ひかりとのぞみ

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まさしく、気の緩みですm(_ _)m。新幹線に乗り遅れました。わざわざ、前もって指定席券まで買っておいたのに…。出掛けにぐずぐずしていたものだから、大網駅で特急に乗り損ねたんですよ。目の前でドアが閉まって、あぁ~あ(;_;)。つまずき第一歩。こんなことから、つまづき連鎖が起きるってもんです。電車を乗り換えた千葉駅で、たまたま目の前を通りかかった車掌さんに、まるで小さな子供みたいに、「乗り遅れたのですが…」、とすがりつく。困っているのよ、どうにかしてと、助けを求める。指定券は発車時刻前なら、払い戻し及び変更可能ということを教えてもらい、こりゃあ大変\(゜□゜)/と、慌てる。東京で変更してくれるもんだろうと、高をくくっていたのに、世の中そんなに甘くはないらしい。東京駅に着いてからでは、払い戻しも変更も、間に合わない。みどりの窓口へと足早に急いで、乗車便を変更してもらい、再び電車に飛び乗り東京へと向かう。幸い、もともと時間にうんと余裕を持たせて家を出ていたので、ひかりとこだまを乗り継いで、静岡は掛川での仕事に間に合ったから良かったものの…。今更ながら、ひかりは速いぞっ、なんて感心している場合じゃないよね。東京駅にて、お昼食の時間をとうに過ぎていることに気が付いて、乗車前に食料調達。お弁当屋さんに立ち寄ったけれども、電車の中で独りでお弁当を広げる勇気がない。情けないことに、美味しそうなお弁当の前をうろうろした挙げ句、おにぎり二個を手にする。乗りこんだ新幹線で、隣りの席に座った女性は、慎ましやなおにぎりを食べる私を尻目に、美味しそうな駅弁を広げ始めた。つまづき二歩目。掛川に到着したらしたで、「新幹線からだと、三島あたりで富士山がきれいに見えましたでしょうと」言われ、「隣りのお弁当ばかり見てきました」、なんて言えないから生返事。「はぁ~、まぁ…。」静岡に来て、富士山を見なかった。しかも、帰路は夜だ(ノ_・。)。つまづき三歩。掛川駅には、ひかり号は停車しない。帰り道、こだま号を待っていたら、ひかりが猛烈な勢いで、ビュンと目の前を通過した。正に空を切り裂くスピード。ひょえ~っ、恐い!あんなんに、乗っていたんだ( ̄○ ̄;)。速すぎますよ。
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旅支度

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今日から、静岡に仕事で出向きます。一泊二日。とんぼ返りの旅なので、荷物はコンパクトにまとめます。何事においても準備好きなもので、前日には旅支度を揃えて、リビングにスタンバイ。いつでも出発OKです。とかく見られる仕事なので、旅装でもきちんとしないと~♪(*^ ・^)。以前、あまり軽装にこだわったがために、失敗したことがありましたからね。トーク・コンサートをはさんだ仕事の時のこと。たった15分のステージだから、まぁいいやって、着ていったスーツ姿のままでいたら、声を掛けられたんです。演奏直前に主催者の方から、「お着替えは、どうなさいますか?お部屋をご用意してありますが。」と言われ、「このままで」と答えてから、はたと気が付いた。さて、演奏しましょうかと、スーツの上着を脱いだら、ただのセーターとスカート姿になってしまうことに。しかも、靴は歩きやすいようにとローファーだし。あちゃ~(*v_v*)。きっと子供達はピアノの演奏ばかりでなく、きれいなお洋服も期待していただろうにね…。ごめんなさい。それ以来、ピアノを弾く時は、どんなに短い時間だとしても、少しドレスアップ。ドレスでなくとも、ひとつだけキラリンと光る、非日常的な物を身に付けるようにしています。例えば、ピンク色のラメの靴とか、10連のジャラジャラしたネックレスだとか、大きく揺れるガラス玉のイヤリングとか。街中で身につけたら、ちょっと浮くアイテムって代物。そうすると、子供達の瞳もキラリと輝くようです。こちらも、見られている意識が作用して、背筋が少し伸びますしね(^-^)!

プレゼント・マニア

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毎年、この時期に開いているピアノ教室の懇親会。参加してくださったお母様方に、ちょっとしたプレゼント。冷蔵庫にくっつけて使える、マグネット付きのメモ用紙。大した物ではないけれど、絵柄がおしゃれ。カゴに入れて、お好きな絵柄をおひとつどうぞ。「今日は、来てくれてありがとう」、ってことでプレゼント(^O^)/。それだけのことで、場が少し華やぐ。生徒達は、お教室にちょこっと置いてある物を触ってみては、「これどうしたの?」と、いちいち聞いてくる。「頂いたのよ。」「先生ばっかり、いいなぁ~っ。」「あなただって、ピアノを弾いて、ご褒美を貰うことあるじゃない。それって、嬉しいよね~。」決まりきった返事が返ってくることを知っていながら、子供達は同じ質問を繰り返す。これだけ物が溢れている時代でさえ、自分の起こした行動に、何らかのリアクション、特に目に見える物、手に取って実感できる物をもらうという事は、特別な意識が高まる。子供の目にも、買ってもらった「消しゴム」より、ごほうびとして貰った「消しゴム」の方が、うんと貴重な物に見えてくるらしい。だから、何かに付けて、ちょっぴりプレゼント。渡すタイミングは、必ず事後に。何故ならば、事を成す前に渡すのは賄賂=わいろ。成した後に手渡す物は、褒美=ほうびと捉えられると、どこかで聞きましたから。そういえば、「メモをありがとう」って、だぁれも言ってくれなかったから、この美学は思い込みかも知れないけれど…。まぁ、いいや~o(^▽^)o、自己満足。

オフ・タイム

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天使の…、アリスの…、妖精の…、etc.夢いっぱいのネーミングを冠したレストラン。時折、息抜きにと、少しおしゃれをして、お昼を食べに行くこともあります。なにせ、夜のお仕事なもんで。知り合いに会わないようにと、少し足を伸ばしてドライブ。席に通されて、辺りを見回せば、天使どころか、中年の天女ばかり…。かく言う私も含めてですがね、あはは(*^o^*)。久々のオフ・タイム。「美味しい物を食べながら、たわいもないお喋りは、リラックスできるよね」って、ゆったりと椅子に腰掛ける。洗練された心地よい空間。ふと、隣の席からの会話が耳に入る。「発表会のリハーサルでね、家の子ったら…。」「まったく、人前に出れば、ダメでしょう。」ひょえ~っ(//▽//)。多分、ピアノのお稽古事についての愚痴?これでは、うっかり何も言えない。身の縮む思いで、こそこそ会話をする。耳は、お隣の会話に向けて、ダンボ状態。「それで、先生ときたらね、難しい曲を平気で与えるもんだから…。」心の安まる隠れ家。探しておりますm(..)m。

大切なもの

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パソコンが置いてあるデスクトップに挟んだ、思い出の一枚。ホテルでの食事の後、口紅を直そうとした途端に、さっと駆け寄った娘は、自分にもと唇を突き出した。この一枚を見る度に、「自分にとって、大切なものってなんだろう」って、ふと思う。仕事ばかりが優先してしまいがちな日々。時折、目をやる一枚の写真が、自分がいったい何者なのかを、思い出させてくれる。兵庫県尼崎市での、福知山線脱線事故から、今日で丸二年経ったとのこと。犠牲者107人、負傷者562人の大惨事。三回忌にあたるこの日、事故発生時刻に、警笛を長く鳴らしながら、事故現場付近を、ゆっくりと走る電車。ニュースの映像に、胸が苦しくなった。線路沿いから、列車に頭を下げる人々。車内で手を合わせる乗客。一瞬のすれ違い。向き合って祈る様は、事件の異様さを思い出させた。突然、大切な人を失ってしまった人達の痛みを思うと、やるせない。合掌。

ゼリーよせ

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「地元の学校で、トークコンサートをしてみては如何でしょうか?」えっ( ̄□ ̄;)!?新しい活動?あのぅ…、私今のところ、一杯一杯なんですけれど…。無理だと断る代わりに、性分なのか、「早速検討してみます」なんて、返事しているし…。まったく、もぉ~っ。ピアノという、たったひとつの楽器を中心に、仕事が、活動が増えていく。いや、広がっていく。教えて、弾いて、読んで、調べて、書いて、喋って…。全ては、啓蒙活動の一言で片付けられてしまうのだろうけれどね。そんな、大義名分なんて掲げていませんよ。与えられた仕事を、こなしてきただけ。人によっては、「好きなんでしょう」とか、「でしゃばりなのよ」なんて、置き換えるかも知れません(*u_u)。頼まれたら嫌と言えず、言わず、次第に仕事が多岐に渡るようになり、まるで「ゼリーよせ」状態。微妙なバランスで、まとまっています。たいていの場合、「ゼリーよせ」の見た目は綺麗だけれども、味はいまひとつ。「美味しいっ!」と、いうほどのことはない(>_<)。「ピアノ界のゼリーよせ」にならないように、頑張らなくちゃ。あっ、また奮起しているし。…性格なんです。目の前にあるチャンスを、掴める人とそうでない人がいると言う。どれが、チャンスなんだか、見極めることなんて出来ない。多分、どれもこれも、大したチャンスではないんだと思う。少しづつの積み重ねが、今に繋がっていくんじゃないかな。

言葉の魔力

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少しの背伸びが、人を伸ばす。無理な頑張りは、継続できないから、ほんの少しの努力を長く続けることで、何かは達成できる。生徒達に頑張ってもらうには、親の力と言葉の力を借りる。それにはコミュニケーションが大事。年に一度、保護者の親睦会みたいなランチをしています。明日は、その懇親会。千葉はゴルフ場が多いので、クラブハウスでお食事なんて、ちょっと非日常的で優雅よね~。そこで、毎年、「お家で練習させてねぇ」と、繰り返し呼びかけている。お稽古事は、何事であっても、家庭での協力があってこそ、習った成果が上がるというものですから、まずは親御さん方に背伸び、もとい、協力してもらいましょう。家庭で練習すること、教師からのコメントやメッセージに目を通すこと、レッスンにきちんと通う環境を整えること。そんな簡単なことだって、時折、伝えないと管理が疎かになってしまいます。同じことを表そうとしても、言い方次第で、どうとでも変わるもんです。「明るい人」を、悪く捉えるとすれば、「開けっ広げな性格」、更には、「がさつな人。」うわぁっ、これでは印象悪いよね。家庭での協力を呼びかけるに、どう言ったら良いものかしら?「皆さんの協力あってこそ、レッスンが上手くいきます!」これじゃぁ、まるで政治家の街頭演説になってしまう。「あなたの子供にしちゃ、頑張っているじゃない。」ふゎ~っ、横柄な言い方。「マイペースをベストペースに、アップしてね。」長嶋流トーク?「だれだって、練習さえすりゃぁ、それなりに弾けるようになるってもんだぜっ。」極道の妻風。「ピアノが弾けて、自分を必要としてくれる人がいるから、子供達にも続けて欲しいと思う。」これ、私流。あっ、ちょっと格好つけ過ぎたかな。えへへ…。

プロ根性にど根性

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私程度のピアニストは、使い勝手が良いのか、様々な仕事が舞い込んで来る。いつも演奏する環境が良いとは限らないけれど、どんな状況でも、笑顔を絶やさずに弾いているv(^-^)v。プロ意識といえば、それくらいしか無いのですけれどもね。小学校の体育館で弾いた時のこと。グランドピアノは動かしてはいけないと、調律師に言われたらしく、固く信じている学校側は、ピアノは舞台の袖に置いたまま、動かしてくれなかった。結局、赤いビロード・カーテンの陰で、演奏したことがある。ピアノの足には、移動のための滑車が付いているんだけれどねぇ…。カーテンの陰で聞く拍手。なんだか、今ひとつ力が入らないように聞こえてきた。幼稚園の講堂で弾いた時、小さな子供達が、寄ってきて、一緒になってバンバン鍵盤を叩き始めた。ピアノに興味を持ってくれたのは、良かったけれど、誰か止めてぇ~の境地(><;)。「お席に戻ろうねぇ。」出来る限りのやさしい声で話しても、聞いてはくれない。もちろん、慌てずに笑顔で弾き続ける。共演しばし。結局、園児達は、母親に引きずられるように、悲鳴と共にピアノから引き離された。レストランのディナーショーに出させてもらことがあったけれど、それは難しい仕事だった。始めは静かに耳を傾けていても、食事が出され始めれば、食器はガチャガチャ、お喋りワイワイと賑やかなこと。もはや、ピアノ演奏は、BGM以外の何物でもない。フォルテで弾こうものなら、お喋りのボリュームもピアノの音量と一緒に上がる(T_T)m。ロサンゼルスで、野外のピクニック・コンサート、ハリウッド・ボールと呼ばれるクラシック音楽のイベントに、出掛けたことがある。コンサート前に、まだ明るいうちから、各々持ち寄ったお弁当を広げワイワイ楽しんでいた観客は、日が暮れて、いよいよコンサートが始まろうかというと片付け、静かに聴き入っていたもんですがね…。図書館のロビーでの、トークコンサート。冬だったものだから、ロビー入り口の自動ドアが開く度に、冷たい突風が舞い込んできた。弾けば弾くほどに、指が冷えていったっけ(/_;)。肩を出したドレスで、ガマン大会。マイクを持つ手が、寒さで震えていましたね。あの時、聴いている方々も、しんしんとした冷えが、堪えたんじゃないかしら。どんな状況でも、笑顔で弾くこと。それが、ど根性に支えられたプロ根性ってもんだっ!なぁんて、信じ込まなきゃ、やっていられないことも多々ありますσ(^-^;)。昨日のトークコンサートも、いつものように、ドラマがありました。ガラスドアの向こうから、お店に入ろうとして、ピアノを弾いている私と目が合って困っていた方。吹き抜けの二階から、身を乗り出して聞いていた男の子。泣き叫んでいた赤ちゃん。ピアノが上手になるから握手してって、手を差し出した女の子。自分の持ってきた花束が一番小さいと、嘆いていた方。皆さん、聴いてくださって、ありがとうです。ディーン&デルカ。ニューヨーク発の、お洒落な食材屋さん。六本木に行ったお土産にと、そこのオレンジケーキとチョコレートを頂きました。演奏に興味をもってくれること。それが、何よりのご褒美です。

烏骨鶏の卵

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産みたての卵を頂いた。お会いしたこともない方から。「先日のリサイタルが良かったから、また聴きたい」との言葉を添えて。感謝です。暖かい言葉は、何よりのエネルギー源でして、まだまだ頑張れる気になります。介してくださった方に聞いてみれば、その方は、平日は卵農家に働きに出ているとか。たまの休日に、聴きに来てくれたんですね。形の小さな物やら、殻に傷が少々あるものは、商品としては、はじかれてしまうんだとかで、それを箱一杯に詰めたのを預かって、自宅まで持って来てくれた。青味がかった卵は、烏骨鶏の卵で、小さな卵は、若い雌鶏のものなんだそう。えっ?それじゃ、大きな卵は年寄りの卵ってこと(→o←)ゞ?思い込みの激しい私は、これからはLサイズの卵は、遠慮することにしようかと思った(^_^;)。

古い写真

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おもちゃのテーブルに並べた食べ物は、全てミニチュア。ミニチュアの玩具は、どこかレトロな風合いがあって、懐かしさを呼びます。ところで、「あなたにとって懐かしい曲は?」と、問われたら、何が思い浮かびますか?初めてポップスを聴いたのは、小学生だったかな。まだ大学生だった叔父は一緒に住んでいて、レコードを買ってきては、それはそれは大切そうに、レコードに針を落としていたっけ。カーペンターズや井上陽水。その後、中学になった私の友人達は、ベイシティー・ローラーズという、タータンチェック柄の衣装に身を包んだ、アイドルのはしりみたいなバンドに、黄色い声をあげていた。巨人の原監督が、甲子園で活躍していた頃の話。どちらにも興味は無かったけれど、騒いでいる友人達を見て、ファンになるというエネルギー現象に、初めて触れた思いがある。高校になって、遅まきながら、自分からポップスを聴くようになっていった。トトとか、ビリー・ジョエルを聴いていたのは、ませた友達の影響。当時、テレビやラジオで頻繁に流れていた、サザン・オール・スターのスロー・バラード、「いとしのエリー」は、気に入っていた。大学生の頃に、東京ディズニーランドがオープンした。意気揚々と車で出掛けたものの、あまりの長蛇の列に、とうとう入場をあきらめて帰ってきた。車の中でずっと聴いていたディズニー音楽。あの頃は、カセットテープが最新だったなぁ…。それを聴けば沢山の思いが蘇える曲って、ありますよね。まるで、アルバムを開き、古い写真を眺めるようにね。依頼されたトークコンサートでは、お客さんの層によって、様々なジャンルから演奏曲を選択することもあります。それが、誰かの思い出の一曲かも知れないし、今日聞くことによって、思い出の一曲になるかも知れないしね。明日のトークコンサートでは、ラテン音楽をちょっっぴり弾きます。以前に打楽器奏者でラテン音楽の匠、藤田浩司氏とご一緒させてもらった時、ピアノでラテンを初めて弾いたんですね。それまで、大学の頃に、電子楽器(巷でエレクトーンって呼ばれてるやつ)を、少しかじっていて、教本に出ていたラテン音楽に触れたことがあっただけ。そんな事情は、恥かしくて言えませんから、隠してリハーサル。ラテン音楽は、なにしろ、リズムが難しい…。どう難しいかと言うと、同じリズムをず~っと一定に刻むことが難しい。しかも一生懸命に聞こえたらマズイ。極意は、リズムを何気にのって刻むこと。曲の終わりは適当に合図するからって。ふぇ~ん!!クラシック音楽畑を歩いてきた私は、決められた通りに、かっちり事が運ばないってのには、どうにも慣れない。「クラシックのピアニストにしては、なかなか上手い。」やさしい藤田氏は気を使って、そう言ってくれながらも、リズムの甘さを何度も駄目出ししてました。きっと、いらいらしながら、お付き合い下さったことでしょう。あの時は、しっかりラテン音楽を勉強させていただきました。夜遅くまで、マンボやチャチャチャを、狂ったように練習していましたね。近所の方々は、いったい何が起こったのかと思っていたかも知れません。お陰さまで、「エルクンバンチェロ」、思い出の一曲として、トークコンサートで弾くレパートリーに取り入れてます。

現品限り

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近くの家具屋が倒産のため店じまい、との折り込み広告が入ってきた。何だか、前にも見たような…?広告には、「今度こそ閉店」と、書いてある(*u_u?)。通り掛かりに、止せば良いのに、宣伝を思い出して入ってみた。ベッドが壊れてきたので、必要ってことも、単なる好奇心ってことも手伝って来店。ベッドが陳列してある二階に上がる。ちらりと一瞥して、黒いヘッドボードがモダンなベッドに目がとまる。うん、これはちょっとばかしお洒落じゃない。値札を見たけれど、定価と書いてある価格から、たった二割引いてあるだけ。だいたい、定価っていったところで、怪しげだよねぇ~?騙されないぞぉ。「ベッドを、お探しですか?」「ええ、まぁ…。でも、店じまいなのに、値引きが二割なんて、ちょっと…。」きゃぁ、おばさん流の交渉開始っ(^_^;)!「こちらは、良いマットレスを使用しておりますので。」はいはい、そうくると思ってましたよ。店員さんは、値引く素振りも見せない。立ち去ろううとすると、「現品限りなので、ご予約だけでも」と、追ってくる。こうなると、もう欲しくはなくなる。階下に降りると、小物に目が止まった。ガソリンスタンドを模したCDラック。チャチな作りだけど可愛いじゃないの。現品限り、半額、って書いてある。「すみませ~ん、これください!」店員さんは、展示棚の下に積まれた箱の中から、一箱取り出した。彼は、ちっとも悪びれてはいなかったけれど、沢山あるのに現品限り?言葉の意味を知らないのか、はたまた騙されたか…o(_ _*)o。代金を支払ってから外に出て、気が付いた。そういえば、定価なんて怪しいもんだって、ベッドを見ながら、ついさっき思っていたのにね。多分、この店は、ずっと店じまいするんでしょうね(ρ_-)o。

死への憶測

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チャイコフスキーの話しの続き。1840年生まれの彼は、1893年に亡くなったのだから、53歳で亡くなったことになる。その時代にしては、そう短命ってほどではなかったでしょうが、もう少し永らえても良いよねぇ。彼の死には、いくつもの憶測が飛び交い、話しは出尽くされた観もあります。そんなこと、今更取り上げなくても良いとは思うんですけれど…。まずは、その「憶測」について、ご存知無い方へ。チャイコフスキーは、ピンピンしていたのに、突然他界してしまうんですね。考えられている死因を、要約してみますと、病気説、自殺説、暗殺説とあるわけです。①チャイコフスキーは、コレラで死亡と公的な発表があった。(彼の母親はコレラで亡くなっている。=世間を納得させんとばかりに、母親と同じ病名を使った?それって、チャイコフスキーが13歳の時だよ。彼の死因とは、関係ありえないじゃん。)②砒素による服毒自殺。(砒素は、友人の弁護士が用意したとされる。=親切すぎる友人だ。)③暗殺。(ロシア国家のスキャンダルを恐れて。=ちょっと、映画チックなシナリオ。さもありそうな話しだけれどねぇ…。)チャイコフスキーは作曲家として名声を確立した頃、彼がゲイであるという密告書が、ロシア皇帝アレクサンドル3世に届けられようとした。(同性愛は、当時社会的に許されていなかった。)その手紙が、事前に側近の秘書達の手に渡り、国家を代表とする作曲家の、スキャンダルを回避すべく、策を練る。回答は二つ。彼を当時の法律に従い、シベリアに流刑するか、あるいは、自殺して全てをなかったことにするか。チャイコフスキーは、二つに一つの選択肢を突きつけられる。ちょっと考えてみれば、三つ目の選択肢だってあったのにね。「ゲイのどこが悪い」って、居直り反旗を翻すとか。彼の臨終は最後の作品、交響曲第6番「悲愴」が、初演されて間も無くのこと。怪しげな突然死は、口さがない人々の想像力を、掻き立てます。世の好奇心を、煽る結果となったんですよね。あっ、かく言う私も含めて(Θ_Θ)。で、ここで話したいのは、もしチャイコフスキーが自殺を選んだとしたのなら、その理由について。もろもろの、鬱々とした感傷はあったろうけれど、チャイコフスキーのこれまでの作品が、スキャンダルによって、世の中で演奏されることが、今後無くなってしまうことを、一番に恐れたのではないかと思うんですね。だって、シベリアに流されたって、作曲活動にしがみつくことはできるじゃない。ワグナーなんて国を追われたって、自分のせいで困ったり、亡くなってしまう人々がいたって、「偉大な芸術家を支えるためなら、いたしかたない」って、デカイ顔で威張っていたしね。チャイコフスキーは、自分の名誉と作品を守りたかったから、自ら死を選んだのね。…という風に、憶測は尾ひれ背ひれをつけて、膨らんでいくわけです。チャイコフスキーは、自分の音楽を守るために自殺した。(直美説。)これが、ガセか事実か、だれも知らない。憶測とは、まぁ無責任なもんですから。

こんぺい糖

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チャイコフスキー(1840~93年)は、3大バレエ曲、「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」の、作曲家としてご存知の方が多いのでは?「ピアノ協奏曲第1番」だって有名だし、交響曲第6番「悲愴」は、クラシック・ファンなら知らない人はいないという傑作だし。でも、どれもこれも大規模な作品ばかりが知られている。ピアノのための曲も相当書いているのに、いまひとつ知名度が伸びない。その原因は、チャイコフスキーの悲観的なロマンティシズムに、問題があるんじゃないかって言う人もいるけれど、どうなんだろうか?それなら、ショパンやメンデルスゾーンやブラームスなんか、どうなのよって思いますよね。彼等の音楽だって、相当しみったれているじゃない。うんうん。チャイコフスキーは、次世代のロシア人ってところが、ネックだったのかもね。要するに、「西欧で栄えたロマン派のピアノ音楽を、今更外国人の君が真似しなくってもねぇ~」、って感じかな。チャイコフスキーのノクターン(夜想曲)Op.19-4を、中学生の男の子がレッスンに持ってきてね、ちんたら~ちんたら~と、つまらなさそうに弾いていたの。一喝。「あのねっ、チャイコフスキーはゲイだったのよ。ショパンが、好きな人を思って書いたノクターンとは、訳が違うの。自分がゲイだってばれたら、犯罪者扱いの時代よ!夜一人で、そんなこんなに悩むチャイコフスキーは、やるせないじゃないっ!!」途端に、顔を赤くしながら、理解しようと手探りを始めた生徒は、うんと考え深気な演奏を始めた。よっしゃ(#・・#)。本当は、チャイコフスキーがゲイかどうかは、音楽史上の謎なんですけれどね。想像力を働かせるために、シナリオを作ることも、しばしばありますよ。さて、週末に、「思い出の曲」のひとつとして、チャイコフスキーの、「くるみ割り人形」組曲より、「こんぺい糖」を選曲してみました。この曲には、壊れかけたオルゴールみたいな風情があって、好きなんですよ。チャイコフスキーが残したピアノ用の楽譜とは異なる、マイ・ヴァージョンで演奏します。しかし、何故に、「こんぺい糖の踊り」と、訳されているのだろうか?楽譜には、Dance of  the Candy Fairy、つまり、「お菓子の妖精の踊り」と、書いてあるのにね。一般的な意味のお菓子は、「こんぺい糖」に代表されてしまっている。 

あの手この手

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演奏会の後は、家中お花で一杯になります。玄関に置いたユリ。どの花にも勝る存在感と、誇らし気な匂いで、辺りを満たしていますね。頭のもげてしまった花も、水をはったお皿に浮かべて卓上に。こうすれば、もう少し楽しめるからね(^O^)/。この週末には、茂原に新しくオープンしたヤマハ音楽教室で、サロン・コンサートを開催します。ヤマハ主催の、トークコンサート。企画の目的は、「ヤマハ音楽教室で、ピアノ習いませんか?」ってことだから、曲目も万人に楽しんで頂けるよう、頭をひねってみました。小さなお子様には、ディズニー・メドレーやチャイコフスキーのバレエ曲を、中年にはポップスを、熟年にはボサノバかなぁ~(^ε^)♪。良く知られたクラシック曲を交えての、多彩なプログラムを組んでみました。万人向けファミレスみたいな、何でも有りのコンサートです(*^o^*)。あはは…。あの手この手で、ピアノ弾けたら楽しそうでしょうって、宣伝するのが仕事。こうしてみると、その昔、友達とバンドを組んだこと、結婚式場でバイトしたこと、パブで弾き語りのバイトしたこと、ジャズバーに飲みに行ったこと、電子楽器を教えていたことなどなど、全て役に立っているんですよね。人生、一見無駄に思えることも、必要なのかも知れないねぇ…。明日から、また今週末の演目に沿って、このコラムを書いてみましょう。お楽しみに。

演奏会後記

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「ピアノの練習の合間に、生徒さんを教えていらっしゃるのですか?」こう質問され、はたと詰まってしまいましたね。今まで、そんなこと考えたことも無かったけれど…。現実、レッスンの合間を縫って、練習しているんですよ。生徒とのレッスンは、契約。約束事ですから、優先していますね。正直、葛藤だらけの日々です。「う~ん、ピアノ教えている場合じゃないんだよね。練習しなくっちゃ、時間が足りないっ。」「ありゃ、時間をやりくりして、レッスンをしなきゃ~。」まさに、時間との戦い。ジレンマに押し潰されそうになりながら、日々が過ぎていきます。今回、ソロ・リサイタルを開催するにあたっては、レッスンは五日間だけ、お休みさせてもらいました。理想なんですが、日常を保ちながら事を成していく方が、何事も継続できるのではないかと考えていますから。でもね、日常には様々な予期せぬ出来事が、起こるんですね。大きなため息、はぁっ…。実際、二日前になっても、暗譜のおぼつかない曲があったりして。ひぇっ~。以前、ピアニスト仲間内で、「三週間前に暗譜したような曲は、弾きたくないよね」って、話しをしていたのに。リハーサル中に暗譜していたのだから、まったくもぉ。火事場のクソ力じゃないけれど、舞台の上では、すごい集中するんですね。お聞き苦しい点もあったかとはおもいますが、本番ならではの良さもあります。(終わってしまうと、これまたエライ前向きに変貌するんです。)静かに耳を傾けて下さった皆様、ありがとうございました。二足の草鞋(わらじ)って言いますけれど、草鞋も二足以上は、履いてますね。上手く履けているかどうかは分かりませんが、とりあえず、どれも脱げちゃぁいないから…。まぁ、いっかぁ~。どこか、適当なんです。この精神で、ぎりぎり乗り切ってますよ。ひとつ演奏会を終えると、次がある。その昔は、大きな演奏会が終わって、一ヶ月位は気が抜けて、練習もあまりせずに、腑抜け状態で過ごしていましたが、スケジュールが混んでくれば、そうそうぼんやりもしていられない。溜まっていたレッスンをこなしながら、練習を続けることに。レッスン室に、レストラン・ガイドを置いて、練習の合間にながめるだけの日々。美味しそうだなぁってね。ふぇ~ん。

水槽の中に棲む

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1831年、21歳のショパンはパリへと上京し、そこで著名な音楽家達、リストやメンデルスゾーンを紹介される。1835年、ショパンは、旅のついでにライプツィッヒで、メンデルスゾーンの家を訪ねた。その地では、クララの父親ヴィーク氏宅にて、シューマンとクララにも会っている。パリに戻ったショパンは、リストの紹介でサンドと出会い、1837年から付き合いを始め、その関係はショパンが39歳の若さで死ぬ2年前に捨てられるまで続く。付き合いだした頃、画家ドラクロワに描いてもらった二人の肖像画は、破局の折、真っ二つに裂かれた。もったいない…。その後、1840年に結婚したシューマンの方は、間も無くしておかしくなっちゃうし、妻クララはブラームスと不可解な関係を死ぬまで続けるし…。リストは、リストでお金持ちの人妻達と散々浮名を流し、中でもダグー伯爵夫人とは三人の子供までもうける。しかし、リストの性格に嫌気の差したダグー夫人に、「成り上がりのドン・ファン」と、三行半を付き付けられ、10年に及ぶ関係も終わる。三人の子供の一人、コジマはリストのエゴイスティックな性格をそっくり受け継ぎ、指揮者兼ピアニストのハンス・フォン・ビューローと結婚するものの、ワグナーの愛人となり駆け落ち。まぁ、確かにハンス・フォン・ビューローよりワグナーの方が、うんと大物だからねぇ。妻を寝取られても尚、ハンス・フォン・ビューローは、ワグナーを師として仰いでいたって言うから、もはや常人には理解しがたい。年表を見てみると、ワグナーって、リストと年の差がないんだよね。2歳年下の義理の息子かぁ。 二人とも、呆れるほど利己的で、自惚れやで、不誠実という点で、共通する面はあったようだけれど…。恐るべき親戚関係!なんだか、小さな水槽で泳ぐ観賞魚のよう。狭い世界で、我が身の美しさを鼓舞しながら泳ぐんだもの。彼等の音楽を鑑賞するときに、一番気に掛かるのは、その人物像なんですね。誰しもが、善と悪の部分を持っていて、それをどう表現していくかなんです。産出された音楽は、人となりであるわけですから、解釈する側が作曲した人物をどうとらえるかによって、味わい方も違ってきます。結局は、誰しもが決められた世界で生きているから、他人の世界を覗くのも面白いってことかな。覗き見をもっとなさりたい方は、「恋する大作曲家たち」(フリッツ・スピーグル著、音楽の友社出版)を、お読み下さい。

葬送行進曲

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かの有名な「葬送行進曲」は、ショパンのピアノ・ソナタ第2番の第3楽章にあたるんです。モーツァルトのトルコマーチが、実は、ソナタの終楽章であるって、知らない人が案外いるのと同じくらい、意外に受け止める人もいるのでは?ハイドンは50曲余り、モーツァルトは18曲、ベートーヴェンは32曲も、クラシック時代と呼ばれる18世紀に、有能な先人達は、いいだけピアノ・ソナタを書いた。次世代のロマン派組は、先輩たちの偉業にまずチャレンジし、1~2曲ソナタを作曲してみるものの、「あぁ~、敵わないから、やぁ~めたっ!」とでも言うかのように、ピアノ・ソナタという形式を捨てる。その中でも、ショパンのソナタは、ロマン派によるピアノ・ソナタとして、健闘しているんですね。ショパンは、計3曲のソナタを書きましたが、その内第1曲目は、学生の習作にすぎないとされ、演奏されることはあまりないんですね。もっぱら演奏されるのは、第2番と第3番。ピアノ・ソナタ第2番Op.35変ロ短調は、1839年に作曲され、翌年に出版されている。ただし、葬送行進曲は1837年にはすでに、出来上がっていて、後でソナタの第3楽章として、挿入されたとか。行進曲が重い足取りを表し、せつせつと悲しみを誘い、中間部ではノクターン調の美しいメロディーが、人の心を慰める。絶望の中にも、新芽が芽吹くような、穏やかな希望が感じられます。全体を通して、陰気な雰囲気をもつソナタです。ショパンらしいです。第4楽章は、病人の吐息をイメージさせる楽想。うぇ~っ…。嫌いなんで、代わりに「英雄ポロネーズOp.53」で、締めくくってみました。だって、華やかに威勢よく終わりたいしねぇ。あはは…。

パートナー

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ショパン(1910~49年)の「雨だれのプレリュード」。24のプレリュードOp.28の、第15番目にあたる曲。「雨だれ」とは、誰がつけたのか、あだ名です。確かに伴奏部に、雨のしずくのようなポツポツとした音が、途切れなく刻まれる。恋人、女流作家のジョルジュ・サンドと、彼女の子供たち(サンドは、未婚の母として、男女二人の子供をもうけていた)と連れ立って、マジョルカ島に 静養にきたはずのショパン。ところが、島の人達は、咳き込むショパンをみて、当時は不治の病とされた結核に、感染しているに違いないと恐れた。まぁ、結局のところ、結核ではあったんですけれどね。家も貸し渋り、食料の値段もわざと吊り上げる。歓迎してくれないのは、島の人達ばかりではなかった。天候にも恵まれなかった。パリの寒さを避けるべく、温暖なマジョルカ島にやって来たのに、この年ばかりは、何の異変か、寒くて長雨が続いた(;_;)。それを恨めしげに、窓から見やりながら作曲したのが、「雨だれのプレリュード」。都合の良いシチュエーションだけれども、実際には、マジョルカ島に渡ってくる前から、既に作曲してあったそう。なぁんだ…。サンド自身も、「完全な失敗であった」と、認める悲惨なマジョルカ島での休暇の後、不機嫌な関係は回復せず、むしろ長い時間を掛けて、崩壊へと向かっていった。27歳で出会って以来、10年近くも同棲していた二人は、何故に別れたのだろうか?破天荒で男勝りな性格、と言われるサンド。彼女に、エゴの塊と、こき下ろされたショパン。性格の不一致?いつも病気がちの、気難しい、自己中のショパンに、サンドは辟易してしまったからかなぁ…(-.-;)?母性的愛情をもって、面倒を看たともされているのにね。看病疲れ?美しく成長したサンドの娘、ソランジュに、ショパンが恋心を抱くようになり、サンドはそのことに腹を立てたから?サンドに、別の愛人ができたから?本当のことは、分からない。サンドとの別離から、わずか2年、39歳の若さで、枯れるように亡くなったショパン。多くの人は、サンドの魔性により、ショパンは殺されてしまったのではないかと推測する。ショパンも、もっと優しい人と一緒になっていれば、そう早死にしないですんだのにねぇ…と。しかし、サンドは、こう言っていた。「もし私がいなかったら、ショパンはあそこまで生き永らえなかったでしょう。」さすが、剛腕な姉さんだ。

クララ・シューマン

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クララ(1819~96年)は、シューマンとなんて、結婚しなければ良かったのにねm(_ _)m。学識のある方々は、なんてこと言うんだと仰るでしょうが、女性として、いたく同情しますよ。クララの父親ヴィーク氏は、有名な音楽教師であり、スパルタ方式で、クララをピアニストとして成功させることに、全力を注いでいた。ヴィーク氏は暴君であり、クララがわずか5歳の時に、母親は彼の暴力が原因で離婚し、出ていった。クララにも、かなりの体罰も与えていたらしい。それって、家庭内暴力DVじゃないのっ!娘クララは、天才児育成を掲げたヴィーク氏の、音楽教師としての看板でもあった。それを、どこの馬の骨とも知れない、文学青年だか、音楽家志望だか、将来の決まっていない青年になど、おいそれとやるわけにはいかない。法廷に持ち込んでまで、ふたりの結婚に反対していたらしいけれど…。力及ばずに、敗訴。さぞ、無念だったことでしょうね。クララは、父親の後妻、つまり義母にはなついていなかったというから、早いところ結婚して、過干渉な父親のもとから逃げたかったんじゃないかな。父親仕込みのお陰で、天才少女ピアニストとして、すでに評判を確立していたクララ。すったもんだの末に、21歳で結婚。その後も女流ピアニストとして演奏に携わり、クララが実際の稼ぎ手になっていた。ところが、シューマンは、その稼ぎを、こと細かに管理する。それだけでも、すでに印象悪いよね。旦那として、バツ(><;)。作曲家としてのクララ、現代になって、ようやく少し認められてきたけれど、シューマンは、クララの作曲を女の仕事とこき下ろしていた。最低な旦那だ!クララの作品は、妥当な評価を受けるには、あまりにも数が少ない。年中妊娠しながら(実質15年弱の短い結婚生活で、流産を除き8人も子供をもうけた)、稼ぐためにピアノを各地で披露し、そのために女中を雇わなくてはならず、わがままな旦那は気難しくなる一方で、精神病院の入退院を繰り返す。彼女には、作曲する時間がない。働く女性支援をなんて、今時政治家が掲げているけれど、クララの頃からそう変わっちゃいないし、簡単に変わるもんでもなさそうね…。時代が時代なら、クララはもっと世に認められていたはず、と言う人もいます。そうかも知れない。そうでないかも知れない。

ブラームス像

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ブラームス(1833~97年)は、煮え切らない。彼の人生も、彼の音楽も煮え切らない(-.-;)…。悩みあぐねるが、最後の一歩が踏み出せない。というより、詰めで逃げる。恋愛も音楽も、行きつ戻りつ。偉大なる先人、ベートーヴェンを模して、若い頃に大きなピアノ・ソナタも3曲ほど書いたけれど、評価はどれも今ひとつ。止しておけば良いのに、ベートーヴェンのソナタを意識して書いてしまったがために、かえって挫折感が大きかったろう。結局のところ、変奏曲や、ちまちました小さな曲の方が、良く書けている。ブラームスの両親は、姉さん女房だった(母親は、父親より七歳年上)。それがどう影響しているのか、分からないけれど、ブラームスは年上の女性に憧れる癖を持っていた。周知だが、ふた周り年上の先輩作曲家シューマン(1810~56年)の奥さん、ピアニスト・クララに一目惚れして以来、永年に渡り関係を続ける。どんな関係だったかは、憶測でしかないけれど、シューマンが精神を患って入院した後、ブラームスが代わって家計簿を付けていたりするから、世間のゴシップ的な憶測が、膨らんでしまうんだよね。その年の差14歳。そのクセ、シューマンが息を引き取るやいなや、クララとの関係に距離をおいたりして。クララ、へそを曲げる(#`ε´#)。かといって、他の誰かさんと、結婚するわけでもなく、生涯を独身で通す。寡婦クララとは、お友達関係を続け、金銭的にも援助している(?_?)。僕には使い道の無いお金なんでどうぞって。なんだか、踏ん切りの付けられない情けない男だなっ。ブラームスの心情は、「孤独だが、自由だ」、という言葉に尽きる。そうそう、インテルメッツォ3曲とラプソディーからなるピアノ曲集Op.119は、ブラームス最後のピアノ作品。孤独感と悲哀、厭世感に満ちているとされる。そりゃぁ、そうだろう。第1曲目のインテルメッツォは、クララへと書かれた。すでに、体調を崩していた彼女に、演奏されることはなかった。1896年に、クララが脳卒中で他界。その訃報を休暇先で受け取ったブラームスは、クララのもとへと急ぐあまり、汽車を間違えて、葬式に40時間も遅れて到着したとか。どこまでも、間の悪い男だ…。

青いラプソディ

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ラプソディ・イン・ブルーなどで知られる、アメリカの作曲家、ガーシュウインの生涯は、華やかに咲いて、さっと散っていった大輪の花に例えられる感じがします。ニューヨーク生まれの、ロシア系ユダヤ人。音楽に魅せられ、独学でピアノや和声を学び始める。音楽に没頭するあまり、17歳で高校を中退。デモ・ピアノ弾きをする傍ら、作曲に精を出す。デモ・ピアノというのは、この時代、新しい楽譜が出版されると、店頭でそれを弾いてみせ、楽譜の販売を促すという仕事。アナログ時代ならではの職業ですよね。ショーやレビュー、ミュージカルなどに曲を書き、「スワニー」がヒットして、世に認められ始める。そこに、ジャズ・バンド・リーダーのホワイトマンから、ピアノとバンドの為に曲を書いてくれないかと依頼され、たったのひと月という短い期間で書き上げたのが、ラプソディ・イン・ブルーという訳。ところが、それまでにオケのスコアなんて、書いたことのなかったガーシュウィン。オケのパートを含む、ピアノ・ソロ版を書き上げ、この初演時に書かれた譜面が、現在弾かれているピアノ・ソロ・ヴァージョンの原型となっている。後からグローフェという作曲家が、それをピアノとオーケストラのスコアにかきなおしたもの。初演は、そんなこんなで、ピアノパートの譜面を書き直す時間が無く、ガーシュウィン自身が、即興を交えて弾いたとか。ジャズの要素を取り入れたこの作品が、多くの同年代の作曲家達、ドビュッシー、ストラビンスキー、ラヴェル…、などに与えた影響は、大きいとされている。39歳の若さで病没。ガーシュウィンをクラシックの作曲家と認めるかどうか、論議を呼ぶところ。彼の作品は、クラシックかポピュラーか?千倉八郎氏による名曲事典、ピアノ・オルガン編(1971年初版)には、ガーシュウィンの名前すら挙げられていません。「つぎはぎ音楽」と批判しながらも、バーンスタインやラヴェル等、偉大な音楽家達をして、「自然に湧き出るような豊かな音楽性」と、賛美させてしまう、ラプソディ・イン・ブルー。曲名からすると、「ブルーな気分を盛り込んだ、自由で華やかなラプソディー(狂詩曲)」ってことかな。作曲技法をみれば青くても、魅力的なメロディーとリズムは、多くの人を惹きつけて止まないことも事実です。カテゴリーには、あまりこだわらなくても、よろしいのではないかと…。

プログラム・ノート

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クラシックコンサートで、演奏の合間に話しの入るトークコンサートは、今では珍しくもありません。その目的はというと、気軽にクラシック音楽を楽しんでもらおう、という点に尽きると思うんですね。これから聴こうとする曲についての説明があると、少し興味を持てたりしますからね。私がお客さんの側に座る時には、演奏家の人となりや、演奏に対しての姿勢なども窺えて、舞台との距離が縮まる感じを受けます。演奏する側にすれば、曲間に休みをとることもなく、ちょっと大変。弾くことと、話すことは、使う能力が違うんですね。弾いたり、喋ったり。頭の中では、始終くるくると考えが舞っているので、瞬時の切り替えが要求されます。だって、なれない頃は、ピアノを弾きながら、「あぁ、あんなこと言っちゃった」だの、「それ、言い忘れたしぃ~」なんて、集中欠くことこの上ない。逆に、話しをしながら、「あそこで、暗譜飛びそうになっちゃったよ」とか、「分かっているのに、走ってしまうのよねぇ」と、頭の中で、反省会を始めてしまうと、言葉が流暢に出てこない。大変だなぁと、思っていたトークコンサートも、慣れてくると、今度は話しから始めないと、緊張が解けないんですよ。慣れって恐ろしいよね…。さて、週末のトークコンサートに向け、明日から、演奏曲の説明を、このコラムにて開始いたしますので、是非ご一読下さい。先ずは、ガーシュウィンのラプソディ・イン・ブルーからです。

一期一会

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ルイジアナ州の州都バトン・ルージュから、車で4~5時間北に上がったモンローと言う町に、二年連続で行った。その町で開催された、モンロー・シンフォニー・オーケストラ主催のコンクールに参加するために。一年目に優勝した私は、翌年、ヴァレリーという学生の伴奏についていった。その街には、ヴァレリーのお婆さんが住んでいるという。そのお宅で、一泊お世話になることになった。お婆さんは、耳が聞こえないという。ヴァレリーは、お婆さんは唇を読むから、ゆっくり話しをすれば問題ないという。いやいや、問題は、こちらにあるのではないかと心配になった。だって、きちんと唇の形を考えてなんて、話しをしたことなんてなかったから。通じなかったらどうしよう…。ヴァレリーのお婆さんの家は、決して裕福ではなかったけれど、質素ながらも清潔に心地よく整えられていた。白い花模様のペイントされた家具で揃えられた小部屋は、以前娘さんの一人が使っていたもので、今は客室にしているという。案内しながら、疲れてはいないか、明日は何時に出掛けるのか、朝食はパンかパンケーキのどちらが良いかなど、途切れなく聞いてくる。発音は、ハッキリとまではいかないけれども、外国人の私が会話していても充分に聞き取れるほど、問題なく話しができる。あまりに自然に振舞うお婆さんに、こちらの緊張も解け、ついつい耳が聞こえないことを忘れて、顔を見ていないときに話しかけては、ヴァレリーに、「それじゃ分かっていないよ」と、注意されていた。翌朝、パンケーキの焼ける匂いで、眼が覚めた。食べ残したパンケーキは、ラップに丁寧に包んで、冷凍庫に入れていたっけ。こうした方が、後で美味しく食べれるのよって。物を、大事にしているんだよね。耳の聴こえないお婆さんは、コンクールにはもちろん来なかった。身支度を終えた我々を、ドアのところで見送ってくれた。一期一会。二度と会うことはないかも知れない人達の、少しづつの好意に、今の自分は支えられている。ヴァレリーが、その時に弾いていた曲は、プロコフィエフのピアノ協奏曲1番だった。プロコフィエフ、二十歳の頃、ペテルスブルグ音楽院にまだ在学中に書いた作品。一楽章編成で、習作とされてはいますが、ロマン派に近現代のスパイスを効かせた作風で、ある意味馴染み易い曲ですよ。

コンツェルト

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ピアノ協奏曲(コンツェルト)。ピアノとオーケストラの共演。ピアニストにとって、これほど華やかで、緊張感いっぱいに胸がわくわくと膨れる演奏形態は、ほかに無いんじゃないかしら。初めてのコンツェルトは、渡米してから勉強したんですよ。初めの頃は、グリーグや、ショパンなんかを弾いていましたね。その頃は、たった一楽章でさえ、弾くのが大変で、ひいひい言っていたものです。「コンツェルトなんて、オケ伴奏付きのピアノ・ソナタみたいなもんだから」って、言われた日にゃ、「そんな簡単に言わないでよって( ̄□ ̄;)!!」 むきになって怒っていたくらい、経験も余裕も無く、精一杯でしたね。日本の音大に通っていた頃、学生達にはがつがつした向上心は、あまりなかった感があります。私の周りがそうであっただけかも知れませんが、入学さえしてしまえば、目的達成みたいな風潮もあった。大学側も、万遍なく目が行き届いた学び舎環境を、全ての学生に用意していたとは、決して言えないでしょう。ピアノ・コンツェルトはおろか、室内楽などアンサンブルの類さえも、経験させてもらえることは無かったし…。学年末に、たった1回の演奏試験程度では、腕前も上がるわけがないですよ。まぁ、一学年に170ものピアノ専攻の学生がいれば、全ての学生にアンサンブル経験をなんて、しょせん無理な話しよね。音大を志願する学生の数が減少し、各大学が学生確保に喘いでいる今とは違い、当時は音大人気だったから、学校側も のんびりと構えていたんでしょうけれどね。それはさておき、イースタン・ミシガン大学で、学内のコンツェルト・コンクールに勝ったのが、生オケとの初めての共演でした。入賞者のコンサートに、学生オケと出演することになり、それからが大騒ぎ。それまでは、第2ピアノがオケの部分を弾いてくれていたから、オケとの合わせなんて、大して難しくないかと思っていた。初めてのリハーサルは、ショックの連続。まずは、ピアノの後ろから、大勢が一斉に音を出した時の臨場感たるや、心臓が一気に高鳴る。楽団員が、一挙一動を確かめるように、こちらを見ているのが、やたら気になる。(本当はぼうっと眺めていただけなんでしょうが、このシチュエーションでは、自意識の塊に変貌しているので…。)ホルンは、決まってソロのパートになると、プォ~ンって音程をはずすし。ヴァイオリンの音程が厚い。ちょっと速く弾きたくても、ついてこない。テンポを上げようものなら、終止がずれる。テンポはきっちり、拍は相手に明確に分かるように。(相手が学生オケなので、自由が利かない。)指揮者のリード先生は、本業はバンドのリーダーで、ピアノ・コンツェルトは良く知らないなんて、あたりをはばからずにあっけらかんと言ってしまうし…。で、しばらくメトロノームと合わせる練習が続いた。相手が、一人、二人位ならテンポの細かい操作もできようってもんだけれど、相手が30人とか、束になれば意思の疎通は難しい。規制された中での自由。クラシック音楽の基本を、改めて思い知らされた次第です。この経験を踏まえると、プロのオケは上手いなぁ、すごいなぁって、それまでと違った視線で鑑賞できるようになりましたね。ソリストに、ピタッと寄り添うし、時には、リードするし。格好良いなぁ~ってね。四ツ谷駅前の橋の欄干。近くに上智大学があるだけあってか、おしゃれだなぁ~。感心。

賞味期限

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二十歳までに、芽がでなければ駄目だね。十代の頃に、当時習っていたピアノの先生から、そう言われた記憶がある。神童と騒がれるほどではなかったから、一般論として聞かされたのだと思う。指導者が、限界を告げてしまうのは、如何なものかと、今にしてみれば思いますけれどね。渡米後、縁があってお世話になった恩師ガーツ師が、「僕はねぇ、去年より、ましに弾けるようになったのさ。そう思える限り、前進しているんだよ」と、ご自身のことを、そう言われたのを聞いた時は、新鮮なショックを受けましたね。当時、ガーツ氏は五十代後半だったと思う。その年で、まだ可能性があると言う。その頃、二十歳代の私からすれば、初老に差し掛かった感じ。それなのに、上達しているって言うんですよ。すごいよね。ピアノは、弾き続けている限りは、賞味期限は、こないということなんだろうか?ヴァイオリンやクラリネットや歌のように、自らピッチを探し当てなければならない演奏家は、加齢と共に、聴覚の衰えが影響してしまう。もちろん個人差はあるけれども、演奏家としてのピークがあるかと思う。その点、ピアノにピッチの心配はないからね。しかし、とある演奏会でのこと。八十歳を越えたピアニストが、達者に弾かれていた。歩く姿はよぼよぼなのに、ピアノに触れた途端、自由に表現するのだから、驚いたのなんのって。但し、プログラムと違う曲を弾き始め、こちらが戸惑っていたら、突然予定のノクターンを弾き始めたんですよ。途中で堂々巡りをして、はらはらさせられたけれど、なんとか終わりまでこぎつけて、平然と舞台から去って行った。あっぱれ!加齢による、まだらな記憶力は、いかにしても避けられそうにもない…(ρ_-)o。そうそう、先日、山のように貰った苺の行方が気になる方へ。生徒達におすそ分けしても、食べきれない苺は、実がしんなりとしてしまう前に、苺ソースにしてみました。簡単レシピをご紹介!耐熱ボールに苺、砂糖、レモン汁、そこいらにある洋酒ちょっぴり(あれば)を適当に入れて、電子レンジでラップなしで五分位チンするだけ。日持ちはそれ程しないけれど、生のままよりは保存が効くし、ジャムよりさらっとして美味しいですから、是非お試しあれ。

侵略者

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婦人を複数形にすれば、womanはwomansではなく、women。そんなこともちろん知っていても、英語が母国語でないと、うっかり間違えて口にしてしまうことだってある。キャンパスを、同僚のロンと歩きながらの会話の途中、ついwomenをwomansと言ってしまった(>_<)。流れていた会話が途切れ、まじまじと、顔を見つめたロン。「君達東洋人は、そうやって器用に言葉も音楽も真似ていくんだよね。何か、侵略されていくような気がするよ。」口調はふざけた風だったけれど、ロンの眼鏡の向こう側の目は、ドキッとするほど笑っていなかった。いまだに、その時に感じた、変な居心地の悪さは拭えない。本を読んだりした知識から、黒人に対する人種差別の感情は、理解していたと思っていたけれど、その矛先が自分に向けられたとき、なんにも分かっていなかったことに気が付いた。隣の助手部屋には、同じ門下のベッキーが、陣取っていたことがある。会えば三度に一度くらいは、挨拶を返すものの、どこかよそよそしいベッキー。彼女は、白人の学生達とは親しげに会話するが、私たち東洋人とは、話しをすることさえ避けていた。ドアを開け放って、友達と、お喋りに興じていても、私が自分の部屋に入ろうと鍵を回すより早く、ドアをバタッと閉めることも度々。彼女の父親は、白人優位主義者らしいとかの噂を聞いて、げんなりとした。ミシガン州は、保守的であるとは聞いていたが、保守的の意味にも色々な含みがあるらしい。人種のるつぼ、サンフランシスコで、始めの一年弱を過ごした頃は、自分が差別される対象だなんて、ちっとも気付かなかった。そうね、東洋人は有色人種なのよね。差別されて、初めて理解できる不快感ってあるんですよ。金魚草は、その名から受けるイメージより、洋風な花だと思う。水揚げさせるために、少しずつ茎を切っていたら、とうとう頭の先っぽだけになった。それでも、花器をグラスに代えて、最後の花が枯れるまで飾る。

ヘ音記号君

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自慢じゃないけれど、うちには、変わった生徒が沢山います。特に男の子。不器用なんだけれど、良いピアノを弾くのがいるんです。楽譜はゆっくりとしか読めないし、指だって回る方じゃない。髪型は関係ないけれど、坊主頭だし。でもね、彼の場合は、頭と指の代わりに、心が動くんですね。それはそれは、しみじみと音楽を奏でることが出来る。先日、ジュニア・クラシック・コンクールで三位に入選して、サンキュー・カードを書いてくれました。これからも、いろいろな曲を弾きたいから頑張るって。う~ん、そりゃ、長丁場になるわぁ♪(*^ ・^)ノ⌒☆。カードには、音符だのシャープだの、音楽記号が描かれていてね。微笑ましいこと。あれっ…?ヘ音記号に点々が無い(?_?)。変わっているといえば、ちば音楽コンクールで一位になった子がいる。ピアノを始めて間もないのに、達者に弾く。これがまた、落ち着きの無い子でね。世間では、注意散漫と言われるんだろうけれど、色々なことに気が付くと、黙っていられない性分なのよ。ピアノを弾いていると、それが良い作用を及ぼすのね。音に対しても敏感に反応して、こだわって弾いてくれる。私が伝えたい、ちょっとしたニュアンスも、聞き逃さない。その曲が、気に入ればね。彼の集中力といったら、半端じゃないの。それから、毎回のように、レッスンで泣くのがいる。体は縦に横にデカいのに、ポロポロ涙をこぼす。叱っても、諭しても、誉めても、優しくしても泣く。今じゃ慣れっこになって、ティッシュの箱を椅子の後ろに置いて、泣こうが何しようが、レッスンを構わず続けてしまうの。この子も、感情豊かに、デリケートな素晴らしいピアノを弾くのね。彼の数々の輝かしい賞歴は、もちろん涙無くしては語れないんでしょうけれどね。あはは(=^▽^=)。みんな、主役を飾るト音記号というより、どちらかというとへ音記号君達だ。いい味だしてるねぇ~。器用が尊重される昨今。何においても、スピードが要求される。「マイペースで良いのよ」、とは言うものの、なかなか世間が良いとは言わない事情もあるけれど…。これも良いし、あれも良いと言える感性を、育てる側が持たないとね。

でしゃばり

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伴奏は経験という慣れで、力が付いていく。アメリカの大学で、助手の仕事の一つとして、数多くの伴奏をこなしていた頃があります。お陰で、譜読みは鍛えられて、早くなりましたね。歌、合唱、フレンチ・ホルン、クラリネット、フルート、ヴァイオリン、ビオラにチェロ、おまけにトランペットやチューバに至るまで。この教授の部屋に行ってね、あの教授が呼んでいるよ。指示されては、学内の教室を訪ね歩いて、伴奏をしていました。中でも、一番多かったのが歌。そして、一番トラブルに悩まされたのも、歌の伴奏でしたね。歌姫達の中には、あたかも下僕に対するかのように、伴奏者に指示を出す姫もいましたから(Θ_Θ)。「今日は喉の調子が悪いから、2度下げてちょうだい。」(2度?もっと下げたほうが良いんじゃない?声、裏がえっているし…)「ちょっと、そこで合わせてちょうだいよ、息が続かないんだからさっ。」(はいはい、お待ちいたします。)そうそう、歌科の教授、ミセス・ロイドには、クビにされたことがありました。レッスンでのこと。ミセス・ロイドが、何度歌ってみせても、リズムの取れない学生。業を煮やした空気に、何もすることのない私。どよ~ん。何気なく、そのメロディーをピアノで弾いてしまったんです。はっと顔を上げると、ミセス・ロイドの厳しい目線と目が合う。でしゃばるなって。まずいっ(>_<)。その後、ミセス・ロイドに呼ばれることは、二度と無かったんですね。近所の苺園は、5月の連休で店じまいします。もうすぐ苺の季節は終わりだねと、立ち寄って一箱買ったら、こんなに沢山おまけをくれました。缶ビールの空き箱で作った容器いっぱいに、詰まった不揃いの苺。ラッキー(^O^)/

タイプ診断

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奥さんが突然に亡くなり、その事実に耐えられないと、精神科医の友人に相談を始めた旦那さん。ところが、放映後のちらついたテレビ画面を、いつまでもぼんやりと眺めている子供の姿に、精神科医は本当に治療が必要なのは君ではなく、放置されたままの子供だよと指摘した。こんなストーリーを、どこかで読みました。人生の歩みの中で、何か突発的な出来事に出くわしてしまったら、あなたならどうしますか?先の話しになぞらえると、父親みたいに、かぁっとなり自己中心な思考に陥るか、はたまた精神科医のように、客観視する冷静さを保てるか。百円紙幣。子供の頃、青っぽい五百紙幣は、まだ流通していた記憶があります。百円紙幣は、ピン札の状態で見付けたのね。まるで、宝物を掘り当てたくらいのテンションで喜びましたね。その割には、大切に保管もしないで、テーブルの上に置きっぱなしにしていたの。ふと見れば、2つ折りに!うきゃあ~(((゜д゜;)))。これ、誰が折ったの?家中犯人探し。…ということで、パニック時には、自己中心的対応をとるらしい。周りの皆さま、お気を付けあそばせ。

エイプリル・フール

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エイプリル・フールに、何か気の利いた嘘、考え付きましたか?なかなか、上手な嘘って付けないもんです。小学生の頃のこと。ピアノのレッスンに行くたびに、母が喧しく、丸◎をもらってきなさいと言うんですね。練習嫌いだった私は、母が仕事でレッスンについて来ないのを良いことに、自分で勝手に丸◎を付けては、知らん顔をしていました。特にツェルニー(*^_^*)。先生は気付いていたのかどうか、何も言わなかったのですけれど…。今思えば、嘘を付くから、次々に新しい曲をさらっていかなくてはならない羽目に陥っていますよね。あはは…。バケツ一杯、プリンを食べれたらなぁ~。ゼリーの海で泳いでみたい。そんなバカバカしい子供じみた夢を、いまだに見ますか?ブドウ味のゼリーを、大きなボウルいっぱいに作ってみました。泳げるほどではないけれど、お玉ですくって器に分ける。ちまちまとカップに入ったゼリーじゃ物足りないよね~。「練習しろぉ」と、生徒相手にまくし立ててはいるけれど、童心も忘れてはいません。練習が大変なことは、毎日よ~く分かっていますからね。現在、仕事をしながら、1日にたったの2~3時間、練習に割くことだって大変なんです。たったの2時間\(゜□゜)/?そんなに弾くの?たった、それっぽっち?人に寄ってリアクションは違うと思いますが、約2時間に及ぶコンサートをこなしていかなくてはならない身にとっては、雀の涙ぽっちの練習量なんですよ。時折、7時間も8時間もの練習量が必要と明言する大人がいると、耳にしますが、そんなことを子供に強要したら、ピアノを止めてしまいますよ。学校にだって行かなければ。友達と遊んだり、メールしたり、部活や塾だのなんだのと、子供は忙しい。子供に非現実的な長時間の練習を強いる前に、継続出来るかどうか考えてものを言いましょうね。
プロフィール

鈴木直美

Author:鈴木直美
ピアニスト、指導者として活動中。
Suzuki Piano School主催。
VERY GENE ドレスショップオーナーを務める。

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