究極のドンマイ

20070331203009
「音源、聴けますよぉ~」と、アナウンスしてから、ふた月も経ってしまいました。お待たせいたしました。リストのメフィストワルツです。今週の一曲コーナーにて紹介されています。http://www.piano.or.jp/是非、聴いてみてください…、いや、恥ずかしいから聴かないで~。あっ、好きにして下さい。もう、どっちなんだか。人並み以上に、評価されることを怖がったりするのですが、究極の心掛けだけはあります。あえて恥をかける自分は、大したもんだってね。めちゃくちゃな精神論を打ち出し、自分をなんとか支えて生きておりますから…(^_^;)♪。関連ブログはこちら、1月22日、23日の「録音ブス」&「メフィストフェレス」をご覧下さい。幸運なことに、大抵の場合、暖かい気持ちと言葉を贈って下さる方々に囲まれて、演奏させてもらっています。でも、人生そう甘くない。時折、しょんぼりしてしまうような出来事だって、当然ありますよ。お客さんが会場を間違えて、自宅に電話をしてきて、一方的に文句を言われたことがありました。「せっかく行ったのに、誰もいないでよぉ~。俺が行くまで弾いていろ。バカヤロー!」ガチャン…。はぁ?演奏会が終わり、ほっとしていたのに、帰宅した途端に鳴った電話を取り上げたのが運のツキ。それからしばらくは、怒鳴り声が耳に残り、どんより~(;_;)。演奏後に、見知らぬ方からFAXが入った。「素敵でしたよ、これからも頑張って下さいね。応援しています。田中さんへ。」はい?鈴木です。公の場に出れば、そりゃあ色々ありますよね。アンケートに、「もっと有名な人が来て欲しい。」はあ…o(_ _*)o。「ピアニストですか?名前、聞いたことないですね。」こう面と向かって、胡散臭そうに言う人って、実際にいるんですよ。中村紘子は、こんな所で弾かないからねっ。ふぇ~んY(>_<、)Y。で、究極の対策は、ドンマイを唱えること。Don't mind.気にしないを、二回繰り返してみる。ドンマイ×ドンマイ。私だから出来ることだって、きっとあるはずだから。小さなサイズのドーナツ。目先が変わると、美味しそう。ピアニストにだって、プチサイズがあっても良いよね~。
スポンサーサイト

宴たけなわ

20070330145841
二日間続けて上京したら、ヘトヘトに疲れてしまいました(+_+)。人混みと物価の高さに、めまいを感じましたね。なんでオレンジジュースが600円なんだ?千葉県なんて東京の隣じゃない、だらしないわね~、なんて叱らないで下さいよ。東京に出るとなると、特急わかしお号に、小一時間乗るのですからね。千葉の大網に越した当初、構内アナウンスにひっくり返ったものでした。「お見送りの方は下車下さい。間もなく発車いたしまぁす。」ピリピリ~。大網ってところは、どんな田舎なんだか(ρ_-)o。隣の県に行くのに、見送りはいらんからっ!今では、ベッドタウン化して都内に通う人達が特急を使うので、このアナウンスはめっきり聞かなくなりましたね。そういえば、仕事で上野駅からスーパーひたちに、夜の八時頃に乗った時のこと。どうせ空いているだろうと思いきや、会社帰りのお父さん達で一杯の、ぎゅうぎゅう積め混雑に驚いたっけ。スーパーひたちは、子供達のヒーローであって、お父さんが朝晩通勤に使う電車という現実は、ちょっと抱いていたイメージとは違うんだけれど…と感じましたね。ある日、ウルトラマンの背中に、チャックがあることに気付いてしまったくらい味気ない。上野駅から夜に発車する電車には、どこか寂しげなイメージがあったんですよ。石川さゆりが歌ったように、逃避行カップルやら、わけありさん達が、ひっそりと街を後にするみたいな(^_^;)。上りは集団就職の希望を乗せて走り、下りは秘め事を乗せて走り去るなんて、昭和初期の話しだよね。思考が前進していない。あはは…。郊外型都市が当たり前の今、東京という街を中心に、人口のドーナツ現象が確実に進んでいるということなんですよ。ちょっとはずれた郊外にこそ、ピアノレッスンの市場があるってことかも知れません。で、東京に出掛けた理由は、PTNAピアノ指導者協会主催の40周年記念行事に参加してきたのです。北は北海道から、南は沖縄まで、ピアノ教師のリーダーといわれる方たちが、各地から集まりました。丸一日掛けた話し合いは、これからのピアノ教育の希望と懸念について。(…と理解している。)ピアノ教師という職業は、自己研鑽を怠ると、先がしょぼくれていくかも知れない未来を抱えているんじゃないかって思うんですね。零細企業の社長に似たところがあるかな。社員が少なければ少ないほど、売上以外に仕事の質を問うものさしも外野もいないところが似ているの。飲み屋に行って社長と呼ばれることに、優越感を感じる程度の器じゃ、仕事も人間も向上しない。積極的に同業者と交わり、意見やアイデアを借り、自分の仕事内容を進化させていかないと、ちっぽけなお山の大将になってしまう。ピアノ教師が集まって馴れ合いましょうと言っているのではなく、情報を交換したり、互いに刺激しあって、教えるスキルを磨いたほうが、安定した職業になっていくのではないかと提案してるんです。これまた偉そうにって?うん、まぁ、そうなんですけれどね(^o^;)。大抵の場合、上司のいないこの仕事ですので、意見などされることがあまりないでしょう。大将達に、「努力を継続せよ」なぁんて、ちょっと意見してみたりして。自己の仕事内容を見返らずに孤立したまま、近所の子供達を集めて教える時代は、終わっていくかな…。日本全国からの、エネルギッシュな大将達に囲まれて、本当はちょっと気疲れしてました。600人位集まって、それはそれは圧巻。大きな集団でしたが、全国規模で言ったらほんの一握り。まだまだ啓蒙活動は続く~。私はどうかって?もちろん、お山のガキ大将ですよ。どなたか意見して下さい…。 

夜桜協奏曲

20070329003642
桜の花が満開でした。六本木にあるサントリーホールで、ピアノ協奏曲を3つもプログラムした、贅沢なコンサートに行って来ました。はつらつとした若さ溢れるリスト、考え深げに響く大人のラヴェル、胸わくわく魅せられたラフマニノフ。一晩で大好きがこんなに聴けるなんて、日本のクラシックピアノ界も、元気が良くなってきたってことです。会場から人の波に流されるかのように、どちらが駅の方かも分からずに歩いていたんですね。良い演奏に触れるたびに、ピアノが弾けていいなぁ~って、素直に思えます。交差点でふと上を見上げたら、咲き誇った夜桜が目に飛び込んできました。窓にまだ明かりの灯る高層ビルを借景にした夜桜。力演に興奮し、少しほてった顔に風が心地よく。ぼうっと桜を、道のど真ん中で見上げていたら、危ないと、袖を引っ張られましたっけ。田舎者は都会に出てくると、上ばかり見て歩くそうです。今夜の私みたいにね。ラヴェルのピアノ協奏曲が、耳の底にいつまでも残った夜でした。第2楽章、たまらなく好きです。心にしみじみと~。目頭にじぃ~んと。

先進国なのに

20070327225304
ポピーは、まるでポンって音をたてるかのように、花を開く。ある田舎町でのこと。郊外にある友人の週末宅に招かれ、出掛けた時のエピソード。ガソリンスタンドで道を尋ねた。スタンドの人は、歯が抜けている上に、なまりが強く、よく聞き取れないから、紙に書かれた住所を示した。ここに書いてある住所に行きたいのだけれど、迷ったみたいなの。近くのはずだから、ここに道筋を書いてちょうだいな。そう言いながら、ペンを差し出した。困った顔で、「えぇっ、書けない」と言う。ペンのインクが出ずに書けないのかと、くるくるっと線を描く。ほらっ書けるからと、押し付けようとしたら、情けない風に、「書けない」と言われ、ようやく気が付いた。本人が書けないのだった。心臓がバフバフ鳴った。そんなことが…、あるんだ。文盲は差別用語だという人がいた。文盲と呼ぶ代わりに、「文字の読めない人たち」、と言ってはどうかとの意見もあった。文盲率ではなく、識字率と言うべきだと申し立てる人もいる。日本では、98パーセントの国民が識字できるというけれど。統計を見れば、アメリカだって識字率が低いわけでは決してない。しかし、実際には、名前と住所程度以上の字を書くことが難かしく、簡単な時刻表さえも読み取れない人たちが、多くいるという。呼び方や、パーセンテージに、こだわるつもりはないし、そんなことはどうでも良い。字が読めない、書けない、いい年をした大人に接し、知らずに傷つけてしまったことがありますか?日本でなら滅多に無い経験だとは思います。教育を受けるのは当たり前と、のうのうと生きていたことに、気が付いてね。無恥を恥じた瞬間だったんです。かといって、謝ることもできずに、どうしようもなかった。

工員の学生さん

20070326001049
実際に、アメリカの州立大学で、学部生を相手に鍵盤楽器を教え始めて、意外だなと驚いたことが、2つありましたね。ひとつは、アメリカの義務教育機関において、必ずしも音楽は取り入れらていないこと。日本人なら、小・中と義務教育を受けたからには、ト音記号くらいの名称は誰しも知っているはずと思いますよね。このくらい常識よね、なんて、高をくくって話しをしていたら、音楽の基礎知識など何も知らない学生達がいたことに、気が付いてちょっとショックを受けたんですよ。音楽は選択科目なんだそうです。だから、小さな頃から、ずっと音楽を選択しなければ、ドレミさえ知らないことになる。まず、音符を書くのにはねって、一から教えることになった。もう一つ、感心したことは、社員教育の一貫として、大学講座を会社の援助で受けられるってこと。少なくとも、そのようなサービスを会社がするなんて、聞いたことはなかった。ミュージック・ラボに入り、「さぁ、出席をとりましょう」と、顔をあげたら作業着を着たおじさんが、一人キーボードの前に、窮屈そうに座っていたんです。指は節くれ立って、果たして鍵盤にはまるのだろうかと疑うくらい、ごつごつと太い。爪は横に平ったく、その指先には、油が黒く染み込んでいる。まさに労働者の手。彼は、何故ここに座っているのだろうか?授業の後に彼を捉まえて、何故ピアノを弾いてみたいのか話しを聞けば、会社側が講座を取ると、授業料を払ってくれると言う。へぇ~、そうなんだぁ。自分はあまり文字が読めないから、ピアノなら良いかと思ってこの講座を選択したとか。何か勉強してみたいんだよ。どうせ、会社が払ってくれるから…。2回見かけた彼は、3回目の授業から出てこなかった。しばらくして、大学の事務所からドロップアウトの連絡が入る。やっぱり、止めたってこと。風変わりな生徒を教えることを、ちょっぴり楽しみにしていたのに。でも、文字が読めなくて、楽譜を読み、鍵盤を操ることが難しいのは、いた仕方がないとも納得していた。一つの器に山盛りの果物。アメリカの大学は、人種、国籍、年齢、職業、様々な学生で、てんこ盛りだった。

ウッドデッキ

20070326165923
浸食されて、ボロボロになったウッドデッキ(/_;)/~~。上を歩けば、重みで、板を踏み抜いてしまうほどの悲しい有り様。取り壊さなくては、危なくて仕方ない。芝の手入れが面倒だからと、ウッドデッキにしたのだけれど…、わずか数年でボロになるなんて、ひどいっ。塗り直しを頻繁にしなかったから、腐ったのだと言われた。そんなに手間が掛かって大変なら、ウッドデッキはもう要らない。今度は、どうしようかしらね~?手が掛からずに、見栄えの良い庭ねぇ…。そんな都合の良い話しあるのかしら?まるで、好きなだけ食べても痩せられるという、歌い文句のダイエット方法みたいかな(^_^;)。そんなのないからっ。摂生とは程遠い生活に、心配した友人がビタミン剤を差し入れてくれました。これを飲めば、お化粧のりも良くなるって。本当?ついつい、都合勝手な解釈に走ってしまうんです。そのうちに庭が出来たら、報告しますね~(^O^)/

ミュージック・ラボ

20070325004651
助手として、課せられた仕事は、伴奏と学部生への指導。伴奏の方は、それまでも色々経験してきたから、まぁ良いとして。一般の学部生達への指導は、右も左も分からないところから始まった。学部生達は、一般教養の選択科目として、鍵盤楽器の授業をとることが出来る。助手として任されたのは、この鍵盤楽器学習の講座。早い話が、初心者向けのグループ・レッスン。連れて行かれた部屋は、ミュージック・ラボと呼ばれ、英語のLL教室よろしく、電子楽器が縦横に幾つも並ぶ。ヘッドホーンを操作して、全体もしくは個々の音を、教師側から聴くことができる。教師用のキーボードを叩けば、黒板に掲げられた巨大な鍵盤図柄に、押したところが点滅して、学生達に一目で分かるようになっている。教本をめくってみれば、指導内容は、ドレミから教えるというもの。このレベルなら、確かに大学教授なんて使うことないわね。機械操作には慣れなきゃいけないけれど、講義自体は難しいもんじゃない。これなら大丈夫だわ。ちょっと安心。機械の操作を指導してくれた先輩助手は、「それじゃあ、よろしく」って、言うと、ラボの鍵と時間割を押し付けるかのように手渡すと、さっさと出て行った。申し送りは、それだけ…(;_;?) 。いよいよ初日。一時限が終わった時には、膝がきしむように痛んだ。立ちながら、ずっと震えていたことに、授業が終わるまで気付かなかったのね。「ミズ・スズーキ」(鈴木先生)と、呼ばれた感触が、膝の痛みと共に、耳にこそばゆく残ったもんです。その時に使用していた教本は、アルフレッド社のベーシック・アダルト・ピアノ・コース。探したら、楽譜の棚から、出てきました。とってあったんですね。ペラペラめくってみれば、懐かしいこと。この教本は、一学期間、約3ヶ月でドレミを読むところから、両手でアメイジング・グレイスを弾いてしまうまで進む、無茶なカリキュラムでした。さすが大学の講座。無理でも何でも、やり通してしまうんですよ。もちろん、落ちこぼれにはFが付きます。Frank。つまり、不合格のFです。あはは…(*^_^*)。

ナイチンゲール

20070322225332
イースタン・ミシガン州立大学での、二年目のこと。師であるガーツ教授から、助手になって教えないかと、話を持ちかけられた。州外からの学生に対して、州の住民であり税金を納めてきた人間より、学費が高くとるのは当然とされるのが州立大学。外国人となれば、更に学費は高くなる。ガーツ教授は、その点も心配してくれたんだと思う。「給料が、週に180ドル(およそ20000円)っていうのは、多くはないけれど、助けにはなるだろう?何せ、助手になれば、学費は無料になるし、部屋が貰えるからね。」のっけから、説得モード。「え~っ(>_<)、何を教えるんですか?」「いやあ、君なら大丈夫だよ。」「はぁ~っ(?_?)」それって、答えになっていないし…。確かに、そこから学費はただになり、ついでに教科書の類も貰えた。与えられた小部屋には、窓に向かって茶色のスタインウェイが置かれ、壁には棚が造り付けてある。居心地がちょうど良いくらいの狭さ。こりゃあ、良いわぁ~。昨日までのロッカーひとつの身分からすれば、ずいぶんと昇進したもんだわね。早速ピアノに向かってみる。古いピアノだけれど、スタインウェイだし、部屋は防音されているから、好きなだけ練習できる。弾き始めて間もなく、バタンと重いドアが勢い良く開く。驚いて振り向くと、そこには背の低い東洋の女の人が、この上なく不機嫌な顔で立っていた。「あんたね!今度、助手になったっていうのは。私の私物に手を触れないでっ!!」そう、言い残すと、入ってきた勢いと同じだけの勢いで、ドアをバシッと閉めて、出て行った。唖然…。「何よ、今の?誰、あれ?」廊下に出ると学部の学生、イエナが壁にもたれかかって座っていた。一部始終を見ていた彼女は、上目づかいにこちらを見上げる。「ナイチンゲールだよ。ガーツ先生に目を掛けられて助手やってんだ。あんたと、部屋を共有してって言われて、腹立を立てているのさっ。」あっ、そうなんだぁ~。部屋の共同使用は、聞いてなかったな。たかが助手に、ひと部屋与えてなんかくれないよねぇ。難しそうな彼女だな。ナイチンゲールかぁ…(-"-;)。変な名前。だいたい、服のセンスも悪いし、おかっぱ頭は時代遅れだし、なんだあのケバケバしい化粧はっ!初対面から、あの態度は失礼にもほどがある。嫌いなタイプ、ぷうっん(`へ´)!間違いなく、第一印象は、お互いに最悪なものだった。

根なし草

20070320004201
美味しそうでしょ、苺のタルト(=^▽^=)。ストレスが溜まってくると、ついつい甘い物に癒されてしまうのね~。満たされるものって、人によって違いますよね。幸せの概念だって、もちろん個人差があります。お金があるから幸せってもんじゃない。お金が増えれば、悩みも増える。でも、貧しいと、様々なことが問題化してくる。貧すれば鈍する。それでは、物理的にそこそこ満たされれば、何が幸せってことになるんだろうか?多分、生き甲斐よね。それが子育てであっても良いし、趣味でも、仕事であっても良いんだけれど…。私にとっての生き甲斐は、仕事だったんです。仕事のないことが、一番のストレスだった頃がありました。学生を卒業してから、ロサンゼルスでフラフラと二年過ごし、その後ニューヨークに三年間いた頃のことです。ニューヨークでピアニスト、フェルツマンや音楽仲間に出会い、演奏の機会も与えられ、ようやく、ピアノを弾く生活に戻ったものの、そんなの趣味って言われてしまえばそれまでよね。「いくつになっても、お稽古に励んでえらいわねぇ~。」本当は、ちっとも感心していない癖にって(〒_〒)。そう言われる度に、素直になれず、反感を募らせていたんです。日本の友達から、仕事の愚痴なんかを聞けば、「良いな~、仕事があって」と焦る。大学院に行きながら、講師をしていたことなどを強みに、アメリカで就職出来ないものかと、試してみたんですよ。学生ビザ(F1)では、学内で働くことが出来ます。けれど、卒業後にグリーン・カード(市民権)のない者は、アメリカ国内での学歴があっても、まず取り合ってはくれない。いくつか履歴書は出してみたものの、面接にさえ、こぎ着けることは無かった。しかも、卒業後に持っていたビザ(E)では、数年後に日本に帰国と決まっているのだから、就職なんて、はなから無理な話。おとなしく海外生活を満喫していなさいって、まるで取り巻く社会が示唆していたかのようでしたね。かといって、日本に帰ったところで、何か仕事が約束されていた訳でもなかったし…。根なし草に、花は咲かない(ノ_・。)。アメリカの大学での講師って、どんな仕事をしていたかって?明日から、ぼちぼち話し始めることにしましょう。

職業意識

20070310010543
スイートピー。一本だけだと、頼りないけれど、束になると存在感がグンと増す。春の到来を告げる、やさしい色合いが好き。ピアノを教えるようになってから、毎年インフルエンザの予防接種は、欠かせなくなりましたね。風邪や、インフルエンザだったり、水疱瘡でも、生徒はやって来ますからね。「レッスンには遅れず、休まずに来ること」と、生徒達に言うからには、ある程度覚悟はしてます。継続は力なり。でも…、そこまでして来なくても良いよっ、と言いたいケースも中にはありますよ(ρ_-)o。こちらも、無防備というわけにはいきません。風邪薬を早めに服用するなどの、予防策を取る程度しかないのが現状です。とほほ…。理想と現実の板ばさみです。季節の変わり目。この時期、病は束となってやってきます。スケジュール管理の為にも、健康でいなくっちゃ。スケジュールと言えば、ピアノを教えるってことは、時間に融通がきくと、思いがちの先生も多いようですが、勘違いです。確かに、時間の操作も可能なこの仕事ですが、そう勝手にレッスンを動かして良いという訳ではないんですよ。「ちょっと、だるいからレッスンを,、お休みさせてちょうだいね。」「ごめんなさい。少し遅れるわぁ~。」こんなこと、頻繁に繰り返したりすれば、言われた相手も、同じ態度で臨んできます。約束は約束。ルールはルールです。決めた時間は守りましょう。プロとしての意識が、そこの点甘くならないようにしたいものですね。大学生の頃に、お医者さんのお嬢さんにピアノを教えていたんですね。学校帰りに寄って、小一時間ほどレッスンをしていた、ある日、お父さんがご在宅で、一言仰いました。「やぁ、ピアノの先生ってのは、社会的責任が無くて、良いですな…。」(`へ´)むっきぃ~。今思えば、その頃は、プロ意識なんて、微塵も無かったんだから、そう言われても仕方無いですけれどね。今なら、言い返せるかなぁ…。「えぇ、おかげさまで、楽な商売ですぅ~。」ちょっと、大人になったからね(*゜▽゜ノノ゛☆

桜開花の頃

20070320001232
桜の花びらをかたどった小皿。指輪がころんと入る程度の大きさ。可愛いけれど、何の用途もなさない。役に立たずに、見るだけってところは、弾かれないピアノと同じ。家の前を、小学生達が賑やかに話しながら通っていく。我が家の前は通学路になっている。朝のいつもの風景。あらっ?中に、だぶだぶの学生服を着た子供がちらほらと。そうかぁ、卒業式なんだね。だぶだぶの学生服が、きっと次の三年間で小さくなるんでしょうけれど、まだ制服に着られている姿の、なんと可愛らしいこと~。高校や大学受験も終わり、門下生達もそれぞれに、志望する学校に合格が決まり、頑張った分だけ晴れやかな顔をしていますよ。皆、おめでとう!今年は桜の開花が例年より、早いのだとか。桜は、万人の頭上に花開く。それぞれに迎える春だよね。手にした予備校の印刷物に、こんな保護者への一文がありました。親は、子供が家庭勉強しているか、監督義務があると。そりゃあそうだ(^_^;)。塾や予備校に、入れたから安心っていう訳にはいかない。家で勉強しなけりゃ、成績は伸びない。ピアノだって、レッスンに通ったから弾けるってもんじゃない。家で練習して下さい。この一文を、客であるところの保護者に掲げるには、きっと様々なドラマがあったのでしょうね…。「塾に入れたのに、ウチの子供の成績、ちっとも伸びないじゃないっ!」塾に食って掛かった無知な親御さんに、散々悩まされて、規約に掲げるまでに至っているのでしょうか。ご苦労は、お察しします。「ピアノは誰でも弾けるのよ。練習さえすればね~。」いつも、言ってきかせてはいますが…(-"-;)。これが、なかなか通じない。せっかくのピアノが習えるチャンスを、みすみす見逃しているのよ。子供は、入学、卒業、就職と、人生の転機がはっきりとしていて良いね。これからは、転機が見える時ばかりとは限らないから、目の前のチャンスをしっかり見極めて掴んでいく力、付けていってください。以上、近所のお節介おばさんより。

夢と現実

20070310010458
アンティーク・ショップに、足を踏み入れれば、こんな素敵なインテリアを揃えてみたいわぁ~っとなる。アンティーク家具に囲まれて、暮らしてみたいものだわ。しかし、この夢を叶えようとしたら、まず家の建て替えから始めなくては。生活の垢というガラクタを、全て処分しなければならない(*u_u)。まぁ、無理ね。現実に戻り、さっさとあきらめる。大人の夢なぁんて、そんなもの。しかし、子供には、「将来の夢は何?」と、口うるさく詰め寄ってしまうことも、多々ありますよね。「夢を持てと言う。夢を持ってみれば、現実を見ろと言う。」大人の矛盾を、こう指摘した高校生がいたそうです。朝のテレビで、たまたま聞きました。うんうん、確かに矛盾しているよね。けれど、そのジレンマの中で大人は生きてきたから。子供には、夢を持って、それに向かって、努力して欲しいと願うわけです。問題は、その夢って部分よね。タレント志望じゃ駄目で、弁護士になりたいなら素晴らしいってのも、大人のいやらしい欲目、丸出しの視点だし…。取りあえず、「人に迷惑掛けずに、自立しなさいよ」なんて、曖昧なことを言って、子供を煙に巻いて逃げるのも、なんだか卑怯臭いよねぇ…(Θ_Θ)。まぁ、心配なんですよ。ついつい、口を出したくなるのも、愛なんですね。私なんて、門下生全員に、「しっかりしなさいよ」なんて、毎日ブゥブゥ言ってますからねぇ。親でもないのに頭ごなしに、くどくどと文句を言われて、全く迷惑なことよね。

ウェルカムバック

20070312231919
生徒との別れや、出会い、そして再会の繰り返される時季となりました。中学や高校、時には大学受験が終わり、再びピアノのレッスンに通いたいと、言ってもらえるのは、教師冥利に尽きます。聞けば、受験に向けての勉強中も、ストレスがたまって、いらいらするとピアノの蓋を開けては、しばし弾いていたそう。この経験を乗り越えてきた子供達は、親に習わされていたという感覚から卒業して、自ら音楽に向き合っていくようになります。別に、ピアノじゃなくたって良いんです。何かしら、自己表現できる術が自分にあるということが、人生において大切な事に気が付くんですね。帰国してすぐ、埼玉県の越谷に、一年ほど住んでいたことがあります。慣れない街に探索気分で、家の周辺を散策していました。まぁ、あの頃は、帰国したばかりで、仕事も知り合いもなく、暇だったんですよ~。ふと、漏れ聞こえるピアノの音に、足を止めると…。ショパンの「別れの曲」が、閑静な住宅地から流れてきたんです。結構、上手なの♪。私はちょっぴり気になって、散歩の度に、その家の前を通っていたんですね。運よく練習時間にあたり、聴こえてくると、決まって「別れの曲」なんですけれど。始めのテーマは心地よく弾いているものの、難しい箇所に差し掛かると必ず、何度か弾き直しては、だんだん音にイラつきが込められていく様子が、手に取るように分かる。「おっ、がんばっているなぁ~」って、微笑みながら聞き耳を立てていたんです。ある日、ピアノが突然止んで、ガラス窓がガラガラって開き、顔を出したのは奥さんでした。てっきり娘さんが練習しているのかと思っていましたから、ちょっとびっくり。「こんにちは!」なんだか、知り合いのような気がして、思わず挨拶。すると、けげんそうながらも、挨拶を返してくれたんですね。ピアノの練習をして、楽しんだり、ジレンマにいらついたり…。良いですよね、大人になっても、そういう時間が持てるってのは~。生涯にわたってピアノに携わって欲しいと、門下生達に常々言っているくせに、心のどこかで、ピアノは子供の弾くものだなんて、思い込んでいたんですよ。でなければ、主婦のピアノ練習に驚いたりはしないでしょう。

先生稼業

20070316235038
ピアノの月謝平均の話しをしましたが、それではピアノの先生は、稼業として成り立っていくのか考えてみました。果たして、それだけで自活して生きていけるのだろうか?全国平均では、1人のピアノの先生が抱える人数は、およそ15人程だと、楽器店の方に調べていただきました。まぁ、看板も掲げずに、ちょこちょこっと近所の子供達を、教えている方の多くは、楽器店でも把握仕切れないでしょうし、自己申告の生徒数だろうから、正確とは言い切れないのですが。だいたい1人当たり15人教えるとしましょう。その全員が、初心者レベルばかりではないだろうから、月謝7000円として、月に105000円の収入。年収で125万、これは高収入とは言えないけれど、15人教えるのに、週に7時間半の稼働時間で済むから、上手く時間調整出来れば、たったの2日で収まる。職業としての稼働率は悪くはないよね。残りの時間は、自由だし。しかし、収入を考えると、ピアノの先生として自活していくのは、そう易しいことではないみたいね…(Θ_Θ)。例え人の倍働いて、30人教えてみても、年収250万。優雅な生活をおくれるまでにはいかないよね。よほど偉くなってレッスン代を高くとるか、生徒募集に躍起になりながら昼間はアルバイト、午後からはレッスンと、昼夜なく働くか(;_;)。門下生の一人が、今年めでたく就職しました。彼女によると、初任給は短卒なら17万、大卒なら20万位だそうです。それにボーナスが、プラスされるのだとか。但し、週に5日、朝から晩まで出勤です。「空想科学読本」を書かれて著名な、柳田理科雄氏みたく、計算ごっこしてみましたが、実際の生活は、机上の計算通りには、いかないものです。それより、ピアノ教師を目指すなら、しっかり指導していかれるかどうかに、エネルギーを使いましょうね~。そうすれば、評判が評判を呼び、自然と生徒が集まるかも知れませんよ。楽器店によると、口コミの力が一番の宣伝だそうです。どんな職業にも、適性ってことがあります。自分の仕事が好きで、得意意識がちょっぴりあって、そんな自分が好きであることかな。あっ、これは、私からの後輩先生及び予備軍に向けてのメッセージです♪(*^ ・^)ノ⌒☆。

十円饅頭

20070315225212
レストランを幾つか経営している方から、聞いたことがあります。お店を上手く回転させるためには、原価を価格の三割までに抑えるのだそう。巷で噂の、十円饅頭をご存知ですか?あっ、誰も噂していないかも知れませんが…(*^ー^)\。十円のノボリにつられて、買ってみました。確かにサイズは小さく、それこそ十円玉の大きさ。食べてみれば、モチモチっとして柔らかく、餡はほど良い甘さ。十円にしちゃ、偉いじゃない。それにしても、安いよね。30個買っても、300円ちょいなんですよぉ~。三割の定義によれば、原価は1個3円か、それ以下のはず。店内には、従業員が3人いたから、時給800円として、一時間に2400円。人件費の為に、一時間に最低でも、240個の十円饅頭を売らなくてはならない。その他に、店舗のレンタル代、電気などの光熱費も掛かる。例え、一時間に500個売ったとしても、原価に1670円掛かる。それでは、人件費と材料費に4000円も掛かることに。その上に、店子代と光熱費は、一時間当たり千円で抑えなくてはならない。もし、一時間に500個売れなかったらどうしよう。チャラか、チャラ以下かな~?これって、儲かる商売なんですかね?薄利多売の勝利なんだろうか?さて、ピアノの先生の、お月謝っていったい幾らが妥当なのかしらね?お任せ下さいっ!調べてみました~\(^▽^)$。まぁ、地域差もあるでしょうから、千葉辺り限定の話しとして、聞いて下さい。また、大学の教授だの、名の知れた先生ってのは無視して、一般的なレスナーさんの話しにしましょう。聞き取り調査で得たデータだと、30分レッスンを月4回で、4000円~8000円位のお月謝が相場な感触。これは、初心者レベルの価格帯。上達すれば、月謝も上がるようですから、一概には何とも言えませんがね…。8年前の雑誌に掲載された記事によると、ピアノのレッスンは10分当たり、平均540円とのこと。月に直すと6500円位。前述の聞き取り調査のほぼ平均。今回の調査の中には、ワンコイン・レッスンと銘打って、一回のレッスンを500円で教えますという広告もありましたが、一人の先生が、個人レッスンの形態で、薄利多売というのは、成り立たないんじゃないかって、心配してしまいました。他人の財布を覗くようではしたないのですが、この手の話しは、タブー視されてきただけに、ちょっと面白い調査でしたね。えっ、なんですって?ピアノの先生は、仕入れが掛からないじゃないかって?いやいや、ピアノの先生になるために、うんと投資されてきましたからね。

写真家

20070314001639
写真家、クリスチャン=シュタイナー。ご存知ないかも知れませんが、知る人ぞ知る写真家です。シュタイナー氏に、クラシック音楽界の人物を撮らせたら、右に出る者は、いるとかいないとか。彼自身もピアノを弾く。もともとは、音楽の世界で生きていきたかったらしい。友達の写真を撮ってあげていたら、友達は有名な音楽家になり、自分も音楽家を撮る写真家として、名を上げていったとか。ニューヨークのミッドタウン、高級地にそびえ立つ高層ビルの一角に、自宅兼スタジオを持つ。ベヒシュタインのグランドピアノが居間に置いてあって、それを使って撮影することもある。お得意様には、ホロヴィッツやパヴァロッティ、内田光子なんかの、世界的に名の知られる大物アーティストが、名を連ねる。普段、余り気にもせずに手にしているCDのジャケット。気をつけてみれば、小さく撮影クリスチャン=シュタイナーって、入っているかも知れませんからね~。当時、ショートヘアにしていたこの写真を見て、若~い、可愛い、って言われても複雑。ショートヘアも似合いますね、なんてお世辞を言われても、今更切れませんよ。だって、今なら、バレーボールおばさん風になりますからね…。写真は色褪せる。想い出は、そのままに。

リハビリ

20070312231924
長きに渡る学生生活から足を洗って、なんだか人生ウロウロを繰り返した末に、やっとピアノ中心の生活に戻ったものの、2年間も遊び呆けていたツケは大きかったんですね。指は回らないし、頭も回転が鈍いったらありゃしない。普通の生活で、人間は手を使う時に、掴むという動きだけしかしないから、久々に長時間練習すると、第2関節がぎくしゃくするんですね。あぁ~、情けない!ニューヨーク州立大学のパーチェス校に、出入りするようになって間もなく、強制的にピアノと向かわなくてはならない出来事が。突然、2台ピアノのコンサートを開くことになったんです。ご主人のビジネス赴任に伴い、一年間休暇を取って渡米していた韓国の音大の教授、ミンスク・リー女史との共演。ブラームスの二台ピアノソナタを弾いて、お相手をしていたら、どうせなら、リサイタルを開こうと言う。二台ピアノならソロより楽かな~。なんて、甘いかった(>_<)。まず、曲が難しい。そして、彼女は、気難しい。儒教の国で成功してきたミンスク・リー女史は、気位も高く、年下のパートナーに対して要求も多かった。第2ピアノ担当の私は、彼女を盛り立て、支え、合わせなくてはならない。彼女の苦手なパートに差し掛かると、テンポをそれとなく緩めたりしないと、「その速さでは、弾けないと言ったでしょうがっ」と、小言を言われる。彼女のペースに、完全に合わせなくてはならない状況。こちらが自分のパートを、おったおた弾いていたのでは勤まらない。でも…、このブラームスの二台ピアノのためのソナタって、めちゃ難しいんですよぉ。もともと、弦楽四重奏のために書かれたOp.34を、2台のピアノ・ソナタに書き換えた作品。4人のパートを2人のピアニストでまかなうから、大変忙しい。その上、リズムは、複雑極まりないことといったら。曲の始めから終わりまで、40分位は掛かるしぃ…。それでも、ひとつのコンサートを開くほどの容量ではないからと、ラフマニノフの組曲第2番Op.17までも、プログラムの後半に弾くという。もっとやさしい曲にしておけば良いのにさぁ。もう、泣きが入りそう…。それこそ、猛練習の日々。怠けていた身には、生活に練習時間を組み込むことさえ、大変な努力が要る。ブランクは、空けば空くほど、リハビリが辛くなる。もちろん、楽しいこともありましたよ。音楽家を撮らせたら一流と名高い写真家、クリスチャン=シュタイナーのスタジオに二人で出向いて、写真を撮ってもらい、それを使いプログラムも刷ったりと。ミンスク女史は、プログラムが立派じゃないって、文句言ってましたけどね。コンサートは、無事終了。もちろん、ミンスク女史は高飛車に、「あんなに、速くしないでって言ったのに、走ったでしょ!」と、コメント。うん、ちょっと復讐したんですぅ。だって、あんまり威張るからね、うふふっ…。

苺狩り

20070312142647
千葉の房総半島の南端にある、館山に仕事で行って来ました。温暖な気候の、この地では、菜の花がまるで黄色い光を放つかのように、咲き乱れていましたよ。ストックやカーネーションなどの花摘み、苺狩りなどが楽しめ、週末は観光客で道路は渋滞し、どこもごった返すほど賑わうんです。館山を訪れたその日は、朝から生憎の大雨で、土砂降りの中、ハンドルを握りしめて運転していました。独りっきりの車内。ざんざん降りしきる雨の中、道路は空いているしで、スピーカーの音量を上げて、館山まで一直線。聴いていたのは、2000年にリリースされたキーシンのCD。ショパンの24のプレリュードと、ソナタ第二番に、英雄ポロネーズがカップリングされた録音。なんで、キーシンは、こんなにピアノが上手いんだろうか…。ジレンマ~。さて、仕事が終わり、苺の食べ放題へと直行。といったところで、苺ってそれ程の量は、食べれないものなんですよ。始めの20ケはリズミカルに、次から次へと味わえるものの、次の20は無理やり摘んでいるモード、終わりの10個は名残惜しげに惰性で口に運んでましたね。ついつい欲張って、大ぶりな苺を選んでしまうのですが、小粒でヘタの付け根まで真っ赤に熟しているのが甘い。そう、気付いた頃には、すでに満腹になっていました。美味しいと食べ始めた苺も、食べ過ぎると、最後には嫌気がさしてきますね。まぁ、50ヶは、軽く食べていましたから、嫌になって当然よね~。ピアノだって、同じ味が続くと、飽きてしまう苺と一緒かな。丁寧な発音と、多彩な音色を紡ぎ出せる人の演奏は、最後まで嫌気が差さずに、聴いて貰えるんですね。

不安と不満

20070312142630
ポウル=オシュトラフスキー氏について話したいことがあります。彼が、どうしてアメリカに渡り、住み付くようになったのか、詳しい経緯は知らないけれど。モスクワ・コンサバトリーを卒業して、ロシアから移民してきたオシュトラフスキー氏は、ニューヨーク州立大学パーチェス校で、ピアノと室内楽を教えていて、そこで彼と出会ったわけです。世界的なバイオリン奏者、アイザック=スターンの伴奏者として活躍したこともあるし、若かりし頃のアルゲリッチと共に、期待のピアニストとして、写真が掲載されている本も見たことがある。一時は、華々しいとは言わないまでも、有望なピアニストの一人であったに違いない。私が彼に出会った時は、既に過去の栄光が、現在よりもうんと輝くといった風。すねたような語り口調が、すっかり板についていました。なんでも、過去のトラウマが、彼を支配しているとか。演奏会本番で、大きな失敗をやらかして以来、暗譜で弾かなくてはならないソロの演奏活動は、一切避けている。学生達は、そんなことを噂していたけれど、真偽の程は定かではない。彼自身の口からも、「何でもかんでも、暗譜しなくてはならないってのは、ナンセンスである」と、語気強く、もらしていたのを聞いてはいたし。自重めいた顔付きなのに、口調は荒かった気がした。彼のさえない態度も、自信のなさも、理解できるところがあったので、同情はしていました。それでも、オシュトラフスキー氏は、同窓生との室内楽トリオでの演奏活動は続けていたんですね。室内楽では、暗譜を強いられることはないから…。不安に勝てないと、不満がたまる。どこかで打破出来ないと、悪い連鎖は止まらない。モスクワ・コンサバトリー・トリオと名付けられた、彼らのコンサートに出向いたことがありました。マイナーな会社からではあるけれども、CDデビューするとかで、お披露目コンサートという趣旨だった。休憩時間に、品の良いご老人が、見も知らない私を捕まえて、話し掛けてきたんですよ。「どう、思った?つまらないだろう?」まさか、この状況では、オシュトラフスキー氏を個人的に知っているなんて言えないし。「えぇ、勢いも興奮もなく、淡々とした演奏に、私の思考システムはすっかり寝てました。」かといって、こんな正直な感想も言えない。「はぁ…。まぁ、ほにゃら・・・。」ニューヨークの聴衆は厳しい。見抜く力があるんだな。

そして出会い

20070310010532
また、数年で移動を余儀無くされる生活では、ピアノを教えることも躊躇された。ニューヨークに越して直ぐの頃は、日本人の間で、呼ばれたり呼んだりのホームパーティー三昧。しかし、それさえ落ち着いてしまえば、再び手持ち無沙汰になる。このままでは、嫌だ。何とかしなくては。近くの大学へ、ふらりと出掛けた。ニューヨーク州立大学パーチェス校。音楽部の建物内をぶらぶらと、掲示物を眺めながら歩いていた。ふと、一枚の紙切れが目に飛び込んでくる。ピアニスト、ウラディミイール=フェルツマンの公開レッスンとある。「ねぇ、フェルツマンって、あのフェルツマンかな?」旧ソ連からアメリカに亡命して、ホワイトハウスで、デビュー・リサイタルを飾ったと、テレビのニュースで見て知っていた。ホワイトハウスでアメリカン・デビューってのが、あまりにも政治絡みの、きな臭さを発していたので記憶に残っていた。その時にリリースされたCDを聴くと、どこまでも冷静な演奏は、凄いテクニックと、強靭な精神的に支えられている。彼の音楽には、冷たいまでの客観性に、秘められた炎があるんだよ。なぁんて、批評家めいたことを言いながら、いたく感心してファンになった。自分とは正反対の演奏に、大いに憧れたんですね。「私は、ピアノを弾くために生まれてきた」なんて豪語してはばからない、彼のコメント。「どこの国で弾いたって別に構わやしないさっ。俺は天才なんだから」と、言わんばかりの態度のデカさ!私なんて、ピアノを弾きながら、冷静どころか、いつも炎に包まれてしまうからねぇ。生まれながらにしてピアニストだって。凄いなぁ…(*^_^*)。その大物フェルツマンが、公開レッスンをすると掲示されている。こんな小さな学校で?本物かな?で、確かに、本物のフェルツマンが、公開レッスンしていたんですね。さすが人材の宝庫アメリカだ。うきゃあ~、フェルツマンにピアノを聴いてもらえるなんて(≧▽≦)ゞ。ロシア物、ラフマニノフの「楽興の時」をさらって、早速公開レッスンに参加したんですよ。授業後に、「先日のリサイタル素晴らしかったです。」と、挨拶すれば、「いつのこと?3日前は、僕には遠い過去さ。」と、うそぶく。その後も、リスト、バッハ、ベートーベン、ショパン、ドビュッシーにシューマンにラベルと、片っ端からレッスンの度に、違う曲を持って行った。同じ曲を弾いたらならば、「それ、もうこの前、聞いた」と、素っ気ないこと。大人の生徒が大半のこの授業で、フェルツマンは、「僕は、もっと若い才能を育てたいのさ」と、しゃあしゃあと言う、強靭な神経の持ち主だった(;_;)。彼の言動はともかく、お陰でピアノに触れている時間が、充実し始めたことは確か。次々と曲を仕上げなくてはならないし、下手な演奏なんてしようものなら、タバコを吸いにふいっと外に出てしまうからね。同じ大学で、室内楽のピアノを教えていた、オシュトラフスキー教授は、フェルツマンへの大学側の対応が甘過ぎると、ブゥブゥ言っていたっけ。有名人を抱える為に、お金を払い過ぎるって、ひがんでいた。「公開レッスンなんて、あんなものはショーさっ。」まぁまぁ~(#^-^#)。そう言うあなただって、かつて世界的バイオリニストのアイザック=スターンと、共演していたではないですか。充分、大物ですよ~。ちょっといじけた、人の良いオシュトラフスキー教授を、慰めていたんです。

ニューヨーク郊外へ

20070306145855
二年住んだ街、ロサンゼルスから、ニューヨークに越すことになり、せっかく始めた小さなピアノ教室も閉めることになった。寂しさや、虚脱感を感じた。居を転々とする生活では、責任ある指導は出来ない…。ニューヨーク郊外は住宅地になっている。マンハッタン島は、北に上がればあがるほど、ハーレムなどで知られるように、居住環境が悪くなる。いったんマンハッタン島から出ると、逆にダウンタウンに、より近いベッドタウンが良いとされる。ハーツデールやスカースデールという街に、日本人の駐在員達は好んで住んでいた。ヤオハンという、日本人向けのスーパーだってあったくらいだから、日本人は多かったんだと思う。私は、もう一駅先のホワイト・プレインズという場所を選んだ。治安の面では落ちるけれど、家賃も落ちてくれるから、ピアノを思いっきり弾ける大きな家が借りられる。この家は地下一階、地上三階建て。見た目は立派。実際は、雨や風が吹き込んだりするボロ屋だった。ある日のこと、大雨が降ったら天井が抜け落ちてきた。アルミの大きな鍋と一緒に。以前に住んでいた人が、雨漏りするからって、天井裏に鍋を置いたらしい。溜まった水の重みに耐えかねての、天井板落下。浅はかだよね~。ご近所は、ホワイト・カラーではなく、ブルー・カラー層が多い。お隣さんは、年老いた母親と、ゴミ収集のトラックを運転する息子さんが住んでいた。引っ越しの挨拶に行ってみれば、母親とおぼしきでっぷりとした女性が、立ち上がるのさえ面倒臭そうに、挨拶の手を差し伸べた。夏になったら家のプールに泳ぎにいらっしゃい、とは言っていたけれど、実際に誘われることは、ついに無かった。日本人などめったにいない地域で、白人の彼等は、東洋人と関わりたくなかったんだと思う。ただ、驚いたことに、彼女が聞いていたラジオから、大きな音で流れていたのは、ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番だった。「母さん、隣りに越して来たんだってさ。」母親そっくりに、でっぷりと太った息子さんが、部屋に招き入れてくれると、鼻歌を歌いながら外に出て行った。この時ほど、文化の違いを感じたことは無かったと思う。だって、ゴミトラックの運転手が、ラフマニノフを口ずさんでいたんだからね。さて、ここで、いったい何をすれば良いんだろうか?引っ越し荷物が片付けば、やることは無い。ピアノの蓋を開けて弾き始める。

黒い鳥

20070308231537
ロサンゼルスで教えていたのは、たったの4人。子供2人、大学生1人に、成人1人。全員、東洋系。生徒の数は少なくとも、大切に教えていられることに満足していた。ある日、レッスンを少しの間、休まなくてはならない事態になった。「ポリープが出来ていますよ。取ってしまいましょう。胆嚢という臓器は、無くても支障はきたしませんから。」毎年通っていた人間ドックで、そう予期せぬ宣言をされた。普通、1センチを超える大きさのポリープは、摘出を考慮するのだという。えぇ~っ\(゜□゜)/手術ぅ…。自慢じゃないけれど、健康だけが取り柄だっていうのに。レッスンを休まなくてはならないじゃない。落胆…(Θ_Θ)。「なにも、大変な手術じゃないですよ。穴を3カ所開けて、マイクロスコープを入れるだけなんだから。開腹手術よりうんと楽だし、翌日退院ですからね。」人の体に穴を開けて、簡単な手術なんて言う。どうしてこう、無神経にものが言えるんだ!実際に、翌日退院したものの、痛む体のまま家に帰っても、すぐには動けずに横になっていた。「嘘つき、痛くて動けないじゃないのっ(ノ_・。)」ピンポーン~♪ゆっくりと動き、そろそろとドアに向かう。扉を開けてみたら、大人の生徒、マリアンが立っていた。彼女は、中国系マレーシア出身で、アメリカ人の旦那さんと二人暮らし。音楽科を専攻して、大学を卒業したものの、更に勉強を続けたいとレッスンに通ってきていた。新聞紙に包まれたものを差し出し、「早くよくなってね」と、帰って行った。なんだろう?きゃぁ!思わず床に落としそうになる。包みの中身は、黒い鳥の死体だった。冷蔵庫に放り込み、悩む。「どうしよう…。」生ごみの日に、包みごと捨てなくては。翌日、彼女がまたやって来た。「あのね、日本人は黒い鳩のスープの作り方が、分からないでしょうから」って。キッチンに立って、小さな鍋にスープを料理してくれた。良かったぁ、まだ生ごみに出さないでおいて。「それじゃ、後で食べてね。スープをすするのよ。体力が衰えているときには、とても効くんだから。」そう言い残して、帰っていった。恐る恐る、蓋を開けてみたら、ひぇっ!!黒い鳥の死体が、そのままの形で、赤い実やら小枝の破片と一緒に、浮いていた。羽の生えたそのままの姿。これって調理?せっかくの好意だからと、スプーンで鍋のはじっこのほうから、汁をそっとすくって飲んだ。マリアンの黒い鳥のお陰で、気分がしゃんとなった。多謝。経過を見せに行った病院で、摘出したポリープは良性で、9ミリの大きさであったと告げられた。お約束の1センチ、ないじゃない!ムカッ(゜□゜)/。

自分探し

20070306145954
十年にも及ぶ大学生活も、ついに卒業というピリオドを迎えた後、私はピアノ教師をしています、と胸を張って言える様になるまで、随分と時間が掛かりました。ロサンジェルス郊外、サン・マリノに移り住んでから、自分探しが始まったのです。それまでの学生という立場がなくなると、就職でもしない限り、どうしたいのか分からない迷子状態に、陥ってしまうんですよ。自分は今まで音楽をやってきたけれど、これから何をして、どう生きていけば良いのだろうか?楽器店のお偉いさんが、こんな事を言っていらした。「…音楽大学を出るまでは、大人が寄ってたかって面倒見てくれるのに、卒業した途端に、蜘蛛の子が散るかのように去っていくのさ。ポツンとひとり取り残されて、途方に暮れるんだよ。大抵の卒業生には、早いところ、田舎に帰りなさいと言うんだけどね。音楽教室の講師で、ピアノを教えるだけじゃ、食べてはいけないんだからさ。ところが、田舎では、ざんざんお金を掛けて音大を出したもんだから、何とか自立できるだろうと、プレッシャーを掛けてくるんだよ…。大変だよねぇ。」これが、講師を雇う立場の人の発言ですから、現実は甘くないんですよ。卒業間近の皆さん、迷子にならない為にも、就活はしましょう!でなければ、さっさと嫁に行きましょう(^o^;)。だけれど、音楽を続ける夢は追い求めたいよね。私の場合、学生をやめてから、そのまま家に入ってしまえば、それはそれで良かったのですが…。完璧なまでに美しい駐在員の家族生活にもすぐに飽きて、生徒募集に走ったんですね。それから、転々としながらも、教えたり、弾いたりに、四苦八苦で頑張らざるを得ない日々です。だって、自営ですから、何だって自分でしなくっちゃ!要するに、教えて生活していくってことは、起業するわけだから、自分で会社を興し経営していくくらいの覚悟や心意気のない人は、雇われる方が性に合います。少なくとも、独りぼっちにはならずに済みますよぉ。でなければ、やはり嫁です(*^o^*)。男の子の場合は、就職か、四苦八苦の自営です(^_^;)。婿に行っても、働かなくてはならないからね。性差別だって?いえいえ、現実を述べているだけですよ。

オレンジとレモン

20070304005259
自分探しの五年間について、少しづつ話しますね。ロサンゼルスから、車で30分ほど南下したところにある街、サン・マリノに住んでいたことがあります。駐在員の家族として、二年ほどそこで、今とは全く違う人生を送っていたんです。丁度、ルイジアナ州立大学を卒業を目の前にして、越すことになったけれども、残すは口頭試問程度だったので、時期になったらまた来ればいいやって。気軽に転居。ルイジアナの州都、バトン・ルージュから、ロサンゼルス入りしたその日は、運悪いことに、暴動の最中で、乗った飛行機が、果たしてロサンゼルス空港に降り立てるかどうか、心配したほどの大騒ぎ。空から見た街は、停電のせいで真っ暗。ところどころに、火の手が上がっているのが、空の上からも分かるほどの惨状。幸い、空港には降り立ったものの、迎えの車で安全な郊外へと抜けるまで、ところどころで煙に巻かれながら、高速道路を一気に走り抜けたのでした。当時、住んでいたサン・マリノという街は、ほど良く良質な居住区。高級住宅街パサディナに隣接しているため、それなりのお店が、広い道の両脇に立ち並び、美しい街並みを誇る。美味しいレストラン、おしゃれな花屋、カフェにブティック、スーパーだってセレヴ御用達風。住んだ家は、白に水色の窓枠が映える平屋の戸建て。芝生の青々とした前庭には、車寄せの道路が敷かれ、ゲートをくぐって裏にまわれば、別棟に車が2台入る車庫があり、オレンジとレモンの木が植わった裏庭には、ガゼボが涼しげな影をつくって心地よい。広い敷地は、時折庭師がやってきては掃除、手入れをしてくれるから手間要らず。スプリンクラーが時間になると、自動で水撒きを始める。ベッドルームが3つに、お風呂が2つ半(半とは、シャワーブースのみの洗面室がひとつあったから)。リビングに、グランドピアノをゆったりと斜めに置いて、ソファを配しても、明らかに家具が足りないほどの広さ。ダイニングは、普段用とシャンデリアの下がる来客用の2つ。広い家は、ほこりがたたない。と言うより、目立たない。お姫様のような生活空間。そこで、幸せだったかって?う~ん、始めはね。白いタイルの貼られた美しいキッチンで、毎日パンやケーキを焼いたり、ゼラニウムの鉢を買ってきたり、パッチワークなんかに手を出してみたりね。夜には、コンサートやオペラに出掛け、噂のレストランに行ってみたり。でも…、それらは、すぐに飽きた。家でピアノを弾いても、張り合いが無い。お姫様になりたくてピアノを続けてきたのではなかったことに気が付く。敷地が広すぎて、「ここに私が住んでいるのよっ」て、叫んでも、誰も聞いてはくれない。籠の中の鳥…。私は何がしたいのだろうか?思い切って、楽譜屋さんに出掛け、「ピアノ教授します」の張り紙をしてきた。しばらくして、電話が鳴った。心が躍った。要するに、家の外の誰かに、必要とされたかったんだと思う。

五ヶ年計画

20070305225241
人生は計画したからといって、思惑通りにことが運ぶわけはないけれど。振り返ってみたら、一定期間のサイクルで、くくることが出来るのかも知れない。進学校として名高い東京の男子校、巣鴨の名物校長、堀内政三先生が、こう仰っていました。人を集めるのに十年、育てるのに十年、そして成果を挙げるのに、更に十年掛かったと。彼は、十年サイクルで物事を図るように唱える。私の場合は、だいたい五年のサイクルで、ステージが変わってきたようです。大学を卒業して、大学院に五年、自分探しに五年費やし帰国、千葉に教室を開いて、生徒を集めるのに五年、育てるのに更に五年経ったことになる。さぁて、次の五年で、成果がどれだけ出るか、楽しみにしようっとo(^▽^)o。何故に、五年サイクルで生きていくかって?だって、十年サイクルでは、年をとるのが早すぎるではありませんか?成果が出る頃には、すっかりおばあさんでは、ちょっとね~σ(^-^;)。まだまだ、次の計画がありますから。これからも、ちょいと早足で歩いています。さて、あなたは、何年サイクルで生きていますか?振り返ってみると、自分の人生観が、見えてくるかも知れませんよ。そうそう、お教室では、五年のサイクルごとに、ピアノのレッスン料金を上げてきました。このまま、つり上がっていくのではないかと、心配な保護者様方へ。次回のサイクルは2012年にやってきます。それまで、自分のお子さん達が、どれだけピアノが上達できるのか期待する、はたまた、そこまでピアノが続けられるのかどうか心配しましょう~(*^-^)b。

アプローチ上手

20070304005249
何を弾こうかしら?ピアノの曲を決める際に、何が決め手となりますか?流行りの曲?派手な曲?有名な曲?余り知られていない曲?憧れの曲?思い出の曲?それとも、涙をさそう曲?私が、一つのコンサート・プログラムを決める場合は、以上の全てを考慮して、選曲するようにしています。曲の長さや、スタイルにも少し幅を持たせるように心掛けないと、約二時間もの間、じいっと耳を傾けて頂くことは、よほどのクラシック・ファンでもないと難しいからです。あっ、相手のせいばかりにもできないよね。よほどピアニストの腕前が良くないと、長時間飽きずに聞いていただくことは難しいからです、とも言わなくては。生徒達の場合は、舞台の上で、一度に何曲も弾くわけではないから、幅と言ったところで、それ程バラエティーに富んだ選曲が出来る、という訳にはいきません。それでも、2曲弾くなら、対比した曲想を持つ曲を組み合わせてみたり、バロックと現代曲などと、スタイルの異なる選曲をしてみたりと、頭をひねって考えています。ピアノ曲は、それこそ一生掛かっても、弾ききれないくらい豊富にあります。常々えらそうに、「ピアノ教師の魅力は、教えられるレパートリーの多さですよ」と、持論をぶちまげている身としては、まずは門下生から実践していかないことには、説得力などありはしない。しかし、生徒に選曲を任せていたら、子犬のワルツに 、華麗なる大円舞曲、愛の夢、とロマン派に偏った、名曲オンパレードになってしまう。そこで、耳新しい曲を彼等に紹介する時には、アプローチにテクニックを使うんです。まずは、弾いてみせる。冒頭だけでも、かいつまんででも良いから、とにかく弾いてみせる。どう?素敵な曲でしょう?この曲を、あなたに弾いてもらいたいと思うのよ。こんな曲を弾けたら素敵よねぇ。あなたに、ぴったりだと思うわ。女の子には、この曲を弾くことによって、どれだけ輝けるかって、プリンセス・アプローチ。小さな子には、学校で人気者になれるよって。中学生になった男の子には、「ねぇ、この曲を弾いてもらったら、たいていの女の子は恋に落ちるわよ~」って、下心戦略。にやにやっと興味を示す。ピアノを練習していると、お腹が空くんですよ。小腹が空いたときには、冷凍の焼きおにぎりを、電子レンジでチンしてしのぐんですね。自分用には、そのままパクリ。人様に出すなら、気の利いたお皿にのせて、おにぎりのわきにお漬物でも添えて、お汁物も一緒にすすめる。同じ物でも、提供の仕様によって食欲、もといイメージの湧き方は違ってきます。

世間知らず

20070304005247
「女の子こそ、教育をしておかないと、困った時に、身を売るしかなくなるんですよっ!」「女の子は、崩れ始めると、とことん落ちるからねぇ…。」 最近、偶然なんでしょうけれども、このようなショッキングな発言を、教師の方々から、たて続け聞いて、あまりに過激なのでギョッとしたんですね(><;)。きっと、現場で年頃の女の子達と、面と向かって取り組んでいる、先生方ならではの苦労があってこその発言で、実感を込めて警告していたのだと思いますが…。まぁ、この場合、教育というのは、学歴ばかりではないのでしょうけれどもね。確かに、無知や、浅はかさや、世間知らずの行為が、人生を大きく狂わせてしまうこともあるんですよ。ミワ先輩の話しを聞いて下さい。一年年上のミワ先輩は、同じ音高の卒業生だった。卒業後、先輩と同じ大学に進学した。(音楽大学は、星の数ほどあるわけではないから、同じ大学に通ったって別に珍しい話しではないけれど。) 先輩は声楽を専攻していたから、ピアノ専攻の私とは共通点はあまり無かった。けれど、ミワ先輩は後輩の私をアパートに招いて、時折手料理などご馳走してくれたりと、可愛がってくれていた。ミワ先輩は、ひとりっ子で、実家にも招いてくれたことがある。学習塾を経営している家は、見るからに裕福で、ミワ先輩の部屋には、グランドピアノだの、ベッドだのドレッサーだのが、ゆったりと置かれていたのには驚いた。なにせ、私の部屋には、グランドピアノに机にベッドに本棚が置いてあったけれど、6畳間ほどの狭さだったので、ぎゅうぎゅう詰め状態。ベッドの足元半分は、ピアノの下に突っこまれていたからねぇ。ある日、ミワ先輩の母親から、電話が掛かってきた。「ミワがどこにいるのか、ご存知ありませんか?」「えっ?なんですって?」たま~に、会うくらいで、専攻も学年も違うから、行動パターンを詳しくは知らない。しかも、入学当初は、気に掛けてもらっていたけれど、そういえば、この頃はキャンパスで見掛けてもいなかった。「どうしたんです?何かありましたか?」駆け落ちしたかも知れないと言う。「駆け落ち?」駆け落ちって、何だったっけ?一瞬、言葉の意味があやふやになる。キャバレーのマネージャーと、いなくなったという。何故に、先輩がキャバレー?キャバレーって、何だっけ?どうして、先輩はキャバレーの人との接点があったのだろうか?突然のことで、頭が上手く回らない。母親は、こちらの当惑に構わずに続ける。そのマネージャーとかいう人は、ミワ先輩のために家具を一式買って、結婚の用意もして、倉庫に預けてあるという。それなのに、交際を許してもらえないならと、いなくなったという。家具?一式?「その家具って、誰か見たんですか?」それって、怪しくない?騙されているんじゃないですか?思わず、電話でそのようなことを言ってしまった。「うちの子が、悪いって言わないでちょうだいっ!」 ガチャン…!ツーツーツー。あれ以来、ミワ先輩をキャンパスで見掛けることは、ついになかったんですよ。「とことん落ちる。」最近、この言葉を聞いて、思い出しました。何が大切かって、教えていくのはそう簡単ではない。

雛祭り

20070302234723
雛祭りといえば、ひし形に固まったおこし。ピンクに緑色に白。欠かさずに食べていたんですけれど、この頃はあまり見かけくなりましたね。そもそも、雛祭りは、女の子が無事に育つことを願って始めた行事なのでしょう。雛人形を箱から出す時は、うきうきと楽しい気分がするものです。飾った雛人形の福ふくとした表情は、きっと幸せをもたらすに違いないと、思わずにはいられません。でも…、心にちくりと思い出す光景があるんです…。それは、持ち主のもはやいない人形達。育つことの叶わなかった子供達、もしくは、子供を持つこともなく早世した人達の気配に、出会ったことがあります。山形県にある山寺(立石寺)は、急な階段が山頂まで長く続く。石段は、全部で1,015段あるのだそう。そこは人里離れた山奥。お坊さん方が隠り修行をする場所で、昔は断崖絶壁から足を滑らせ、命を落とす僧もいたとか。そんなだから、ようやっとの思いで上に辿り着けば、絶景が眼下に広がる。足元がすくむような展望を楽しんだ後、さらに、その上にある、5メートルの大きな仏像を祀っているという奥の院に入った。その途端、異様な光景に息をのんだ。沢山の人形が、薄暗い影の中から、一斉にこちらを向いている。仏像の裏の壁面いっぱいに、夫婦人形やらお雛様が、床から天井までぎっしりと奉納されているのだ。きっと亡くした家族が、故人を偲んで成仏するようにと、人形を奉納したのだろうね。一体一体に、人の魂が、供養という言葉で封じ込められているかのよう。そこいらの空気は、ひんやりと固まっている。じいっと空を見据える人形の視線から、逃げ出したい思いに駆られた。山形といえば、こけしが有名。山を降りた山門辺りに、こけし屋さんがあった。お店をちょっとのぞいてみたら、こけしのお雛様があったので、小さな人形を一対購入した。素朴な山村で出会ったドラマを、年に一度だけ思い出すために。

リストラ

20070220134449
ルームメイトのキム=シュリー・ロイドに、11月の感謝祭にイリノイ州にある実家に来ないかと、誘われた。母親の作るミートパイは絶品だから、是非食べに行こうと言う。2人で空港に降り立つと、キム=シュリーに良く似た小柄なお母さんと、上背のある初老のお父さんが、迎えに来ていた。ようこそと微笑みながらも、どこかぎこちない。もしかして、招かれざる客だったかしら?家に着いて、荷物を解くなり、お母さんはキム=シュリーを相手に、機関銃のように喋り出した。お父さんが突然リストラされたこと。彼が、いかに優秀で、勤めていた銀行にどれだけ貢献してきたか。まだまだ働けるのに。会社のやり方が気に入らない。リストラを告知されたその日、慌しくオフィスの荷物を片付ける間中、警備員が両脇について、誘導されるかのように会社の外に出されたそう。中には、暴れる人もいるから、それを警戒してのことだろうけれど、あまりに人道的ではないと。この際、裁判にかけて、非合法な解雇と訴えてやるんだわ。まくしたてるお母さんに反して、お父さんは寡黙に、ソファに腰掛けて、新聞を読んでいた。多分、読むふりをしていたのだと思う。東洋から来た見知らぬ小娘の前で、自分のリストラの話をされたくはなかったんじゃないかな。私は、どうしていいやら分からずに、黙っていた。夕食に出されたミートパイは、シナモンのスパイスを効かせたところが、ロイド家風とのこと。美味しかったかって?それどころじゃなかった。無理におかわりをして、レシピを尋ね、話題を他に向けようとしていたことだけは、はっきりと覚えている。アメリカのリストラ。やり方は、激しく厳しいとは聞いていたけれど…。以前で言うところの、肩たたきは、リストラという言葉に置き換えられつつあるよね。リストラとは、解雇と解釈されてるけれど、会社経営の建て直しという語源だそうです。

天職を追いかけて

20070228084821
何故にピアノにこだわり、仕事として続けるのだろうか?ピアノが好きだから?う~ん、そんなんじゃない。それしかできないから?そんなことでもない。音楽大学のピアノ科を卒業したからと言って、必ずしもピアノ教師になるわけでもなく、音楽大学を出ていないからといって、ピアノ教師が勤まらないというわけでもない。運命?天職?この仕事に関わるとは思ってもみなかったと、口を揃えて言いながら、活躍されている方が多い。職業って、そんなものかもしれない。楽器店にお勤めの菅原さん。就職したのは本屋だったのに、音楽教室部門に配属になった。そこがつぶれて大手楽器店に買収され、いまや大企業の社員として、忙しく生き生きと働いていらっしゃる。みどり子さんは、教育学部卒業後に、某有名宝石店に勤めていたが、寿退社。ご主人様の赴任に伴い渡米。そこで中途になっていたピアノの勉強を再開して、帰国後にお教室を開いた。生徒さん、今のところ2名。とても大切に育てているから、評判を呼び、きっとこれからピアノ教師として忙しくなるでしょう。忙しいといえば、高校の家庭科の先生をなさっている竹田さん。引越しだの、介護だのって、ちょっとブランクが空いたけれど、職場復帰を果たした。ご自身は、研究肌で学生の指導するとは思っていなかったと、仰るけれど…。多忙な合間をぬって、事あるごとに、お菓子を焼いては、皆にご馳走してくださる。面倒見が良く、先頭を切って指揮をとるしぐさは、指導者にぴったりとお見受けしますよぉ。音大を出たエリは、湘南は茅ヶ崎で、ボートを販売する会社に勤めている。ボートではなく、クルーザーと呼ぶらしい。「いつでも乗せてあげるわよ。いらっしゃいね~」って、快活に言われたけれどもねぇ(*u_u)。乗せてもらっても、到底買えないから…。すらりと背の高いエリは、顔も腕も日に焼けてたくましい。音高でクラスメイトだった松っちゃん。彼女の父親は、女に教育は要らんって方針とかで、4年生ではなく短大のピアノ科に進学し、その後、市役所に勤め公務員になった。今では役職に昇進している。ピアノのふたは、随分永いこと開けていないそう。銀行の預金通帳を、ピアノの中に隠してあるって言っていたから、ピアノは本当に弾いていないんだろうねぇ。それぞれに天職って、きっとあるに違いない。どこでどう自分に合った仕事が、見付かるのだろうか?それが分からないから、取りあえずガンバる!「頑張らなくても良いんだよ」って、色紙に書いてあるのを見かけたことがあるけれど、それは頑張った人に掛ける、ねぎらいの言葉だから。「なぁんだ、頑張らなくて良いんだ~」と、勘違いしないようにね、若者諸君!
プロフィール

鈴木直美

Author:鈴木直美
ピアニスト、指導者として活動中。
Suzuki Piano School主催

最近の記事
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

リンク
ブログ内検索
RSSフィード
ブログカウンター