大原美術館

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大原美術館は、倉敷の美観地区と呼ばれる、漆喰の壁が美しい、倉の建ち並ぶ保存地区の一角にある。日本で初めての西洋美術を集めた私立の美術館。創始したのは、倉敷の事業家、大原孫三郎氏。アメリカのに点在する、巨大美術館、ワシントンのスミソニアンや、ニュー・ヨーク美術館やら、シカゴ美術館などで、それこそヨーロッパから美術品を根こそぎ持って来てしまったんじゃないかというほど大量の作品を目の当たりにしていたので、日本の田舎にある美術館なんて大したことないんじゃないかとタカをくくっていた。そんな偏見を裏切るように、あるはあるはの名画達。モネ、ルノアール、ゴーギャン、セザンヌ、ロートレック、シスレー、モディリアーニ、エル・グレコ、ピカソ、カンジンスキーなどなど。一見の価値はありますぞ。そりゃあ、経済大国アメリカの大都市が誇るモンスター美術館に比べれば、可愛いものだけれど、ひとつひとつの作品が丁寧に選ばれている。よくもまぁ、私立でこれだけ収集したもんだと、感心しながら閲覧していました。もはや金持ちの道楽を超える審美眼。美術館の前に、川をはさんで佇んでいるのは、現在の大原宅で、六十歳を越えた末裔がお住まいになっているとか。ひっそりとした気配。自宅前に流れる川と美術館を結ぶために架けられた橋は、昭和天皇が来られた折に建造したそう。だから橋の欄干に菊の紋様が彫りつけてあるのだと、ツアーガイドのおじいさんが、口角から泡を飛ばして説明するのを、団体さんに混じってちゃっかり聞いていた(*^o^*)。ルノアールが描くところの女性像は、明るく澄んだ色彩で描かれ、ぽっちゃり、ふっくらタイプ。あらっ私って、ルノアールのタイプじゃない。うふふ…:*:・( ̄∀ ̄)・:*:。名画の前にて、独りほくそ笑むのだった。こういうのを脳天気と言う。
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火の車

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倉敷にある大橋家は、塩や米、金を商い財をなした、かつての豪商。江戸時代に、飛ぶ鳥も落とす勢いで栄えていたらしい。屋敷は、格子窓、なまこ壁、土蔵造りの蔵、長屋門と、倉敷の伝統を集約した建造物としての価値がある。戦後、時代の波に揉まれ、土地を切り売りをして存続をしのいだ結果、元の三分の一にまで敷地が小さくなってしまったのだそう。今現在は八十歳を越える八代目が健在で、その方が12~3歳の頃までは、ここに住んでいたとか。その後50年も空き家となり放置してあった屋敷は、荒れ果て、文字通り崩れようとしていた。瓦は雑草で覆われ、畳は波打ち、それはそれは手の施しようが無い状態であったそう。それを国の重要文化財に指定されてから、三億円かけて修復し、一般に公開するようになったという経緯。平日のせいか、訪れる人もいない薄暗い土間にしつらえた受付に、座った案内のおばあさんが色々と話しをしてくれた。八代目は、健在で、今は兵庫県の芦屋に住み、月に一度は倉敷の大原宅を訪れるという。「芦屋」と発音するときに、わずかに力が入っていたのには、思わず苦笑してしまう。それでも、芦屋なんだ。倉敷にて、感慨に耽った事3つ。「おかあさん、駅どこ?」道を歩いていたら、今時の高校生に尋ねられた。おかあさん…?おばさん呼ばわりされるより、うんと驚いた(*u_u)。「すみませんが、駅はどちらでしょう?」道の尋ね方も知らんのかっ(`へ´)。大原家を訪れて浮かんだ言葉、「衰退」。どんなに家が栄えても、代々それを存続することは難しいらしい。ガランとした、空っぽの屋敷に独り足を踏み入れると、わずか百年前の栄華が、ひそひそ声となって、そこかしこに木霊するよう。仏間とある部屋は、屋敷の大きさには似合わず、ほんの二畳ばかりの小部屋。部屋と呼ぶよりは、窪みのような場所にしつらえてある。その暗がりに設置された仏壇の上に、幾つも並んだ古い位牌を見ると、栄枯盛衰を感じずにはいられない。今や、テレビを賑わす成り上がりのことを、セレブと言う時代。しかし、本物セレブの踏襲にも限界があるんだよね。最近、自宅近辺に恐喝まがいの犯罪があったらしいから、気を付けてとの連絡がメールで入った。追い剥ぎ?盗賊?言い方はどうであれ、犯罪行為は同じことで、夕刻に出没したらしい。何故に住民の間で、このような重大な注意を、まるで噂話のようにメールで流さなくては、情報が入らないのだろうか?それが本当だとしたら、直ぐさま全戸に連絡すべきなのにねo(_ _*)o。留守番の母に連絡すると、「私は、大金を持ってなんか歩かないわ。」平然としていたが、そういう問題じゃない(〒_〒)。いずれにせよ、何が起きても、自己防衛と自己責任という言葉で片付けられてしまう時代です。皆さん、お気を付けて。

そんな器じゃ

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スーパーで買ってきた刺身も、パックのまま食卓に出すより、器にきれいに盛りつければ、より美味しそうに見えるというものです。通販のブルックス珈琲だって、コージーコーナーのケーキだって、ロイヤルコペンハーゲンの器に盛れば、ゴージャスなティー・タイムを味わえるんです。ちなみに、ケーキは自前で、器は貰い物σ(^-^;)。今日から、倉敷に出向いています。新幹線はのぞみ号で、びゅ~んと飛ばしても、東京・岡山間は三時間半も掛かる。日本は、案外と広いです。車内では、昼寝と読書。普段の生活では時間に追われるあまり、なかなか出来ないことに費やす楽しみがあります。持ち込んだ書籍は、青柳いづみこ氏著の新刊「ピアニストは指先で考える」と、旅のお供「るるぶ、岡山版」。パラパラとページをめくり、生徒お薦めの新幹線の中で販売されているアイスクリームとやらをゆっくり食べる。「新幹線に乗ったら、必ず食べるんだぁ~。」人からのお薦めには、まずは試して反応したいタイプなもんで、アイスクリーム頂きましたよ(^O^)/。スジャータ社製のバニラ味。へぇ…、スジャータがアイスクリーム作っているんだ。名古屋に本社があるんだね。それで、東海道新幹線の車内販売で売っているわけだ。まったりとして、なかなか美味しいじゃない。えっ、乳脂肪分15.5%\(゜□゜)/!そりゃあ美味しいわけだ。いつもの独り芝居。この頃は、旅慣れてきて、いや、かなり図太くなり、周りの視線を無視して、独りでだってへっちゃらでアイスクリームを堪能しちゃうんですよ。「何事にも前向きに楽しんでいますよね。」良くそう言われますが、そんな器じゃないんです。沢山の仕事やプレッシャーから逃げ出したくなる衝動を抑えつつ、常に学ぶことの多さに直面しては、自己の能力の足りなさを自覚しては焦って生きています(-.-;)。大したことない人間だ。そう言われるのが怖いからね~。その程度の器なんですが、さしあたっては器磨きをするしかなく、せっせと人生を送っているだけです(*u_u)。

奥ゆかしき微笑み

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この世で、最も行きたくない場所の一つは、歯医者さんじゃないかしら…(ρ_-)o。しかし、一旦痛み出したら、歯痛ばかりは、放っておいても回復しないからねぇ。買い薬で、時折の痛みをしのいでいましたが、あまりの痛みに耐え難くなり、とうとう意を決して歯医者さんのお世話になりました。ウィーン、キュイーン、ジュルジュル…Y(>_<、)Y。自分の歯が削られる音を聞くと、身が縮み、体中の筋肉が固まるようです。ピアノを弾くよりも緊張する。これに比べれば、ピアノの方がうんとまし。この辺で、もう結構ですからって、帰っちゃいたいよ。イタッ、イタタ、麻酔が効いてませんよぉ(ノ_・。)。だから、歯医者は嫌なんだ。こんな椅子に上向きに寝かされて潰す時間があるくらいなら、ピアノの椅子に座って練習したいよ。だいたい、ピアノは弾いても痛くはならないからね。ゴリゴリ、ゴリゴリ…。神経抜くって、いったいどういうこと?抜いた神経って、見たことないけど、抜いた歯みたく、お持ち帰りさせてもらえるのかしらね?ブツブツ、心の中でしきりに毒づいていたら、割合早く、「うがいをどうぞ」と、声をかけられた。起き上がり手渡された鏡を覗けば、奥歯が二本ない。完全になくなっている。舌で触ると、大きく空いている。奥歯といえども、にっと笑えば歯抜けがバレる。「お大事に~。」「あのふぅ…、こぅれっ、このままですぅ?」腫れ上がり、舌が痺れたまま、もつれながら話しをする。「仮歯は、次回お作りしますよ。」はい?明日から出掛けるコンペの審査に、このまま行けってこと?歯がないまま、3日間も舞台の上で、人に見られて過ごすのぉ?「すぉれは、困るんでふぅ…。」「大丈夫ですよ。次回来られた際、直ぐに作れますから。」だから、それじゃあ、遅いんだって!しかし、ここでゴネてなんになる…。「痛み止め、多めに下すわぃ…m(_ _)m。」いいやっ、絶対に口開けて笑わないから。

指導者の夢

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日本に帰国して十年。それまでの引っ越し生活から足を洗うべく、住居を定め、お教室を始めて翌年のこと。生徒が受けられるコンクールってもんがあるんだ~と、ひょんなことから知り、興味本位で受けさせてみたんです。背の低い生徒は、椅子にちょこんと腰掛けて、足なんかぶらぶら状態でもへっちゃら。ひょうひょうと弾かせていましたね。会場で初めて足台を見て、あらあら便利な物があるのね~みたいに、のんびりと構えてましたから、今思えば相当な無知でした(^_^;)。それが今や、コンクール百花繚乱のお教室に。ピティナだけでも、チビちゃんのA1級からF級まで、そしてグランミューズはYカテゴリーと、なんだかんだ30人近く受けます。加えて、ちば音楽コンクール、ジュニア・クラシック・コンクール、ヤング・アーティスト、クラシック・コンクール、ショパン・コンクール(アジア)、学生コンクール(毎コン)に、可愛らしくグレンツェンと、何だか一年中、誰かしらがコンクールを受けていて、それに向けて指導していますね…(〒_〒)。どうして、いつからこうなったんだろうか?別に、コンクール参加にこだわった指導や、教室作りを念頭に置いてきたわけではないけれど…。コンクールは、やらないよりは、練習するようになるからやったほうが良い。どうせ出るなら、準備して良い演奏を。やってみたら、コンペによって、特徴があることに気が付いて、生徒の個性に合わせて振り分けて参加させたほうが良いんじゃないかしら。ってな具合。こんな程度の気構えも、継続していたら、通年コンペ状態になった。こうなったんだから、これが時代のニーズのひとつなのかなぁ~なんて、のんびり構えているところがある。きっと、数年後に今を振り返ると、何をのん気なこと言ってぇと、なるんだろうか?ってことは、今よりも忙しくなるってこと(((゜д゜;)))?いつまでたっても、リゾートできないじゃない!駅前の旅行会社の前で、ツアーのパンフレットを物色していたら、通り掛かった生徒に肩を叩かれた。「あっ、先生。旅行、行くんですかぁ?」ひぇっ(><;)、見つかった。慌てて後ろ手に隠したパンフレットには、「バリ島でエステ三昧」、なんて文字が。見られなかったよね、私の夢…。とほほ…。

押し売り

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ピアノをかたどったデコレーション・ケーキ。生徒に、「すごいでしょう」って、大人気なく見せびらかしてました:*:・( ̄∀ ̄)・:*:。さぁて、いざナイフを入れようとしたところで、また大騒ぎ。どうやって切るのぉ~から始まり、誰が鍵盤食べるのょ~と。その昔、横浜駅のショッピング・アーケードを抜ける時、創作ケーキを売りにしているケーキ屋さんがあったんです。バタークリームに着色して作った、車や電車、クマやウサギのケーキに混じって、ピンクのグランドピアノがショーケースに並び、「いつか食べてみたい」と、横目に見て歩いてましたね。誕生日にそれをねだって買ってもらったのが中学生だったことを思うと、ずいぶん幼稚な中学生だったのねぇ…。今も、ケーキのデコレーションに惹かれて大いに盛り上がるなんて、精神的にあの頃と、ちっとも成長していないですょ~(=^▽^=)。6月に入ると、週末のレッスンの合間に、コンペに参加している子供達から、合否の連絡が入るようになります。ぷるぷる~、ぷるぷる~。「はい!」勢い良くでる。「あのぉ…、鈴木先生のお宅ですか?それでぇ…、直美先生いらっしゃいますか?」あのねぇ、あなたは私の携帯に電話しているのよ。いったい誰だと思っているのさっ。早く結果をお言いっ!もったりした生徒の口調に、テンションが一気に上がる。ぷるぷる~。再び電話の音に、飛び上がる。「は、はいっ!どうした?」「以前お買い上げ頂いた羽毛布団ですがね~。その後、クリーニングに…。」はい?「そんな物買ってません。結構ですっ(#`ε´#)。」ガシャッ!まったく、もぉ~。振り返れば、レッスンを電話に寸断され、見捨てられた生徒が、こちらの勢いを恐れてピアノの前で身を縮めている。「あっ、ごめん、ごめん。」先生もこうして心配しているんだからさ、あなたも頑張ろうよねぇ。だいたいねぇ、練習が大変なのは分かるけれど…。そこから、説教モードに切り替わり、その場に居合わせた生徒は、踏んだり蹴ったり。これが夏いっぱい、毎週末繰り返される、シーンとなります。きっと、恩着せがましい押し売りに、耐えているよね。あはっ三 (/ ^^)/。

ラッキー・アイテム

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なんと、五つ葉のクローバーです。生徒が見つけて、持って来てくれました。コンペが始まったこの時期に、幸運を呼ぶラッキー・アイテムということでしょうか。お気遣い、ありがとう(^ε^)♪。そこに、男の子が登場して、余計な一言。「ラッキーなのは四つ葉でしょう。五つ葉はアンラッキーなんだよぉ~(`∀´)。」なんてこと言うのさっ(`へ´)。バシッと頭を小突かれて、へらへらと苦笑いをしていましたっけ。生徒達は、それぞれにラッキー・アイテムがあって、出番の前に手を握りしめてパワーをもらいたい子、同じ香水を振りかけてもらいたい子、弾く曲を録音してもらいたい子、メールで励ましてもらいたい子、鼻をつまんでもらいたい子、頭を小突かれたい子、抱きしめてもらいたい子。様々です。方法は違っても、それぞれ不安に面して、コミュニケーションを図りたいってことかな~と思っているので、ニーズには出来るだけ熱く応えています。大きな舞台にたった一人で乗り込む子供達は、その修羅場を乗り切るために、どんなささいな助けにだってすがりたいんですよ。それを指導者に求めてくれるなんぞは、可愛いじゃありませんか! 先生の匂いを嗅ぐと安心できるから。そう言うので、香水を掛けてあげた子は、めでたく予選通過。良かったね。デパートで同じ香りを求めて、サンプルを嗅ぎ回ったそうですが、ついに鼻が麻痺して何がなんだか分からなくなったとか。店員さんに、「香水は、星の数程ありますから…。」やんわりと、銘柄を聞いた方が早いんじゃないかと、提案されたそうです。あはは。ちなみに、使っている香水は、ディオールのアディクトです。

満たされる条件

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結婚に何を求めるか?6月のジューンブライド時期ならではのニュースを小耳にはさんだので、ちょっとご紹介。オリコンによると、20~30代の独身男女対象に行った意識調査の結果、結婚に求めるものは、「3安」。安らぎ・安定・安心なんだそうです。ひと頃は、3K、つまり高学歴・高収入・高身長が理想だなどと歌われていたのに、一転した観がありますね。ストレスたっぷりの生活よりは、癒されたいって感じに、要求が変化しつつあるのだろうかしらね…?「玉の輿。」何だか死語みたいな響きがあるけれど、玉の輿信仰を言い換えただけの3K指向。ところが、求めるものに対して払う代償の大きさに、辟易した結果、癒しの3安指向に転向してきたってことかしら…?見てくれ重視のストレスまみれ人生に疲れたのか、はたまた虚しさを感じたのか?今の結婚適齢期世代には、安らぎを求める声が大きくなっているんですって。ふ~ん。結婚に求めるものに、「愛」という一言が、どこにも出てこないのがなんともね…(ρ_-)o。貧しくても愛があればぁ~。「神田川」に歌われたシチュエーションは、もはや理想ではないんだよね。相手に対し、精神的にも物理的にも寄りかかりたい。人に対して、要求するばかりの世の中になってきたんじゃないかと心配です。お互いに寄りかかって生きていきたいと願っているとすれば、この甘ったれで、もたれかかった関係って、はたして長続きするんだろうか?世代の違いなんでしょうけれども、どうもしっくり感じないものがありますね(Θ_ Θ)。しっかり生きろっ!離婚者対象アンケートの結果、相手に求めたかったものは、安らぎ・安定・安心だったそうです。ふぅ~む(|||_|||)。人は、ありそうで無いものを求めて生きていくのかも知れませんねぇ。ちなみに、私といえば、ストレスにまみれた人生に抗って生きております。苦笑い(^^ゞ 。

流儀と礼儀

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ホテルでランチ・ブッフェ。関連雑誌を二冊も買い、熟読。食べ方流儀まで読み漁り、行って来ましたランチ・ブッフェ。一皿に、冷たいものや温かいものを、ごっちゃりと一緒に山盛りにしては駄目なんだそうです。先ず、前菜を取り分ける。それから、新しいお皿に替えて主菜に突撃しましょう。全ては、少しずつ盛るのが礼儀だと。取るだけ取って、食べ残してしまっては、失礼ですからね。ふぅーん(^ε^)。で、判明。どんな取り方したところで、目で食べる程には食べられないものです…m(..)m。成田空港近くのホテルで、しばしの息抜き。おいおいっ、何だかんだ言って、息抜きばかりしているじゃない(#`ε´#)!まぁまぁ…、そう怒らずに。仕事もきっちりしてますから(^_^;)。レッスンの合間に、審査に行く先のコンクール課題曲をさらっています。どんなちっちゃな曲も、練習していますよ。聴いたことがある、知っている、以前教えたことがある程度では、はなはだ勉強不足。実際に譜面を手にとって弾いてみてこそ、見えてくることは山のようにある。その昔弾いたことのある曲でさえ、改めてさらいなおしてみれば、色々忘れていることに愕然。とほほ~の記憶力ですから。「こちらも勉強してますよ」なぁんて、威張ることじゃないって?そりゃそうですね。そんなことは、演奏者に対して、評価する側のあたりまえの礼儀ですからo(^-^)o。

空梅雨

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人の演奏を評価することは、とても難しい。己の好みや考えだけがスケールとなると、評価というより品評になってしまう。評価は判断であり、品評は優劣を決めること、という差がある。例えば、「自分だったら、もう少しゆっくり弾くな~」を、「速すぎるからダメ」と切り捨ててしまうと、それは評価ではなく、個人的バイアスに基づいた品評となる。それもありき。自分の偏った嗜好を乗り越えて、素直に演奏に耳を傾ける。なかなか難しいです(-"-;)。踏襲が紡いだ習慣がスタンダードとされる、クラシック音楽の世界。こうあるべき、ではなく、こうなんじゃないかって想像するしかない部分が根底にあるってことを忘れてしまうと、頭でっかちの指導しか出来なくなる。「こう弾きなさい。」そんな教え方や、評価を続けていくと、コピー人間みたいなピアノ弾きが蔓延するかも。おぉ~、怖い(>_<)!崩れ落ちたウッドデッキを取り払い、手間なし庭にリフォーム中です。タイル貼り工事の途中経過。これで、もう腐ることはないし、雑草も生えないだろうし…。空梅雨のおかげで、工事は着々と進んでいます(^-^)/。テラスが出来たら、ここで一杯飲みたぁい。参加希望の方は、お酒持参でどうぞ!週末に掛けて、天気が崩れるそうですが、この暑さにもほっと一息。恵みの雨になりそうですね~。

感化ラグ

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ロサンゼルス郊外のサン・マリノという小綺麗な住宅街に、二年程住んでいた時に、カーペット・マニアになりました。お隣さんからの影響。越した先のお隣さんは、イスラエル系アメリカンのご一家。旦那さんは、ブルネイという石油の生産により世界一お金持ちと言われる国の、石油会社に勤務。単身赴任でいらしたので、普段は留守がち。奥さんはナディアといって、夕刻になると、時折、散歩にさそってくれた。夕方というには明るすぎる日差しの中、ぶらぶらと散歩に出掛けたりした。ナディアは一回り年上で、まだ乳母車を押している新米ママの私を、何かにつけて助けてくれた恩人。彼女の家に招かれた時、床という床に敷きつめられたラグに、さすがイスラエル人の知識層のご家庭は違うなぁ~、なんて変なところに関心していた。「ペルシャ絨毯なのよ。客間の壁に掛けてあるのが、この家で一番高価な絨毯になるわね。あっ、あなたの足元に敷いてあるのも良いものよ。」えぇっ!思わず、飛び退く∑( ̄口 ̄)。踏んじゃったっ。「あらあら、気にしなくて良いのよ。絨毯っていう物は、長年踏まれてこそ味わいが出るって物だから。」そうなんですかぁ…?ナディアによると、床には隙間なくラグを敷かないと気がすまないのは、イスラエル文化なんだそう。ペルシャ絨毯講釈は延々と続いた。素材の違いだけでなく、裏を返してみれば絨毯の良し悪しが分かる。1センチ角に、針目が詰まっている方が上質なんだそう。端のフリンジは、一方が切りっ放しで、もう片方がループになっているには訳がある。見る角度によって、色の深みが違う。代表的な模様は、鹿とメダリオン云々、などなど…。家に帰って改めて見れば、我が家の床はツルリンと、なんと素っ気ないことm(..)m。ふむ…。感化されやすい性格なもんで、即ペルシャ絨毯を買いに走る。たっ、た、高い!!ナディアから、その良し悪しを 講釈された後では、先ず良質な物に目がいってしまう。そして、お値段の方にも、目が…。ナディアが自慢したくなるのも、ごもっとも。で、うんと手頃な品物を手に入れた。数日後、夕方の散歩に誘いに来た彼女は、玄関先に敷かれたラグを目ざとく見付け、にやりと。で、私は、ひやりとしたもんです。

酒飲みの性

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新品の体重計。自己管理も才能の内とどこかで読んで、早速購入。えっ?今まで体重計くらい家に備えてなかったのかって?はい、ありませんでした。不味くて誰も手をつけない、プロテイン・ダイエット飲料の粉はあっても、体重計はない。頭痛薬はたんまりあっても、ロクな体温計がない。ビールは糖質の低い物を選んでも、チーズは絶対輸入物に限るぅヽ(゜▽、゜)ノ。どこか抜けている。我が家は、ありそうな物が案外無い。つじつまも合わない(→o←)ゞ。ベートーヴェンの父親は、息子に対するスパルタ教育と、大酒飲みで知られている。ぶどう酒だったそう。天才モーツァルトを意識するあまり、息子のピアニスト・デビューの年を一つ若く、六歳とごまかしたなんて言われたり、息子の稼ぎをあてにするために教育したとか、評判が悪いのも飲み過ぎたせいかしらね?祖父、父親共、ケルンの選帝候がボンに居を構える宮廷楽団の声楽家で、代々職業音楽家として生計を立てていた一家なのに、モーツァルトの父親がヴァイオリ二ストで作曲も嗜んだこと程、その職業については知られていない。モーツァルト一家は由緒正しく、ベートーヴェン一家は成り上がり志向が高いみたいな印象はあるよね。ベートーヴェンの父親は、酔っ払って帰ると、寝ている息子を叩き起こして、ピアノに向かわせたというエピソードはよく見かける(;_;)。文献によると、これを悪魔のような所業と捉える。ピア二ストとして成功させようと意気込んだ割には、ロクなピアノ教師にもつけず、無闇で無計画な音楽教育だった、と酷評する評論家もいる。妻、ベートーヴェンの母親が16歳で他界した後、父親の酒量は更に伸び、ついにベートーヴェンが成人する少し前の19歳の頃に、職をクビになる。その後は、息子の稼ぎで飲んだ。それより以前、ベートーヴェンは13歳の時に、「選帝候ソナタ」として知られる、3つのソナタを出版しているが、これは父親の雇い主へ配慮というか、ごますりが根底にある。自分の雇い主である選帝候に献呈する、との言葉が印刷されていたが為に、こう呼ばれるようになった作品。どのソナタも三楽章からなり、どちらかと言えば、ソナタと言うよりも、ソナチネ程度の規模。父親はこの時もまた、よしとけば良いのに、これまた11歳での作品であると、年齢を偽って印刷してしまうのである。多分、「トンビがタカを産む」って、こういうことなんだよね。父親は、がむしゃらに教育したら、何とかなるって信じていた。ベートーヴェンの才能を、誰よりも強く感じとっていた。子供の教育に熱心で何が悪い。「酒飲み」っていうだけで、印象悪いのも気の毒な話。しかし、息子が後世にまで、名を残すかも知れないということにまで、思いを馳せる能力がなかった。だから、バレる嘘をついてしまう。親の愛から始まった期待は、傍から見れば見栄や虚栄心に捉えられ、過度の期待が子供を苦しめる結果になるってこと。ベートーヴェンは、生涯に渡り、父親の死後も、その狂信的な期待に縛られていたのだろうな~って、思うとこちらの方も、ちょっと気の毒。時代は代わっても、同じようなことは繰り返されていると思いません?体重計に足を置きながら、「過度な期待はしないけれど、少しは減ってくれないかなぁ~」と、淡い期待(ノ_・。)。う~む、どうやら期待だけでは、痩せないらしい…。

土産物

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綺麗でしょうv(^-^)v。京都の干菓子です。生徒からの修学旅行のお土産で貰っちゃいました。ありがとう。いったい、お小遣いをいくら貰って良いのか知らないけれども、その中から散財してくれたなんて…。ほろりと感謝。嬉しいと共に、申し訳ない気持ちです(^ε^)♪。「鈴木先生にお土産忘れずにね!へそ曲げるから。」なんて、親に言われたのかも知れませんが、子供達がお土産選びに使ってくれた時間や思いが、有り難いです。女の子達からは、定番チックなお土産が多い中、男の子が買ってきてくれる物は、ちょっと笑えるんですよ。何故だか、彼等のセレクトには、抹茶ワラビ餅やら、紅白カモメの玉子やら、黒ごま八橋、戦闘機の焼印せんべいなど、ちょいひねった和物が多いんですね。で、彼等には、絶対の自信がある。「先生、これ美味しいんだよ。」中でも、「ハンカチ王子饅頭」には爆笑。どんな顔をして買っていたのか想像するだけで、にやけてしまいますよ。ピアノの先生なんて、たかだか週に一度、会うか会わないかの関係なのにね。多謝。

悲喜こもごも

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ただの蒸しパンですが、せっかくの手製なので御披露目です。(威張るほどのこともないモノですが。)母がタイで買ってきたマンゴー、パパイヤや、パイナップルのドライフルーツを細かく切って散りばめて蒸しあげたら、おはじきみたいに可愛らしくなって満足(*^ー^)ノ。歯ごたえも、ふんわりの中にも、ねっとりな~んて良い感じです。こう書いたら、普段からお料理しているみたいですが…。本当はあまりしてません(//▽//)。というより、ほとんどしません。えへへ…。それで、家では「松田聖子」呼ばわりされてます。家庭を省みずに、好き勝手に生きてるって。ひどいっ、あんまりだぁ…(-_☆)。特に夏は、コンクールなどの行事が詰まり、家にいてもいなくても、家人として役にはたっていませんねぇ…(*u_u)。レッスン室にこもってます。コンクールと言えば、毎年悲喜こもごものドラマが繰り広げられるのですが、それに嬉々として参加出来るっていうことは、羨ましい限りです。子供はたとえ高校生で、体は大きく成長し、いっぱしの生意気な口をきいたところで、所詮は自力でレッスンに通い、コンクールに申し込みをし、受験できるわけではないんですよ。口にこそは出さずとも、親の愛と力に感謝する瞬間は、絶対にありますね。全ては親がかり。親にしてみれば、サポーターに徹することは大変とこぼしたくなるでしょうが、自分の子供がスポットに照らされた中でピアノに向かう、その集中した横顔に胸がジンとしない訳はなく、子供の頑張りに感謝する瞬間なんですね。たとえ結果がどうであれ、頑張った分だけ成長します。コンサートを公演する時に何が大変って、集客なんですよ。アメリカに学生としている間は、「客の多さではなく、客の質なんだ。」そう公言しても、構わない環境があったんです。少ないお客さんでも、熱心に聴いてくれるならそれで良い、みたいな考え方。ところが、日本で公演すると、集客力、イコール演奏家としての価値みたいな雰囲気や圧力を否応無しに感じてしまうんですね。嫌~なプレッシャー。演奏云々以外の、余計な心配に気をとられてしまうのは、誠につまらないとは思いつつ、ついつい客席が埋まってくれるかどうかに気力を割いてしまうんですよ。その点、コンクールは良いです。誰も聴きに来てくれなかったらどうしょう…なんて心配はいらないし、客席の皆さんは誠に熱心に聴いてくれますからねぇ。コンクール参加は、与えられた環境を楽しんで。蒸しパンと同じです。あまり加熱し過ぎるとパンクします(^O^ )/。

文殊の知恵

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三人寄れば文殊の知恵。何人か集まれば、優れた知恵も浮かぶものだとの意味。傘下のピアノ先生達が、仲間同士で、発表会を初めて自力で開催しました。それまで楽器店などに依存していた発表会を、自主開催しようと、仲間で生徒を集めての発表会。一人では難儀なことも、集まると大きな力を得て、果敢に立ち向かえる。たかが発表会、されど発表会。自立に向けて、大きな一歩を踏み出したってことです。誠にめでたい~o(^▽^)o。会場設営やら、プログラム印刷から、経理まで、何もかも自分達で実行する大変さと、周りに助けられてこその実現…などなど、感じることも多かったことでしょうね。少子化だの、受験だの、お稽古事の多様化だの…。ピアノの生徒さんが、これらのハードルのために、減少しつつあると嘆くピアノ教師が増える昨今、勢いのある教室経営が出来ることは、時代に逆らっているというわけですから、まさしく快挙です。録音業者さん曰わく、年々個人のピアノ教室主催の発表会は、減少傾向にあるそうです。これからのピアノ教師は、個人経営でありながらも、イベント毎に助けあっていかなくては、生き残れないかも知れない。共同体に属しながら成長していく、といった意識や社会性がないとね。「力の無い者は、自然淘汰されていくのよ。」この言葉を、先輩先生が口にされた時には、ぎょっとしました。随分と恐ろしい台詞だなぁ…と思ったものですが、今考えれば、確かに一理あるかも知れないと感じる今日この頃です。一人で何もかも出来なくて良いんです。役割分担すれば、事はきっと旨く回ります。ざくざくと山盛りのサクランボは、なんと佐藤錦です。お付き合いのある農家の方が、送ってくださいました。こういった共同体は、是非大切にしたいっ!!あっ、何にせよ、一方的なお付き合いはいけません。”Give and take.”「取ったら取り返せ」、ではなく、「互いに思いやりを」と、訳しています。

ご当地迷物

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その昔、北海道、富良野のラベンダー畑を訪ねたことがある。ラベンダーの植わった斜面は、近くで見ると、煙ったような薄い紫色に見える。足元は砂地を固めたような、埃っぽい灰色の足場。それよりは、遠くからの眺めの方が、うんと鮮やかな紫色に見えるんですよ。土産物屋では、ラベンダー・グッズが並び、中でも極めつけはラベンダー・ソフトだったかな~(-з-)。お味のほうはというと…、石鹸を食べる感覚じゃないかと想像して、やめておいたから分からない。お庭に咲いたラベンダーをどうぞと、分けていただきました。自然な優しい香りが、ふとした拍子に漂い、北海道で見たラベンダー畑の光景が浮かびます。ドライ・フラワーにして、もうしばらく香りを楽しめます。そうそう、ラベンダー・ソフトといえば、山形では、ずんだ豆のソフトっていうのを食べましたね。ずんだ豆とは、枝豆のこと。枝豆が特産物のひとつである、鶴岡の白山でとれる高品質枝豆は、だだちゃ豆と呼ばれるのだそう。ずんだ豆を使ったというソフトクリームは、枝豆色で豆の青々しさが後味に残る代物。味はというと、悪くはないけれど、一生のうちに食べなくても別に構わないという程度でした。日本各地に出掛ける今、ご当地物を何となく買ってきます。マンゴー饅頭、味噌味カレー、納豆ふりかけ、洋風ういろう、八丁味噌ポップコーン、ゴーヤチップス、イカ墨ラーメン、さくらんぼチョコ、うなぎ茶漬けセット、スイカの漬け物…。どれも、まぁ~ねぇっていう感じですが、性懲りもなく、ついつい土産物屋にて、手持ちぶさたなのでぶらぶらしているわけです。ひとり旅の性かな…φ(.. ) 。

隣の老婦人

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いびきが原因での追い出し騒動で度肝を抜かれたのは、ロサンゼルス郊外にあるパサデナ・オーディトリアムという由緒あるコンサート会場での出来事。ここでは毎年シーズンチケットを販売していたので、ピアノシリーズを買ってみた。野球のシーズンチケットみたいに、その年の主なピアノ・コンサートの一席を、年間を通して買うというシステム。こちらとしては、いつも同じ席が確保できるし、主催者側も、一定の集客が見込める利点がある。何度か通っているうちに、右隣の老婦人と顔見知りになった。品の良い、小柄で華奢な白人。金髪であったろう髪は、すっかり白髪になって、きっちりとセットされている。目で挨拶を交わす。ある夜、そのご婦人は、若い東洋人が年間チケットを買って、コンサートにたった独りで通うことに興味を抱いていると話し掛けてきた。そういわれてみれば、周りは年配者がほとんどを占めている。パサデナという街は、東京でいえば田園調布になるかしらね、高級住宅街で知られるという土地柄。お洒落なレストランやカフェが道沿いに並ぶ。よそ行きに着飾り、そこでディナーをとり、コンサート出掛けるっていうエンターテイメントを定期的に楽しむなんて、確かに裕福な象徴ですよね。しかも、そこは人種のるつぼのロサンゼルスにおいて、白人の社会。なんで、ここにあなたが居るの?他意はないのであろうが、老婦人のその質問に、初めて己の場違い感に気付いて、居心地悪さを味わいながら、もそもそと答える(.. ) 。あの、ピアノを弾くもので…。「まぁ~っ!あなたはピアニストなのね。どこかで演奏なさるの?」はぁ…、来週末、家に人を招いて…。「是非とも聴いてみたいわぁ。」へっ?あの、大したもんじゃないんです…。心の中で、付け加える。(大したもんじゃないんです、家も演奏も…。)誠に歯切れの悪いこと(Θ_Θ)。だって、ホラシオ・ゲテレッツなんていう、大物ピアニストのリサイタルを聴きに来て、自分もピアノを弾きますなんて、客席に座り大きな声で言えませんよぉ(-.-;)!数日後、カードと共に一枚の白いハンカチが送られてきた。「残念ながら、貴女の可愛らしいコンサートには行かれませんが、これで手の汗を拭ってちょうだい。グッド・ラック!愛をこめて、隣人より」ひぇ~!リップサービス天国と思っていたアメリカで、こんなこともあるんだ。昼間、ゆりかごを足で蹴りながらピアノを練習し、ピザの出前を頼み、ベビーシッターに赤ん坊を押し付けて、コンサートに出掛ける。終われば一目散に家に帰り、シッターにいくらかを払って、その日は無事終了。床に散乱した楽譜には落書きの跡が…( ̄□ ̄;)!!。そんな東洋人的なキリキリ&ハッスル生活を、あのゆったりとした雰囲気で物腰の上品な老婦人は、はたして理解出来るのだろうか?

マナー・モード

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「人の演奏を聴かないで、自分を聴いてもらおうなんて、どんなものかな。」隣りに座っていたジム・ポターに、小さな声でそう言われた時には、恥ずかしいさで心臓がズキンとし、手が止まった。サン・フランシスコ郊外にあるノートルダム大学。渡米した初めの一年、その設備と環境の整った私学に、知人のつてで入学した頃は、ちょっと語学留学でも…、くらいの甘い考えでいた。ピアノが弾けることが、それからの学生生活において、どれほど強い味方になるかなんて想像もしなかった。第一、ノートルダム大学に音楽科があるなんて録に調べもしなかったし、日本の大学を卒業後に、それ以上の学位が欲しいなどという大層な欲も無かった。英語の授業を取りながら、ピアノが弾けるならと、ピアノ科の教授ラ・ラータ氏に紹介され、彼にピアノを弾いた次の日には、音楽部への入学があっという間に決まった。彼は、大学内のレッスン室より、自宅のスタジオでのレッスンを好んだものだから、寮からレッスンに通うために車の免許も取り、トヨタの黄色い中古車を、これまた知人のつてで購入した。ラ・ラータ氏の自宅近くにある音楽院では、毎週のように公開レッスンが夕食後に開かれたりもしたから、車の運転なしでは自立できない社会というものも、初めて味わった。慣れとは恐ろしい。当初、全てにおいて緊張していたのにも関わらず、しばらくして慣れてくれば、公開レッスンが夕食後ということもあって、眠気におそわれる。たった一時間程度のレッスン聴講に、飽きてくる。ジム・ポターは、サンフランシスコから橋を渡った所にあるバークレーで学ぶ大学生。音楽科の学生ではなかったけれども、音楽好きで、幼なじみの親友マイケルが弾くことを楽しみに、ちょくちょく聴講しに来ていた。冒頭は、マイケルがピアノを弾いている時に、こそこそと手紙を書いていたことを咎めての発言。静かに邪魔をしなければ、周りに迷惑を掛けるわけではないから良いじゃない。そんな横柄な考えがどこか染み付いていた東洋人に、腹が立ったのだろうね。 大分後日のことになるけれど、あるピアノ・コンサートで、こんなこともあった。ついついの居眠りが爆睡になったのか、いびきをかき始めた客に、周りが怒って会場から追い出した。丁度すぐ後ろの席に居合わせた私は、驚き恐れた。日本人なら、黙って効きもしないのに睨み付けるか、せいぜい小声で注意するくらいだろうか。「折角聴きに来ているんだから。邪魔するなら外へでろっ!」客が、客をつまみ出すなんて。なぁなぁ文化の日本人は、時として面食らうほどの直球で、マナーを教えられる。

枇杷の実

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枇杷(びわ)の季節は短く、夏の到来を告げる果物です。千葉は富浦産の枇杷は、全国でも知られるほどの高級品。雨よけの袋をかぶされて、それはそれは丁寧に育てられた様子の枇杷。昭和の時代には、そこいらの庭先に、枇杷や無花果(いちじく)の木が植わっていて、食べられたという。無花果の木は、横浜の実家にもあった。大きな葉、青く固くまだ小さな実。手洗いの高窓の下にあって、誰からも見向きもされてはいなかったな。そんな風景は、ぼんやりと記憶にある。「買って食べるもんじゃなかったのにねぇ…。」枇杷の皮をぺろりとむきながら、母がつぶやいた。狭い庭には、わさわさと沢山の木が植わっていた。シロツメクサで花冠を作ったり、朝顔をつぶして色水をつくったり、ぺんぺん草でおもちゃをこしらえたり、たんぽぽの綿毛を思いきり吹き飛ばしたり、ありんこをつぶしたり。家の周りで、飽きることなく遊んでいたっけ。枇杷のぼやけた味が、懐かしさを運んでくれた。


 

楽譜依存症

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暗譜が怖いと訴える方は、多いんです。暗譜にはコツがあるのですが、本当のことを言ってしまえば、これだと言える確固たる暗譜法なんてないんですね(暗譜アプローチ考を以前に書いています。興味のある方は、2月26日「かち割り」を参照してみて下さい)。暗譜は慣れと言ってしまえば、慣れです!でも、それではちっとも納得できないだろうし、何の解決にもなりませんよね。では何故に暗譜が怖いのだろうか?楽譜がないと、忘れてしまうかもしれない、間違えてしまうかもしれない、頭の中がパニックになるかも、何も考えられないかも、途中から始めることが出来ないかも…。全ては、「かもレベル」なんです。これでは、楽譜が目の前にあったとしても楽しめないし、多分間違えます。「かもレベル」の思考は、恐れていた状況を現実化したいというエネルギーに転換されてしまうんですよ。ミスをして安堵する。裏腹の深層心理。楽譜があるなしに関わらず、自分の演奏を、人に聴いて貰える環境や、凝縮された時間を楽しめるようになると、暗譜できるかどうかは、二次的な悩みに格下げされます。悩みや不安、迷いは、音となって会場に流れ出してしまいます。怖がれば怖がるほど、音が震えますY(>_<、)Y。ぶるぶる~。だいたい暗譜して演奏する流儀は、リストの頃からの慣習ですから、割合新しいこと。先人は余計なことをしてくれたなぁ…なんて、詰らない!ロマン派にありがちだった、自己顕示欲が、ことの始まりだったんじゃないだろうか?「俺ってさぁ、楽譜がなくたって、こんなに弾けちゃうんだぜっ」みたいな…?!以来、暗譜が当たり前のようになり、御守りのような楽譜を取り上げられると、おたおた行き場を失ってしまう可哀想な舞台難民を排出することに。「そんなに大切なら、普段から楽譜をもっと良く見たら如何。」な~んていうイヤミはよして、暗譜の薦め。舞台の上では、研ぎ澄まされるのは、視覚より、聴覚と肩から指先までの感触なんですね。その点でも、暗譜したほうが楽だと思うんですけれど…。もし譜めくりが上手くいかなかったらどうします?突然、風が吹いてページがめくれたりしたら困るよね。ライトがまぶしくて、音符が目に入らないなんてことだってあるかも知れないし…m(_ _)m。要するに、舞台の上では、集中を欠く要因は要らないってことです。はい!

苦情が来るぞ

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音を出す楽器を嗜んでいるからには、マナーってものがあります。今現在使っているレッスン室は、後から増築したものです。お教室を自宅で始めて2~3年たった頃、生徒達もようやくそこそこ弾けるようになり、連弾を楽しめるようにまでなったんですね。レッスンの後、「すこし二人で練習していったら」の、呼びかけに、仲良さそうに弾き始めた二人。いつも個人レッスンの時には、口を利いたら損みたいに寡黙な二人も、席をはずせば、きゃいきゃいと賑やかに話を始める。へぇ~、やはり中学生なんだわね。大人には割り込めない世界がある。居場所を失ったものだから、手持ち無沙汰になり、庭に出てみた。初めて外から聴く我が家のピアノの音。たった一台でも、二人で弾くピアノの音は、思った以上の大音量。その時点で、すでに生徒も増えつつあった。ふうむ…。そろそろ防音かなぁ?果たして採算がとれるのかどうかなんて考えは、及ばなかった。家族には、「あなたが死んだら、立派な物置になるねぇ…」なんて、嫌味のひとつも言われたけれども、右から左に流しておいた。トラ年は、言い出したらやり遂げないことには聞かないんだそうだ。騒音だと苦情が来る前に対処しなくてはと、思っていましたから。結局、建て増しすること自体に、苦情が出る羽目になったんですが…。まぁ、それはさて置き、防音室設置のお陰で、レッスン環境は整い、快適にお稽古ができるようになりました。で、今度はレッスンにやって来る生徒達の、乗りつける車の駐車スペースが問題に。このままでは、路上駐車に苦情が来るのではないかと、心配が持ち上がり、駐車場を整備することにしました。次々と繰り広げられるトラ年の有言実行に、家の者は、呆れているのか、はたまた諦めているのか、何も言いませんでした。駐車場の次は、家族からの苦情が押し寄せてくるのかも知れません。(苦笑)

音の楽しみ

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10月に行う、成東ステップでは、開催側としては大判振る舞いで、グランドピアノを2台も舞台に乗せちゃいます。ピアノという機械に長時間向き合っているピアノ弾きは、ともするとアンサンブルが苦手と言われます。相手に合わせるのが苦手ってこと。(まぁ、確かに人付き合いにおいても、周りの見えない人が多いような…?)そこで、いつもソロばかり弾いていないで、連弾や2台ピアノを経験させちゃおうってことです。我の通らない世界を、味わってもらいましょう。幸いなことに、一昔前に比べ、現在では連弾や2台ピアノのための楽譜が、豊富に出回っています。オリジナルもアレンジ物も、たっくさんあります。コンツェルトだって、ピアノが2台あれば、充分気持ち良く弾けちゃいますからねぇ。反抗期真っ只中の中学生男子二人組には、あえてディズニーの「ビビディ・バビディ・ブー」を選んでみました。嫌がるかと思いきや、ノリノリで、かえって熱心に練習始めましたよ~。一人ではショパンなんて、とてもとても…、という小さな生徒には、連弾アレンジされたショパンのワルツを。ウキウキとしています。「バッハなんて、大嫌い。」こう豪語する子供には、連弾でバッハのプレリュードを提案してみたら大張り切り。嫌いって言った割には、パリパリっと弾き始めてます。一人では、負担の多い名曲も、連弾にアレンジされた譜面なら読みやすく、比較的楽に取り組める。もちろん連弾用に書かれたオリジナル曲にも、名曲が山ほどあります。それ程難しくはない曲から、モーツァルトのソナタや、ラフマニノフの「2台ピアノのための組曲」みたいな、モンスター・ピースまで。それぞれのレベルや好みに合った曲が、見付かるはずです。たとえ、どんなに難しくたって二人だから楽しい。人前での演奏に躊躇する人間だって、デュオなら演奏をしぶしぶ承知してくれる。始めの一歩に、アンサンブルは最適かもね。連弾アレンジされた曲は、原曲とは異なるので許せないと仰る向きには、提案しがたいのですが、アンサンブルはレッスンを活気付けます。オリジナルかどうかなど、あまり細かいことにこだわらなくても、良いんじゃないかと。本来、連弾の目的は、音楽コミュニケーション=交流。つまり、お楽しみなんです。「いいや、それはモーツァルトが書いたものではない。断固として許せん!」子供達にとって、音楽は「音が苦」にならないと良いのですけれども…。

ボランティア

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子供達に本当に伝えたかったことは、何だったのだろうか。ピアノの音に触れて欲しいということで訪ねた、学校クラスコンサートの話の続き…。(何の話?といぶかる方は、昨日「ある風景」と、5月14日「学校クラスコンサート」、4月25日「ゼリーよせ」のコラム遡って、ことの経緯をたどって下さい。心境の変化も楽しめます。はい。)目の前に並んだ小さな顔は、小学四年生。子供と言えども、すでに自我と個性が強く芽生えている年頃なんだと、実際対峙してみるとよく分かる。一人一人、いったいどんな大人に成長していくのだろうかしら?コンサート終了後、挨拶をしながら、用意していなかった言葉が口をつく。「私は小さな頃からピアノを弾くということが得意だったから、少しずつ長い間努力して、今はこうしてピアノを弾いて人の役に立とうとしています。困っている人を助けるのもボランティアです。何か自分の出来ることを使って、社会に貢献していくのもボランティアです。君達は、何が得意なのか、まだ分からないかも知れませんが、これからそれを見つけてコツコツと力を伸ばしていって、人の役に立つようになって欲しいと思います。では、今日は静かに聞いてくれてありがとう!」…格好つけすぎよね(^_^;)。自称ボランティア・ピアニストだって!?言いながら、自分でも赤面ものです(^^ゞ。でも、子供達は素直に耳を傾けてくれました。言ってしまってから、照れを打ち破るように、切り替えっ。「さぁ、質問のある子はいませんか?」いくつか手が挙がる。「何才からピアノを弾いているんですか?」3歳からです。「子供はいますか?」はい、君達みたいに元気なのがいますよ。「何年ピアノを弾いているんですか?」それは…、言えません!では、この辺で。また機会があったら会いましょう(^O^)/。

ある風景

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学校クラスコンサート。千葉県は大網白里町にある、町立白里小学校にて、学校クラスコンサートを行ってきました。校門を抜け、駐車場に降りれば、ここは海に近く、そよぐ風が海風なんですねo(^-^)o。ひとクラス31人が、ふたクラスの四年生。暖かく出迎えてくださった小林校長先生によると、少子化の波を、この教育現場でひしひしと感じられているという。インドの日本人学校で、校長を勤めていらしたこともある、国際感覚のあられる校長先生。子供達に、生のピアノ演奏を近くで触れて欲しいという、こちらの願いを理解し、快く受け入れてくださった。三階にある音楽室。開け放たれた窓からの風が心地よい。「こんにちは。ピアノのコンサートに行ったことのある人は、手を挙げて。」えっ…。たったの一人?「小犬のワルツ」を弾き始めると、「わぁ、すごい。」「速いねぇ。」「見たぁ?」さわさわっと、感心の声が伝わってくる。そのうち落ち着くかと思いきや、曲が終わるまで、ずっと感心していてくれたので、こちらがかえって子供たちの素直さに感心してしまった。弾き終わっても、どう振舞って良いのか分からない様子。さわさわがやんで、一転しーんとなる。「こういう時は、拍手をするのよ。」弾けるように、拍手を始める。音楽室に備えてある、音楽記号のポスターやら、メトロノームやらを使いながらのトークコンサート。まるで惹きこまれるように見入る子供達。終盤は、打楽器を使って子供達とのコラボや、校歌の合唱で、プログラムは終了。「これで、コンサートはお終いです。」拍手。うん、拍手の間合いが、すでに上手くなっているわね。「拍手をやめちゃうと、アンコールしてもらませんよぉ。」どっと笑いながら、拍手喝采。「それでは…、みんなの知っているディズニーの曲を、メドレーで弾きます。」メドレーってなんだか知ってる?しーん…。たくさんの曲の寄せ集め。さて、いったい何曲分かるかな?ピアノの周りにいらっしゃいな。一人動けば、もじもじしていた子供たちも、わぁっと動く。気が付けば、腕がやっと回るスペースだけ残して、あっという間に子供達に取り囲まれていた。途端に、窓からの爽やかな風は途絶え、熱気に囲まれながらのアンコール演奏。見送りに出てきてくださった小林校長先生から手渡された絵葉書。絵の達者な先代の校長が、描かれた白里小学校の風景画だという。暖かさのにじみ出る色彩。人はこうして、なんらかの形で自分の思いを伝える術をもっているのよね。

ハッピードール

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我が家は、家内工業みたいなところがある。皆がそれぞれに、私の仕事を手伝ってくれている。正確に言えば、否応なく手伝わされている。母がタイへと旅行に行ってきた。10月の成東で開催されるハロウィーン・ステップ。イベント大好き人間なもんで、会場は受付&舞台共に、ハロウィーン仕様に飾りますよ~。仮装での参加もどうぞって、言ったからにはスタッフも仮装かしらね?母は、そこで参加者に配るプレゼントを買ってくる任務を背負わされての渡航。今、日本で流行っているハッピードールは、タイ国発祥。あちらで買えば、うんとお安い。かくて、母は、あちらこちらで「ハッピードール」と、言いながら探したが、行く先々で誰もが首を横に振り、知らない様子。帰国前日になって、ようやく道端の露店商でハッピードールを発見し、そこにあっただけ買ってきたという。「えっ、たったの50個?200個買ってきてって言ったのにぃ。」このつれない発言に、「だって通じないのよ」と、むっとしながらの返事。結局、ハッピードールに終始気を取られていたらしい。失礼しました。ところで、タイ国では、いったいハッピードールは、なんと呼ばれているのかしらね?

予感的中

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蛤(はまぐり)漁の解禁期間は短く、今年はこれでおしまい。バケツに一杯いただきました。酒蒸し、潮汁、蛤ご飯で頂きましたよ。先日の東金ステップで疲れただろうから、英気を養ってねと、重いだろうに運んでくれました。ありがとうございます。千葉は、海産物にも農産物にも恵まれているんですよ(^O^)/。沢山の人で賑わった、先日の東金ステップ。自分で言ってしまうのもなんですが、好評のため、来年は2日間に渡り開催いたします(//▽//)。5月24日の土曜日と、25日日曜日の両日です。以前は、疲れちゃうから二日開催はしないよ、って明言していたのに…。東金ステップ開催の週明け、電話が鳴る。「先日はお疲れ様でした。」はぁ…。優しい声色に、何かあるな~の予感。「来年度、2日間開催はお考えですか?」いいや、考えてない。絶対に無理だからっ!「東金で参加しきれないと、他の会場に回されてしまうことになります。せっかく鈴木先生のところで弾きたいって来られたのに、残念ですよね~。」こういう進言には弱い。簡単にのせられる。頼まれれば、嫌だとは言わない。むしろ猛然と取り掛かる性格を、知ってのことよねぇ。早速、会場押さえに奔走。疲れたのなんのって、ぶうぶう言う割りに、次が決まると元気に前向きになってます。ところで、夕べどんぶり一杯、蛤の酒蒸しを頂いたら、今朝、鼻血がどわっとでました。英気の養い過ぎなんだろうか?はたまた、血の気が多すぎるんだろうか?

マイケル・ガーツ

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父であるガーツ氏は、誰もが認める人格者であるのに、息子のマイケルときたら、驚異的な記憶力と演奏力、そしてマナーの悪さで有名だった。ミシガン州でガーツ氏に薫陶を受けた縁で、ルイジアナ州立大学で当時、助教授を務めていたマイケルのもとにて、更に学ぶこととなった。マイケルからは、合理性とペダリングを教え込まれた。教師としては、雄弁に指導することはなかったけれど、とにかくどんな曲でも、すぐさま弾いてみせてくれた。それを真似ろと言わんばかりにね。一度、コンペで失敗して、泣きついたことがあった。やさしく相手にはしてくれていたが、それもつかの間。面倒に思い始めたとたん、切り捨てるように一言。「東洋人って、いつまでもしめっぽいんだよねぇ。」それ以来、ピアノ以外のことで、師と仰ぐのはやめた。ご存知ですか?人前での、げっぷ(Θ_Θ)はアメリカではマナー違反。なのに、マイケルの下品なげっぷに、レッスンの最中、何度眉をしかめたことか(*u_u)。前のレッスンが終わり、生徒が出ていけば、振り返りざまに悪口を始める。「今の聞いた?ヒドいだろう。」はぁ…?周りの人の悪口はしょっちゅう。上司だって、同胞だって、生徒だって構いはしない。パッチワークみたいなジャケットに、ピンクのシャツと縦縞のズボン(〒_〒)。この服装で、大学の構内を闊歩しては失笑を買っていた。ある時のコンサートでは、客席をじぃ…っと見つめながら弾いていた。また、ニタニタしながら弾いていたことも。そんな弾き方をされると、客席で見守る私達門下生は、ほとほと困ってしまう。もしかしたら、天才マイケルは、自らの奇怪な行動を知っていて、普通の人とは違うぞって、わざと格好を付けていたのかもしれない!?マイケルは、かの有名なジュリアード音楽院をトップで卒業し、数々の国際コンクールの賞歴もある逸材。ジュリアード時代に、学内で演奏したピアノ・コンツェルトは、ラフマニノフの第3番。そのまるで戦いを挑むような弾き方で、「ロッキー3」と、あだ名がつけられた程、ワイルドな演奏をする。そんなこんなのマイケルだけれど、学生達には人気があった。周りを気にしない、天然のマイケルは自由人に見えたからかな…。彼には裏はない。いつだって表だけ。ある意味、正直だった。マイケルは、コンクールに出掛けた先のブラジルで知り合ったというダニエルと結婚して、三人の子供に恵まれた。ダニエルは、舞台の上でマイケルの横に座り、譜めくりを手伝う時にさえも、指にはめたバカバカしいほど大きなダイヤモンドをずっとさすっているような人だったから、二人はお似合いとも言えた。あれから十数年。ガーツ氏からの手紙で、マイケルは婚約して幸せの絶頂にあるという。あれっ、婚約…(?_?)。熊男のようなベートーベンは、ちんちくりんだったが、女性にはもてたらしい。音楽には不思議な魔力があるからね。殿方諸君、効き目が切れないよう、お気を付けあそばせ(´ー`)。

そして息抜き

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パイレーツ・オブ・カリビアン、観てきました。案外ミーハーなんですよ(^ε^)♪。昨日忙しかったんだから、たまの休日には、少し静かにしていたら良いのにと思われていますよね。生まれて始めて観た映画は、サウンド・オブ・ミュージック。よそ行きに身を包んで、母に連れられて出掛けた思い出は、始めてスクリーンの上で触れる外国の暮らしと重なり、強烈な印象がある。外国人は、み~んなあんなに豊かなんだ…、家の中でダンス・パーティーを開き、お家に住み込みの家庭教師を雇うんだね…と、勘違いもしていたけれど(*^_^*)。それ以来、映画好き。特に、ハリウッド映画ファンなもので、時間があれば、あれこれ観たいといそいそお出掛け。深刻な戦争映画「プラトゥーン」なんかは、流れていたサミュエル・バーバーの弦楽曲「アダージョ」の重い響きと共にずっと心に痛く残ってしまうから、こんな日には娯楽映画が良い。非現実的な空想の世界にしばし溺れて、元気をチャージ。さぁ~、明日から仕事するわよぉって、意気込むわけです。

足跡

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千葉は房総の、お祝い事があると作られるという花寿司。太巻きの中を切ってみると、花だの果物だの、切り口に模様が描かれて、見た目にも楽しい。金太郎飴の巻き寿司ヴァージョンって感じです。今回、東金ステップは111人という、これまでの最多人数の参加者に恵まれ、朝から晩までの開催となり、運営側は12時間に及ぶ労働、長~い一日となりました。そこで、疲れの出始める夕方あたりに、スタッフや先生方に少しでも元気になってもらえたらと、おやつにシュークリーム、お夕食に花寿司を頼んでみました。お店屋さんに頼むのではなく、地元のこれをお得意とする、おばぁちゃん達にお願いします。おばぁちゃんたちは腕をふるってこさえてくれますが、商売でやっているわけではないので、時間通りに注文した数が届くのかなと、ちょっとドキドキ。ごはんと海苔に、緑色に漬物、ピンク色にはでんぶや赤カブ、黄に卵を使って描く花寿司。見た目も綺麗だけれど、味も美味しく、昔から地元ではお祝い膳の引き立て役になるのでしょうね。東金でステップを始めて今年で三年目。主催するスタッフも、出演する生徒も、磨かれてきた感がありましたね。基本的には、イベント運営に関しては全くのアマチュアが開催し、未熟な演奏家達が参加するイベント。回を重ねるごとに、ノウハウを体で覚えていくようで、事務はテキパキと動き、他人の演奏を聞いて指導力もアップする。結果、ハートを掴む演奏を、ちらほら堪能できるまでに。良かった、良かった~。皆が、すこしプロ意識を持ちながら動き始めている。「お手伝い」感覚から、「自主運営」の感覚に。ピアノ教師の仕事は普段独立していることが多いけれども、イベント開催を通して集団、つまり縦横の社会も学ぶ。時間に追われた一日でしたが、無事終了。こんな田舎でも、できることってあるじゃない。夜遅く帰宅し、車のトランクに山のように積み込まれた一切合財。それを目の前に、ちょっと、ため息。洗濯機を回し、使った食器を洗い、ごみを処分する。事務所に返却の品物を箱詰めして、会計をまとめ、写真の整理、パソコンに向かって開催報告の文章を練る。う~ん…。次回は、事後の処理も結構あるんだよって分かってもらわないとね。「お疲れ様」の言葉は出ても、「ありがとう」の一言がなかなかでない。手伝わされた、ではなく、経験を積んだという感覚までには、まだまだ…。ただ今、前向きピアノ教師の仲間作りを目指して、種まき最中です。一歩進むと、次のステップが見えてくる。振り返れば、足跡が残っている。

いい加減

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ペダルについての提案です(^O^)/。ペダルは、踏む加減が難しい(*u_u)。生徒達には、ピアノのペダルの踏み加減を、化粧に例えて説明してみる。やり過ぎは、かえって可笑しいことになってしまう。踏まない方が、まだマシじゃないってことにならないようにね(*^_^*)。TPOに合わせてお化粧をするように、ペダルも時代別に踏み分けて。バロックなら、ナチュラルメイク。お化粧しているのが分からない程度、目立たないように。クラシックは、きちんと感のあるメイクで。ロマンなら、パーティー用のフルメイク。ゴージャスにどうぞ(^_-)☆。ルイジアナ州立大学で、マイケル・ガーツ氏に習っていた時のこと。先生っていうのは、個々にこだわりがある。マイケルのこだわりは、指使いとペダルだった。気に障り始めると、レッスンの最中に、「何故に、そこでペダルを踏むのか」と、詰め寄る。あのぉ…。そのぉ…。即、答えられないと、足の甲にマイケルの足が乗ったまま、弾かされる羽目となる。自分と同じタイミングで踏めと。アメリカ人の足はデカい。しかも…、室内でも靴を履いている(ノ_・。)から、痛い…。レガートを助けるため、ボリュームを出すため、アクセントを効果的に発音するため、ベースの音を伸ばさなければならないから、などなど。楽譜にそう書いてあるから踏む、というのでは上手いペダル操作は望めない。だいたい、ペダルの記譜は、リズムやピッチなどに比べると、うんと雑に書き込んであるから要注意。踏むタイミング、頻度、踏み込む深さを、ペダルを踏む目的に合わせて調整していく。ペダルに耳を傾ける。いい加減にペダルを踏んではダメダメ。良い加減でね。あっ、お粗末でしたぁ~(*^_^*)。
プロフィール

鈴木直美

Author:鈴木直美
ピアニスト、指導者として活動中。
Suzuki Piano School主催。
VERY GENE ドレスショップオーナーを務める。

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