありがとうございますo(^-^)o。閑散とした大網駅に降り立った時には、心細くなられたことでしょう。車で田んぼの中を走りながら、自宅へと向かった折には、「いったいどこに連れて行かれることやら…?」と、不安に陥られたことでしょうね。こんな不便なところで、ピアノを教えているなんて凄いよね。これが私の自慢です!うふふ…。さて、こうして公開された記事を自宅のパソコンで見ますと、何だか記事は一人歩きをし始めたような気がしますね。飯田さんが「笑顔がらしくて良い」と選んで下さった写真を見て、「う~っ、無防備に笑いすぎだよぉ」とか思ったり…。「こんな風に話しを展開してくれたのね~」とか、「ホロヴィッツの絵、似てるぅ~」と感心したりしてました。ほぉ~ってね。読者の皆さんは、記事の内容をどのように受けとめられるのかしら?皆様からの感想は、ピティナ本部で受け付けてくれると思います。お便り、お待ちしておりま~す。ここまで読んで、「【みー子】ってなんの話しだっけ?」と、思われる方は、【キーマン】(10月21日付け)と、【舞台裏】(10月31日付け)のコラムを続けて読んでいただくと、ことの成行きが分かっていただけるかと思いますよぉ。

プロフィール17・条件と資質

20081121065412
どうしたら審査員になれるんだろうか?どのコンクールでも、審査員たる条件や資質について述べている項目は見たことがないな~m(_ _)m。そんな疑問がふと湧いたのは、【審査員・アドバイザー年鑑、2005~2006】に目を通した時のこと。この年鑑が、ピティナ本部から配られたのは2007年の春先の全体連絡会の時のこと。この名簿のト書きには、「2005年から2006年にピティナ・ピアノコンペティションの審査およびピティナ・ピアノステップのアドバイスをお願いした方762名のリスト」とある。その頃の私は、まだアドバイザーになって三年目で、審査には携わってはいませんでした。「あいうえお順」に掲載されているので、サ行に【鈴木直美】とありますが、この時点ではアドバイザーとして載っていることになります。この年鑑では、誰が審査員なのか、アドバイザーなのか、はたまた兼任しているのかといったことは明記されていないので、その区別はつきません。コンペ結果号などの審査員の名簿のページをめくれば、誰が審査に携わったのかが分かります。一昨年前から審査をしている私の名前は、一昨年の審査員名簿に無いんですね。新規に採用されると、夏のコンペ審査を終えて、翌年から審査員名簿に掲載されるようです。名前の前に小さな花印し(*)の付いている先生は、新規に審査員になられたことを示すと書いてあります。ふ~ん、そうなんだ…(=。_。)。審査員って、どのように選ばれているのだろう?「自分には無縁~」な感覚でいました。年鑑を貰った翌年、ある日、一通の封書が届いたんです。ぺらぺらの薄い、なんてことのない白い封筒。開封して一読⇒びっくり(°□°;)。以下のピティナ・ピアノコンペティション地区予選の審査に行けるかと、日時と会場場所を記載した紙が一枚、ペラリ~と同封されていたんですよ。たった、それだけ…(^。^;)。初めて審査に携わったのは二年前。その年の赴任先は、二カ所【名古屋】に【岡山】辺りの予選でした。慣れない審査では、カットベルを鳴らすタイミングを間違えたり、【ミュゼット】を【メヌエット】とか頭じゃ分かっていたのにうっかり書いてしまいクレームが付いたりと、失敗もチラホラ~(∋_∈)。う~んと落ち込んでましたね(ρ_;)。「初めてにしちゃ~、たいしたもんだ。」落ち込む様子を見兼ねた審査員長の優しい言葉に、慰められていたのも情けない(>_<)。あ~あ、やっちゃった!二度と審査依頼はこないと半分イジケてもいたんですよ。心配に反し、その翌年にはピティナ・ピアノコンペティションの地区本選の審査も入り、また、クラシック音楽コンクールからも予選&本選の審査を依頼される次第になりましたね。小さな失敗にグチグチ~とこだわっていたので、審査の仕事が継続して入ってホッとしましたね。←なんと気の小さなこと(^w^)。…で、いかにして「審査員として指名される経緯に至ったのか」は、分からず仕舞いになってます。今更、誰に聞いたら良いんだかも、分からないしね(⌒~⌒)。「あの~、すみませんが何故に私?」…こんなこと聞けないですょ(^。^;)。

プロフィール16・経緯

20081120074646
またまた、ご無沙汰してしまいました(^_^;)。このところイベント続きで【プロフィール】、つまり自分史を書いているのに、寸断されることしばしばで~f^_^;)。←すみません、言い訳です…。皆さん、話しについてきています?←などと言っている当の本人が、いったいどこまで話しを進めたか、すでに分からなくなっている状態でして~(^。^;)。「イベントが多いもので」って言っても、果たして年間どれくらい外泊しているんだろうか?例えば一月に三泊したって、年に換算すれば36日も外に泊まることになる。実際は月に三日どころの外泊ではないような?「ねぇ、次はどこに行くの?」そう娘に聞かれてハタと、そう言われれば家に居ない夜も多いかなと振り返ってみました。「あらっ、寂しいの?」「ううん、そうじゃなくて…。いいやっ、何でもな~い(ノ><)ノ。」どうやら、娘は寂しいから聞いたのではなく、「口うるさい母親は家に居ない方が楽だな~」なんて思っているようでした。それなら寂しいのはこちらですよぉ…(ノ△T)。いつしか「亭主、元気で留守が良い」という状態に陥ってますな~^_^;)。さて、話しを戻して【プロフィール】では何を書きたかったかというと、この10年間の仕事内容の推移です。様々な記憶が薄れてしまう前に書き残しておこう←というのが【プロフィール】を書き記している目的かな~( ̄3 ̄)┛。10年前に千葉県の片田舎に越してきてから、どのようにピアノ教室を開いたか。少しずつ集まった生徒を、いかに教え込んできたか。周りに誰も知り合いのいない環境の中、演奏会を続けてきた経緯。トークを交えてのコンサートスタイルが定着し、次第に演奏への様々なリクエストが舞い込んでくるようになったこと。プログラムノート、解説もプログラムに書き添えて演奏会を聴きに来て下さった方に配布していたら、それが慣例になって、他でも楽曲説明などをするようになっていった。そんなこんなで演奏会の数をこなしていったら、ピアニストと呼ばれるようになっていた次第。(ピアニストっていう職業には資格試験があるわけではないから…。弾くことによって多少でも稼ぐようになれば「プロの演奏家」って言えるのかしらね?)演奏会の積み重ねと共に、門下生がコンクールで入賞し成績を上げるようになると、ピアティナの指導者会員から正会員へと推薦して頂けたこと。そうこうする内に、アドバイザーに任命され、いつしかトークコンサートやアドバイスレッスンの依頼が全国から入るようになった経緯。ステーション代表に指名され、この四年間【千葉外房ステーション】を切り盛りし、ステップを開催してきたいきさつ。スタッフに恵まれ、前向きに取り組んできた⇒結果、ステップの参加人数は徐々に増え、開催日数が増していったこと。指導者賞を継続して毎年頂く内、審査員にと望まれ、便利に使われることしばしばの日々(^~^;)。ホームページを開設するようにと言われ、そこにコラムを書き始めて丸々二年。全国の方が読んで下さるので、なんだか書くのをやめられなくなっている実情(^。^;)。この頃は書いたり、話したりなども、仕事の一端に加わりつつあります。これら諸々の合間を縫ってピアノに向かう時間を捻出しなくては。などと、ジレンマと戦うふりをしつつ、観光やショッピングにランチにと、うつつを抜かすこと日常茶飯事…(^。^;)。このように仕事はピアノ中心に、実に多岐に広がってきていますね。ピアノを教え、教室を経営し、大中小と様々なコンサートのリクエストに応え、年に二回×二日開催のステップの実施、アドバイスに審査に全国駆け巡り、コンペの審査に加え、精力的に観光しつつ、物書きまがいの日々にと。←コンパクトにまとめると、こんな感じの生活を送っております。まぁ~、起きている間は、常に何かしてますね(^w^)。周りには「少し落ち着いたらどう?」「生き急いでいる」とか「死に急いでる」とか言われてます。どっちなんだっ(`ヘ´)。←ってことを書きたかったんですよ(◎o◎)~。明日からは、【プロフィール】の続きを書きます。審査の仕事依頼が舞い込んできた「いきさつ」をお話ししますね(^o^)/。

新聞記事

20081118143830
岐阜市立黒野小学校での【学校クラスコンサート】の様子が記事になったのは、開催翌日の10月21日付けの【毎日新聞】と【中日新聞】の二紙でした。私の居住する関東はもちろん、他の地区では読めないので、記事の内容が気になる方へご報告します~。【毎日新聞】→心弾むピアノ演奏。ピアノ演奏を身近で楽しむ「ピティナ学校クラスコンサートイン岐阜」(全日本ピアノ指導者協会PTNA岐阜支部主催)が20日、岐阜市古市場の黒野小学校であり、4年生118人が生演奏に聴き入った。同協会員でクラシック音楽の普及活動に力を入れているPTNA外房ステーション代表の鈴木直美さんが、各クラスごとに演奏した。子どもたちはピアノの周りに集まって音楽に耳を傾け、鍵盤の上を優雅に踊る指先をのぞき込んだ。「私もピアノを習っているので、上手に弾けるようにいっぱい練習したい。」「体が知らず知らずのうちにリズムをとっていた」と話していた。…うふふ、なんだかこそばゆい感じ…(^。^;)。【中日新聞】→ピアニストの生演奏に感嘆。ピアニストの生演奏で音楽の楽しさを知ってもらう「学校クラスコンサート」が20日、岐阜市古市場の黒野小学校であり、4年生約120人が聴き入った。全国のピアノ指導者でつくる全日本ピアノ指導者協会岐阜支部が主催。ピアニストの鈴木直美さんが演奏を披露した。体育館の舞台上で鈴木さんが演奏し、児童が周りを囲みながら聴く身近な形式のコンサート。ショパンの「子犬のワルツ」など6曲を披露した。鈴木さんの早い指の動きや繰り出される軽快なメロディーに、児童たちは真剣な表情。「指の動きが早くてすごかった」と驚いていた。…あらら、活字になると大袈裟に響くのね~(`∇´ゞ…(≧ε≦)”。

黒野小学校の皆さんへ

20081118142241
先月10月の20日に、岐阜県、岐阜市立黒野小学校にて開催された【学校クラスコンサート】で出会った四年生のお友達に、ようやくお返事をだしました(^o^)/。(10月23日付け「レポート・黒野小学校」コラムをご覧下さい。)先月の末、ピアノを弾いた四年生の皆さんから、当日に撮って下さった写真や新聞記事のコピーと共に、丁寧に綴られたお礼の文集が届いていたのに…。返事を書くのに、一月近く掛かってしまいました。ごめんなさいね。すでに年末に近い時節なので、クリスマス・カードにしちゃいましたよ~。ちょいと気が早かったかな~(-^〇^-)。お友達からの手紙は、ひとつひとつゆっくりと読みました。手紙の文面から、皆さんが良~く耳を傾けてくれていた様子が伺えました。「子供頃には怒られながらピアノを弾いていて、それは嫌だったけれども、やめてしまう勇気も無く続けていたら得意になったのよ。継続って大切よね!」そう言ったのを覚えていたのか、ある女の子から「私は、小さい頃から今でも怒られながらやってます。でも頑張って将来先生みたく難しい曲が弾けるようになりたい」と、手紙をもらいました。ほほえましさに笑えましたよ~(o^∀^o)。「演奏会に向けて、練習は沢山積むわよ。そうね…、二時間のコンサートに100時間くらいの練習量は最低でも掛けるかな~。」そんなに弾いて、手が痛くならないかと心配した手紙も。大丈夫よ。心配してくれて、ありがとうね。「ジブリ・メドレーでは、8曲もアレンジして繋げていたけれど、少しも不自然でなく曲がしっかり弾けていた。」「強弱だけで曲の雰囲気を変えていた。」などと、なかなかの批評家振りの男の子からのお便り。しっかり聴いていてくれていたのね。嬉しかったよ。どうもですぅ~*^o^*)。「音楽はあまり好きではなく、ピアノはやめてしまったけれど、今日、音楽は楽しいと改めて思った。思い出をありがとう。これからも頑張ってね。」←これって逆エール。小学生に応援されているし(^。^;)。体育館の高い舞台に乗ったグランドピアノを囲んでの演奏会。子供たちはピアノを囲むように舞台に座っていた。あんな至近距離でピアノの演奏を聴くことって、あまりないでしょうね。舞台から見下ろす体育館の広~い床。差し込んだ日の光は、ちらちらと床を浮き上がらせる。黒野小学校でのコンサートを思い出す時、その光景がハッキリと目に映るんですよ。永遠に時をとめるかのようにね。

自己申告

20081114135842
ここで門下生へのお知らせです~o(^-^)o。クリスマスコンサート=発表会のプログラムを現在作っています。お子さんの今年のコンクール結果をお知らせ下さい(^O^)~♪。毎度、プログラムの後ろに門下生の「受賞歴」を載せています。本年度のコンクールの受賞はもとより、ピティナ・ピアノステップやピアラ・ピアノグレードなどの演奏検定合否結果も、もれなく申告をお願いします。尚、フリーステップの参加は、列記いたしませんので御了承下さい。報告はメール、またはファックスにて受け付けております\(^ー^)/。では、お早めにね~!

データ

20081114134119
鹿児島県は、鹿屋という街で開催されたピティナ・ピアノステップの後に一人旅してきた報告です。一日目は、桜島と鹿児島市内の観光に。二日目は、知覧と指宿を回る欲張りプランで行って参りました。今日は、この旅の目的であった知覧での話しをしますね。戦争映画「月光の夏」のイベントに携わって以来、心に刻まれた特攻隊の悲話。それまでは、多くの人と同じように、「特攻」の二つ文字を「短気」の代名詞のように捉えていたと言っても過言ではなかったかも知れません…。この数年、国内各地を訪ね歩く仕事の折に、何故か旅先で戦跡に触れる機会があります。その度に、己の無知さ加減を恥じ入ります。さて、鹿児島観光二日目は【知覧特攻平和会館】を訪れました。。仕事で訪れた鹿屋は、海軍所属の航空基地があり、そこの資料館は閑散としていたと報告しました。知覧は鹿屋とは違い、陸軍所属の特攻航空隊の基地です。死に行く特攻隊員の世話を何くれとなく焼いた鳥浜トメさんの献身的な話が、本になり、そして後に映画化され、知覧は今や観光地になっています。【知覧特攻平和会館】には、おびただしい数の遺書、遺影、遺品が整然と展示されていて、それを見にきた大勢の人で賑わっていました。舞台は、昭和20年のこと。日本の全国各地から特攻隊として徴集された青年が呼び集められました。彼ら特攻兵は、優秀な青年達でした。写真が出撃した順序による隊ごとに貼られ、その下にはガラスケースに隊員達の遺書、遺品が収められています。遺書は一様に達筆で、いかに彼らが精鋭であったかが偲ばれます。館内は、閲覧しやすくレイアウトされて、その整然さが、「現実に起こった悲劇」を生々しく訴えかけてきます。足を止めて遺書のひとつひとつを読むと、涙が込み上げてきそうになるので、ゆっくりとした歩みのまま館内を閲覧していました。「俺の親父は、特攻だったのに、いかずじまいで戦争が終わってしまったんだとよ。」振り返ると、初老のジャンパー姿の男性が声高に話しをしていた。「だから俺がここに居るってワケよ。」特攻隊が最も頻繁に出撃したのは、昭和20年4月から6月にかけてのことだったそうです。出撃した隊が後半に及ぶほどに、成人すらしていない青年、というより17歳あたりの少年といった顔立ちの遺影が目立つのにも憤りを覚えましたね。こんな子供にまで自爆させるだなんて…。「俺の親父は、特攻だったのに、いかずじまいでさぁ…。」あっ、また、あのおじいさんだ。見れば違う人を相手に話しをしている。鳥浜トメさんは、生き残ったことを恥じる兵士に「遺されたってことは、何かをするために遺されたのよ。」そう言って勇気を与えたそう。しかし、そう簡単には言葉が心に響いた訳ではなく、戦後になって自害した兵隊もいたそう。「俺の親父はさぁ…。」すれ違う人を捉まえては話しかけている。このおじいさんのお父さんという方の呵責の念は、まだ生きていると思った。そうそう、ここ知覧でも入口で退役軍人のおじいさんに質問を浴びせてました。「陸軍の特攻機が出撃した飛行場」とあるデータのコピーをくれました。それによると知覧基地からは1036人の特攻隊員が出撃し、432機を使用とある。えっ?鹿屋で聞いた数とは全然違う。そう言うと、顔をしかめて一言。「まぁ、せいぜい勉強しなさい。」あ…はい。それ以上は聞けなかった…。

燈籠群

20081112143437
伝言板・今朝の8時頃にホームページからのアクセスでメールを下さった方へ。すっかり文字化けしてまして⇒読めませんでしたので、返信できません(∋_∈)。さて、無事に鹿屋ステップを終えて、海をフェリーで渡り、鹿児島市内を観光した翌日のこと。鹿児島市内から南に向かい、バスに揺られること約一時間半、知覧を訪ねました。そこから更に足を延ばして指宿まで行って来ましたよぉ~。本人は常にいっぱい×いっぱいなのに、周りから「エネルギッシュ」と言われるのは、この無鉄砲な行動のせいだよね~m(_ _)m。前日、駅ビル地下街の【さつま揚げ・月上庵】の店員さんに、「知覧から指宿まで、どう行ったら良いのかしら?」そう聞いたところ、周りの店員さんまで巻き込んでの大騒ぎになりましたっけ(∋_∈)。「あ~っ、それなら向かいの漬け物屋のおじさんが詳しいから、聞いてくるわ。」鹿児島の人は実に温かい(^。^;)。そして、鹿児島の人は、交通網について詳しく知らない…f^_^;)。公共の交通網は発達していない上に、普段余り使わないとみえて、地方の電車やバスがどのように走っているのかも知らなかったんですね。「枕崎から指宿まで電車は通っていない。」「いや、通っているはず。」議論になったので「あのぅ、駅の案内で聞いてきますから…(^。^;)。」と、質問したこちらが辞退したのには笑えた。結局、電車の通っていない知覧へは、鹿児島市内からバスで向かうことになりました。前日にバス停で時刻表を調べれば、日に4本しか出ていない。朝の8時に鹿児島中央駅前から路線バスに乗り込み「特攻観音入口」という終着駅に着いた頃には、かれこれ10時。【知覧特攻平和会館】を見た後、タクシーで5分ほど移動して【知覧武家屋敷の町並みと庭園】を散策。その後、「特攻母さん」として有名な、鳥浜トメさんの「富屋食堂」跡に開設された【ホタル館】を訪ねました。ここでは、じっくりと展示物を見て涙してましたね。それから、知覧から指宿行きのバスを待つ間に【ちらん人形博物館】を覗いたけれど、こちらはどうでもよい感じだったかな…。再びバスに乗ること一時間半弱で、指宿に到着。写真で見るのとは違って、さびれた温泉街の印象…。「一人で砂風呂ってどうかな~」とは思いましたが、「まっ、誰も知り合いがいないからいいゃ」っというノリで⇒砂風呂してきましたよ(≧∇≦)。うほほっ。上から慣れた手つきのおばさんがスコップで、浜の砂を掛けてくれる。そのどっしりとした重さには驚きましたね。えっ、こんなに重いの(≧ヘ≦)。これでは土砂災害などに巻き込まれたら、ひとたまりも無いわけね~(T_T)。砂風呂は地熱が熱く、背中やお尻を低温火傷をしてしまう人もいるのだとか。それを聞いてそそくさに立ち上がり、温泉に浸かってきましたよ。砂風呂の帰りは指宿駅に出て、そこから電車で再び鹿児島に。各駅停車しかなく、鹿児島市内へと戻るのに約一時間半も掛かかってしまいました。鹿児島郊外に出ようとすると、バスも電車も本数がめちゃくちゃ少ない。これではマイカーでの移動に頼ってしまうよね。知覧散策の詳しい話しは、明日書きます(^O^)。写真は平和記念館の脇に併設されたお寺さんに置かれた燈籠群。真ん中あたりに浮き彫りされたようについているのは、特攻隊員の胸像を摸したオブジェ。写真を拡大して、ヘルメットや胸のベルトを見てください。この燈篭が立ち並ぶ光景には、ぞっとするものを感じました。行き当たりばったりで目的を達成した満足感と疲れで、帰りの電車はうとうと~と。ピアノが駄目なら、ツァーコンダクターとか旅行のプランナーなんかもどうだろね~o(`▽´)o。得意の旅プランは「強行軍!」

断末魔

20081111214906
断末魔を聞いた気がした。フェリーで鹿児島に渡ってホテルに荷物を預け→「さぁ~て、今日は何をしようか」と悩んでいたら、フロントのお姉さんが「循環バスの一日チケットはお得ですよ」と声を掛けてくれた。…それではと、循環バスに乗り込んで【かごしま水族館】前にて下車。丁度そこは、桜島へと渡るフェリー乗船所でもあったので、人の波はフェリーの方向へと動く。その跡を何気なくついていったら、乗船してました(*^o^*)。桜島には渡るつもりは無かったのに…。「桜島に行っても何もないわよ。火山灰を頭からかぶるだけよ。」以前この地に滞在したことがあるという友人に、そう言われてはいたけれど…。「二度と、この地に来ることはないかも知れないなぁ~」という気持ちが、桜島へと足を運ばせたのかも知れない。フェリーは、わずか15分ほどで鹿児島港から対岸の桜島港へと渡り着く。あてのないままに渡ってきたものだから、何をしたら良いのか分からない。フェリー乗り場にあった観光案内所に立ち寄り「一人旅なんですが、何か出来ますか?」と尋ねる。アイラインを目の玉と同じくらいの太さにひいたお姉さんが「新しく足湯が出来たのよ」と、教えてくれたので、指で指した方へと、てくてく~と歩きだしました。ところが、この日は冷え込んだ上に、海からの風が荒れて寒いこと×寒いこと(+×+)。通り掛かりの国民宿舎「桜島レインボー」の前にはためく【マグマ風呂】と書かれた【のぼり】につられて、ついつい温泉に浸かっちゃいましたよ~(-^〇^-)。タオルは買ったものの、髪をとめるゴムがない…。困った顔を見て、受付のおばさんが輪ゴムを二本くれました。「髪が絡んで痛いかねぇ。二本まとめて使ってみればどうかな?」…ども、痛いとは思いますが助かります~(^。^;)。そんなこんなで髪を束ね、海を眺めながら泥どろ~の湯に、地元のおばあちゃん達と浸かる温泉浴は→極楽極楽~(*^o^*)。のどかだなぁ~。人間たまにはゆっくりとせにゃあかん。すっかり温まり、再び足湯を目指し歩き出す。別に足湯に興味があったワケではないけれど、【日本一長い足湯】と言われたからには、見ないことには帰れない。長い足湯は海沿いの遊歩道に併設されていた。所々に溶岩が配置されて桜島チック。しかし、それにしても海風にさらされて寒いこと!平日のせいか閑散としている。せっかくだからと、足を入れて浸かっていると「アンケートおばさん」に話しかけられた。「どこから来た?」に始まったおばちゃんとの会話は、まったりと続く。この日本一長い足湯は、端から端まで100メートルに及ぶ。週末は700人も観光客が来た。…足は温かくとも、海風にさらされた身体は冷えて寒いこと。再び冷え切った身体でフェリーに乗り込み、桜島港へ戻り、当初の目的「かごしま水族館」へと向かった。水族館内を一巡して、水槽の前のベンチにぼうっと座り込む。「日々の悩み」に思いを馳せることしばし…。ふと気付けばすでに4時近く、いい加減にお腹がすいた。気を取り直して、近場にある「ドルフィンポート」という観光施設で、「一人でお寿司」と洒落込む。「日本で一番上手い回転すし屋にテレビ番組で選ばれた店。」こういったキャッチには弱い。…そうかなぁ~?となりのおばちゃん連れは、慣れた様子で次々に注文を掛ける。…うっ、そんなに食べられない!量では負けるので、一点豪華主義で対抗を試みる。「活き車海老の握り」うん、これだ!しばらくして出された車海老は、胴体をちぎられて、尚うごめく頭部が添えられた一貫物。うへっ。一寸たじろぐ…。箸をつけたら、ビクビクっと握られた尻尾が動いた。うひょぉ…。断末魔を聞いた気がした。

変わり者

20081111163016
気になったら、とことん気になるm(_ _)m。これ性分…。特攻隊の戦没者数、各基地から出撃した機数、未帰還機の数、どの資料も違うことをいうし、あやふや~。いったい、どれが本当?気になって、鹿屋ステップでの休憩時間に抜け出し⇒【鹿屋航空基地】まで行って来ました(^。^;)。もし、次の部の開始時間前に会場に戻れなかったら大変×大変!大事になるよね~(°□°;)。鈴木先生が消えたっ!…こうなっては困るとは自覚しつつも、タクシーを呼んでましたからね。あはは。こういう軽率で短絡的な行為をとる人間は、いつか世間に「自己責任」とさいなまれる危機に面することになるんだろうなぁ~(+×+)/。そう思いながらも衝動のままに動くあたりがね⇒懲りないんですよ…(¬з¬)。以前に、「月光の夏」という映画のイベントに呼ばれてピアノを弾いたことがあります。終戦記念日にちなんで「月光の夏」を上映するという、なかなか良い企画だった。二年ほど続けて企画されたのに、その後、資金の都合か立ち消えたままになっているのは惜しいこと。「月光の夏」は、音楽学校の学生が特攻隊員として徴兵され散っていった話しを題材にした映画。劇中に使われていたベートーヴェンのピアノソナタ「月光」を、上映後に弾くというイベントだった。それから半年ほどして、沖縄からの仕事依頼が入り、戦跡を訪ねたのが「特攻隊」に興味をもつようになったきっかけかな…。依頼、沖縄に始まり→広島→鹿児島と、偶然にも仕事先が戦跡を訪ね歩くという形になっているのも、何かの縁かな~っと思います。鹿屋航空資料館は、街中から車で5分と掛からない自衛隊の航空基地内にあり、無料で一般公開されています。海中から引き上げられた二機の戦闘機の残骸を合わせて復元した飛行機が展示の目玉となっている位で、取り立てて足を止めて見入るほどの展示品は無いこじんまりとした資料館です。館内を足早に通り抜けて入口に戻り、受付にいらした退官自衛隊員(多分…)の「おじいさん」に疑問をぶつけたんです。「あのぅ、気になることがありまして、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」…はぁっ?話し掛けられた相手の表情が、さっと緊張したのが分かる。ピアノステップの審査中に抜け出したものだから、黒色のドレスを身につけ、その上に寒さを凌ぐための毛皮のマフラーを巻いた格好で出掛けた。そんな姿で自衛隊敷地内に佇む私は、すでに【場違いさ~ん】な雰囲気…。見るからに【場違いさん】が、質問などしようと話し掛けるものだから、相手は身構える。「別に取り立てた意味は無いんですけれどぉ…。夕べ、ホテルに備えてあった鹿屋航空資料館の本を読んでいましたら、ちょっと気になることがありましてね。」はっ?相手の表情が困惑に変わる。ピアノの世界にいて「ズレている人は多いなぁ~」って思うことがしばしばありますが、自分も相当変わってるよね(^_^;)。そんな自戒の念は抱きつつも、ひるまず話し続ける←この辺が「変人」呼ばわりされる由縁なんだよね(^o^;)。…で、結局、数が合わないっていう疑問にはハッキリとした回答は得られなかった。おじいさんによると、海軍基地として南部に位置する鹿屋基地から飛び立ち亡くなった特攻隊員は、900を越えるそう。そのうち何人かは陸軍所属の兵士であり、基地を借りる形で飛び立った兵隊もいるらしい。その数、不特定。飛行機の一機に対して一人が乗っていたとは限らず、一人から三人までの乗員だったとか。それは飛行機の機種に寄ったらしい。話しを聞けば聞くほどに、ますます資料にある数字が合わなくなってきて目が点(?_?)。当時、航空隊を持っていた海軍と陸軍では言うことが違い、本当の数は分からないのだそう。よし、知覧に行って陸軍の話しを聞いてこようっと。←どうぞ、変わり者と呼んでくださいっ(^。^;)。おじいさんには「あなた何者?」と聞かれてしまいました。あはは…。鹿屋という街は、のんびりとした街。子供達の弾くピアノも、正直で素直で気負ったところがない。基地であって戦場ではなかったせいか、沖縄や広島とは違い、街中にいて戦争の爪痕を感じることはないんですね。明日は、バスでの乗り物酔いに懲りて、フェリーで鹿児島に渡ります~。

パソコン学習室

20081109114530
鹿児島県鹿屋市にピティナ・ピアノステップのアドバイスに来ています~(^O^)。鹿屋は【陸の孤島】だなどと、田舎呼ばわりしてしまいましたが、どうしてどうして。中々、栄えている街の様子にビックリ。ステップには、参加者が115名と大盛況(^_^)v。正直、こんな田舎にピアノを弾く子供が沢山いるんだって感嘆…(^w^)。会場になっている「リナシティーかのや」に着いてみれば、更にビックリ(◎o◎)。立派な複合施設で、設備の整ったホールはあるわ、映画館やパソコン学習室まであるわ…。今回の鹿屋ステップでは参加人数が多かったので、四人のアドバイザーがローテーションを組んでの作業になります。そこで、休憩時間に【パソコン学習室】にお邪魔してホームページに書き込んでます(*^o^*)。パソコンの先生もいらして、何かと助けてもくれる。こりゃ~快適。千葉の大網にゃ、無いしなぁ、こんな素敵な施設←舌の根も乾かないうちにとは、このことね。あはは…。そうそう、旧日本軍には空軍が無かったそう。当時は海軍と陸軍のみ。戦後、自衛隊になってから航空自衛隊が創設されたとか。お節介な友人からの情報です。ありがとうね(^O^)。

バス酔い

20081109002653
羽田空港のスタバで出発まで時間つぶし。暇を持て余し気味に、空港ロビーの写メを撮っているのも何かな~と思いつつ⇒パチリ…って撮っちゃいました(^_^;)。羽田空港から二時間弱で鹿児島空港に到着。そこからバスに揺られること約100分、「鹿屋(かのや)」という町に、はるばるとやって来ました。鹿児島空港に到着したのが、すでに四時を回っていましたから、しばらく待って5時20分に発車した鹿屋行きバスに乗り込んだ頃には、すでに辺りは薄暗くなっていましたね。空港から鹿屋市までの暗い山道をくねくね~と走るバスには⇒酔いました(ρ_;)。まいった×まいった!小学校のバス遠足だって車酔いなんかしたことも無かったのに…(;_;)。かといって、こんな暗い山中で途中下車も出来ないし。あ~っ、具合悪いっ(┳◇┳)!「降ろして下さいっ(`o´)。」そう叫ぶ寸前で車窓の暗闇が、突然と街の光に照らされ始めたのですよ。散々~な気分で辿り着いた鹿屋のバス終着駅から、またまたタクシーに乗って⇒ようやくホテルに到着。「何よ、ここは陸の孤島?」に始まり、「バス酔いしてエライ目に合った!」とか、「何で電車が通っていないのよっ(`ε´)」などと、タクシーの運転手さん相手に、大人げ無く文句垂れてました(^。^;)。ホテルのフロントでも「あのバスに二時間近く揺られては帰れない」と、毒付けば、にこやかに笑いながら対応してくれてました~。「よくバス酔いなさるお客様はいらっしゃいます。では、お帰りはバスとフェリーを乗り継いで鹿児島市内に入られては如何でしょうか。」あっそぅ。…で、どれくらい掛かるの?「約二時間でございます。」はぁ...(-o-;)。多分、今度は船酔いするだろぅなぁ~。チェックインしたものの、食事に出掛ける元気も無く、部屋に寝そべりながらテーブルの上に置いてあった本をなにげに手にとってみました。「何なに…【魂のさけび】ですって…。」ぺらぺら~と、ページをめくる。【鹿屋】は、特攻隊が飛び立った基地のひとつであったらしい。当時1944年、九州には13もの【神風特攻隊主要基地】があったとか。空軍だろうと思いきや、海軍と陸軍であると資料に書かれている。その辺の事情は書かれていないので分からない。13の基地の内、10の基地が鹿屋を始め、宮崎、知覧、指宿など九州南部に位置する。【特攻隊戦没者慰霊塔】が、鹿屋市によって昭和33年に建立されたとある。「多くの特攻隊員(908名)が飛び立って再び帰ることがなかった最後の地この【鹿屋】に...。」写真に写っている建立の由来を刻んだ碑を読めば、持ち前の好奇心がむくむく~っと湧いてくる。数字に反応するタイプなもので「あれっ?」っと思えば、納得いかない点を追求したくなる。←これ性分…(^_^;)。拾い読みした資料の数字が気になる。特攻機1932機のうち未帰還機は1005機。「これに陸軍を加えると特攻未帰還機は1905機」とある。海軍ベースの基地は全部で9つ有る。鹿屋基地は海軍所属。残り4つの基地が陸軍ベースとなる。いくつかの映画の舞台となった【知覧】は陸軍。情報を整理して書かないから、紛らわしい下りが目立つこと。紛らわしい(∋_∈)。最初の未帰還機1005機という数が、海軍全体の損失について述べていると限定するとなれば、死者数908名と刻まれた鹿屋基地とあるので、そのほとんどが鹿屋から飛び立ったってことなのかしら?一機に一人だろうからね。数に誤差があるのは、飛行機だけ壊して生還した兵士も中にはいたってことかしらね。それにしても、鹿屋基地以外の残りの8つの海軍基地は、特攻主要基地とありながら何をしていたんだろうか?飛行機の整備?最後は飛行機が足りずに、練習機まで使っていたらしいから、自爆させる飛行機を整備なんてする余裕なんてないだろうしなぁ~。疑問がくるくると湧き出ては、頭の中を駆け巡る。よしっ、仕事が終わる月曜日には鹿児島から「知覧」へと巡ることにしよう。再びフロントに戻り、尋ねる。「あの~、知覧へはどうやって行けます?」ホテルのフロントマンは、すまなそうに返事をくれた。「鹿児島中央駅に出られてから、バスで一時間半程で行けますが…。なにしろ、そちらも山道を通りますので、お客様の場合、ご気分がどうかと…。」あっ、そう( ̄・・ ̄)。

旅のプランナー

20081107084033
何事も計画するのは好きですね。明日から鹿児島に行きます(^o^)/。⇒もちろん【仕事】ですよっ(^o^;)。日曜日に開催される鹿屋(かやの)ステップでのアドバイスです。鹿屋という街へは、鹿児島空港からリムジンバスで100分ですって!100分っていったい何時間だっけ?まるでディズニーランドの長蛇の列みたいな時間の書き方ね…。100分待ち~みたいな感じ…。遠いなぁ~。移動に丸一日掛かります。土曜に移動して、日曜はアドヴァイス。月曜日からは自由の身。ちょいと【気晴らし旅】でもしようかな~と計画してます。←しょっちゅう気晴らししてるじゃないかっ(-"-;)~という声も聞こえそうですが・・・。出張の度に、旅の雑誌なんかを買って、寝る前にページをぺらぺら~っとめくるのは楽しみです。「るるぶ」や「まっぷる」系の旅雑誌は増えたこと!この頃は一人旅にも慣れ、どこにでも出掛けちゃいますから~(`∇´ゞ。まっ、以前に岐阜で【鵜飼】を見ようと一人で船に乗った時は、周りから思いっきり浮いていましたけどね・・f^_^;。あれはカップルか家族で楽しむものだとは、後で知った次第。暗闇の中で鑑賞する鵜飼。周りの目からすれば、女性の一人旅は【ワケありさん】になってしまいます(^。^;)。どうりで顔を上げる度に、乗客の誰かに見られているって感覚をひしひしと感じていましたからね。相手が慌てて目線を外したりするところを見ると[この女は河にでも飛び込むんじゃないか…]と、心配されていた感もありました(∋_∈)。鹿児島での旅のプラニングに思いを馳せているのですが、なかなかどうして難しい。指宿の砂風呂に一人寝転ぶのも妙だし、桜島に渡り一人火山灰にまみれながら火口をうろうろするのも周りが気をつかうだろうし、黒豚のしゃぶしゃぶは「お二人様からの予約」とあるしなぁ…。女の一人旅は、なかなか制限がありますね(¬з¬)。どこで何をしたかは、また報告しますo(^-^)o。

発表会のお知らせ

20081107074613
【発表会のお知らせ】を、ようやく作りまして、門下生に配布を始めました(^o^)/。毎年、12月の末に【クリスマス・コンサート】と称して門下生の発表会を行っています。その「お知らせ」は、たいてい10月には作ってお渡ししていたのですが、今年はちょいと遅れました。DVDを作成してくれる業者の原さん相手に値切ったり、写真家のシンタクさんにスケジュールを調整して来ていただけるよう頼んだり、生徒の演奏時間を 計算してプログラムを考えたり、リハーサルの時間割を作ったり、保護者の役割分担に頭をひねり、教室からの「お願い」を書き改めたりと…。山のような「考えるべき事項」と闘っておりましたので、「お知らせ作り」に時間が掛かってしまいました→ごめんなさい…(°□°;)。たいていの事柄は、例年通りです。変更は二点。①発表会に作成していたCDがDVDに変わったこと。これによって発表会費が3,000円値上がります。→「家にDVD無いんですよぉ…」とか、「DVDは希望者だけで良いんですかぁ?」と、聞かれましたが、その一つ一つのリクエストに対応していると、大変厄介なことになってしまうので…。皆さん同じように対応させていただきます。②お教室を退会なさる時は、誠意をもって事前にお知らせ願います。→今まで文章にしていなかったことを書き加えました。このような常識と思えることを、教室からのお願い事に書き加えなくてはならないのは、誠に残念です。皆さんにも、諸処の事情はお有りでしょうが、。「お世話になりました」と、ファックス、留守電、メールなどで「終わり」を一方的に告知されましても、戸惑いを覚えます…。月末のレッスンに菓子折りを持って「今日で終わりにします」と、突然来られるのもどうかと。ご本人は「菓子折りを携えてきたのだから、礼儀は欠いていない」とお思いでしょうが、そこに問題があります。けじめのつけ方は人それぞれですが、「事前に誠意をもって」相手とコミュニケーションをとることは大切かと思います。道端で出会った時に笑顔で挨拶できる関係でいましょうね~。以上の二点が新しい事項です。後は、例年と同じです!では、12月の発表会に向けて、そろそろ気合いを入れてピアノに向かいましょうね~。

プロフィール15・エッセイ

20081105075622
今や、書くことも【仕事のひとつ】となっています。だからといって幼少の頃に、「書くことが好き」と、自覚したことは無かったですね。「作文コンクール」などで取り上げられることもありませんでしたし…。いつの頃から文章を書くことに親しむようになったかと思い返せば、かれこれ12年前にもなるかしら~。アメリカから帰国した頃、家にパソコンを買い込んだことをきっかけに、エッセイもどきをぽつぽつと書き貯めてはデータファイルに保存していました。文章が大量に保存できるということ自体が【凄い事】だったので、書き溜める作業は新鮮でしたね。引越しは広々~としたニューヨーク郊外の一軒家から⇒埼玉県のせんげん台にある狭~い社宅へと(ToT)。グランドピアノを筆頭に、山のような引越し荷物を小さな家に詰め込み、どうにかこうにか片付けようと試みていた頃はくるくる忙しく動いていました。連日のように、猛然と片付けていましたね。しかし、それもつかの間。一旦、片付いてしまえば、時間を持て余すことに…m(_ _)m。朝、幼稚園バスに子供を乗せて、お皿を洗い、洗濯物を干して、掃除機を回せば、…もうやることは無い。手持ち無沙汰~な日々。ピアノは日本間の畳の上に据えたものの、壁を隔てて隣には「会社の人間」が住む社宅。社宅は一軒家であったけれど、隣の雨戸をひく音が、戸締まりした家の中に居てテレビをつけた状態でさえ見事に響いていたのだから、防音なんて微塵も考えて建てられているはずもない。ガラガラ~、ピシャリッ(゜∀゜;ノ)ノ!ピアノを弾いて、音を立てても大丈夫かしら(¬з¬)?周りをはばかるとなれば、何だか練習に身が入らない…(-o-;)。暇を持て余していたんですよ。それならばとパソコンに向かい、こつこつ書きはじめましたね。じっとしていられない性分。そのころ、何を書いていたかですって?たいした内容ではなかったですね。自分がそれまでにしてきたことを思い出しては、断片的に文章にしていただけです…。まっ、そんなきっかけで始まった物書き趣味も、後々仕事に繋がっていったわけですから、人生暇な時にこそ何か始めると良いのかも知れませんね(^◇^)┛。その後、リサイタルのプログラムに【ノート】と冠して解説を書いたり、音楽スタジオの通信に連載で【曲紹介】みたいなものを書いたりしていました。二年前にホームページを立ち上げることになり、このホームページを作成して下さった中島さんの助言で【コラム】を書き始めたという次第です。中島さん曰く「新しい情報が無ければ、ホームページを訪ねた人がリピーターにならないから!」厳しいご指南。それならば「毎日書きますっ( ~っ~)/。」「いや、そんなに頑張らなくても良いからっ(-o-;)。」結局、コラムに日々の出来事などをタラタラ~っと⇒書いているうちに、二年も経ってしまいました。こんなに書き溜めたデータを、万が一にでも何かの不都合で無くしたら困るな~と、印刷して取ってあります。(←こういうところがマメと言われるところなんだよね…。)その枚数は膨大!まぁ、片面印刷ですけれどね。すでに電話帳の厚さに及んでいますっ(」゜□゜)」。いったい、どこまで書くんだか(・_・)..??

プロフィール14・執筆

20081104074445
小さい頃から【書く】ということに、執着していたというほどの熱意は無かったですね。国語は苦手ではないけれど、特に得意でもなかったかな~。本を読んで想像の世界に浸ることは好きだった…。それなのに、今や【書く】ということが仕事のひとつになっているのは、不思議な感じです(‘o‘?)。ステップやコンペや公開レッスンにおいての講評書き、行事ごとのレポート書きやら、ちょこちょことエッセイを書いてみたり、このコラムを書いて…と、良~く考えを文章にまとめていますね(^_^;)。講評書きに関しては、初めてのお仕事を頂くようになってから五年。一昨年あたりから、講評を書く仕事がぐんと増え、振り返ってみれば膨大な枚数に及ぶことに、我ながら驚いてしまいます。ピティナ・ピアノステップでは、一昨年は400枚強、昨年は800枚以上もの講評を書いて、【最も枚数を書いたアドバイザー】にランキング・インしたんですね…f^_^;。これには何だか笑えた(^。^;)。本部は、何事も統計をとるのが好きだなぁ~ってね。これ以外にも、コンペでは、ひと夏でステップと同じくらいの講評を書きましたね。今年は、予選三ヵ所で500枚は書き、三日開催だった本選を足すと、7~800枚位にはなりますかしらね。それに加えてクラコンの審査や、ヤマハの公開レッスンの講評書きなど含めると→「どんだけ~(゜∀゜;ノ)ノ」って数になります。講評を書くにあたって、その人のバックグランドも何も知らない相手に向かって、ほんのわずかな演奏を聴いて紙面に評価を書くことは大変難しい作業です。「手紙をしたためるように書けば良い。」戸沢睦子先生が、以前に講評の書き出しにつまづく時には【手紙スタイル】を思い浮かべると良いとおっしゃったのを受けて、まるで【手紙】のような講評を書いてます。例えばメロディー・ラインが曖昧な演奏に対して⇒「あなたの伝えたい気持ちがあるのは充分に分かるけど、空回りしてない?こちらまで届かなかったわ。言いたいことはハッキリと相手に伝えないと、誤解を招いてしまうのと同じことよ!聞き手が、あなたが何を言いたいのか分からないのでは困らない?」こんな調子で、たらたら続くことも…。「旋律が心に響いたら、あなたのピアノで泣けたのに…。」と、簡潔に伝えることもある。「あ~、鈴木先生。以前、家の生徒が講評を頂きましてねぇ~」などと、どこぞの審査会場で他の先生方に声をかけられると、穴を掘って隠れてしまいたい感覚に襲われますね。だって、何を書いたのかなんて、いちいち覚えてなんかいられませんから。「何を書いちゃったかな~(>_<)」って、冷や汗が出る思いはします。講評書きは、ごく限られた時間内で書き上げなくてはならないから、直観や感性がもろに出ます。文章の内容を聞かれたら、なおさら恥ずかしさが募るってもんです。その点、コラムやエッセイは書き直す時間的余裕があることので、「楽さ」がありますね。エッセイもどきを書き始めたのは、アメリカから帰国してからですね。仕事も無く専業主婦をしていた頃。買ったばかりのパソコンを、遊び半分に触り、暇潰しに文章を書いては保存して「こりゃ~便利だなぁ」なんて喜んでましたね。何せタイプライターで卒論を打ち上げた経緯があるのでね。パソコンは万能だ!卒論を書くのに使ったタイプライターは、フロッピーディスク(懐かしい(^。^;))を使用して、ほんのわずかな保存機能がついている【最新式】だった。けれども、文字を打ち込むスピードが早過ぎると、保存フェイリア、つまり保存に失敗して白紙に戻ってしまうというとんでもない代物だったんですよ(┳◇┳)。ここからは、また明日。

プロフィール13・スタッフ

20081103222551
どのような行事を行うにも、参加者を募ることもさながら、裏方を努めてくれるスタッフが充実しないことには始まらない。その点、幸運なことに常に周りの支えに助けられてきましたよ~o(^-^)o。自主公演のリサイタルに留まらず、委託の演奏会の裏方、門下生の発表会に、ピアノステップにと~。事あるごとに、門下生の保護者、先生仲間、友人、家族が、快く手伝いを買って出てくれました。これまで様々な仕事を無事に終えることができたのも、周りのスタッフに恵まれたことが一番の要因です。みんな、ありがとう!普段は、一人で何役もこなすかのように、自己チューな”振る舞い”と”思い込み”に陥りがちだけれど、実際は周りに生かされているんですって←時折、感謝してます~( ~っ~)/。人間は結局のところ、社会性のある生き物なんですよ。たった一人では、何もかもやり遂げることはできない。懸命に教えたり、弾いたり、喋ったり、書いたりの日々を繰り返すのは、いったい何故だろう?どれもこれも、他人に向けてのメッセージ性がある。きっと「一人でいるのが好きなんだ」なんて、うそぶく裏で、人に囲まれているのが心地よいに違いないんですよね(*^o^*)。「見向きもされない」って状態は苦しい。この仕事は人との接触が多いだけに、出会いも豊富な分、別れも沢山経験します。出会いのパターンは、こちらが受動態で、相手が能動態というケースがほとんど。つまり「自分はいつも同じ場所にいて、相手が出会いを求めてやってくる」というシナリオが多いですね。一期一会。出会いを大切にしよう。去る者があっても、その後は追わずに次へ進もう。そんな姿勢を貫こうと強情を張っても、実際に支えてくれた友人や、大事に育てた生徒が去る時の感情には一向に慣れないのが本音。その理由は様々で、相手の立場や環境を慮れば、いたし方の無いこともある。「仕方がない。後は追わない。」を、信条に掲げながらも、気が抜けたような脱力感に、その都度襲われますよ…(ノ△T)。とほほ…。「去る者は美しく、残された者は恋こがれ泣きわめく~♪」って、歌詞があったけれども…これは大嫌いっ!!だって、立場的にいつも「残された者」になってしまいますからね。「去る者の美しさ」を演出することができないってジレンマがある。それでも、めげずに同じことを続けている。それは、人が好きだからなのかな~って、思ったりもします。

プロフィール12・ステーション

20081102002554
「ね~ぇ、もう少しマシな名前は無かったの?」娘は「千葉外房ステーション」という呼び名が”ダサい”と言う( ̄・・ ̄)。ステーションの名前は、ロケーションが明確な方が良いと付けたのが→「千葉外房ステーション。」確かにダサいかな…f^_^;。地域を明記したつもりだったのに…。その割には、「外房って千葉のどの辺ですか?」と、よく聞かれますから思惑も外れたのかも知れない…m(_ _)m。それはさておき、ステーション代表となった一年目は、東金で開催。2005年の7月のことでした。二年目からは春に東金、そして秋に成東と、二カ所で開催するようになりました。それには理由があります。その理由は二つ。一つは、ピアノステップの普及に務める戸沢睦子先生が「年に一回だから大変なのよ。二回にすれば慣れるし、三回になれば日常よ!」と、豪語なさったこと(戸沢先生の信念だと思いますが…(^。^;))。二つ目の理由は、資金が無いから(^o^;)binbou/。東金にある「東金文化会館」は、会場費が高い。めちゃめちゃ高いっ(∋_∈)。しかし、車社会のこの辺りでは便利が良いという利点がある。隣接した広大な駐車場に、車は無料で留め放題。高速道路からのアクセスも悪くはない。快適なホテルやこじゃれたレストランも近隣にある。つまり、人を集めやすいという立地条件が魅力的である。それに比べて、秋の開催地である隣町、成東の「のぎくプラザホール」は、音響もピアノの状態も抜群な上に使用料も安い。…が、なにせアクセスが悪い(∋_∈)。気の利いたホテルやレストランは無い。…と言う訳で、二カ所での開催に至ったという次第です。それぞれの会場で、年々参加者が増え、今年から二日連続での開催となりました。←結局、戸沢先生の思惑通りに事は運んでいます…(^_^;)。写真は娘が作ったコートを着た【ぬいぐるみのワンコ】。どことなく憐れな感じに【マッチ売りのワンコ】と名付けたらしい(*^o^*)。あはは~っ。仕事に追われる母親に慣れた娘は、一人遊びに長けている。ほのぼの~とした表情に、なんだか笑える(o^∀^o)。

プロフィール11・白羽の矢

20081024071048
【プロフィール】に戻りますね(-^〇^-)。このところイベントが続き、その報告ばかりしていましたら、随分とご無沙汰になってしまいました。前回が10月18日付けなので、相当空いちゃいましたね…(`∇´ゞ。書いている本人が、「えぇっと、どこまで話したかしら(・◇・)?」みたいな状態です…。これまでの経緯を要約しますと→千葉に越して、ゼロからピアノ教室を始めたのは10年前のこと。一介の市井のピアノ教師が、この10年の間で、いかに多岐にわたる仕事に携わるようになったかを、書いているのが【プロフィール】ってことです。教室を経営し、ピアノを教えるばかりではなく、各地でピアノを弾いて、コンクールの審査に出掛け、ピアノ演奏にアドバイスをするため全国を回り、ステーションを切り盛りしてピアノステップを開催する日々…。【プロフィール】は、記憶がファジーになる前に、足跡を辿ってみようと書き始めました。「ステーション」とは、実施事務局のことです。このコラムを読まれている方なら、すでにご存じとは思いますが。…とは言え、知らない方へ解説をしますね。ピティナ・ピアノステップとは、(社団法人)ピアノ指導者協会が推進するステージ、「講評付きの演奏会」といった様相の催しもの。それを開催する実施事務局を「ステーション」と呼び、その代表になって四年目になります。あれは確かアドヴァイザーになって四回目に呼ばれた、日立で開催されたピアノステップでのこと。初回に出掛けた横須賀ステップが2004年3月で、日立ステップが2005年2月でしたから、アドバイザーを始めて、かれこれ一年は経っていた頃の話しです。日立ステップには、大先輩の林苑子先生がチーフとしていらしていました。ピティナ本部からも幹部、霜鳥さんが来られていて、経験の浅い自分にとって「へましないように」と、願うことでいっぱい~な環境でしたね…(゜∀゜;ノ)ノ。「ステーションをやらないか?」は、はい(・◇・)??突然振られたこの話題!「ステーションを開催してみない?」あっ、はぁ…。何故に私が?「できないから~」なんて言える状況ではなかったですね。「そう、じゃぁ~、会場押さえたら書類を提出してください。」書類…?何の書類?何が何だかわからない…。家に帰るとファックス送信されてきた「開催申請書」を書き込み→返信。その数ヶ月後の7月2日には「第1回東金ステップ」を開催していた次第です。はやいこと!初回で84組の参加。人を集めることがこんなに大変だとは!あの頃は、毎日ぼやいていましたね。「なんで私が?」ってね。こうして自覚の無いまま「ステーション代表」になり早4年。4年目の今、年に2回、東金と成東の2か所で、しかもそれぞれ2日間の開催となるまでに参加者の数が延びたんです。明日からは、いかにしてステーションが継続してこれたのかという経緯をお話ししましょうo(`▽´)o。
プロフィール

鈴木直美

Author:鈴木直美
ピアニスト、指導者として活動中。
Suzuki Piano School主催。
VERY GENE ドレスショップオーナーを務める。

最近の記事
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

リンク
ブログ内検索
RSSフィード
ブログカウンター