添削

20080730230211
【ひよこ】昔からある銘菓で、ひよこの形をした黄身餡の入ったお饅頭。この夏、東京限定で【塩ひよこ】が発売されてます。【ひよこ】にまで【甘い&しょっぱい】の流行り波が押し寄せているんですよ(^^ゞ。まっ…、こうして買う人がいるんですから、製菓会社もこぞって作るんでしょうけれどね(^_^)v。甘塩味に目がないので、早速試しに買って頂いてみました。黄身餡に代わって、塩味の少し利いた小豆のこし餡が入ってました。流行物や期間限定好きな日本人のことだから、来年は幻の商品になっているのかも知れないですけれどね…。さて、今日のお題はちょっぴり塩味の【添削】です。コンペなどで合格したりするとメールを受け取ります。報告とお礼を兼ねている文章のはずが、ちょっと勘違い。このところ目立ちますよ!「あれっ(〒_〒)?」と、思わず苦笑いしてしまう言い回しがあるので、これを読んで考えてみてください(^O^)/。「先生のお陰だと思いますが、合格しました。」→「が」は要りません。この場合、「先生のお陰」なんですよ(^_^;)。「先生の指導もありますが、ウチの子も頑張りました。」→句読点以下は省略です。指導者に合格のお礼を言う場合「ウチの子」の自慢は、また後日にしましょう(^o^;)。「通過しました。親からみても見事な演奏でした。」→う~ん、親バカに効く薬はありませんね…。シチュエーションを考えると、お礼の言葉がどこにも見当たらないのは、どうかと(ρ_-)o?「他の参加者は弾いているだけで、ウチの子のは演奏なんですよ。先生、分かります?」→それは良かったですね…(Θ_Θ)。頂いたメールを赤ペンで添削してお返しするのもナンなので、ここで進言です。お礼メールは読み返してから送信しましょうo(^▽^)o。
スポンサーサイト

暑中買い出し

20080730082449
ピティナ・ピアノコンペティションの地区予選最後の週末が明け、日中に四時間ほど空いたので、発表会の記念品を買いに行ってきました(^-^)/。外気に触れること実に5日振り…(@_@)。強い日差しに目がくらみましたね。クラクラ~ってね。まぁ、発表会と言っても12月のことなんですが…、何せ一人であれやこれやと奔走するので早め早めに準備していきます。気に入ったものを見つけたら→「すみません~っ。これ50個あります?」…みたいな大人買いをすると、チョイと気分も晴れるってもんです(σ・∀・)σ。自宅にダンボール箱をいくつもの運び込んでいるところへ、楽器店の方が挨拶に来られ、「あら~、丁度良かったわ~」と、手伝わされていましたね…(*^_^*)。お世話になりました。グランドピアノの下は、かくて物置に(^_^;)。

心使い

20080728080435
「あれっ?今日は君のレッスンじゃないでしょ…?」黙って花束と日本酒のビンを差し出したタダシ君。「誕生日だから…。」あっ…、どぅも。「なんで知ってたの?」「カレンダーに書いてあったから…。」そうだった(*^_^*)。確かにレッスン室の壁に掛けたカレンダーには、ケーキのシールが貼ってあった。子供じみたやんちゃなことをしたりするから、こうして中学生が気を使うハメになる(^o^;)。「嬉しいよぉ…。ありがとうね。そうだ五時においでよ。さゆりちゃんが来るから二台ピアノの初合わせしてみようかぁ~。」かくてタダシ君は家に飛んで帰り、五時まで必死にピアノをさらって再び教室に舞い戻ることになった(//▽//)。「誕生日なんかに気を使うんじゃ無かった…(-.-;)。」礼儀正しいタダシ君は口には出さないけれど、そう呟いていたかも知れない。そうそう、彼等が二台ピアノでさらっている曲目はハチャトゥリアンの【剣の舞】。初回の合わせは→【てんてこ舞】ヾ(≧∇≦*)ゝ。

予選終了

20080728072411
ピティナ・ピアノコンペティションの予選が、ようやく終了しました(→o←)。2月の末に課題曲が発表されてから、5ヶ月もの間ず~と同じ曲を弾いて…。惜しくも予選で終わった方々や演検にチャレンジした生徒さんは、長~いことお疲れさまでした。頑張った分、力を付けましたよ(^O^)/。地区本選まで進出した方々は、残り数日です( ̄□ ̄;)!! カレンダーを見て焦りましょう。「気を抜くな~っ!」子供達に葉っぱを掛けつつ、矛先は案外自分に向いていたりする(^_^;)~。どんな子供も、教え込んで、手を掛けなくては上達しないからね…(ρ_-)o。今年の進歩は、少子化と言われる中、A2級、つまり就学前の園児が3人地区本選へと進めたこと。そう言えば、昨年はコンペ参加の園児はいませんでしたからね。A2級からF級まで各級に生徒が散らばったこと。→これは層が厚くなってきたことを示しているので、良かったな~って思えます。マイペースでピアノを続けてきたのんびり屋さんが、上級で入賞出来たこと。→「継続が大切」を信条にしているので、何よりです。そうは言え、日々ストレスと戦いながら仕事に追われ、八つ当たりされ続けた家族からは「これ毎年続くの?」と、呆れられています。辟易しながらも応援してくれていることには感謝してますよ~ (/ ^^)/。誕生日に【空気清浄機】と【全国決勝大会にしていくイヤリング】を、家族がプレゼントしてくれましたσ(^-^;)。空気清浄機は、レッスン室の空気を爽やかにしてってことかな?【空気が悪い】っていうイヤミかも知れない…(^_^;)。空気清浄機は良しとしても、【全国決勝大会用のイヤリング】には笑える。行かなかったら、どうするのこのイヤリング?「来年使えば良いさ。」どこまでも、前向きなサポートです(・ω・)/。毎度、どうも…!

カウンター

20080726074808
昨年、ピティナのピアノステップにて【書いた講評用紙の枚数ランキング】なるものの「全国10位」に、自分の名前が載っているのを見つけて驚いたものでした。こういうことに名前が載っていても、当の本人は知らされていないことは多々あります。「見たわよ。」他人に言われて、初めて知ることはしばしばです。「そんなに書いたっけ?」自覚は無かったのですが、一年間で400枚ほど書いたらしい。へぇ~っていう感じで、他人ごとに捉えていましたね(^o^;)。今年も載っていました(*^_^*)。【一年間に書いた講評用紙の枚数ランキング】第12位!! 少しランキングが下がったって?うーん(ρ_-)o。書いた枚数は800超過とある。去年の倍です。そんなに書いてランクが下がるならば、来年は1000枚を超えなくてはならないのかしら?もはや他人ごとには感じられない。こうして現代人はデータ管理されることによって、心理を左右されているんですね(^_^;)。怖い怖い…。

コンポート

20080726071427
杏の砂糖煮。【あんずのコンポート】は、生徒の叔父さまに当たる方のお手製o(^-^)o。「叔父さま」と呼んではお気の毒、まだまだ「お兄さん」の年齢でいらっしゃる彼は、以前にパティシエを目指して修行していた経歴があられるとか。今は違うご職業に従事していらっしゃると伺いましたが、事がある度にこうして腕前を振るっては、周りの人々を幸せにしてくれているようです。ピアノを習っている子供達も、この先、様々な職種に就いていくのでしょうが、いつの日かピアノが弾けるということで生活が潤ってくれたら嬉しいことです(^O^)/。ちば音楽コンクールの第一次予選が千葉市にある生涯学習センターにて、23~25日の三日間で開催されました。この先は松戸、市川などで開催され、8月7~8日の二日間で第2次予選に進出する参加者が集います。参加者にとっては、悲喜こもごもだったと思います。上手に弾けたと思っていても落選したり、ダメだと思っても案外通過していたり…。開催の翌日の朝刊に、前日の結果が公表されるこのコンクール。心臓バフバフ(((゜д゜;)))…。ロクに寝られず朝刊を待ちわびたのは→親御さん。一方、ピアノを弾いた本人達はケロッとしてグッスリ休んでいたのではないかしらね~(=^▽^=)。

幻の夏休み

20080724073627
昨日は、埼玉県浦和市にいました(^O^)/。今年最後のピティナ・ピアノコンペティションの予選審査のために、浦和まで車で行って来ました。レッスン室やら会場に長時間籠もりがちな日々、車で高速を走るのは気分転換になりますねo(^▽^)o。…このところ、ブチ切れていたし…。「いい加減、私に頼らないで、自分で練習してよぉっ」と、生徒&保護者に叫んでいたら、声が嗄れてしまった。審査の朝、会議で自己紹介の挨拶をすれば、ホテルのエアコンにもやられたのか、声がすらすらと出てこない。「すみません、こんな声で…。なんだか無愛想な感じですよね。」 審査員長の由良先生ったら「あぁ、いつもと変わらないですよ」だって。あはは…(^o^;)。どういう意味じゃいっ!! 審査当日は夕方6時に無事に終了したので、街中の美容院に駆け込んで2時間ほど時間を潰して、都内の渋滞時間を避けて夜中に帰ってきました。お土産は昨日発売の「ハリーポッター」。都内では本を求めて行列ができたとかニュースに流れていましたけれど、浦和では本が山積みで人だかりはなく、「ハリーポッター最終章、本日発売!いかがですかぁ~。」って、本屋のお兄さんが呼び込みしてました。車中ではピアノやクラシック音楽はぜったいに聞かないですね。うんざり~になちゃいますよ。バラード系を聞いて自分を慰めてます。「おい、がんばれよ~」ってね。たったそれだけの一日でしたが、何だか充電できました~っ。生徒達も予選はほぼ終了で、気分を一週間後に始まる本選へと切り替えなきゃね←これ自分に言い聞かせてます(^o^;)。昨日から開催が始まった【ちば音楽コンクール】も順調な滑り出し(^-^)ノ~~。8月上旬に地区本選が終われば、全国決勝大会が8月末に開催されて終了。でも、その時には世間の夏休みも終了しちゃってますよぉ(Θ_Θ)。私にも夏休みください~っ\(゜□゜)/。

愛のムチ

20080722071016
ピティナのピアノ・コンペティション予選も、今週いっぱいで終わりになります。苦戦をくぐり抜け、なんとかA2級からF級まで各級まんべんなく20人ほどの門下生が→地区本選に進むことが出来ました~v(^-^)v。ホッとする 間もなく、明日から【ちば音楽コンクール】の第一次予選が始まります(*_*)。そこへもってきて、明日の予選審査のため、今夜仕事を終えてから埼玉県に行きます。朝早くから夜遅くまで教えて、電車では夜中に到着となるとキツい時間帯になってしまうので、レッスンが終わってから車で開催地に向かいます。そんなこんなの猛烈な日々の中、先日の日曜日に成東のぎくプラザホールにて、舞台でのリハーサルを行いました!ホールを借りて分刻みでの指導。朝9時から夕方五時までノンストップ。そこに「遅刻」「練習不足」「楽譜忘れ」「練習嫌い」「挨拶無し」「受験会場の言い忘れ」などという怠慢な態度で臨んだ門下生は∑( ̄口 ̄)、ことごとく叱責を受けていました。だらしないです。そのことで子供を叱る親御さんは、みっともないです(-"-;)!「ウチの子、忙しくて…。」子供の弁護をする保護者さんは、救えません(ρ_-)o。常々、門下生の面倒見は良くありたいと思うけれども、相手は甘えてもたれ掛かり始めると→こちらにも限界はあると言いたいですね。「シッカリしろっ\(゜□゜)/。」プチっと堪忍袋の緒がはじけ切れる。時には「それは間違っています」と叫ばないと分かってもらえない。叫んでも、面と向かって言いにくいとなれば→「お忙しい中すみませんが…レッスン変更してください。」「金曜の夜なら空いてます。何時でも良いですからレッスンをお願いします。」「お時間のある時に返信ください。」「レッスン時間は3時ならOKです。」「今、電話して良いですか?」メールがじゃんじゃん入る。【すみません】という言葉は、もはや枕詞にしかならない。意味無しってことです。【時間のある時】という言い回しには、【時間がない】という状態を想像する力に欠けているm(..)m。あなたは金曜の夜空いているかもしれないけれど、こちらはキュウキュウです。だいたい、もし空いていたからって、あなたのために空き時間を使わなければならない理由はどこにも無いです。…面と向かって言いたいところを、ぐっと我慢。前日になって「学校行事なので変更を」…なんて、怠慢にもほどがあります。前もって分かっていたでしょう。自己中ってことですよ。【OK】…?友達じゃないですからo(_ _*)o。「電話してもらっちゃ困る。」こんな返信は打てないですよ。親しい仲にも礼儀はあります。コラムで吠えると謝ってくる人がいるけれど、そんなこと期待しているんじゃないんです。コンペ参加は、自分のためにやろうとしていることじゃありませんか? 私のために参加しているんじゃないんですよ。私に出来ることは、お手伝いだけです。舞台の上で弾くのはアナタです。練習してきてこそ、レッスンが活きます。こんな「あったりまえのこと」を毎年吠えるのもなんだかね…。自分の足で歩いてみる努力はしましょう。…って、これだけ大騒ぎしていても、秋風の身にしみる頃には「受験なのでピアノなんて弾いていられない」と平然とこの「台詞」をピアノの先生に向かって言ってくる。口に出す前に、【ものの言い方を考え直してみること】→オススメしますね(-.-;)。今日のコラムは辛口だと思いますか?…いいえ、常識ですよ。プチッ(*v_v*)zzZ。

粋な計らい

20080721083052
ランチに誘われて。レストランで一緒に行った友人が、「ちょっと手を洗いに」と席を外し、戻ってきた腕に抱えていたのは花束。ひと抱えもある花束を、バサリと渡される。えっ…?「早いけれど誕生日プレゼント(^O^)/」ええっヾ(≧∇≦*)ゝ、ビックリしたなぁ~!! 映画で、シャンパングラスに指輪を落としてプロポーズしたシーンがあったのを思い出しました。思いがけないプレゼント。「かっこいいなっ…」と憧れていた。目の前にある、ひと抱えの花束を見て「こんな感じなのかな~(^ε^)」なんて想像しちゃいましたよ。うれしかった~◎うふふ~♪(*^ ・^)。花屋さんに頼んでレストランの予約時間に合わせて届けてもらったという。粋な計らい(^O^)/。以前、クリスマスにペット屋さんに頼んで、子犬を自宅に届けてもらったことがあります。クリスマスのチキンを囲み夕食をとっている時間に「ピンポーン」ってね。「サンタさんから預かって来ました!」その台詞を言わされたペット屋のご主人は、玄関先で照れくさくてたまらなそうでした。彼の台詞になど耳も傾けずに「犬だぁ~」と大騒ぎの子供たち。振り向きざまに「お母さん、ありがとう!」だって!サンタさんの代理であったはずのペット屋さんには、大変気の毒なことをしました(^_^;)。あまり粋な演出にならなかったのもご愛嬌(*^_^*)。人に喜んでもらえる演出には、その人のセンスが光るようです。

選択肢・バッハの譜

20080721081819
「バッハの楽譜は何を使ったら適当でしょうか?」何の版が良いのかとは良く質問されます。割と無頓着な性分なんですよ。「読めれば良いんじゃない?」なぁ~んて乱暴な答えは、せっかく聞いてきたのにつれない(;_;)よね…。う~ん(_ _)m…。普通に答えるのであれば「原典版が良いです」となります。原典版=作曲家が残した状態に出来るだけ忠実に従った譜面ってこと。他人の手が入っていない状態(…のハズ)。ただね…原典版だとテンポ表記は無いし、指使いは書いていないし、強弱の記入も無し、三声にもなれば、中声部のアルトを右手でとるか、はたまた左手でとるか指示がない。経験の浅い学習者に、これらの解釈のしようのない原典版をそのまま渡してしまえば→チンプンカンプン(?_?)。その点→井口基成先生の書き込みのある「春秋社」は便利(^O^)/~♪。ただね…(*u_u)。【指示】ではなく【提案】だと理解出来ないで、このような「解釈本」を使用するのは危険です。クラシック音楽は伝統音楽と思っているでしょうが、それでも弾き方や解釈の仕方には流行りがあるんです。しかも、「解釈本」には「原典版」とは違う音や、無い音まであるし…。指導者としては、どこがどう違うのかは使用する楽譜と原典版を見比べて知っておくべきです。まぁ、それさえも見落としはありますがね。ピアノの先生が自身の考えを、指使いに始まりフレーズや強弱にいたるまで、全て書き込であげれば良いのでしょうが、それだって正しいか誤っているかなんて誰にも分からないしね…。だいたい面倒クサい(^o^;)。←これ本音。便利だからという理由で、二声・三声などは春秋社を使うことはあります。但し、譜面に書いてあると、ついつい従ってしまうという弊害もあります。「フォルテ」って譜面に書いてあれば、何の疑いも無く強く弾いてみたりして。良く考えてみれば、そこの部分には主題がなく、単なる序列(シークエンス)だったりする。あれれっ?この表記は、おかしいな?なんてことは多々ある。なので「門外に出すな」と、門下生には言ってますf^_^;)。内々で使おうね~みたいな感じ。公開レッスンなどで外部の先生に接する場合には「ヘンレー版にしたら」と、いい加減な対応をしてます。臨機応変な対応とも言える。十人の録音を聞いたら十通りの弾き方が提示されるのがバッハなんで、市井のピアノ教師は途方に暮れちゃうんですよ。「どうしたら良いのっ?誰か教えて~(><;)」ってね。こう何年も生徒をコンペに出してバッハを教えていると「こう弾かせたい」っていうスタイルは出来てきますね。私はこう解釈したいっていう風になってきます。簡単に言えば、「テーマをどう扱っているかの解釈」なんですけれどね。生徒が持って帰ってくる評価評には「バッハらしい」「良くまとまっていて」「時代背景を考えた…」などウンチクが並びます。「それって、どういう意味よっo(_ _*)o」と、食ってかかりたい気持ちもしますよね(笑)。品良くお好きなように(^O^)/。これが私からの提案です。写メはお店で見つけた小ぶりのスイカ。手のひらにすっぽりと収まるサイズ。【おひとりさま】小さなスイカに付いた商標が笑える(≧▽≦)ゞ。丸ごとひとつ、好きなように食べて良いってこと?

師事録24・終章

20080719074018
師事録のエピローグです。過去を振り返ってみると、実に大勢の【師】との出会いがありましたね(^-^)。出会いがあれば、その数だけ別れがありました。迷いだらけの人生。今、こうしてピアノに携わって生きているのは【運】というよりは【縁】なんだな~って思います。ニューヨークに3年間駐在し、好き勝手にピアノを弾いていた後、10年に及んだアメリカ生活に終止符を打って帰国しました。途中で、イースタン・ミシガン州立大学での恩師、ジョセフ・ガーツ氏にお願いして、学内でコンサートを開かせてもらったことがありました。コンサート終了後、ガーツ氏に「今後も何かにつけて教えてください」とお願いすると、「君は同僚だから、師として教えることはないよ」と言われ、師との間に生まれた距離感に寂しさも味わいました。元門下生は、門下生ではないということ。いつまでも甘えていてはいけないとのメッセージだったんですね。「さよなら」を告げた恋を追ってはいけない~♪。次に進めば出会いがあるさ~。こんな歌詞がありましたっけね。自立。また一つ教訓を与えられた一言でした。帰国は1997年3月のこと。アメリカでは、随分いろいろな場所に住みました。サンフランシスコ郊外のサン・マテオ市→ワシントンD.C.→ミシガン州アン・アーバー市→ルイジアナ州バトン・ルージュ市→ロサンゼルス郊外のサン・マリノ市→ニューヨーク州マンハッタン島から北にある住宅地ハーツデールにホワイトプレインズ市と、広大な国を縦横に引っ越しをくり返した日々でした。帰国命令が出た時は「いつかその時が来る」と分かっていたものの、日本に帰ってそろそろ腰を落ち着けたいという気持ちと、この自由な国を去りたくない気持ちとが、半々に入り混じっていましたね。その後、日本に帰国してからは誰にピアノを習っているかですって?帰国してかれこれ10年以上になりますが、誰にも師事はしていませんね。師事する側から師事される側に回ったってことでしょう。しかし帰国した当初は、社宅住まいの上に、ピアノ業界にはコネも伝も無い状態。おまけに幼稚園児の長男に、お腹には第二子(*u_u)。また、一からの出発かぁ…(ρ_-)o。どうやって仕事が軌道に乗ってきたのかは、次回の連載で自分の軌跡を振り返ってみたいと思います。師事録、私的な回顧録にお付き合いいただき、ありがとうございました(^O^)/。

師事緑23・やっかみ

20080718130032
ニューヨーク州立大学パーチェス校では、もう一人のロシア人ピアニスト、ポウル・オシュトラフスキーとの出会いもありました。オシュトラフスキーは、ソロというより伴奏や室内楽のピアニストとして活動していました。かつてはヴァイオリニストのアイザック・シュタインと共演したりと華々しいシーンもあったのに…。残念ながら、私がオシュトラフスキーと出会った頃には、彼は過去の人になりつつありました。ニューヨーク州立大学を訪ねたものの、音楽部が取り立てて有名だったわけではなく、これ以上の学位を取ろうといった気持ちは無かった私は、、聴講生として興味のある講座に参加することだけで満足していました。とりあえず自分を忙しくする為には充分だったかな…。仕事がしたくてウズウズしていたことは確かだったけれども、自宅で生徒を教えたところで、また2~3年でここから越さなければならなくなることは分かっていたし…m(_ _)m。フェルツマンとの公開レッスンは、自宅からおよそ80キロ離れたニューパルツ校で開かれ、そこへは車で通ったけれど、その度ベビーシッターを雇うことは正直なところ面倒だったんですね。近くのパーチェス校なら、その点、長時間見てくれるシッターを探さなくても授業に参加出来る。パーチェス校では、オシュトラフスキーに室内楽のピアノをコーチしてもらっていました。過去に苦い経験のある彼は、人前でのソロは二度と弾かないと、一人で舞台に上がることを【封印】していたんです。暗譜しての独奏は、彼には耐え難いプレッシャーを与えるという。だから譜面を見て弾ける伴奏や室内楽しかやらないと、断言してはばからないオシュトラフスキー。学生達の前で、そんな後ろ向きな発言は「どうなのかな~?」と感じたけれど…。ナイーヴというよりは、極端に気が弱い←演奏家には向かないタイプ(*u_u)。オシュトラフスキーは、同僚フェルツマンの悪口は平然と公言していましたね。「フェルツマンをこの大学に迎えるために、ニューヨーク州はいくら払っているか知っているかい?年間一千万円だよ!有名人を金で囲いたいのさっ。それ程の仕事は奴はしちゃいないのに。公開レッスンなんて、自分の才能をこれ見よがしにひけらかしているだけじゃないか(-з-)。」延々と続く【やっかみ】(^_^;)。同じロシア人としてアメリカに渡って来たものの、「勝ち組」と「負け組」に色分けされたと、彼の思い込みは相当なものでしたね…お気の毒に(・_・;)。それにしても、雲の上には雲があるらしい。フェルツマンは「アシュケナージは何でも弾けて、俺より上手い」と言っていましたからね…。キリがない(・ω・)/。

師事録22・適職

20080717225510
ニューヨークのマンハッタンから、高速を車で飛ばして小一時間、ニューパルツという田舎町にウラジミール・フェルツマンは住んでいたのを知って、ちょっと驚きましたね。世界を駆け巡るピアニスト、フェルツマンが、何かと便の良い都会ではなく、こんな小さな街に住んでいるなんて意外だな~ってね(T_T)。自宅近くのニューヨーク州立大学・パーチェス校で見掛けたチラシ【フェルツマンの公開レッスン】は、彼の都合で郊外にあるニューパルツ校で開かれることになったんですよ。おかげで高速を50マイル(80キロ)ほど走ることになったのですが、気分転換には丁度良い感じでしたね。全くアメリカっていう国は、どんな田舎町に行っても学校機関が整っているんです…(|||_|||)。ニューパルツ校で公開レッスンに使われたホールは、大広間といった方が適当な施設でした。大きな暖炉が仕切られた壁の前に置かれたグランド・ピアノ。整然と並べられた白い椅子。こじんまりとした居心地の良い空間だったことは覚えています。私も含め、フェルツマンの名を聞いて、遠くからでも車を飛ばして来る参加者も多かったことを考えると、彼ほどの著名人になれば、どこで公開レッスンをしようとも人は集まるんですねぇ。中には300マイル(480キロ)も運転してレッスンに参加している親子もいました。飛行機だと高くつくので、車で途中一泊しながらくるというツワモノに比べれば、一時間ほどの運転距離なんてたいしたことではありませんよね。指導者としてフェルツマンがどうかと言えば…、「う~ん‥」と唸るしかないです…(Θ_Θ)。日もとっぷりと暮れた中、集まってきたのはピアノの指導者だったり愛好家だったりと、若い大学生というよりは熟年の大人が大半を占めていました。フェルツマンは、これらの人に対しピアノの指導を施すというより、むしろ「こう弾いてみたら」と、自身のピアノを聴かせるのみでしたから。演奏をその晩に希望した参加者に一通り弾かせては、おもむろにピアノに向かい、同じ曲をいとも容易く弾き出すという形を取っていました。感心しつつ眺める聴講生達。演奏が気に入らなければ、煙草を吸いにふらり~と外へ出てしまう場面もありましたね(?_?)。演奏の合間には冗談を飛ばしてみたり、四方山話をしたり、自分のことを話してみたりと、彼の話しは音楽とは違うところで浮遊していたんです。リストのソナタを弾いた時には、「腰でしっかりと支えて弾くように」と、一言。これでお終い。30分にも及ぶ大曲に、たったこれっぽっちのアドバイス。翌週も同じ曲でレッスンを受けようとしたら、「もう聴いた」と、つれない…。これを指導として受け取って良いのかどうか?要するに、フェルツマンは、「何故に練習しても弾けないのか」という基本的なところを、全く理解していなかったんだと思いますね。教えを乞うからには、何かアドバイスをと願う聴講生は、ことごとく肩すかしを食ったわけです。それでも、彼のオーラは凄かったし、至近距離で指の動きを見たり、音を聴くことは刺激以外の何ものでも無かったのです。この巨人に一曲でも多く聴いて貰おうと、張り切って練習しては公開レッスンに参加していましたね\(^_^)/。

師事録21・巨人

20080716064807
しばらくご無沙汰していました【師事録】に、ここいらで戻ります。ここから一気に、10年間に及ぶ在米生活の終盤、ニューヨークから日本に帰国するまでの【師事録】を書き上げてしまいましょう。日本で四年、アメリカにて六年、通算十年間にも及んだ大学生活から足を洗って、ロサンゼルス→ニューヨークと駐在妻としての平穏な日々に、あがきを覚えてい頃の話し。家事に、育児に、お社交の日々。「こんな生活のために勉強してきたわけではないのに…」なんて、恵まれた環境にもかかわらず、生意気なことに嫌気がさしていましたね…(^_^;)。音高や音大時代の友人から 「生徒が練習しなくて参っちゃうわぁ~」とか 「忙しいレッスンの合間を縫ってテニスにはまってます」なんて連絡を受ける度に、焦りを感じずにはいられなかったものです。「仕事があるなんて羨ましい…」などと、落ち込んでましたよ。人生に出遅れたっ(-.-;)。みたいな焦慮感かな(^_^;)。そんな折、世界的に知られるピアニスト、ウラジミール・フェルツマンに出会えたのも、偶然というしかないですね。たまたま目にしたチラシに、【フェルツマンの公開レッスン】とあり、受講するようになったのがキッカケ。受講に際して、彼が勤めるニューヨーク州立大学パーチェス校でオーディションを受けたのが、フェルツマンとの初対面。あの時、ラフマニノフのエチュードを弾いたのを覚えています。弾き終われば、唐突に 「君、何歳?」と、訊いてきたフェルツマン。はっ…?年齢が何か関係あります?東洋人は若く見られる。ましてや童顔で小柄な体型の私は、常に実年齢より、うんと幼く見られていた。素直に年齢を告げた途端、フェルツマンは 「なんだ…。あっ、そう…」と、あからさまに興味を削がれた顔をしたんですね。「なぁんだ…、こんなオバサンを今更教えて何になるかな~」って感じo(_ _*)o。「先日のリサイタルは、大変素晴らしかったです。」メゲずに挨拶すれば、「いつのリサイタルのこと?三日前は僕にとっては大いなる過去さ!」 まぁ、うそぶくこと!初対面は印象悪~い感じでした…(-_-メ)。フェルツマンは、旧ソ連からアメリカに亡命した折、政治的にその亡命行為を利用された。ホワイトハウスでのデビューコンサートは、レーガン大統領夫妻の前で披露された。「ピアノを弾くために生まれてきたのだから、どこで暮らそうと構わないさ!」そう強がってインタビューに答えていた彼の映像は全米に放送され、ソ連の才能がアメリカに流出したことをアピール。国力を示す要因のひとつとして利用されていた。演奏家として迎え入れられたフェルツマンは、指導者としても優秀な面を持つことを示したがっていた。ソ連育ちの彼であったから、幼少の内からスパルタで英才教育しなくては、意味が無いと思っていたんですね。そのために才能ある若い芽を探していた事は確かだった。そんな彼の根底にある社会主義的教育方針に気付いたのは、大分後のことでしたが…。加えてシニカルなものの言い方も、国民性と彼の個性に起因するということを、何回か彼とのレッスンを重ねて次第に理解しました。自分の巣から飛び出したものの、もと巣に帰ることの出来ない彼には、常に様々なジレンマとストレスの重圧が無かったとは言えなかっただろうに…。彼の人となりを知るにつれて、どこか斜に構えては強がっているように見えたものです。彼とのレッスンについては、次のコラムで話しますね。

四冊の宝物

20080715082026
先月、6月18日の水曜日に訪ねた千葉県一宮町立一宮小学校のお友達から、お礼のお手紙が届きましたo(^▽^)o。今回の学校クラスコンサートを実行へとご尽力下さった原先生が、子ども達の手紙を小冊子にまとめて贈ってくださいました。あれから約ひと月。早いものです。皆さん、その後お元気ですか?丁寧に書いてくれた一字一字に目を通しながら 「懐かしいな~っ。一宮小学校のみんなは、どうしているかな?」って、思い出していました。大人になると、普段の生活の中で誉められることは、めったに無いものです。たくさんの【誉め言葉】を、みんなのお手紙から貰って、しっかり元気の源になりました(^O^)/。ありがとう。お手紙には素直な意見が並びます。…速い指の動きに感動した。きれいな音に聞き入った。上手だった。あの曲が好き。この曲が良かった。もう一度聞きたい。一緒に演奏できて楽しかった。初めてピアノが聞けて嬉しかった。僕たちの面倒をみてくれて、ありがとう←いえいえ、どういたしまして(*^o^*)。これからもファイトで頑張ってください←あっ、どうも(*^_^*)。また来てね←はい、ぜひとも(^-^)ノ。コンサート形式だと、舞台から一方的にメッセージを送るばかりですが、こうしてフィードバックを頂くと 「音楽の力でコミュニケーションは出来るものだ」と再確認します。この仕事ができて良かったと思えます。お手紙の中には、ピアノを弾く姿を見て、自分の将来について考えたというお友達もいました。聴く人によって、それぞれに異なったメッセージを受け取ったようです。私も皆さんからメッセージを受け取りましたよ。「小さな演奏会だからこそ、出来ることがある。ピアノを弾くことにで、子ども達に想像力を伸ばしてもらえる機会になるのね~っ。」労力を惜しまず、自己研鑽。華やかな舞台を支える地道~な日々に、子ども達の笑顔が光を差してくれます。ありがとう(^O^)/。表紙に描かれた私の絵。ピアノを見据えて横を向かずに、皆さんの方を見る角度で描かれていて、それはそれは嬉しかったです。

比率

20080714230031
7月も半ばに入り、ピティナ・ピアノコンクールの予選もいよいよ佳境に入ってきましたよ~(^O^)/。昨年も感じたのですが、昨今は予選を通すことがますます難しくなってきました。「3人に1人受かる」が→「4人に1人」と思っていた方が無難な感じになって、参加者の数に対して合格者の比率が厳しくなっています。そのことについては、各先生方も同じように感じていらっしゃるようで、あちらこちらで「難しくなっている…(-"-;)」と、聞きます。「去年、優秀な成績を上げた生徒が予選落ちしてね。」「レベルが上がってしまって、歯がたたないわぁ~。」「受からないのを、あえて参加させるのもね…(ρ_-)o。」そんな消極的な意見も。…お気持ちは痛いほど良く分かります(-.-;)。もともと、参加することに意義があるはずだった子供向けのコンクールも、成績にこだわりを強く持ちすぎると本末転倒に…。【成果】って、今この瞬間に形にならずとも、必ずありますからね。コンペ前と後だと、ピアノの弾き方もピアノに対する意識も随分と変わっています。参加させた先生方だって、指導者として成長しますよ。勝敗にとらわれて、足元をすくわれないようにと生徒や保護者に示していくのも、ピアノ教師の仕事のひとつかな~(^O^)/。嫌なシーンから逃げてばかりはいられない!何事においても、勝ったり負けたり、認められたり拒否されたりしながら成長するってもんです。な~んて理想論を唱えたところで、現実は厳しいってことも承知していますφ(.. ) 。予選を通過しなかった親御さんは不満げな表情で、「家の子だって、練習しているのに○○子ちゃんのように弾けないんですよ。」「受からないのを分かっていて参加させるのもなんだか…。」「この子も、いつか○○子ちゃんのように弾けるようになりますかね?」…むんっo(_ _*)o。子供を横にまくし立てる。親御さんの不満を全身で受け止めながら「そりゃ、なりませんね…。」と言いた気持ちを抑えつつ→「人は、それぞれ能力も感性も違うんですよ」と、穏やかに返すのも仕事かな~(^o^;)。コンクール。この罪深い言葉を思う度、コンペ=戦いは、ご自身の中にありますと、いったい何度言えば分かって貰えるんだか…(〒_〒)。反対に、コンペ勝って「鬼の首」でも捕まえたかのように舞い上がっている親御さんにも進言です。コンペに勝ったからといって、そんなに鼻息を荒げなくても良いんじゃありませんか?合格したのはあなたではなく、子供さんです。「さぁ、次も頑張りましょっ」なんて、子供に新たなるプレッシャーを生み出していませんか?競争に勝つばかりが、成長ではありませんよ。負けて、初めて他人の痛みが分かるってもんです。負け続けて成長してきた私が言うんですから、間違いありませんよ(^O^)/。今日は、午前中に運転免許証の書き換えに行って来ました。過去の違反が取り消されて、今回はゴールドですっ!! 五年ごとの更新も、過ぎてみればあっという間です。この五年間で、随分たくさんの人に、様々なシーンに出会いましたよ(^-^)/。

怪談

20080714052608
別に怪談話しに興味があるわけでは無いのですけれど…。怪談ついでに、昨日のコラム【邪気】の補足です。コンペの審査で、先日ご一緒した先生から「宿泊先で怖い目に合った」話しを聞いたと、ちょこっと記載をしました。「そこんところを聞きたい」というリクエストにお応えしますね。アドバイスや、レッスン、講演やら、審査などで全国各地を回る私達は、泊まりがけの仕事は多いです。大抵の場合、駅前か駅近のちょっと気の利いたビジネスホテルに泊まります。中には、自分でお気に入りの宿を探す先生方もいらっしゃいます。…でも、自分で宿の手配をするなんて面倒だし、どうせ寝るだけだし…。主催者や事務所が用意した宿に泊まるのが普通ですね。その「怖い思いをした」という先生も、いつものように、主催者側の用意した宿を訪ねたところ、それはビジネスホテルではなく、古びた旅館だったそうです。欄間のある和室に入るなり、暗い印象を受けたそうですが、ままよ…とばかりに敷かれた布団に横になると…。丑三つ時に、何者かがいる気配に目覚め、モヤモヤした気体が風となって欄間から出て行くのを見てしまったそうです(><;)。出た~っ、お化け~っ(((゜д゜;)))!! 「人間って、そんな時には動けないものなのよ。後にも先にもあんな経験は無かったわね。今でも、風が通り過ぎた感覚を思い出すと、ぞっとするわ!」その話しを聞いた、もうひとりの先生が「他の先生からも、宿泊先で出たという話しは聞いたことがありますね。私なんて、あるホテルで全身をダニに喰われましてね…。」はぁっ…、ダニ?プッ、プゥ~ヾ(≧∇≦*)ゝ。ダニが出たんだ~!それも怖いっ。あはは…。この会話に相づちを打ちながら、必死に吹き出さないよう、聞き流していましたよぉ。

邪気

20080712081810
あちらこちら歩いていれば、そりゃ~色々な経験はしますね。楽しい思い、嬉しい思い、気の晴れる思い、辛い思い、寂しい思い、慌てる思いに、怖い思い…。沖縄の戦跡にて、怖~い目に合った話しは以前にしました。先日、審査でご一緒した先生から宿泊先での恐しい体験談を聞きました。…で、最近、また嫌~な目に合っちゃいました。大人の生徒さんがレッスンに来られて、悩み事を話し出したんですね。「最近、【邪気】が頭に入りこんで困っているんです。防音された狭いレッスン室の中で練習していると、誰かが横に座っている気がするし、頭の中で話し掛けてくるんです。」日々、【邪気】に思考を邪魔されて、大変に困ると言う。その手の専門家でもないので、適当に応対する。それなら、毅然とした態度で「あっちにお行きっ!」と追い払うしかないわねぇ。何かを訴えたいんでしょう。あなたに振り向いて欲しくても、それを堂々と伝える力は無いのよ。「何もしてあげられないから憑いても駄目」と突っぱねたらどうかな…?そんな【邪気】に年がら年中、頭の中を支配されてはたまらないわね。こんなやり取りをしていると…。あっ、ヤバいっ(((゜д゜;)))。…以前、同じ感じを受けた事がある。沖縄の戦跡で、誰もいないのに左肩をぐうっと鷲掴みにされたことがあり、その直前に味わったのと同じ感覚におそわれたんです。ヤバいっ!来るっ!その途端に体の中をザラリと冷たい気体が駆け抜けたんです。ひょえっ∑( ̄口 ̄)!! 体中の毛穴が開く。全ての神経が固まる。やられたっ(><;)。動けないっ。何が怖かったかって?その瞬間に、【邪気】の話しを持ちだした彼女がギョッとして私を見据えたんです。彼女の目が何かを探すかのように空をさまよう。私は無言で固まったまま、彼女の視線先の背後を振り向くことさえ出来ない。こちらは無言で何も言っていないのに、横に座っていた彼女も同時に【邪気の仕業】を感じたんですね(@_@)。こわいっ!!瞬間の出来事。彼女は慌てふためいて、ごそごそとカバンの中から布袋を取り出し、ピアノの譜面台に透明な水晶玉を置きながら、こう言ったんです。「水晶は邪気を吸い取ってくれるというので…。」おびえる彼女のためにも、気丈にしていなくちゃ。「今【邪気】にいたずらされたわ。あなた、それを分かったでしょう。」 え、ええ…。「さっ、レッスンしましょうよ。」何事も無かったかのように、ピアノを弾くことを促す。ポロンポロン~♪。音が遠い…(?_?)。まるで水の中で聞くかのような感覚がしばらく続いた。参ったなぁ…(Θ_Θ)。塩を盛ろうか、酒をまこうか、そう思いつつ→何もせずに日常に戻ってます。【邪気】と書くより、【邪鬼】という字の方が合うかも知れない。その人の心に住む邪念なんだろうと思うけれど、そう簡単に片付けてしまうには不可思議な出来事でしたね。あの強烈なザラリとした冷たい風が体を一瞬にして舐めまわした感覚は、いったい何だったんだろうか…。

師事録20・再び

20080711073212
ロサンゼルスに2年間駐在した後、ニューヨークにピアノと共に越したものの…φ(.. ) 。また一からやり直しかぁ…。周りに知り合いは誰も居ないし、仕事も無い…。転勤族ってこういうことか…(ρ_-)o。何かを始めたとしても、軌道に乗るどころか、ようやく始動したと思った途端に、中途半端状態のまま投げ出し、次の赴任先へと移動して行かなければならないだなんて…。せっかく博士号まで取得したのに…(;_;)。アメリカの大学で就職しようと活動を試みたものの、アメリカの住民権、グリーンカードが無い立場では、断りの返事さえ貰えない扱いを受けてしまう。う~ん(-"-;)。そんなジレンマを抱えつつ、日々が流れていった。広々としたリビングに置かれたピアノに触ってみても、やる気が湧かない。駐在員の奥様方の間で流行っていた、シャドウボックスやキルトなどの手芸を嗜んでみたり、パーティーを開いてみたり、通訳のボランティアをしてみたり…etc.。いづれも、一通り覚えてしまえば飽きてしまう。どうも→しっくりこない。家の近くにあるニューヨーク州立大学のパーチェス校で開かれたコンサートに出掛けてみても、舞台の下から見上げるピアニストを直視するのさえ嫌になっていた。私もあそこに居たのにってね(;_;)。現役ではない自分を感じていた。みじめ…。ある日、手持ち無沙汰に大学に併設された音楽部の建物内をブラブラ~と、掲示板を何気なく眺めながら歩いていた。一枚のビラに目がとまる。【フェルツマンの公開レッスン】えっ…?これって、あのウラジミール・フェルツマン?ソ連から亡命して、ホワイトハウスでアメリカデビューを飾ったと、あのテレビ・ニュースに出ていた人?そのデビューアルバムには鮮烈なショックを受けて、何度も繰り返し聴いていた。録音にも関わらず、凄まじいパワーとテクニックに、鬼気として迫るものを伝える演奏であった。録音を聴いて驚いたという経験は、後にも先にも無い。そのフェルツマンが大都会のニューヨークとはいえ、北の外れの郊外にあるこじんまりとした州立大学で教えているだなんて…。同姓同名かも知れない。本当かしら?とりあえず学校側にコンタクトしてみよう。一枚のビラがきっかけで、再びピアノ人生が始動し始めることになりました。ピアノを弾いている自分が好き。そう自覚し始めるまで大変な思いはしましたけれどね‥。だってかれこれ三年ほど、のらりくらりとピアノをサボっていましたから(^^ゞ。指は動かないし、譜面は読み辛いし、暗譜は困難だし…。家人が寝静まった時間にも、練習に没頭する日々。あまりサボると後が大変になる。苦い経験として教訓になっています。そこのおサボりさん(`∀´)!! リカバーは早ければ早いほど、リハビリは短くて済みますよっ(^_^)/。

師事録19・人生の休符

20080710224344
【運】という一言で、全てを片付けて良いのかどうかは分からないけれど…。もし【運】が良いか悪いかと聞かれれば、「良い」と答えるしかない出来事は今までに幾つもあった。ルイジアナ州立大学にて3年目、お腹に長男が入り、さて卒業に向けての最終試験をどうしようかと悩んでいたところに、ロサンゼルスに転勤が決まったとの報告が日本から入ったのも、くるりと回った運のひとつ。ほとんどの履修教科と演奏会を終え、卒業論文も書き上げていたので、大きなお腹を抱えてロサンゼルスに引っ越しすることに。出産後、生まれたばかりの長男を連れて再びルイジアナに戻り、最終の口頭試験を受けて…無事卒業の運びとなりました(^_^;)。卒業式にはベビーカーに長男を乗せていましたね。もし、あの時点で日本に帰国していたら、卒業は難しかったと思います。全く無計画な人生を歩みつつ、どこかで辻褄(つじつま)が合ってしまうなんざ→【運】が良かったんだとしか言いようがないですよね(苦笑)。ロサンゼルスには2年間居ました。【駐在員の妻】として、お料理を習ったり、パンやケーキを焼いてみたり、クラフトに高じてみたり、洋食器を買い集めてみたり…。それにも飽きて、ピアノを教え始めたんですね。楽器屋さんに名刺を置かせてもらい、生徒募集(^O^)/。連絡をくれてレッスンに通ってきていたのは、東洋人ばかりでしたね(*^_^*)。通じるものがあるのかな~?白壁に水色の窓枠が映える一軒家。午前に家事を終えてから、揺り篭を足元に置いてしピアノに触れることしばし。午後には中国人のファンさんに子供をあずけ、レッスンをする。手のひらサイズではあるけれども、心地よいのんびりとした日々。おさらい会なども開いて、小さいながらも順調にお教室が起動し始めました。そんなロサンゼルス生活の2年目、ニューヨークに転勤と聞いて「せっかく教え始めたのに」と、転勤を恨んだものでしたが、転勤先のニューヨークで、さらなる師との出会いが待っていたんですね。再び、運のくるりと回った瞬間。先日の七夕に、娘が作った笹の飾りが庭先に飾られているのが目にとまる。可愛らしい~。どれどれと見たら…短冊には「将来の夢が叶いますように。金運アップ!幸せに暮らしたい。」さすが我が娘(//▽//)。ひっくり返ってしまいました。この年で、すでに【運】に頼ろうとしているとはね‥(≧▽≦)ゞ!

師事録18・バルトークの弟子

20080709072214
ルイジアナ州立大学の同期で、一人暮らしの私に何かと気を掛けてくれた親友、タイースの紹介で一度だけレッスンを持つことの出来たナダス氏について話しを進めましょう。ピアニスト、イストバン・ナダス氏は、ユダヤ人への迫害を逃れてアメリカに渡り、その後にバルトークに師事したという経歴の持ち主。彼は友人タイースの母親の恩師。リタイアしてメキシコに住むナダス氏は、ニュー・オーリンズ・シンフォニーとの共演があり訪米していた。タイースの実家に滞在するので、この機会に彼とのレッスンをどうかという話しを持ちかけてくれた。私がシューマンの「ファンタジー」を一度通して弾くと、「どれどれ…」と、ナダス氏自らピアノに向かい弾き出した。レッスンはタイースと私を両脇に立たせたまま、ナダス氏一人がピアノを弾きながら喋り続けるというものだった。二時間あまりも、その状態。いい加減に目が回ってきたころ、「お腹が空いてきたから」と、彼の一言でレッスンは終了した。解放された私達は、このただならぬ老人のパワーとオーラに打ちのめされ、しばらくの間、口もきけない状態だったっけ(*´Д`)=з。レッスンのあった夜、食事の後にナダス氏を囲んでお話しを聞く機会に恵まれた。ナチスにより強制収容所に送られる列車に詰め込まれた少年ナダス氏を、周りの大人が列車の床板をはがして逃がしてくれたそう。いとこを頼って渡米し、そのいとこから英語を学んだと言う。海岸を散歩しながら毎日20づつ英単語を暗記した。そう語るナダス氏の記憶力は並外れている。ナダス氏はバルトークが廃人になっていく過程を見ていたそう。わずかに開いたドアの隙間から食事を差し入れたりといった手伝いをしたと話していた。これらのことを、まるで何事でもないかのように静かに語るナダス氏の話しに耳を傾けながら、歴史の生き証人と向かい合っていることに耐え難い気持ちで一杯になっていた。暖炉にくべられた炎の揺らめきを、身を固くしながら見つめているのが精一杯だった。翌日、ニュー・オーリンズ・シンフォニーとモーツァルトのピアノ協奏曲を共演したナダス氏は、アンコールにとモーツァルトのピアノ・ソナタを全楽章弾いた。前代未聞f^_^;。オケのメンバーを後ろに侍らせたまま、およそ20分はあったろうか、ソナタの全楽章を弾いてしまうなんて…。どえらい老人(|||_|||)。これほどの逸材が、何故に世界に名を轟かせないのか不思議に思っていた。その後、レッスンのお礼をしたためた手紙に返事をくれた。ナダス氏からの手紙には「運も必要なのだよ」とあった。厳しい世界を生き抜いてきた彼の台詞には説得力がある。ナダス氏のことを日本語で検索してみたら、発見!ありましたよ~(^O^)/。ディスク社によって1960年代に発売されたソノシートの【世界名曲シリーズ】第4集に、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ「悲愴」と「月光」を録音したとある。半世紀も前の昔のことです!話はそれますが、ソノシートって知ってます?小さい頃、子供向け雑誌の付録で付いてきた「ひょっこりひょうたん島」のソノシートを覚えてますね(笑)。ペラペラ~な赤色の下敷きを円形にくり抜いた感じのソノシートは、レコードが出回る初期段階に短い間でしたが普及したんですね。あれはチープな付録品と思っていたのですが、クラシック音楽を録音して販売されていた時代があったんですね。コレクターの方のホームページにヒットしたのですが、「アーティストは異人さん」のくだりには、笑えましたね(^o^;)。

師事録17・アル中の母

20080708074212
【師事録】に戻ります。ピアニストのイストバン・ナダス氏に出会ったのは、ルイジアナ州立大学での親友タイースの紹介だった。ナダス氏はアメリカでバルトークの弟子であったというから、正に生きた歴史の証人。そのナダス氏と、たった一度きりのレッスンを持つ機会に恵まれたのは、幸運でしたね。タイースのおかげ。タイースの母親が少女時代、ニュー・オーリンズにある私立ヨロラ大学に在籍していた頃、そこで教鞭をとっていたナダス氏に師事していたという。その後の経緯は聞かなかったが、私が出会った時には、メキシコに移住していた。老境にもかかわらず非常に精力的で、彼に比べると随分と若い弁護士というチャキチャキな印象の奥さんを伴っていた。タイースの父親は弁護士事務所を構える地元有力者であったから、多分その伝もあったであろうけれど、ニュー・オーリンズ・シンフォニーとモーツァルトのピアノ協奏曲を共演することになり、来米していた。しばらくタイースの両親宅に滞在するという。「紹介するからいらっしゃいよ。」今から思えば、アルコール中毒で廃人になりかけていたタイースの母親は、恩師ナダス氏の訪問に嬉々としてはしゃいで生き生きとしていた。手渡された地図を片手に、在学していたルイジアナ州立大学のある州都バトルルージュから、車で小一時間ほどの田舎町にある、それはそれは立派なファームハウスを訪ねた。農場の中の一軒家。敷地内に走る道の両脇には、畑もあれば池もある。奥に建てられたモダンな白い家の中には、図書室がありスタインウェイが二台向かい合わせに置かれていた。初めてその家を訪ねた時には、アメリカのお金持ちの暮らしぶりに驚いたものですよ…(-o-;)。タイースの母親は、並ぶデカンタから背の低いグラスに手馴れた手つきでウィスキーをなみなみと注いで一息に煽る。そのスピードに呆気に取られた。周りの人間はその行為を一瞥したものの、何も言わずに無視していた。私ときたら鈍いことに、その時点では、一連の行為が何を意味するのか分からなかった。クリスタルの冷たい輝きと、重い空気が、居心地の悪さを醸し出していることに気付く程度しか…。タイースの母親は、とてもご機嫌で饒舌に、いかにナダス氏が天才ピアニストであるかと、ファイルしたコンサートプログラムやら写真やらを見せながら熱弁する。ナダス氏や学友達と写るタイースの母親は、見事なまでに美しく咲き誇っていた。次々とグラスを空にする母親に、タイースが「いい加減にしないと、また病院だよ…」と、遠慮がちに言う。急に人が変わったように声を荒げて「それがどうしたっ?」と、捨て台詞を吐きながら、また一杯煽り、巨体を揺すりながら、ふらふらっと部屋から出て行った。お酒がこんなにも見場も性格も蝕んでしまうことに驚愕して、写真の中で美しく微笑む女性から目が離せない。横に座るタイースに掛ける言葉も見つからず、固まっていた。「いつものことだから。」タイースは、何事もなかったかのように振る舞う。「さぁて‥、明日はナダス氏がレッスンしてくれるっていうから、交代で練習しようか。」止せば良いのに余計な一言がつい口をついた。「ねぇ…、誰もお酒を止めさせられないの?」ん……。「かれこれ長いからね…。家族は彼女に気を使って生きているのよ。」何故に気を使わねばならないのか?何故お酒を取り上げてしまわないのか?その時点では、全くその言葉の意味が分からなかった。卒業してから数年後、タイースから「母親はやっと死ねました。」 自殺。ベッドの上で自らガンを撃ち壮絶な死に様だったと言う。この訃報に、ようやく家族のジレンマを少し理解した。世の中には、どうにもならないこともあるってこと。鈍いよね…。さて明日は、ナダス氏との濃いレッスンをお話ししましょう(^O^)/。

20080707120024
旅の恥はかき捨て。…とは言ってもねぇ…m(..)m。今年もドジ→やっちゃいましたよ(Θ_Θ)。審査会議の際【地域格差】に、ちょい切れしていたもので「こんなんで良いんですかっ」と一言言いたい衝動に駆られてしまったんです。それまで審査書類のやり取りをお手伝いしてくれていた【おじさん】に、「審査会議ですから席外して頂けますっ?」と高飛車~な言い方で部屋から追い出してしまったんですね…(^_^;)。その夜、接待の席で【おじさん】はピティナの著名な先生であられると知り∑( ̄口 ̄)!!→きゃぁ~!すっ、すみませんでした。ごめんなさいっ(→o←)ゞ。今さら謝っても後の祭り(ノ_・。)。短気は損気。「若いって真っ直ぐで良いな~っ。」同席の先生から、散々「姫」と、からかわれましたφ(.. ) 。鎮座するばかりで、周りに気も利かず、役に立たないって意味です…。はい…、その通りです(Θ_Θ)。まだまだ人間として未熟なことを、自覚させられただけでした。だってね、事務のおじさんになら高飛車な物言いで良い訳ではないし。著名な先生であられると知って慌てふためくし。プチ切れした割には 「長いものには巻かれろ」ってな感じで、自分の主張は通さないしで…。普段、偉そ~うにしている割に、根が青いんですよ。きっと、周りにいらした方々は、「空回りする鈴木直美」を楽しく鑑賞なさったことと思います。とほほ…。お粗末さまでした。

ナゴヤン

20080707110655
昨日はコラムを休憩して、失礼しました。またまた関西にてピティナ・ピアノコンペティションの予選審査をしていましたので、忙しかったのですよ‥(*^o^*)。今回は名古屋西地区です。課題曲のあるコンペなので、日本全国どの地域を訪ねても、たくさんの子供達が同じ曲を弾いているんですから、その現象を肌で感じる度に、ピティナの浸透力は凄まじいものだな~って感心しますね。同じ曲でも、様々な解釈を耳にします。わぁ~o(^▽^)o、へぇ~っσ(^-^;)!!、ふぅ~ん(T_T)!、そうかな~(Θ_Θ)??、はぁっ…(?_?)。それが個性っていうものだから、聴いていて楽しいですよ。審査員の好みと違うと点が辛くなるかっていうと、そんなことはありませんね!自分の解釈と違っても、それなりにまとめていたり、どう弾きたいのかメッセージが伝わる演奏には、かえって評価が高くなります。困るのは記譜を無視した、または勘違いした解釈です。例えば、リタルダンド(次第にゆっくりと)と書かれてあるのに、表記を無視したり、急激に減速したり、曲の流れが止まってしまったり…(-"-;)。テンポ・ルバート(速さを自由に操作して)とあれば、基本の拍が分からないほどに揺らしてみたり…(ρ_-)o。コン・フォーコ(力強く)と見れば、力任せに叩いてしまったり。それではどうしたら良いかですって?センスなんですよ。楽譜に書いてあることには忠実に従い、それを「さじ加減」で個性を表現してみる。個々の主張は大事なのですが、鑑賞する側が受け入れられないようでは考えものよね。服装と同じ感覚かな~。その人に似合っていれば、例えそれが自分の趣味とは違っていても良いと思えますからね。「速く大きく弾いた方が良い。」これは一昔前に見られた【コンペ弾き】現象です。時代遅れの誤解。「もう一度聴いてみたい演奏」を理想としましょうよ。「家の子は間違えなかったのに落ちた(#`ε´#)。」そう憤る方は、まず、その台詞のセンスの無さに気づかないとね…。←キツい(^o^;)。

師事録16・気難し屋

20080704064209
ルイジアナ州立大学ピアノ科主任のゲイリー博士は、「泣く子も黙る」と言われるほど、学生の間で恐れらるキャラクターだった( ̄□ ̄;)!! ゲイリー博士は、ピアノの他に、ピアノ音楽史の講座を大学院生相手に教えていた。彼の講座は必修であったので、ゲイリー博士の洗礼を受けずに卒業することは出来ない…(>_<;)。ゲイリー博士は、ピアニストとして相当な腕前だったらしいが、手を壊して以来演奏活動は辞めてしまった。それで、いつも不機嫌なのだという噂。その真偽のほどは定かでないけれど、誰も彼が笑っているところを見たことはないφ(.. ) 。不自然にぺったりと貼りついた黒髪はカツラだと学生達は囁いていた。ゲイリー博士は、イヤミたらたら~な口調で、学生を泣くまでやりこめる。それを、あたかも楽しんでいるかのようだった。そのゲイリー博士に、講座で泣かされたくせに、何故だか彼のカリスマ性に惹かれたのと、友人ヘレンの薦めもあって、マイケルに2年師事した後に、ゲイリー博士へと師事変更をお願いした。初回のレッスンでドビュッシーのエチュードを弾いた際に、「何故、譜面に忠実に従わないのか?」と、開口一番にポツリと言われたのを覚えている。はっ、はぁ(-o-;)…?弾きやすいからとか、聞き映えがするようにと、時には譜面を無視したマイケルの指導に影響されていた耳には「譜面には忠実に」という当たり前の助言が、今更ながら新鮮に響いた。隣で「わぁわぁ~(o*゜∇゜)o~♪」と、うるさいマイケルの教え方とは違い、ゲイリー博士の指導はまことに静かだった。椅子に深く腰掛け、ふんぞり返って何も言わずに聴いた後、譜面とは違う点を幾つか指摘するのみ。結局、ルイジアナの3年間で、マイケルからは臨機応変な自由さを、ゲイリー博士は規律を教えてもらった形となる。二人とも手取り足取り的な指導ではなかったから、常に相手が何が言わんとしているのか観察して汲み取らなければならなかった。→観察力は養われる(^o^;)。結論からすると、「規律の下での自由な表現」、クラシック音楽の真髄を体感したのだと思う。卒業に際しての口頭試問で、難題をふっかけてきたのはゲイリー博士で、助け舟を出してくれたのがマイケルだった(^_^;)。…人格の現れたパフォーマンスだったかな~!? ルイジアナ州立大学在学中に、レッスンをする機会に恵まれたバルトークの直弟子、イストバン・ナダス氏については、次の項でお話ししましょうね。たった一度きりのレッスンでしたが、強烈なインパクトで心に刻まれています。一瞬にして、音楽の道で生きていく事の厳しさを、教えられましたからね。

師事録15・資質

20080703080610
ルイジアナ州立大学で師事した若手ピアニスト、マイケル・ガーツは天才であった。けれど、指導者としての資質はどうだか疑わしいものがあった。彼の指示する指使いは的確で、それまで困難であったパッセージも楽にこなせた。ペダルの効果も熟知していて、適切に踏むコツを教えてくれる。どんな曲でも横に並んだピアノに向かい、即座に弾いてみせる。言葉で伝えることの苦手な彼は、音にメッセージを託して伝えていた。演奏家の指導。それにも関わらず、評判が今ひとつだったのは、彼の人となりが起因していたからかな~?あまり上手でない生徒の悪口は、平然と述べた。「月謝がもったいないと思わない?」同僚の陰口だって周りをはばからない。「あんなんでプロだって?」指使いを譜面に書き込みながら「俺って天才だろう?」とくる。ペダルの踏み方を教える時は、靴で足を上から踏みつけられた(;_;)。レッスンを忘れていたり、時間に遅れることもしばしば。それでも悪びれない(?_?)。彼の音楽に対する強引かつ合理的な解釈に助けられもしたが、「どうなんだろか?」と、疑問を抱くことも多々あった。「このダブル・トゥリルは難しいから、トレモロに変えてしまえ!」「そこの左手は、オクターブ下で弾いた方が迫力でると思わないか?」「次のフレーズに入る前にうんと間を取れ!客は待たせた方が喜ぶのさっ。」えっ…?譜面に書いていないのに良いのかな?「構わやしないさっ。誰しもがやっていることだよ!」平然と、うそぶく。手が小さいと音譜が取れない箇所がある。「音を省略しろ。」いやだっ!アルペジオにしてでも弾こうとすれば、「お前のあがきが音になる」と、強烈に否定してくる。何が弾きたいかと聞かれ、曲目を挙げれば「お前なんかには弾けないさっ。」とくる。じゃあ、聞くなっ(-"-;)。音楽には関係ないけれども、マイケルは服装のセンスに極端に欠けていて、ピンクのシャツにブルーのズボン、プラス多色使いのストライプのジャケットと、どう考えても不可思議な組み合わせを平然と着こなしていた。南アフリカにコンクールを受けに行った際、ホームステイ先で知り合ったという金髪の奥さん、ダニエルとは人目も気にせずに音楽部のロビーでいちゃいちゃ~(^o^;)。ある演奏会で、マイケルの横に座り譜めくりを手伝ったダニエルは、買ってもらったばかりなのか、バカでかいダイヤの指輪を、舞台の上で愛でては終始撫で回すという愚行に出た。もちろん、周囲のひんしゅくを買っていた。そんな二人を、周りは【お似合いさん】と冷笑していたけれどね…。そんな素行にもかかわらず、ピアニスト・マイケルは、愛される人柄でもあった。根はお人よしだったし、少年っぽさを残したまま成人したような愛嬌も持ち合わせていたので、数々の問題行動も「仕方ないね…」と、許されてしまうのだった…(-.-;)。まぁ、マイケルも当時は若かったからね。今じゃ、ピアノ科を仕切っているらしいから、立派に成長したに違いないと信じていますが~(笑)。余談だけれど、奥さんは違う女性に代わっている…(/ ^^)/。ともあれ、奇才マイケルの側にいるだけで多くを学んだ。彼のような天才肌の人間と、自分のような平凡な人間との違いも理解した。それは卑下ではなく、「平凡ならば益々努力は積まなければならない」といった自戒に結びついていった。マイケルには、三年間に及ぶルイジアナ州立大学在学中に、二年間ほど師事した。途中一年ほど、マイケルの下を離れ、当時ピアノ科の主任であったゲイリー博士についた。その頃は、まだまだ若く教職と演奏家としての2つの顔を両立させる術を持たないマイケルの指導に、疑問と不満を抱いていたのだと思う。老齢のゲイリー博士に、安定した指導を求めて、師事したいと申し出た。結局は、誰かに面倒を見てもらいたいという【甘チャン願望】でしかなかったことに気付くことになるんですけどね…(^o^;)。

師事録14・奇才

20080702091422
最近のトレンドなのかしらね?形の揃ったスイーツ。一様に細長くカットされたケーキは、手に持ってつまめ、それぞれの味の違いが楽しい。ピアノの先生と一口で言っても、師事してきた先生方にはそれぞれに個性があった。マイケル・ガーツは、ジュリアードを主席で卒業した奇才。父親のガーツ氏によると五歳でピアノを教えようとしたところが、ちっとも興味を示さずにいたので、諦めてヴァイオリンを習わせたが、そちらもチンたら~。数年後、突如ピアノに興味を示したら、周りを驚かせるスピードで習得し始めたそう。11歳の時には、ハイドンのピアノ協奏曲をローカル・オケと共演していたと言う。天才には付きもののお話し。ジュリアード音楽院では、学内コンペに優勝し、ラフマニノフのピアノ協奏曲第三番を学生オケと弾いた。のりのりで過激な演奏振りに、以来【ロッキー3】という、あだ名で呼ばれていたという逸話がある。シドニー国際コンクール入賞の三年後、ジーナ・バック(1982年)で優勝を飾るなど、そこそこに評価も得ていた。ユタやシカゴ・シンファニーなどのメジャー・オーケストラとの共演もある。ジュリアードではマーチン・ケーニン氏、ピアノ業界では泣く子も黙ると言われる実力指導者、に師事していた。マイケルは、ケーニン氏のもとで修士課程まで進み、卒業後、師ケーニン氏の伝でルイジアナ州立大学の助教授として就職。ケーニン氏は、全米各地の大学に門下生を送り込んでは、自身の影響力を伸ばしている。修士しか出ていない若僧マイケルが、いきなり助教授の職を得たのも、マーチンの戦略に違いない。こんなことが、まことしやかに囁かれていた。それはともあれ、マイケルの記憶力は抜群で、一度弾いた曲は忘れないという。レパートリーも豊富で、現代曲チャールス・アイブスの【コンコルド・ソナタ第二番】を難なく弾いていたのには、感心を通り越して、嫌気が差した。←マイケルにではなく、自分に嫌気が差したってことデス(-_-;)。彼の演奏はミシガンにいる時から幾度となく聴いていた。彼の凄まじいテクニックは圧倒的で、聴く者を威圧するかのような勢いがあった。弾きながら、聴衆の反応が気になるのか、客席を舐めまわすように見つめる癖は、彼の奇行のひとつ。話をするときには、体を落ち着き無く弾むように揺する。大袈裟な身振り、手振りもどこか不自然に映る。ある演奏会では、風邪をひいて熱があるからと舞台にグラスに入ったアップル・ジュースを持ち出して、それをちびちび飲みながら弾いていた。そんなこんなの奇行は、天才ならではなのかな~?と思ったりしていた。普段は、どちらかと言えば控え目なガーツ氏も、息子マイケルに話が及ぶと、目を細めて手放しで誉めていた。そのマイケルに師事する形でルイジアナ州立大学へと赴く次第となった時点では、次へのステップに胸踊り、彼の人間性を疑問には感じていなかった。人との出会いは運のようであるけれど、もしかしたら必然なのかも知れない。イースタン・ミシガン大学で同期だったキム・シュリーが、指揮科専攻でルイジアナ州立大学へと進学することに決まり、ルームメイトになろうと話を持ちかけてきた。全米各地に数ある大学の中から、偶然にも同じ大学へと旅立つことになるとはね…。風は、ルイジアナへ向けて吹いていた。

師事録13・ステップアップ

20080701062620
イースタン・ミシガン大学で二年間学び、来年は卒業というある日のこと、ガーツ氏のスタジオに一人の卒業生がやって来た。ニューヨークにある名門、マネス音楽院の博士過程に在籍するという彼女は、シューマンの【クライスレリアーナ】を、さらりと弾いてのけた。演奏よりも何よりも、彼女の出で立ちに強い憧れを覚えた。中国系アメリカンの彼女は、ストレートな黒髪に黒いスーツを着こなし、赤いビジネス鞄を下げ、都会的で颯爽とした雰囲気を漂わせている。カッコ良いな~っ(≧▽≦)。近寄って話し掛けてみる。「ガーツ先生に習っていらしたんですってね。素晴らしい先生ですよねぇ~。タウブマン奏法はここで習ったんですか?今いらっしゃる博士過程って、どんな勉強をするんです?」親しげに話しかけるこちらの態度に、迷惑そうな調子で返事が返ってきた。「あなたは技術ばかりの指導に満足しているの?」「はぁ…(?_?)」「音楽ってそんなもんじゃないわよ。」→嫌~な感じ(|||_|||)。恩師の悪口を言うなんて…。話し掛けなきゃ良かった。後味の悪さも残ったけれど、【博士】という言葉に対する憧れも消えなかった。二年間に及ぶ技術先行の指導に、面白味を感じなくなってきたことも事実だった。指摘されてしまうと、その事が頭の中で膨らんでいってしまう。技術は表現を助けるためにある。この先に何があるのかを見てみたい。ガーツ氏に、博士過程に進みたいと相談した。在学中のイースタン・ミシガン大学には博士過程は無い。ガーツ氏は、息子マイケル・ガーツが助教授として赴任したばかりのルイジアナ州立大学への進学を薦めた。イースタン・ミシガン大学では、二年目から助手として働き、学費も免除になっていた。それと同じ条件を、ルイジアナ州立大学でも保証するという。憧れのニューヨークの都会で学ぶことを夢見ていた。それに比べ、南部にあるルイジアナはヒドく田舎臭いしな…(ρ_-)o。マンハッタン音楽院やジュリアード音楽院も実際に訪ねてみたが、優秀な人材の宝庫であるこれらの学校で、よほど優秀でないと奨学金など出してくれる訳はない。あれこれ模索した。結局、ルイジアナへと進学することになったのは、ガーツ氏が息子の下に自分の生徒を送り込みたいという意思と、そのことによってマイケルの体裁が少しは助かるということを知ったから。アメリカの教授は、学生をリクルートすることを当然の義務とされている。そのことを聞いたマイケルとはミシガンに訪ねて来た際に会い、話しは決まった。おいおい、結婚していたのはどうしたかですって?企業留学で来ていた彼も、二年間の法学部過程を終え、帰国して企業に戻ることになっていたので、再び別居(^_^;)。ミシガンで乗り回していたフォード社製のエスコートという小さなポンコツを、2日間掛けて代わる代わる運転し、ルイジアナまで運んで引っ越し完了。それでは、お元気で~(^O^)/。→そんな勝手な行動にもかかわらず、家族の誰もが疑問も持たずに容認してくれた。言い出したら聞かないと諦めていたのかも(^o^;)。お陰で、現在の自分がある。ルイジアナでは、すぐ側に頼れる人もなく、誰からの庇護も受けずに自立しなくてはならない生活が待っていた。厳しい環境に顔も気も引き締まる。休暇で一時帰国した折、久しぶりに会った叔母に整形したのかと聞かれた。「なんで、そう思ったの?」アメリカに行ってから顔付きがキツくなったからねー。あんた政治家の土井たか子に似てきたわよ。」なんだ…、綺麗になったってことじゃないのか…。そう言われ「おばちゃん、土井さんに似る為に整形する人っていないと思うよ(Θ_Θ)!」と、コケてしまった。余談(*^_^*)。
プロフィール

鈴木直美

Author:鈴木直美
ピアニスト、指導者として活動中。
Suzuki Piano School主催

最近の記事
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

リンク
ブログ内検索
RSSフィード
ブログカウンター