飛行機雲

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父の命日を忘れていたわけでは決してありませんが、1月初旬では寒いとか、下旬では休みが取れないとか、あれやこれや言い訳をしていたら、のびのびになっていました。少し春めいてきたので、思いたってお墓参り。これから、仕事が忙しくなる時期を迎えるから、今しかない!(ピアニストは、1月~2月が、比較的暇な時期なんですよ。) 「さぁ、行くわよ。8時に出発!4時にはレッスンが入っているからねっ」と、声を掛ければ、「あなたの行動はいつも勝手だから」と、家族から愚痴をまくしたてられるものの、無視して強行。まぁ、長女だからね(^~^)、身勝手な主導権を振り回す行為にお許しを。父は生前、「娘に心配はないんだ」と、親戚には言っていたらしいけれど…。何を言っているんですか。こちらは、心配ばかりですよ。親子って、親に心配掛ける立場から、いつの間にか、親の心配をする側の立場に逆転するんですよね。からりと晴れて、日差しが暖かい一日。厚木市郊外の山あいにある墓地は閑散として、空を見上げたら飛行機雲が、ひと筋白く光っていた。あれから、2年もたつのかぁ…。幕張まで車をとばし、ホテルの懐石ランチで会食して、夕方からのレッスンには間に合うように帰宅。「完璧な一日だったわねぇ」と、満足気に言えば、疲れた顔の家族に、白い目を向けられる。ところで、ショパンのお墓は、二カ所あるってご存知でしたか?一つは活躍したパリに、もう一つは故郷のポーランドに。心臓はポーランドで、それ以外はパリってことになります。あぁ~、日本人で良かった。焼いたら、ひとつにまとめておいて下さい。
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後腐れな気分

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教師と生徒との関係は、男女のそれと、似ているところがあるのかも知れないと、時折思ったりするんですね。一度しこると難しい。別れをなかなか切り出せない。好きだった相手が、別れた途端に嫌な奴に転落する。別れてみれば、束縛から解放されたことに安堵するものの、一抹の寂しさを感じる。再会には、よそ行きな照れくささが伴う。などなど…。そう言われてみれば、なぁるほどと、思い当たる節もあるでしょう。一旦、冷え込んだ関係を改善するには、かなりの努力が必要です。経験上、多分一旦崩れた関係は、元には戻らない。たとえ回復したかのように見えても、いづれ再び決別に至ることかと思ったりします。一方、後腐れた関係ってありますよね。いつまでも、何となくダラダラと付き合ったりしてね。長引けば長引くほど、付き合いをやめたいと、言い出しにくかったり。あっ、師弟関係について述べていたのですよ。男女間の話しかと勘違いしていたとすれば、それは心に思い当たる節があるからですよ~(^ε^)♪。たとえ腐れ縁と毒づきながら、ダラダラと続けていても、ピアノは少しずつ上達します。それが肌で感じることが出来た時、続けていて良かったと言えるでしょうね。冷たく降り固まった雪も、いつか溶ける日が来るって言うじゃありませんか。あっ、これは人間関係についてです(*^ー^)。

かち割り

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「ハウルの動く城」の彫像。暗譜について考える時、こんな顔をしたくなりますよね。演奏会の後に、「あれだけ覚えられるなんて、いったい脳みその中身は、どうなっているのかしら?頭をかち割って、見てみたいですよ~」と、感心されます。あっ、それは、ちょっとぉ…、過激なお褒めの言葉を、ありがとうございます(?_?)。暗譜は慣れと言ってしまえば、慣れとも言えますが。いくつかのポイントがあります。まずは、譜読みの段階から、だいたいの曲の形式を覚えてしまうんです。片手づつ暗譜なんて、必要ないと思います。だいたい、片手で演奏することなんてないのですしね。(片手練習しなくて良いと言うのではありません。弾きづらいところは、片手練習しなくてはなりませんよぉ…。) 形式や調の理解に加え、様々な、お助け技術を動員します。両手での腕の動き。鍵盤を這う指の感触を、記憶する。メロディーを追う聴覚に、ハーモニーを聞き取る想像力を養う。楽譜を写真のように記憶して、頭の中で音符の流れを視覚的に思い浮かべ、それを反芻する。多分、嗅覚意外は、体の感覚をフル稼動させます。加えて、集中力は、何よりもの助けです。以前、ある演奏会でのこと。「お陰様が出ているわよ」と、写真を見せて頂いたことがありました。指さした場所には、ぼんやりとした、まあるい影が。確かに、私の頭の上の方に、何だかぽやっとしたものが浮かんでいるんですね。その方曰わく、人が集中した時に、「お陰様」は現れやすいとか。何です、その「お陰様」って?「あなたを守ってくれているのよ。」「はぁ?じゃ、あのぅ…、守護霊とか言われるものですかね?」「まぁね。うふふ…。」それ以上立ち入ることは、止めておきましたm(..)m。とにかく、暗譜に際しての助言は、多角的にアプローチしましょうということです。何回も練習して、指先だけで覚えていくのは限界がありますし、危険です。お陰様を含め、持てる力をあらゆる角度から使いましょう。

バトン・ルージュ

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ルイジアナ州の州都は、バトン・ルージュという名の街です。バトン・ルージュはフランス語で、訳せば「赤い棒」ということ。街の名前の由来は、赤唐辛子の産地ならではのエピソードがあります。赤唐辛子の実の熟し具合を計るために、赤色に塗った棒を使い、実の色と比べて収穫時期を決めていたそう。タバスコのビンを、まじまじと見たことがありますか?ラベルに小さくアメリカ産、エベリー島、LAと入っていますが、これはロサンゼルスのことではなく、ルイジアナ州の略です。タバスコは、数少ないアメリカ産の一つ。原材料は、赤唐辛子、酢、塩、ガーリック。近くを通った折りに、ちょっと興味があって、この工場を訪ねたことがあります。広大な敷地に池があって、「ワニに注意」という看板が、草の茂みにいくつか刺さっていたんですね。はぁ?ワニ?よ~くよく見れば、池の縁にワニの背中が、ぽこっと浮いているのが分かったら…。あっ、あっちにもこっちにも、\(゜□゜)/ワニがうようよいる。柵などないのに、何故にワニがいるのよっ!結局、タバスコが偶然の産物だったということよりも、ワニが放し飼いになっていたことに気を取られての、工場見学でした。ちなみに、アメリカでは、ピザにタバスコはかけません。ピザにタバスコは、日本の習慣だそうです。代わりに、乾いた赤唐辛子を砕いたものをかけます。Crushed red pepper.

プレリュード

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盲目のジャズ・ピアニスト、べス・ボニーは、クリスが連れて来た。クリスは、イースタンミシガン大学での学業の傍ら、生計を支える為に、バイトでジャズ・ピアノを弾いていた。出入りしていたデトロイトのジャズ・バーで、べスと知り合ったらしい。べスが、クリスに連れられて大学を訪れた時には、すでにかなりの年配で、背中が丸く曲がり、動作は大儀そうに緩慢で、いかにも人生のやるせなさが漂っていた。ベスは盲目と言ったが、光をわずかに判別できる程度の視力はあるそう。慣れない場所では、他人の手を借りずには、どうにも動きがとれない。大学内で開催された公開レッスンに出場するために来校したのだが、場違いな雰囲気は、目の見えないベスだって感じていたに違いない。部屋の隅に、不機嫌そうにブスッと顔を歪めて座っていた。公開レッスンの最後に、ベスが皆の前で弾いたのは、意外にもジャズではなく、ショパンの24のプレリュードから第4番、ホ短調。クリスが、手をとり無言のままベスをピアノの前に座らせる。それまで見るからに不自由であったベスは、ピアノに向かった途端に、まるで鎖から解き放たれたかのように、自由に振る舞う。彼女の指先には、迷いがなかった。私は、彼女の心の目を感じていた。弾き終わると、再びブスッとした態度に戻る。公開レッスンを担当していた講師が、何か話し掛ければ、うるさそうに手を振って遮る。この人は、いったい何をしに来たのだか?何故、クリスはベスをここに連れて来たのだろうか?公開レッスンの後に、ベスが録音したというカセットを、クリスから一本買った。(当時は、まだまだカセットの時代だったのよねぇ(*^ー^)…。)今思えば、クリスは、どうにかしてベスを助けてあげたかったのだろう。そして、ベスは、クリスの好意を知りながらも、プライドが邪魔をして、彼女の態度を悪くしていたのだと思う。同情ならごめんだよってね。ベスのカセット・テープには、タイトルが付いていた。Sad Bird =悲しみの鳥。結局、そのテープはロクに聴かなかった。第一に、ジャズには、あまり興味がなかったこと。第二には、結局、ベスを気の毒に思い、募金の代わりになればとテープ代金を払ったことに、気が付いていたから。ベスは、そうやって、ずっとしたたかに生きてきたんだよね。

マルディグラ

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今日はマルディグラだったのよ~と、タイースからのメールが届いた。わぁ、懐かしい、マルディグラかぁ…!すっかり忘れていた。マルディグラとは、2月最後の火曜日にあたる、謝肉祭の最終日のこと。それは、イースター前の断食に入る前日を示すそう。もともとは、この日を境に明日からは断食で食べられないから、今日は大いに飲んで食べましょうってことだったらしいけれど、今ではドンチャン騒ぎの部分だけ踏襲されている。ニューオーリンズの街中、フレンチ・クォーターという市街地で行われるマルディグラには、世界中からこのドンチャン騒ぎのお祭りを見ようと、観光客がやって来る。この日、人々は飲んだくれて、ハイテンションになり、騒ぎながら人波を泳ぐように踊り回る。黄色(金と言う人もいる)と紫に緑という配色で、マルディグラは彩られる。街中の壁から、旗から、風船や、衣装はもちろん、パンにかかった砂糖にいたるまで、このマルディグラの三色で塗られる。その昔、ナポレオンが好んで食べたムファッタというサンドイッチで有名な、ナポレオン・ハウスというレストラン。ベニュエと呼ばれる四角いドーナツにカフェ・オレを楽しめる、老舗カフェ・ドュ・モンド。入る店を決めかねてしまうほど、食事所が軒を連ねる。ジャズ・バーの扉や窓は開け放たれ、ジャズが流れる。普段は、フレンチ・クォーターは観光地でありながら、退廃的で混沌とした街の顔を持つ。マルディグラの祭りの日は、底抜けに明るく、溢れんばかりの人が、夜の街バーボン・ストリートを、押し合いへし合い流されるように街中を動く。フレンチ・クォーターから離れた大通りでは、フロートが何台も出て、マルディグラ・カラーで着飾った人たちが、お宝を撒き散らしながらパレードを繰り広げる。お宝が巻かれる度に、それを拾う人垣が崩れ、わぁわぁの大騒ぎになる。お宝はプラスチックの金貨や、宝石やら、ビーズのネックレスやら、コップだの、何故だか髪をとかすクシなどなど。少し逸れた脇道は、ぐっと人影がまばらになり、ブードゥー教やら黒魔術やらのグッズを売る店が、いかにもそれらしく店を構えるが、実際のところ、観光客相手の土産物屋だったりする。カラスの足のストラップ、黒いローソク、カエルが漬かったアロマオイル、目玉のマグネット…。もちろん、店内にぶら下がるカラスの死骸も含め、全てプラスチック製。まぁ、お遊びってことですよ。アメリカが誇る作曲家として知られるギロックは、ミズーリ生まれ。大学を卒業してからニューオーリンズに移り、そこでピアノ教師として、21年もの長い間活躍していたそう。ギロックの「ジャズスタイル・ピアノ曲集」(全音)には、ニューオーリンズ・ジャズスタイルと冠した15曲が監修されていて、その中に、「マルディグラ」と題名のついた曲が、載っていますよ。弾いてみれば、クレイジーな慌ただしさを、感じることが出来るかもしれません。

もしかしたら…?

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野口英世が開業していた医院跡に作られたカフェ。二階は野口英世の勉強部屋になる屋根裏部屋で、そこかしこから、すきま風が吹き込み、寒いことといったらない。先人は我慢強く、偉大であった…階下のカフェでぬくぬくと温まり、珈琲をすすりながら、「えらかったんだなぁ~」なんて、感心しているようでは、偉大な先人に、到底追いつくことはできない。不思議なことに、小さなころから、予知能力という程ではないのだけれど、ちょっとした未来を感じる力があった。多分、今もあると思う。それは、あまりどころか、少しも役に立つたぐいのものではないけれどね…。近所の床屋のおばちゃんのことをふと思うと、バスの中でばったりと乗り合わせたり。道路の向こうから生徒が歩いてくるのが、「あっ、みほちゃんが来る」と、視界に入る前から分かったり。夜に電話が鳴って、受話器をとる前から、親戚の不幸を知ったり。お隣りのおばあちゃんが施設に入った後、何故か彼女の臨終を感じ取ったり。それがどうしたっていう程度ですが、不可解な現象が折々にあるんです。それによって、私自身が、得したり損したりすることは、残念ながら全くないのですがね…。コンクールの課題曲発表時にも、毎年この不思議な力が働く。発表会に弾いた曲、丁度さらっていた曲、他のコンクールで参加したことのある曲などなど…。特に意識はしていないけれど、星の数ほどあるピアノ曲の中で、たまたま身近に触れている曲が、コンクールの課題曲に何曲も挙がる現象は続いている。ビンゴを当てた生徒達はラッキーよね。ちょっと楽チンだし、前向きなスタートをきれるし♪(*^ ・^)ノ⌒☆ 単なる偶然も、こう度重なってくると、もしかしたら、不思議な力があるのかなぁ…なんて。もし、中世のことなら、魔女狩りに遭っているかも知れない。怪しい洋琴弾きってね。そうそう、もうひとつ、ありますよ。最近、音源に提出したラフマニノフのプレリュード(http://www.piano.or.jp/concert/pianist/0182.html)、たまたま、課題曲に含まれていましたから、びっくりです(Θ_Θ)。だから何なんですって?そうなんです。始めに申し上げたように、あまり役に立つことはないんですよ。

慇懃無礼な

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丁寧なつもりが、かえって失礼を犯すことってありますよね。ヴァイオリ二ストの藤原浜雄氏を、ミシガン大学のサロン・コンサートでお見かけした時のこと。学友のキム=シュリーが伴奏するから、聴きに来てという。無料だし、今夜はきっと良い演奏会になるだろうからって誘われた。室内楽のプログラムで、何組か出演していた。キム=シュリーは、「今夜が初演なんだよ~」と、大げさに宣伝していた現代曲に参加していたが、現代曲にうとい私には、正直のところ、何がどう良いのかさっぱり分からなかった(?_?)。休憩をはさんだ後に、浜雄氏がクァルテット(弦楽四重奏)を演奏された。始めの第一音から、彼らの音色に魅了された。特に、第一ヴァイオリンが上手い。室内楽に、それ程精通している訳ではない私。良し悪しなどは、余り分からないはずなのに感動した。めったにしないことなのに、その夜はどうしたことか、第一ヴァイオリンを勤めた浜雄氏の元に駆け寄って、賛辞を述べてしまった。まぁ、賛辞を述べること自体は良いのだが…、相手を知らずには、失礼ってこともある(^_^;)。「素敵な演奏でした。とても、お上手でした。これからも、頑張って下さい。」浜雄氏は、とても出来た方だと思う。嫌な顔もせずに「あっ、ありがとう」と、返事してくださった。プログラムを参照して後で知ったことに、藤原浜雄氏は、読売日本交響楽団のソロ・コンマスを務めるベテラン。大物ですよぉ~。知らなかったとは言え、小娘ごときが、「お上手ですぅ~」なんて、大変失礼しました。頑張らなくてはいけないのは私の方なのに、プロ中のプロを捕まえて、励ましたりしてすみません(>_<)。しかし、日本を代表するヴァイオリニストの一人である藤原浜雄氏が、いったいどうして、こんなところで演奏しているんです?アメリカでは、学内でも、こうした気軽な演奏会が随所であるんですよね。しかし…、ビックリしたなぁ~もうっ。有能な演奏家ほど、目立たないところでひょっこり演奏していても、音が光るんだな~。ここで、有名処と言われる「先生」を渡り歩きたがる人に、少し苦言を呈したい。コツコツと努力を積んでいくと、必要な時に、必要な人は必ず現れます。「お世話になりましたが、あちらの方が有名なので、失礼~」では、何事も成就しません。自己の慇懃無礼に気付かず、どうやって、永きに渡って通用していくのでしょう?無理は、破綻をきたします。人は絆という鎖で繋がっています。自ら故意にねじ曲げてはどうかと…。だって、一旦曲がったものは、元には戻りませんからね。

著名ないとこ

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イースタンミシガン大学で知り合った、キム=シュリーがピアノを習っていたのはダディー・メータ氏。著名人のいとこ。世界にその名を知られる指揮者、ズービン・メータ氏のいとこらしい。…らしいと言ったのは、そのことを言われることを、ダディー・メータ氏は、非常に嫌っていたから。ダディー・メータ氏は、あの有名なメータ氏の「いとこ」だということは、皆知っていたけれども、彼に気を使って、この「いとこ」発言を面と向かって言うことはなかった。だって、気の毒なことに、本人の名前が、いとこよりも先に認知されることはなかったろうから。いとこの名前が出るたびに、話し相手の顔がぱぁっと輝けば輝くほど、自分の能力の低さを肯定された気にもなるのは想像できる。しかも、同じクラシック音楽の世界。それが繰り返されれば、名前を出されることさえ嫌になってしまうのは、当然かも知れないよね。音大時代の友達カオリが、当時の西武球団の稲尾監督の自称甥っ子と付き合っていたことがあった。はじめは、有名人の臭いに酔っていたカオリだけれど、しばらくして文句ばかり言うようになった。自分は大したことないのに、叔父さんの威を借りて威張りすぎるって、文句たらたら…。それを聞かされる方も、たまったもんじゃなかったけれどね。きっと、ダディー・メータ氏は、著名ないとこの存在によって得ることより、失うものが大きかったのでしょう。お察しします。映画「ファインディング・ニモ」で、一躍人気者になった、カクレクマノミ。かわいらしい鮮やかなオレンジ色は、幼魚のうちだけ。黒っぽい色に変色した成魚は、なぁんだ~と、言われているに違いない。同情しますよ…。

キム=シュリー

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イースタン・ミシガン州立大学で知り合った、イリノイ州からのキム=シュリー・ロイド。その頃、彼女はピアノ科の学生で、そこで私はガーツ氏に師事し、キムは同じフロアの向かいにスタジオを持つメータ氏に師事していた。この2つの門下はライバルで、互いに交わりは無いのが暗黙のルールだった。白人のイメージと言えば、大柄、金髪、青い目が先ず思い浮かぶよね~。だけれど、キム=シュリーは小柄で、黒っぽい髪と目の色をしていた。フランスの南部地方に見られる特徴なんだそうだ。南フランスからカナダ経由でアメリカに渡った人々を、ケイジャンと呼ぶ。肌の色も、白人にしては少し濃いし、小柄で、黒髪に、暗い色の目をしている。キム=シュリーは、自分のバックグラウンドは、ケイジャンの人達と共通する点があるという。フランスがルーツにあることに、非常にプライドを感じていた。彼女は、何かにつけ、人と違うことを好んだ。ピアノ科の学生にあるまじき(別に、ピアノ科らしい服装なんていう規則があるわけではないけど…)、パンクみたいな格好をして、ゲイの友達とつるんでいた。音楽科の建物の中で、闊歩する彼等は、間違いなく奇妙に浮いていた。もう少し、分かりやすくビジュアル化してみると、キム=シュリーは、短い黒髪をディップで逆立て、カミソリだの安全ピンだのをアクセサリーにして、ガイコツ柄のシャツと鋲を打った太いベルトを好んだ。相棒の方はというと、リッキーという名で親しまれる、オルガン専攻の学生。白人の中でもひときわ背が高く、頭は多分剃っていたと思うけれど、ツルツルのハゲ。片耳にだけピアスをして、マッチョな体型がいかにもっていう雰囲気。彼をゲイだとは、あえて言わずとも皆、それは何となく知っていた。キム=シュリーが、「彼は安全な友達なのよっ」と、言ったのを聞いて、そりゃあ、そうだろうって(*^ー^)ノ。キム=シュリーと私は、共通点が少なく、顔見知り程度だった。それなのに、次に進学したルイジアナ州立大学では、ルームメイトとして、しばらくの間、共に暮らすことになる。きっかけは、ピアノ♪。その頃、私は、サミュエル・バーバーという、アメリカ人作曲家が書いた、ピアノ・ソナタに傾倒していた。卒業演奏会に、この大物現代曲を弾いてみたいと、練習に熱を入れていた。そもそも、現代曲に慣れていなかったものだから、譜読みだって、暗譜だってとても大変。当時、学校でアシスタントをしていた私にあてがわれた狭い部屋は、師であるガーツ氏の部屋の脇にあり、標準より一つ鍵盤の足りない、古いスタインウェイが置かれていた。それを使って、それこそがむしゃらに練習する日々を過ごしていた。やっとどうにか第一楽章を覚えたところで、キム=シュリーが唐突に声を掛けてきた。ちょっと、弾いてみなって。メータ氏に気に入られていた彼女は、彼のスタジオの鍵を持ち、ドアを開けて私を招き入れる。勝手に、よその教授の部屋で弾いたりして、良いのかな…。いくら、留守だからといってもねぇ…。ガーツ氏の部屋と廊下を挟んでいるメータ氏の部屋は、二台のグランドピアノを含め、全てが正反対の位置に置かれていた。「どちらでも」と、言われ窓の近くのピアノに向かう。第1楽章を弾き終わると、ニヤニヤしながら、こう言った。「まさか、頑張りましたっていうのを、評価されたいわけじゃないよねぇ。この曲のどこが、どうソナタなのか理解してる?」むかっ!ズバズバ言う生意気な女は、嫌いだ!しかも、パンクはもっと嫌いだっ(`ε´)!。毒づきながら、自分の部屋でピアノに向かう。どうソナタなのか?まぁね、弾くのに必死で、考えが浅かったのは認めるよ。形式を分析しなおして、再びキム=シュリーの元へ。もう一度弾いてみる。「ありがとう、お陰で理解できてきたよ」と、礼を言えば、目も合わせずに、「そんなこと常識だから」と、そっけない。やはり、パンク女は嫌いだっ!後日、同じ大学に進学すると分かった日、どちらからともなくルームメイトの話しが出た。彼女は、指揮科を専攻するという。ピアノだけでは、狭い世界に偏ってしまって面白くないって。悪かったわねo(_ _*)o。偶然、旅立ちを共にしたキム=シュリー、口は悪いけれど、悪い奴じゃない。生意気だけれど、確かに多才であった。それぞれの道を歩むために、良いパートナーだったかも知れないね。

自子中心の災

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この頃、゛自子中心゛なお母さん、周りに増えてはいませんか?お受験やら、お稽古事にひっちゃきに張り切る方に、多く見られる思考傾向かな~って、感じるんですね。子供を競争社会にはめ込み、子供の能力を頼りに、自身の立場を確立しようと必死になるタイプに、よく出くわします。この精神状態を、直美語録では、゛自子中心゛と言っております。「あなたのためよっ」と、けしかけながら、自分の見栄のためだったりして(-_-メ。 もはや、親子愛とかいった範疇を超えているかなと…、少々、心配です(Θ_Θ)。どなたか、警鐘を鳴らさなくて良いんでしょうかね?人間として思いやりがあり、社会人として他人のために貢献していけるように育てるという、基本的な視点を忘れてはいませんかって。勉強もお稽古事も、大いに張り切る方が良いに決まっていますが、他人を思いやる感情をどこか置き去りしては、豊かな人生には結びつかないのではないかと…。要らぬ心配、大きなお世話と言われるでしょうが、覇気のない疲れた子供の顔を見ると、空寒さを覚えます。だって、ちっとも人間らしくないんですもの。自子中心症候群は、たやすく感染するようです。それでは、どうやって自子中心症候群を見極めるかって?簡単なことです。口を開けば、良きにしろ、悪しきにせよ、自分の子供の話ししかしませんから。人の話しを聞くのも苦手なようですしね(ρ_-)o…。感染してしまったお母さん方、母親の役割を演じてばかりいないで、自分自身にも目を向けてみませんか?遅かれ早かれ、子供は巣立ちますから。

こまち会

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今年もまた、同窓会の連絡が来た。高校の友達から。3年前に卒業以来の再会を、横浜駅東口そごうにあるレストランで果たした。高校の同窓会と言ったって、中高一貫校だったし、音楽科はひとクラスしかないから、中学から入学すると6年間、ずっと一緒のクラス。ほぼ全員が音大に進学したから、大学が同じだったりすると、中には10年の付き合いっていう友達もいる。だから、お互いに、隠しようも誤魔化しようもないところがあるんですよ。あなたの昔を知っているわよ~ってね。誰が名付けたのか、この同窓会をこまち会と呼ぶ。小町などと…自分達でよばわるには、年齢的に少々恥ずかしさもあるけれど、誰も異義は唱えない。引越しを繰り返し、各地を転々としていた私は、いつの間にか迷子になって、連絡先不明のままになっていた。劇団四季で活躍していた、元同級生の鈴木京子さんと共演することがきっかけで、旧交再び、再会したという次第。皆、それぞれの人生を歩んできた。姓が変わったのもいるし、そのままのも。二度も変わったのもいた。面影をわずかに残し変貌を遂げた者も、変わらない者もいた。音楽科を卒業したのに、現在の職業は千差万別。共通項は、皆、同じだけ時間が流れたってこと。二回目に誘われたこまち会は、北鎌倉にあるお食事処で。食事の後、ゆったりと北鎌倉を散策した。その時に撮ったあじさい寺のひとコマ。あじさい寺のあじさいは、青い色がさわやか。どこか、寂し気でなつかしい。北鎌倉の街は歩いてみると、以前よりも、うんと狭く感じた。今年のお誘いは藤沢でとか、これまた随分と遠方・・・。ごめんなさい、今回は、欠席いたします。また、誘って下さい。それまで、お元気でね(^O^)/。

推薦図書

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ゆっくりと、お茶を楽しめる時間はありますか?普段は、なかなか自分の為に、時間をとれないけれど、本を読むのは別。仕事で遠出する時や寝る前の一時。読書が、一番リラックスできる時間です。むさぼって読むほどの書籍通ではないのですが、ピアノ関連で興味深かった本をご紹介しますね。ピアノ愛好家の方には、「パリ左岸の音楽工房」(カーハート著)が、お薦めです。特に、ピアノが部屋の片隅にあって、ずっと気になったままの方。再びピアノの蓋を開け、鍵盤に触れるきっかけになるかも知れない一冊ですよ。ピアノを熱心に習っているお子さんをお持ちのお母さま方へは、中村紘子女史の「ピアニストという蛮族がいる」や、「アルゼンチンまでもぐりたい」などがお薦め。才女ってそういうことなのね…と、現実の厳しさを把握してから、自分の子供に夢を持ちましょう(^_^)v。たいていのジレンマから開放されることと思います。歴史好きな貴方には、「翼のはえた指・評伝安川加寿子」(青柳いづみこ著)と、「原智恵子・伝説のピアニスト」(石川康子著)を。この二冊、読み比べてみて下さい。同時代を生きたピアニスト、自由人・原智恵子と、常識人・安川加寿子の生涯を、それぞれの視点から捉えられて、非常に興味深いです。ウンチクを傾けたい向きには、「ピアノ100年」(前間孝則・岩野祐一共著)を。百年って言ったって、その実、戦後からの勝負ですからね。全てを失い、そこからわずか60年余りですよ。日本のピアノは、クラシック界に於いて、まだまだ浅い歴史の中で良く頑張っているな~と、感心します。機会がありましたら、是非、この内どれかを手に取ってみて下さい。では、また♪

所業リンク

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浮気は、たとえ現場を押さえられたとしても、絶対に認めないほうが丸く納まるとか。ふぅ~ん( ̄ー ̄)。ハイドンは温厚な人柄で、いわゆる人格者として、芸術家の中でも評価は極めて高い。パパ・ハイドン=交響曲の父と呼ばれ、人々に愛された彼だが、実生活では子供には恵まれなかった。少なくとも、妻アンナとの間にはね。ハイドンの妻は三歳年上で、結婚時に彼女はすでに31歳。当時としては、婚期を大いに逃してしまった年齢。アンナは、悪妻として語り継がれえている。嫉妬深く、無愛想で、浪費癖があったそう。悪妻に辟易したハイドンは、若い女に手を出した。女性にやさしいハイドン、そのやさしさが浮気とつながっていったことは、容易に想像できる。ハイドンは、秘密の関係が奥さんにバレることを恐れていたというけれど。思うに…。奥さんには、ハイドンの所業は、とうにバレていましたよね。携帯もなく、探偵もいない時代に、どう足がついたかって?女の感?さぁ…?奥さんがむっつりとして、湯治だの宗教だのに、ハイドンが稼いだ金を湯水のように使っても、彼は文句一つ言えずに支払っていましたから。何故に無駄使いするなと、文句の一つも言って制することが出来なかったのかしらね?世の男性諸君が、お金と女性問題で、自ら苦しみを作り出していくことは、その昔から変わらないらしいですm(u_u)m。そうそう、妻アンナは71歳まで長生きし、ハイドンが自由の身になることを妨げたとも言う人もいます。そんな言われ方をされたアンナ、ちょっと気の毒?歴史学者達は、たいていの場合男性です。音楽史に於ける人間関係の見解は、男性から見たご都合主義ってこともありますよね。ハイドンは可哀想で、奥さんが悪いって。本当のところは、どうなんでしょうか?人の所業は、様々な要素にリンクしています。要するに、お互い様。どっちもどっち。「続・音楽史とっておきの話」(武川寛海著)や「恋する作曲家たち」(フリッツ・スピーグル著)に、その辺のいきさつが書いてあります。もちろん、男性の視点からですがね。

バレンタインに寄せて

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「先生~、これ」って、バレンタイン・デーには、手作りのお菓子を、レッスンに持って来てくれる。可愛くラッピングされた、チョコレート、クッキー、ケーキ。それぞれの個性が出ている。手作りを、音符柄のナプキンなんかでくるんであると、この子達ピアノを弾けるってことが、プライドになっているんだね~と、嬉しくなります。今時の中学生あたりは゛友チョコ゛と称して、女の子同士であげるらしいけれど。それはそれで、誰にあげたの、あげないのって騒ぎにもなるらしい。それならば、いっそのこと、給食にチョコレートを添えてしまうとかはどうだろうか?全員、漏れなく配布。配給制のバレンタイン・チョコレート。それじゃ、楽しくはないんだろうね。給食と言えば、給食費を払わない家庭が多い千葉県、全国でワースト第三位だそう。お恥ずかしいことです(*u_u)。ところによっては、半分の家庭が、払わない学校がある。ここ大網白里町では、3ヶ月滞納するとお弁当持ちになるように、規則を改定したらしい。それを聞いた時には、「そこまでやる?」と、疑問に思った。今のところ、お弁当を持って登校する子供の話しは聞かない。効果があったってことか…。見えないところで他人に迷惑掛けても平気で、見えるところでは善人でありたいということなのかな?佐原の方では、今まで給食に添えられたプチゼリーが、二個から一個に減らされたと聞いた。大人の皆さん、だらしないことは止めましょうよ。先週末のデパ地下は、大変賑わいを見せていた。ひと箱が、ひと月分の給食費にあたる高級志向のチョコレート。正に飛ぶように売れていましたよ。

ヘレンドな妻達

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何故にピアノを弾くかって?音に込めて、パーソナルな悲しみや、やるせなさ、怒りを大きな声で言えてしまうからです。だって、社会人ともなれば、そうそう人前で言いたいことばかり言えませんからね。誰にも、本当の気持ちが分からないように…。音に託して、舞台の上から、大きな声で言ってしまいます。「つらいよ~、やってらんないよぅ、冗談じゃないよっ」てね(*´Д`)=з。ヘレンド社の茶器。一客数万円もする高級品。ニューヨークで駐在していた頃、洋食器に燃えていた。もとい、洋食器に憧れて1つ2つと、流行り病にかかったように買い貯めていた。もちろん、ヘレンドは高すぎて買えなかったけれどね。バブル経済にのって、米ドル、1ドル百円位で取引きされ始めると、全ての物が安くなる。安くなった気がする。買わなきゃ損根性が芽生える。駐在員の奥様達は、こぞって洋食器を買い求め、日本人相手に営業する店も幾つかあったほど。人は、少し豊かになると、優位に立ったような錯覚を覚え始める。高級食器からお茶をすすり、高慢ちきな気分に浸れる。しかし、茶碗は割れてしまえば、元には戻らない。欠けた茶碗は、途端にその価値を失う。その点、ピアノは決して裏切らない。思いを込めて弾いた分、応えてくれる。

デモ演奏

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庭先の水盆。溜まったわずかな雨水にも、うっかりすると、ボウフラが湧く。ウィーン楽器のセールスさんは、時折ケーキの箱を携えては訪ねてきた。確か、河村さんっていうお名前だった。上背があって、男っぽい人。「ちょっと、お嬢さんをお借りしますね。」ピアノを買おうかどうか迷っているお客さん達が、お店に来るからという。そこで、ちょっと弾いてみてという寸断。大人の思惑なんて計り知れなかったころ、人前に出ては喜んで弾いていた。違うお店のセールスさんは、いきなり私の手をとるなり、手相を読み出した。「まぁ、珍しいこと!この子は、苦労しない人生を歩んでいくわね。」ちっとも、当たっていませんからっ(*u_u)。朝昼晩と、悩み事は押し寄せてきます。そういえば、同じようなことがあった。父の名前の由来を叔母から聞いた時。父が産まれた時、名付けてくれたお坊さんが、「う~む、素晴らしい。この子は、百人に一人の人材になる」と、言ったので、百一と名付けたと、葬式の席で初めて聞いた。ふぅ~ん…。父は、生前、自分の名を嫌っていたけれどね。人をその気にさせる発言は、言った方はその場限りでしょうが…。結構、こうして何年も記憶に残ったりするわけだから、気を付けていこうっと。

ルーツと言えば

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音楽家は三代にして成ると、どこかで聞いたような気がしませんか?そもそものバックグラウンドが、音楽家の育つ家庭に必要であるってことでしょうかね。しかし、全てのことは、偶然の積み重なりなのではないかしら(^-^)ノ~~?母は結婚する前に、幼稚園で保母として働いていたらしい。長女の私が産まれたのを機に退職を願い出たところ、園長に保育後にピアノを教えないかと持ちかけられ、リトミックや個人レッスンを始めたとか。以来、自宅にも生徒が来るようになり、音楽教室を開く。その後、ピアノやエレクトーンを立て続けに買った母に、楽器店が仕事を持ち込んだ縁で、自宅以外でも教室を持ち、先生も雇い、女手一つで始めたビジネスとしては、まぁまぁ、成功していたようだ。母に声を掛けた楽器店は、ウィーン楽器といった。横浜郊外にある三ツ境という駅の前は、まだ舗装もされておらず、砂利をまばらに敷いただけの道路にバスが走ってくれば、駅前のロータリーは、白い土埃が舞い上がった。そんな駅前に、ウィーン楽器という店名は、かえって田舎臭さを強調しているよね(^_^;)。その頃、母曰く、猫も杓子もピアノを習いたがる時代だったとか。家庭にあるのは、せいぜい足踏みオルガン程度。大勢の生徒が押しかけていた母の音楽教室では、ピアノが売れに売れたとか。今と違い、楽器店のセールスさんは、店に座っていながらにしてピアノが売れた時代だったそう。母は、自分では私を教えることはせずに、あちらこちらの先生に連れて行った。今思えば、母の行動は、闇雲であっただろうが、情報のない時代に、良い教育をと必死に求めていたのだと察する。がむしゃらに働き、全てを子供に注ぎ込んだと言っても過言ではない。母は、「あなたが、ピアニストになりたいって言ったからよ」と、振り返るが、男子を期待した父方に対し、女の子しか産まれなかった母の根性じゃないかと思う。そんなところに、人を駆り立てるエネルギーってあるんですよね。

うさぎとカメ

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うちの子は楽譜の読みが遅いと訴える、お母様方へ一言。遅いって、誰に比べてっていう比較対象が何なのか分からないのですが…。確かに個人差はありますが、慣れですから、そう決め付けずにこつこつと勉強していきましょう!譜読みが早い方だと、ちょっとばかり自信があった私は、ある日ヘンリーの能力に打ち砕かれたんですよ。スクリァビンやプロコフィエフのソナタとかの難曲を、初見で弾いてしまうんです。そんな人、見たことあります?それまで、ポピュラー音楽をピアノで弾いて仕事をしてきたヘンリーは、あまりクラシックのレパートリーを知らない。ユダヤ人の彼は、とてつもなく頭の回転が早い。学位があった方が、安定した職にありつけるというのが、彼の目的だったから、クラシック音楽に傾倒しての進学ではなかった。ピアノのレパートリーを学ぶクラスで一緒になったヘンリーは、バックグラウンドがないから、知らないことだらけ。ところが、凄まじいばかりの読譜力で何でも弾き倒してしまう。他の学生達が何年も掛けて培ったものを、ヘンリーはあっさりと手に入れる。スクリァビンのソナタの五番を、こういう曲が在るんだねぇ…なんて言いながら、それらしくその場で音を取ってしまう。繰り返し録音を聞いても、尚かつ四苦八苦しながら、ゆっくり譜読みを始める輩は、無言で見守る。むぅ~っとね(-з-)。「でも、教授。こんな難曲を学生が持ってきたら、どうしましょうか?自分の指導力では、難しいかと…。」「あ~、ヘンリー。心配には及ばないよ。これを弾きこなすのなんて、滅多にいないからねぇ!」これには、まったりとした、笑いとも自重とも言い難いどよめきが起きた。生まれながらにして、才能を持ち合わせる人間って、どの分野でもいるんですよ。情報処理の能力と、記憶の力が長けているってことかな。うさぎとカメ。ゴール出来ればそれで良い。まぁね~。でも、うさぎがサボってくれるとは限らない。それでは、カメ、いやもとい、普通の人間はどうしましょうか?あきらめる?いやいや、訓練です。遅いなら早くしましょう。たったの数曲を弾かせていたのでは、読譜力はなかなか伸びませんよ。少し、簡単な曲をたくさん与えて、片っ端から弾き散らかしてみれば慣れてきます。音楽は1音づつ音符を見る前に、大まかな流れを掴んだ方が効率良いかなと常々感じるんですね。和音は形で掴むと速いんです。重ね合わせたガラスの皿のように、積み上げてこそ、すっきり見えてくる光の帯があるんですよ。

旬な一曲

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千葉に越してくるまでは、イチゴは酸っぱいものと思っていた。子供の頃は牛乳に砂糖をたっぷりと入れて溶かし、その中でイチゴをスプーンの背で器に押し付けて潰して食べるのが好きだったなぁ~。イチゴミルクって呼んでいた。家には、イチゴのためのスプーンがあった。くぼみにつぶつぶの模様が型押ししてあるやつ。今じゃ、糖分をとるたびに罪深く感じてしまうのだから、無邪気にイチゴミルクは楽しめない(;_;)。我が家から九十九里の海岸に続く県道は、別名イチゴ街道と呼ばれ、両脇にはイチゴ農家が並ぶ。道端で買うイチゴは、真っ赤に熟して、甘~い。一箱買って車に積めば、イチゴの香りで満たされる。おまけにくれたイチゴをほおばりながら家路を急ぐ。暖かい車内に置けば、直ぐに痛んでしまうほど完熟していますからね。ハウスで栽培されるイチゴは、寒い間のみで、この時季がいちばん美味しい。ぜひ、お試しあれ。そうそう、お試しあれと言えば、音源がアップされました。ラフマニノフの、13の前奏曲Op.32-12と、楽興の時Op.16-5が視聴できます。(http://www.piano.or.jp/concert/pianist/0182.html)ちょっと気に入った曲を紹介するのが、楽しみでピアノを弾いているところもあるんです。なんだか、「発見!」って、気がするじゃないですか。クラシック音楽は、以前に書かれて、それこそ幾度となく繰り返し演奏されるものです。しかし、あまりに膨大な曲数に、頻繁に取り上げられることの無くなってしまう曲が沢山あります。忘れられた頃に、誰かが弾くと、旬の一曲になるんですよ。

打たれ杭

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朝、テレビのニュースを見ていたら知った顔が出ていた。相撲協会の弁護士として。あ~っ、ミシガン大学のロースクール(法科大学院)にいた人だ。うわっ、そのまんまで変わらない~o(^▽^)o。思わず、巻き戻して見直したくなる衝動に駆られたが、これはビデオではなく、テレビ番組だったことに気が付く。彼は東大の法学部在学中に司法試験に合格した超秀才と言われていたが、少年のような純粋さと気さくな印象を受けた。本当に出来る人って、威張らないんだね~と、思っていた。結婚したばかりの奥さんを連れての留学だった。日本に帰国して、弁護士事務所に勤めたと手紙がきていた。仕事で、お棺を担いだときに、溶けた氷が背広の肩に沁みて、その感触がなかなか拭えずにやるせないと、訴えていた感受性豊かな正義派。「で、訴訟に持ち込むんですか?」と、意気込むレポーターに向かい、「そんな簡単に何でも訴えることなんてできないでしょう」と、ひるまず言い返した口調も、そのままだ~。ミシガン大学のあるアナーバー市で、すっかり寒さの厳しい11月の感謝祭には、七面鳥を焼いて日本人留学生で集まってパーティーしましたっけね。あの時に焼いた肉は乾ききって、皆で喉に詰まらせながら食べたこと覚えてますか?七面鳥の肉が生焼けじゃいけないって思い込み、焼きすぎたんですよ。何しろ初めてだったもので、作り方も何もろくに知らなかったんです。その上、たくさん余った肉を、持って帰りませんか、なんて押し付けて、すみませんでしたね。そういえば、ロースクールの卒業式に一緒にキャンパスを歩いていた折、私がふざけて法学部のローブを着てはしゃいでいたら、カメラマンに卒業生と間違えられて、そのまま卒業アルバムにデカデカと写真が載ってしまったんですよね。満面の笑みで…。皆さんを差し置いて。なんて、ひどい女だと思われたことでしょう。きっと、ご実家の方々は、この冊子をご覧になり、憤慨なさったことと思います。うちの子を差し置いて…(^-^;)。ミシガン大学のスクール・カラーは青に黄色。この2色をあしらったローブは、華やかで威厳があり、皆さんは一段と背が高く見えて、颯爽とした姿を誇りに思いました。何はともあれ、ご活躍嬉しく思いますって、季節の手紙でも出そうっと。そうそう、私は二黒土星。今年の運勢は、「出る杭は打たれるので注意を」だったかな…。思い返せば、昔っから出っぱなしの杭なんだよね。

漆喰の友

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仕事ついでに、四国松山に住む大学時代からの友人に会いに行った。スミちゃんとの付き合いは、大学に入ってすぐの説明会かなにかで隣の席に座ったのがきっかけ。確か、彼女のお母様は、子供達の手が離れてから絵をたしなみ始めたのにもかかわらず、二科展に入選したことがある程の腕前の持ち主。下宿先のアパートで、一度だけ面識があるが、気丈な方だったと覚えている。娘の友達というだけなのに、バラの絵を贈ってくださり、数少ない我が家の家宝となっている。卒業して郷里に戻ったスミちゃんは、やはりピアノ教師をしている。「四国に仕事があるんだけれど、会わない?」卒業以来、もう随分と会っていなかったけれども、私の気まぐれな申し出に、仕事をやりくりして、近隣を案内してくれた。松山駅に迎えに来た彼女は、改札で待つ私を見付けるなり、「わぁ、久しぶり~」というよりも、「お待たせ~」って、ついこの前も会ったような口調。途端に、こちらのちょっぴり緊張していた空気が溶ける。「ラーメン好きだったよね」と、お勧めの店に連れ立って入る。久々の再会に、ラーメンか…。向かい合って、麺をすすりながら一気に距離が縮む。そうだ、国音のキャンパスには、ラーメン屋さんがあって、そこの、みそラーメンにお酢をたっぷり入れて食べていたよね。ラーメンは美味しかったんだけれども、おじさんが変に気難しくてね。学生がラーメンをすすりながらお喋りなんかすると「うるさいっ、黙って食えっ」って、スープを注ぐひしゃくでカウンターをバンバン叩いて文句言うんだよね。ありゃ、学食だからできる態度だよねぇ。客商売してないよねぇ。おじさんに怒鳴られる度に、戦争で頭に弾を受けて以来騒音が響くんだとか、頭痛持ちなんだとか、学長に拾われたんだとか、勝手なことを言ってたよねぇ。それでも、お昼時になると席が埋まっていたから不思議だよね。音大のイメージにそぐわない感じだったけどね。おじさん、今頃どうしているかねぇ…。語尾が、ねぇねぇ調になりながら、とめども無く、話があちらこちらに飛ぶ。学生時代、それから、そして今。松山から帰る日に、車で小一時間ほどの観光地に出かけた。城下町の大洲でお昼を食べ、江戸時代から明治・大正時代にかけての街並みを残す、内子を散策。内子には、当時豪商として栄えた商家が保存され、軒を連ねる。それぞれの家の壁には、違った文様のなまこ壁が施されていて美しい。そのうち何件かは、みやげ物屋になっていて、ひとつひとつ覘きながら歩く。漆喰の壁は、くんと鼻から息をすれば、カビ臭さの混じったような空気をひんやりと冷やす。商品に混じって、埃でうす汚く曇ったガラスケースには、昔の遊具も展示されている。「ねぇねぇ、見てみて。お雛様があるよ。古いお人形ってなんだかこわいよねぇ。」様々な思い出は、時と共に色あせて忘れられていくってことか…。

百のエッセイ

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友人のお母様が描かれた作品。バラに花瓶。とても明晰でしっかり者で絵画をたしなんだその人は、今介護の下にあられると言う。絵を頂いた頃は、作品を色鮮やかに残せて良いなと、ちょっぴり羨ましく思ったりもした。だって、どんなにピアノを弾いたところで、形としては残らないし…。割り切れなさに、グチグチと不満を感じていたことも、その昔はあった。音楽は、時と共に生きるんだって、理解するまではね。このコラムを書き始めて、今日でちょうど百日目です。私は、AB型ならではの、二面性を持つ。3日坊主で飽きっぽいところもあるけれど、やると公言したからにはやり遂げるしつこさも有る。有言実行型の人間であると、自己分析する客観性も自負している。とりあえず百日の間は、毎日休まずにコラムを書くと、明言したからには、本日目標達成にて、にっこり自己満足。自画自賛の自己完結v(^-^)v。人生折り返し地点に立つと、過去を振り返ってみたりする。(まぁ、折り返し地点って、どの辺か分からないけど、多分この辺かな?) すると、記憶がだんだん薄れていくことに、焦慮感を覚えたりしますよ。どれほど、楽譜を暗譜できるからといっても、記憶力は自然と低下します。記憶が完全に薄れてしまう前に、どこかに残しておかなくてはと、これまで温めていた思いをエッセイにして書きためています。毎日仕事に追われ、時間があっという間に過ぎ去ていく日々の中、ふと記憶をたどれば自分の足跡と共に、自分らしさと、これからの希望も見えてくる。なぁんて、格好の良いセリフを吐いたりして(^ε^)♪~。また、二百日連続エッセイを目指して、さぁ、再びスタートです。あっ、またマニフェストしてしまったσ(^-^;)。こうして、自分を追い込んで、駆り立てるのも性分なんですよ。まだまだ、よろしくお付き合い下さい。

節分にて

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2月の3日、節分の豆まきをしましたか?「鬼は外、福は内~。」そもそも、節分とは…?季節の変わり目、現在は立春の前日のこと。豆まきをするならわしは、近代に入ってからだとか。豆をまくことには、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがあるらしい。母によると、昔は、大豆をフライパンで煎ったものを投げたが、固くてとても食べられたもんじゃなかったそう。無駄にものを捨てなかった時代で、残った豆は、ご飯に入れて炊いたとか。今年は、我が家では豆まきに加え、恵方巻を真似て太巻き寿司を作ってみた。節分の夜に、その年の恵方(今年は北北西)に向かって、太巻き寿司をまるかぶりする。その食し方には、黙って食べろ、願い事をしろ、笑って一気に食べるべしなど、色々条件があるらしい。元々、商売繁盛の願い事として始まった恵方巻は、30年ほど前に、大阪で海苔問屋組合が海苔の販売促進で行った行事から、復活。コンビにがそれに目をつけて、恵方巻流行を担ったそう。なぁんだ、ヴァレンタイン・デーのチョコレートと同じじゃない。恵方巻を作ったところで、北北西って、いったいどっち?正確な方角が分からないので、方位磁石を買いに走ったりと、季節ごとのイベントは、はずせない我が家ならではの大騒ぎ。外にまいた豆は山鳩が、内にまいた豆は犬が、ご相伴に預かっていた。

満身創痍

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初めて買ってもらったグランドピアノは、ヤマハのC3というサイズの物で、当時の価格は60万円位だったとか。小学校3年生の時のこと。「当時は、今に比べたらお給料だってうんと安かったのだから、それは大変な買い物だったのよ。」母が、自分のお陰と自慢するのは、いつものこと。小さな子供にそんな買い物は過ぎると、反対した父は、ピアノが運び込まれて三日は、母と口を利かなかったそう。当時のC3は、ペダルが2本しかない。いまだに、叔母の家でレッスンに使われ健在である。このピアノを皮切りに、何台かのグランドピアノとの、付き合いが始まった。ヤマハのG5を、韓国に帰国するという知り合いの音大生から引き取り、渡米してアパートにカワイのアップライトを入れ、スタインウェイのB型を無理矢理買って、帰国してから教室を持つようになり、ヤマハのC7を購入した。これらの、どのピアノもなしには、今の私はいないかも知れない。共に歩んできた。中でも一番使用したのは、スタインウェイかな。艶消しの塗装は、元々やわらかく傷になり易いってこともあるし、アメリカ製でいい加減な仕事ってこともあるかも知れないけれど、あちらこちらに傷だらけ。満身創痍のピアノです。黒鍵の上のボードは、知らぬ間に指先が当たるのか、塗装が削れ下の木肌までがえぐられた状態。弾いている本人は、ぶつかっていることすら気が付かない。まじまじと見てみれば、ボードは気の毒な様相になっている次第。以前、この傷が気になって、塗装し直してもらったことがあったけれど、練習すれば、また指先で削ってしまうので、同じこととあきらめた。黒いマジックで塗りつぶしたら、今度はこちらの爪の間にマジックが入り込んでしまったので、それもやめた。ニューヨークのジュリアード音楽院の練習室には、スタインウェイが並ぶ。どのピアノにも、ちょうど指先が当たるあたりに、ぶ厚い透明なアクリル板が取り付けてあった。弾いてみると、それだけで圧迫感があったことを覚えている。戦士から身を守る鎧ってことだね~!

大きな木の下で

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例のドクター・ゲイリーが、私に課したのはバロックの鍵盤作曲家、ラモーについての講義。それまで全くの勉強不足であった私の調査は、「ラモー、いったい誰だったっけ?」から始まった。ラモーは1683生まれ1764没、18世紀に活躍したフランスのクラヴサン作曲家。楽譜を集め、文献を漁り、当時ろくな音源など無かったので片っ端から弾いてみる。何を話せば良いのか?まずはアウトラインを考える。ラモーの生涯、演奏をまじえての作品紹介、ラモーのピアノ史における影響。この三本立てでいこう。よしよし、これで何とかなりそうo(^-^)o。当日、授業の前に行き交う友達に、「今日は、ナオミの番だね。グッドラック」と、いったい何人に言われたことか。教壇に立つと、途端に口が乾き、言葉がもつれる。慌てて用意してきた資料を配り、ピアノを弾き、原稿を読む。誰からも邪魔されてはたまらんとばかりに、ひたすら原稿を読み続ける。半ばほどに差し掛かったところで、魔の手が、いやもとい、ドクター・ゲイリーの手がゆっくりと上がる。「こんなことは、資料を読めば分かる。お前の見解はどこにあるんだ?」文献を集め、要約しただけでは授業にならんと言う。解釈は?作品への評価は?ドクター・ゲイリーから矢継ぎ早に飛んでくる質問は、もはや叱責にしか聞こえない。クラスの空気は凍る。撃沈…。「一生懸命調べました」では、駄目なんだ。そんなぁ…。音楽部の外には、南に位置するルイジアナならではの、大木が何本も植わっている。木の下に置かれた石造りのベンチに、力が抜けたように腰掛ける。楽譜を胸の前でぎゅっと抱きかかえると、ボロボロ涙がこぼれ落ちた。涙が止まらない。しばらくして、通りかかった顔見知りの学生が、「どうした?」って、しばらく横に座っていてくれた。けれど、「うん、いいの、いいの…」と、ボロボロ涙を流すだけ…。表面的に勉強しただけでは役に立たないと、厳しく教えられた。さて、泣くだけ泣いたから、帰ってピアノでも弾こうか。このところ、ラモー騒ぎで練習がおろそかになっていたからね。カサカサ、大きな葉っぱの落ち葉を踏みながら歩いた記憶がある。あれは秋の出来事だった。カサカサと、乾いた音は耳に優しく残った。

飛躍への自覚

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今にも飛び降りそうな仕草の猫は、置物。門柱の上に、接着剤でとめてしまったから、降りようにも降りられない。覚悟を決めて飛び降りなければ、どんな着地も失敗するのは、猫ばかりではない。泣く子も黙るドクター・ゲイリーといえば、ルイジアナ州立大学の中でつとに有名なピアノ科の教授だった。ドクター・ゲイリーは、その昔相当な腕前のピアニストだったが、腕の故障以来ブスッと不機嫌になってしまったとか。誠しなやかに学生の間で囁かれていた。だいたい、彼の笑顔を見た者はいない。口からでるのは、嫌みに、皮肉に、罵倒のみ。これは、指導力とは一切関わりはないが、白人としても上背があり、恰幅が良いうえに、ぴったりと合わないカツラを付けている不自然さが、彼の容貌をさらに恐ろしげに見せていた。彼の前で、プレッシャーを感じて震え上がらない学生は、一人としていなかった。彼の教えるピアノ史に、いったい何人の学生が泣いたことやら。ピアノ史の授業形態は、学生自身が講義を行うというものだった。必修のこの授業を、誰もが恐れていた。今学期、一番バッターのカーメンが、震えながら講義をしていたのを、目の当たりにしていてからは、恐怖心は増幅された。当時は、まだ技術的な問題で、CDに録音することが出来なかった。用意した録音機器は、テープレコーダー。カーメンは、カウンターに頼って頭出ししようと考えていたようだが、なぜだか用意していたカウンターと、彼の講義内容が合わない。焦るカーメン。焦れば焦るほど違う音楽が流れる。カチャカチャ、キュルキュル~。皆がしんとして見守る中、「カチャカチャ、キュルキュル」が、繰り返し虚しく響き、空気が次第に重くなる。カーメンの指が震える。教室の後ろで足を組み斜めに腰掛けていたドクター・ゲイリーが、ついにしびれを切らした。「これは、準備が悪いというデモンストレーションだな。録音が用意出来ないなら、そこのピアノで弾いてみたらどうだ!」カーメンは、赤くなったり、青くなったりしながら、ヨタヨタとピアノを弾き始めた。「もう、よろしいっ。これでは、講義にはならんっ!」カーメン撃沈。見守っていた我々も、生きた心地がしない。明日は我が身と固まる。己の準備の甘さに気付き、授業から解放されるやいなや、図書館へと走る。ドクター・ゲイリーのやり方は、良いとは決して思えないけれど、彼は学生から指導者という立場の転換には、それなりの覚悟が必要であると、身を持って自覚させていた。

皿から喰う猫

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昔、飼い猫がいた。決して器量良しではなかったけれども、可愛らしい風貌と行儀の良さで、皆に愛されていた。必要な時だけ甘えてくるのも、これまた上手かった。こやつは、ある日、せっかく積み上げてきた信頼を、一気に打ち砕いた。隣りのメス猫に餌をとられたと訴えるので、「何てことするのっ!」と、隣りの猫を叱った。ところが、知らぬまに、こちらの猫が隣りにこっそり忍び込んで、仕返しにと餌を盗み食いしていた。そのことを正すと、こともあろうに、隠した爪で飼い主を引っ掻いて、ふいと何も言わずに出て行った。その後、随分心配したが音信不通。道端で似た猫を見かけてハッとするが、知らん顔。猫違いかもしれない。そう言えば、たちの悪い猫が、ほんのしばらくの間、居着いたこともあった。この猫はいつも、入念に毛づくろいを怠らない。どこからか、不釣り合いな靴だの何だのを、拾ってきてはすましている。この猫の悪癖に、周りは困っているに違いないから、止めるようにと、いくら諭しても、一向に聞く耳を持たなかった。夜遊び、火遊びをして帰ってくると、再び入念に毛づくろいに専念していた。ある日、それはそれは可愛らしい、ぬいぐるみみたいな子猫を連れてきた。しばらく子猫を可愛いがっていたが、それに飽きると、子猫を捨てて出て行った。そういえば、どの猫も、高級な皿から餌を食べるのを好んだ。形あるものは、いつか壊れる。子供の頃、お茶碗をかいてしまった度に、母からそう言われた。大人になって知ったことに、形の無いものでも壊れるってこと。そうそう、メス猫達は、見る人によっては人間の形に見えるらしい。お気をつけあそばせ。
プロフィール

鈴木直美

Author:鈴木直美
ピアニスト、指導者として活動中。
Suzuki Piano School主催

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