たまにウソつき

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「のだめ」が流行って、ドラマのオープニングで毎回流れるガーシュウィンのラプソディー・イン・ブルーを、誰しもが知るようになりましたね。私からすると、この曲を聞いて、航空会社アメリカン・エアラインのCMを思い出す人は同世代。マクドナルドのCMを想像する人は、次世代ってとこでしょうか。テレビの力は、凄いです。ドラマやコマーシャルに使われた途端に、有名な曲になってしまうのですからね。以前、2002年に和久井映見と唐沢寿明主演のドラマ、「妹よ」が流行り、番組で流れたラフマニノフの交響曲第2番は、突如あちらこちらで演奏されましたが、飽きやすい日本人のこと、今じゃあまり聞かなくなりましたね。その後、本木雅弘と菅野美穂主演のドラマ、「幸福の王子」に使われていた、エルガーの「愛の挨拶」なんぞは、ドラマの流行りに便乗して、たくさんのコマーシャルで流れましたが、今はぱったりと。その昔、水谷豊&竹下景子主演の「赤い激流」というテレビドラマが、1977年から放映され、流行ったのですが、覚えていらっしゃいますか?ピアノ指導者として著名な熊谷洋先生と、仕事でご一緒した折りに、先生が水谷豊氏にピアノの演技指導をなさったと聞いて、「まぁ、そうなんですか。私、水谷豊のファンでした。懐かしいですぅ…」と。そのドラマのお陰で、ショパンの「英雄ポロネーズ」の譜面が、当時飛ぶように売れたそうです。でも、白状すると、「赤い激流」が流行ってたことは知っていたのですが、実は観たことは一度もないんです(^_^;)。成り行き上、本当のことは、言い出せなかったのですよ。ごめんなさい!!本棚の上にちょこんと乗せた、天使の置物。私達を見守って、幸せをもたらしてくれるらしい。たまのウソつきには、多分目をつむってくれる。
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ユニクロ・ピアノ

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ピアノは本物が良いな…とは言いましたが、ピアノにも色々あります。世界で一番高いピアノって知ってますか?ベーゼンドルファーやスタインウェイなどは、お高いピアノって知られていますが、他にも、それらに並ぶ超高級ピアノがあるんです。なぁんて、知ったかぶり(^^ゞ。実は見たことはないんですがね。物の本によると、イタリアのファツィオーリ社は、年間80台ほどしか作らない、世界で最高のピアノメーカーだそう。まだ創業以来、30年経つか経たないかという若い会社。ちなみに、日本で作られた最古のピアノは1900年にヤマハによって製造されている。約百年前。ファツィオーリ社製のコンサート・グランドの一台のお値段が、およそ2200万円(☆o☆)。国産の同型の2倍はする。まだ、世界中に千台出回っているかいないかという少なさ。そりゃあ、その価格では、そうでしょうよ。ブルネイの国王は、特別仕立てのファツィオーリを所有しているそう。1億5千万円相当とか。ピアノ一台に、想像が付かない金額ですよね。ダイヤモンドでも埋まっているのかなぁ?おっと失礼。お値段ばかりに驚いてしまって、その音質はというと…。身近にそんなお金持ちがいないので、弾いたことも聞いたこともないので分かりません。相当に素晴らしいのでしょうねぇ。多分、一生触ることはないだろうなぁ…。高級ピアノを語る一方、つい最近、バンドの楽器やらグッズを売るお店で、超格安ピアノを何台も見かけましたよ。原色ビカビカのドラムやエレキ・ギターに並んで展示されたピアノは、なんとアップライトで19万円。これ新品です。グランドピアノは48万円ぽっきり。もちろん新品です。同じサイズのカワイやヤマハの半値以下。ドラムやフルートなどの楽器製造で知られる、パールの名前が入ったピアノたち。よくよくお店の人に聞いたら、パール・リバーという中国のトップメーカーの商品だそうです。勘違い。形や塗装は、きれいに作ってある。うほっ、安~い!思わず触ってみたら、むん?まるで、ユニクロ・ピアノだね。安くて、そこそこで、それなり。今シーズン限りと割り切るならね。(ユニクロにお勤めの方、大変申し訳ありません。日頃パジャマとして愛用しておりますから。) ここで、何が良いか悪いかなど言うつもりはない。もし、お金があっても、フェラーリに乗りたいとは思わないから。それよりは、良いピアノの方が欲しいな~なんて。人によって価値観は違うからね。それにしても、すごい格差。牛肉は、切り落としかなんかをスーパーで買うと安くて百グラム100円位。高級米沢牛のフィレステーキ肉は、百グラム3000円位だそう。その差、30倍。そんなお肉、食べてみた~い。ピアノが駄目なら、せめて牛肉くらいと夢を見る。ピアノの場合、パール・リバーとファツィオーリじゃ価格差が…、あぁっ、面倒くさい!いずれにしても、どちらも、手に入れることはあるまいしね。どうでもいいやっ!

本物のピアノ

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ピアノを持っていると言う。でも、よくよく聞いてみたら、コードが付いているって?それって電子ピアノじゃないの(?_?)?ピアノと電子ピアノは、似て非なる物なんですよ。「本物のピアノの音がでる電子ピアノ」、という宣伝文句を見かけたけれど、それなら本物のピアノを買えば良いじゃないかと思う。でもね、住環境により、必ずしもピアノが置けるとは限らないし…。そりゃあ、うんと上手くなりたいならアップライトより、グランドピアノの方が、環境は整うし…。上を見たら、きりはない。それでは、ピアノがなければ、習ってはいけませんか?いいえ、良いんですよ。でも、電子ピアノはあくまでも代用品であることを忘れずに。違法なんですが(真似してはいけません)、偽物のシャネルの腕時計を買ったんですね。ダイバーズウォッチっていうやつで、本物そっくりなんですよ。かの地では、ブランド品のコピーの中でも出来の良い物は、スーパー・コピーと呼ばれるらしいです。質の良い偽物ってことかな…。「立派な偽物あるよぅ」って、観光客相手になまった日本語で呼び込みを掛ける。それを聞いて、ついつい可笑しさにつられて、誘いにのってしまった。そのシャネルもどきを、買ってしばらくは、とても満足していたんですね。だって、安いし、時間は刻むし、本物そっくりだし、これで充分じゃないかなと。本物を見るまではね。偽物と本物を比べてみたら、質感といい、デザインの洗練さといい、全然違うんですよ。思わずコピーをはめた腕を、引っ込めてしまいました。「こんなん、素人だって偽物って見破るよ」って毒づく。さっきまで、「本物そっくり~」なんて喜んでいたのにね。本物を知れば、良し悪しも分かるっていうもんです。よくよく眺めてみれば、斜めの角度からは、ガラス越しに文字盤が歪んで見える。ダイバーズウォッチの形をしているものの、防水加工なんてしていないから、プールや海に行った時には、はずすしかない。意味ナイじゃん(Θ_Θ)。結局、偽物はどんなに立派に見えても、機能がおぼつかない。だいたいの形しか、真似てはいなかった。ピアノを演奏するとき、指先の微妙な圧力の掛け方を操作して、様々な音色を作り出す、アナログならではの作業は欠かせない。何を目的にピアノを習うかっていうことにもよるけれど、出来れば本物のピアノが良い。だいたい、子供がコードのあるピアノを、本物のピアノだなんて思い込んでいるとしたら、まずくないですか?せめて、違いくらいは教えましょう。

レッドカード

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もうすぐ二月の声を聞く。早々と、お雛さまを飾りました。どうせなら、少しでも永く飾っておこうという魂胆です。生徒の練習不足はイエローカードだって言いましたが、教師だって反則をするんです。その1つが、禁句を言ってしまうこと。生徒の存在そのものを、絶対否定してはいけない。可能性を根底から潰す言葉は慎む。だいたい先生なんてやっていると、どの分野でも視野が狭くなり、「オラが一番思考」に陥りがち。つい、相手の気持ちを踏みにじる言葉が口をつく。暴言にも次第に慣れて、無神経さが加速する。そのことに、本人が気付かなくなったら大変。周りからすれば、一発退場と言いたいところでしょう。レッドカードものです。なんて、偉そうなことを言っている私自身が、レッドカード最多枚数保有者なんですけれどもね~。でもね、言い訳がましいんですが、日々堂々めぐりの話題に、語気はつい荒くなるのは仕方ないんですよ。「月謝がもったいないってお母さんが言うんだ。」「じゃぁ、もう少し真面目に練習したら?」 「うちの子、練習不足で、先生のお時間がもったいないくて…」「はぁ…」(随時と慇懃無礼な物言いだなぁ。それなら練習させれば良いのにと、心の中でつぶやく。) 「何年習っても上達しなくて…。」(練習しないからだよって、心中で叫ぶ。) 「家の子、練習が嫌いで。でもピアノは好きなんです。」「それは良かったですね。」(何言ってるんだ。ちっとも良くないよ。練習しなきゃ、好きと言えるほど弾けるようにならないよぉ。) 「親が習えって言うからさぁ。」(習わんでいいよっ!) この堂々めぐりが、毎日のように続く…(ρ_-)o。健康診断の時、お医者さんに、「ストレスを溜めずに、生活しましょう」なんて、朗らかにありきたりを言われたら、導火線に火がついた。溜まったストレスが、ドカンと爆発。「先生!皆さん、そう仰いますけどね、いったいどう、ストレスを溜めずに生きるんです?そういうあなたに、ストレスはありませんか?」 やっちゃった(*u_u)。 退場しま~す。

イエローカード

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ピアノが上手に弾けるようになるには、特別な才能は要りません。きれいな音を愛するこだわりと、練習です。まぁ、性格的にコツコツと練習出来るかどうかが、才能なんですけれどもね。レッスン時間に遅れて来る。楽譜を忘れてくる。練習をしてこない。これでは、我々ピアノ教師が出来ることが、うんと少なくなってしまいます。悪条件を3つ揃えては、何事も達成できないのは世の常かと思いますが。野球界の野村監督が、「長嶋&王監督に対しての、ねたみ・そねみ・劣等感が、今の自分の性格を作り上げたんだよ。わっはっはっ…。」と、テレビで言っているのを観て、思わず笑ってしまった。そういえば、3つタイトルを獲得すると三冠王って呼ばれるよね。3って数字は案外、条件を提示するのに丁度キリが良いのかも知れない。良いことにおいても、悪いことにおいてもね。そうそう、サッカーの反則に対して出されるイエローカードだって、3枚で退場でしょ。そうだ、ピアノ教室に貼っておこう。「遅れる、忘れる、練習無しでイエローカード1枚です。3枚で退場。あしからず!」それで、果たして、効果があるのかねぇ…。ふうっとため息、(*´Д`)=з。とにかく、少しは練習しようねぇ。こぼれた種から芽が出たらしい、ノースポールを庭先で見つけた。石垣と水道メーターの蓋のわずかな隙間から、健気に花を咲かせる。ノースポールは雑草的な強さがある。他の花と鉢に寄せ植えすると、必死に土中の養分を吸い取り、他の花を根から溶かしてしまうほど強い。見えない努力が、花をつける強さを支える。結果が全てではないんです。過程が、結果を左右するんですよ。

しっかり者

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メールをくれた友達話のついでに、ジュンコのこと。大企業の社長娘のジュンコが、クリスと結婚すると言った時には、驚いたのなんのって。3人娘の長女のジュンコは、日本で国立の教育学部を卒業した才媛で、ピアノとバイオリンの両方を操るお嬢さま。その上、スタイルは良いし、顔は可愛く、性格は優しい。この世界には珍しく妬むということをしない。一方、クリスはアイルランド系のアメリカ人で、大してピアノも上手くないし、作曲家志望の貧乏学生という立場(ごめん)。クリスが、気の良い奴ということは、皆が大いに認めていたけどね。私達3人は、ミシガンで修士の課程を、共に学んでいた仲。以前、温厚なお父さまと上品なお母さまに、湖のほとりの広々としたジュンコのご実家でお会いしていただけに、びっくりした。結婚の吉報にも関わらず、「(・_・)エッ....?」っと、お祝いが口から出るまで、間が開いてしまった。よくご両親が許したもんだと、寛大さに、ただただ敬服していた。猛反対されたとか、もめたとかも一切聞かなかった。お母さんは、クリスが道端の花を摘んで手土産にしたことを、とても喜んでいらしたと聞いただけ。手作りの結婚式は、微笑ましく、参列した皆は祝福色に染まっていた。その後、クリスは名門インディアナ州立大学にて芸術博士号をとり、現在大学で教えている。長い道のりは、ジュンコの支えなしでは、歩めなかっただろう。最近、送られてきた子供の写真は、実に可愛らしい。クリス似の男の子はサックスを、ママ似の女の子はバイオリンを、それぞれ抱えて笑顔を振りまいている。子育てと仕事で忙殺されて、ピアノを弾く間がないとボヤくジュンコ。しっかり者に成長したジュンコを中心に、生活が回っているよう。幸せそうで、良かった(^ε^)♪。

セニからのメール

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ホームページを開設したおかげで、アメリカの友達と、久々のコンタクトをいくつか果たした。長々とメールの返事をくれたのは、以前にスイカな関係の友と記したヘレン(2006/11/19記)と、クリスと結婚してアメリカに踏みとどまったジュンコと、クロアチア出身のセニの3人。セニとは、セレブレンカの愛称。クリスマス・カードにURLを書いておいたら、アクセスしてメール返信くれたという次第。彼女が、日本語を読めるはずもないけれど、ホームページを閲覧して、メールを返信してくれた。セニは、クロアチア出身のマリオと娘のドリスと共に、ニューオリンズ郊外に住む。マリオとセニは、クロアチアからピアノ科の留学生として、ニューヨーク州立大学のストーニー・ブルック校という名門に留学していた。ピアノを断念したマリオが、調律師となり、ルイジアナ州立大学に職を得て、南部に移住してきたという。ルイジアナ州立大学で、私とセニは同期として、マリオは調律師として知り合った。アバウトなアメリカ人には、いつも腹を立てている、生真面目タイプの二人。多分、国民性なんだと思う。現在、セニがピアノを教え、マリオがコンピューターのプログラマーとして生活しているとのこと。マリオは、調律の仕事で背中を痛めて、得意なパソコン業界で食べているとか。器用だな~。マリオは、ボロボロのピアノを引き取ってきては、中から外から新品同様に直して、自慢げに見せてくれた。中には、100年以上前、リストの時代のピアノってのがあり、細部に彫刻が施されすごいアンティークなピアノもあった。譜面台脇に、蝋燭を置く燭台が付いているのだから、そうとうな時代物。それには、触らせてくれなかった。セニからのメールには、懐かしい名前が並ぶ。ダン・ドュークが離婚した。ダンはやさしい、そして気が弱い。小学校に勤める奥さんは、いつまでも少年のように、何になりたいのか模索中のダンに、とうとう業を煮やして、男の子二人を連れて出ていった。ダンは大学院を出てからも、相変わらず、バーや教会でピアノ弾いたりと、まぁ、言ってみればフリーター生活を続けているそう。自分の夢が何なのか考えながら…(*u_u)。カーメンは、イタリア系の伊達男。学友の才女ナイチェンと結婚したと聞いて、意外だなぁと思っていたのに、こちらも離婚したそう。ナイチェンは中国からの留学生だった。なんでも、カーメンが浮気して、生まれたばかりの男の子を抱えるナイチェンを捨てたとか。色男のやりそうなことだ。その後、ナイチェンも再婚してボストンで頑張っているらしい。たくましい(*^ー^)。リック・サイラーからは、いつも緊張している感じを受けていた。「東洋からの友人ができて誇りに思うよ」って言われ、目を白黒させてしまった(@_@)。だって、そんな台詞は不自然だからね。例えば、こうよ~。「私は、北アメリカ大陸からの友達ができて誇りに思うわ。」当人に向かって、こんな変な言い方、普通しないよね。セニによると、ラストン大学で教えるリックに、たまに出会うけれど、相変わらず緊張しているらしい。ゴシップ、ぺちゃくちゃ(≧▽≦)、メールは便利だな~。セニは、今頃あちらで、ナオミがねぇ…って、どんなゴシップしてるんだろうか?

古民家の蕎麦屋

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古民家を改装したお料理屋さんが点在するのは、千葉県が米どころで、まだまだ郊外には、田舎の風景が残っているからならでは。蕎麦処、五郎右エ門は、西瓜の生産地として知られる千葉県富里市にある、手打ち蕎麦屋さん。上がってみれば、座敷に囲炉裏が切ってあり、黒塗りの建具が風情たっぷり。囲炉裏では、大根をコトコト煮ていて、蕎麦を注文した客に振る舞ってくれる。飴色に煮えた大根に、黄色い芥子をたっぷりつけて頂く。小さい頃に通ったプールの脇で、好んで食べた、おでんの味を思い出した。大根とこんにゃくに卵だったかな~。懐かしさがこみ上げてくる。帰り道すがら、街道沿いの小さな本屋さんの入口に、私のリサイタル・チラシが貼ってあるのを、車窓から発見してドキッとした。そろそろ、根性据えて練習しなくちゃ。だって、ポスターの一枚だって、わざわざ貼るのは大儀だ。たくさんの人達のお陰様で、演奏会が成り立つことに、日々感謝しているから。小さな期待に応えなくてはね。東金で春先に、リサイタルを始め八年目になる。ここに越して来た当初は、知る人も無く、自主公演だった。知り合いの店に入り、ポスターを貼って下さいと、恥ずかしさをこらえて頼んだ。快諾してくれるかと思いきゃ断られて、うんと落ち込んだりしたっけ。地元の楽器店に、「一人の先生だけ、特別扱いできませんよ」なんて、面と向かって言われ、チケットさえ置いてくれなかった。生徒達が、楽器や楽譜を、さんざん購入したのにも関わらずね。やるせなさに、腹を立てたこともあったっけ。今は、会館との共催になり、あちらこちらでポスターやチラシも置いて下さり、うんと楽になった。ありがたい。何故に、ピアノを弾き続けるかって?「好きだから」、なんて言えるほど、甘いもんじゃない。ピアノを弾くことは、なにも大袈裟なことでなくても良いんだよ。大人になっても楽しめるよって、示してみたかったのかなぁ?自分でも、あっぷあっぷしながら続ける理由は、ハッキリとは分からない。取りあえず、ここで十年続けてから、考えてみようかと思うだけ。

メフィストフェレス

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リストのメフィスト・ワルツを話題にしたついでに、ゲーテの戯曲「ファウスト」についてうんちく。16世紀後半のドイツに生まれたファウスト伝説が、「ドクトル・ファウスト物語」という本として、フランクフルトの印刷業者シュピースにより出版され、たちまち流行る。ゲーテは生涯をかけて、それを戯曲化することに力を注ぐ。この大作の中で、クライマックスを見せる「グレートヒェン悲劇」は、原作にはなく、ゲーテが挿入した悲話。賢者ファウストは、悪魔メフィストフェレスと魂を売る契約をかわし、その代償として若返り、少女グレートヒェンに恋をし、良い仲になってしまう。結果身ごもり、兄をファウストに殺され、グレートヒェン自身は母親と嬰児殺しで投獄されてしまう。ファウストは牢獄に助けに向かうが、彼女は処刑され神のもとへと召されることを選ぶ。その後、ファウストがどうなっちゃうかは、本を読んで下さい。作曲家リストは、ピアノ曲メフィスト・ワルツでは、村の居酒屋に若返ったファウストと悪魔メフィストフェレスが意気揚々と連れ立って出かけ、娘グレートヒェンに出会い、恋に落ちる場面を描いています。さて、82才まで長生きしたゲーテは、73才の時に19才の少女にプロポーズして断られたらしいから、ゲーテ自身の欲望が、「グレートヒェン悲話」を生み出しているんだなぁ、と元気なおじいさん振りに感心~(?_?)。当時、心臓を患っていたゲーテは、保養地で少女と出会ったらしい。とても心臓の弱い老人のとる行動とは、思えませんがね…。ところで、このファウスト伝説は、作曲家達を刺激して、多くの傑作を生み出した。リストは上記のピアノ曲意外でも、オーケストラ作品「ファウスト交響曲」を書いているし、グノーのオペラ「ファウスト」や、ワグナーの「ファウスト序曲」などなどがあります。

録音ブス

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音源をくださいと言われ、過去の録音を聞き直してみた。うわっ、なんて録音ブスなんだろうo(_ _*)o。録音スタジオを借り切ってレコーディングなんてのは、潤沢な資金を使える有名人だけ。そこいらの演奏家である私の手持ち録音は、全てライブ。もちろん、ライブならではの、緊張感が楽しめるものの、ライブならではのハプニングがあちらこちらに。おっとっと…。それでも、久し振りに過去の録音を聴いていると、「なかなか頑張ってるじゃないの」、なんて自画自賛したり、「こんなんじゃ駄目だよぉ~」って、自己卑下したり。上へ下へと、忙しいこと。ニューヨーク生まれのピアニスト、マレイ・ペライアの弾く、ショパンのピアノ協奏曲第1番と第2番をカップリングした録音がある。指揮はズービン・メータ氏。弾き終わった後に、拍手が入っていて、ひっくり返るほど驚いてしまった。だって、1音1音明確で、どこを聴いても迷いがない。とてもとてもライブ録音とは、思えない演奏なんですよ。こういう人もいるんだよねぇ~と、感心。因みに私は、リストのメフィスト・ワルツを音源として提出しましたので、http://www.piano.or.jp/にて、間もなくご鑑賞頂けるようになると思います。(3月30日より、「今週の一曲」コーナーで紹介される予定)ラフマニノフの小曲は、視聴いただけます。(http://www.piano.or.jp/concert/pianist/0182.html)良かったら、どうぞ(^O^)/。メフィスト・ワルツは、ゲーテの戯曲「ファウスト」からの一場面を表したもの。甘い誘いには、バラのような棘がある。

代償ねぇ…

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調子にのって走り回っていたら熱がでて、とうとう声が出なくなってしまった(>_<)。遊び過ぎの代償かな…。仕事は一週間休んじゃったから、声が出ないままレッスン決行( ´ー`)。生徒達は変な声に、不思議そうな顔をしながらも、静かによ~く聞いてくれる。男の子達は、絞り出す声にニヤニヤと。怒られなくて良いやって。ひどい…(Θ_Θ)。色々体験してきた旅だったけれど、この旅での一番の収穫は、石垣島のピアノの先生達に出会えたこと。お会いした先生方は、本土から移住してきたり、島以外での生活経験がある。島民の四割が、外からの移住者である石垣島なら、別に驚くほどのこともないけれど。それがゆえに、島タイムでゆった~りと動く純粋な子ども達相手に、やりがいと戸惑いの両面を感じているそう。私が教えてもらったことは、ピアノが弾けるっていうだけで、どこでも人との繋がりを広げていけるってこと。どこでも、生きる術になるってことを、改めて教えてもらいました。だって、彼等が実践しているのだから。どこかで繋がりがあるからこそ、「また会いましょう。それまで元気で」って、笑顔で言えるんだよね♪みんさ織りの額縁。離島ではこのみんさ織りを、婚約が成立した女性が男性に、帯として織って贈り物としたそう。1600年頃から続く伝統工芸。いつまでも元気で一緒にいましょうと、めでたい織物。青色のせいか、海の風景画にも見える。

悔恨の塹壕

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沖縄から発つ前、ほんの少しの時間を利用して、旧海軍司令部壕を訪ねた。そこは、空港から車で15分もあれば行ける距離にある。沖縄戦の司令部があった戦跡。軍によって掘られた、全長約450メートルにおよぶ地下陣地には、4000人の兵士が収容されていたそう。入ってみれば、ただの細長いトンネルに所々狭い横穴が掘られ、人が居住する場所などありはしない。だいたい、単純に計算してみても、一人当たり10センチの居場所って有り得ない。たとえ、両側の壁にもたれかかったところで折り重なる。劣悪な状況。戦後しばらくは、そのまま放置してあったそう。これまでに、2400体程の遺骨を収用したとか。司令官大田實少将をはじめ幹部6名が自決を遂げたという、6畳ほどの司令官室の片隅には、小さな仏様が安置されていて、菊の花がみすぼらしい様子で手向けられている。それを目の当たりにすると、改めて恐ろしさに戦慄する。司令部崩壊、昭和20年6月13日のこと。ひめゆりの学徒達が働いていた外科病院と呼ばれた洞穴は、それより5日後に襲撃を受けるのだから、司令部との連絡が途絶えたまま右往左往していたことだろう…。なんともやりきれない。本土終戦より、2ヶ月前のこと。今回、沖縄戦跡を訪ね歩いて何度も思ったことがある。なぜに「勝てない」と一言、誰一人として言えなかったのだろうか。状況はどう考えても好転するわけがなかったのに。「もう、やめよう。」勇気ある一言は、司令官の口からも、ついに出ることはなかった。ここを司令塔に、渡ったこともない本土のために、沖縄の人達が払った犠牲は大きすぎた。狭くじめじめした地下壕の中は、空気がふんとカビ臭くよどんでいる。壕に閉じ込められたままの怨念が、左肩をしばらく、ぐうっと強く掴んだまま離してくれなかった。ガランとした地下壕の足元には、諦めに近い兵士の気配が動き、壁には悔しさが染みている。先人達の墓地である。ここに、来ては行けなかった。ピアノなんかのうのうと弾いている私に、出来ることはない。やるせなさだけが残り、足早に外へ出て、大きく息を吸えたことに安堵した。

じんべい鮫

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噂の、美ら海水族館(ちゅらうみ)に行って来ました。沖縄本島に3日間しかいないというのに、そんなにあれもこれもは見れないと、半ば諦めていた。ところが、タクシーの運転手さんを捕まえるやいなや、駆け巡ったこと、駆け巡ったこと!しまいには、「そんなに、せかせかしなくてもなぁ~」と、運転手さんから呆れられてました。沖縄本島は広い。那覇からタクシーをとばして、水族館まで約2時間。飛行機の時間まで余裕がそうないものだから、目的の水槽まで足早に歩く。赤い帽子をかぶった幼稚園児の群れを飛び越し、横に広がる団体の合間を泳ぎ、手をつなぐカップルを横目に、黒潮の海と呼ばれるメイン・タンクへと一目散。これだ!あった、あった。4階の高さはゆうにある大水槽は、圧倒的な大きさ。じんべい鮫は、クジラかと見紛うほどの大きさを誇り圧巻。7メートル強はあるのが3頭、これまた巨大なマンタと一緒に悠々と泳いでいる。こうなると、マグロなんぞは稚魚に見えてくる。水槽を見上げる人間の、なんとちっぽけなこと。タンク脇にカフェがあり、コーヒー片手に、ガラスに張り付くように魚たちを見上げて、ぼうっとする。しばし、ゆったりと時間が流れるのを味わう。15分経過。よしっ、これで目的達成(^O^)/さて、帰ろうか。駐車場で待っていた運転手さん、「あっ、もうお帰りですか?」「えぇ、見たいものが見れたので!」「ほうっ…」すみませんね、性分なんです。道端の木に、ぽちぽちとピンク色の花が咲く。沖縄では桜の花見は1月末からということ。沖縄の桜の開花前線は、何故だか北から南へと移動するという。

南部戦跡

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特攻隊の映画のイベントに関わることになってから、沖縄戦に興味を持って資料を漁ってみた。特攻隊という言葉は知っていたが、その裏に潜められた、一人一人の短い人生に考えさせられた。若者達にはそれぞれに母親がいて、誰もお国のためになんて子供を産まなかった。お国のためにと、国に殺された。沖縄に滞在するに当たって、好機とばかりに、少しリサーチしたいと考えた。出向いた先は南部戦跡の平和記念公園と、ひめゆりの塔。展示室では、修学旅行生達が黄色い声をあげる。こういう史跡を訪ねても、何か感じないのは、平和ボケなのかな?たった60年前の事実と、少し真面目に向き合わないと、また同じ過ちを繰り返してしまう。観光客の波をやり過ごし、館内をゆっくり歩いていく。スクリーンの前でアナウンスが流れる。特攻隊は、二機ほど敵戦艦を撃沈して、精神的ダメージは与えたものの、実のところは、そのほとんどが打ち落とされたと。やはりね…。看護要員として配属された、ひめゆり学徒隊の生存者は、死ぬ間際に「天皇万歳」と、言う兵隊さんはなく、「お母さん」と、言いながら息を引き取る姿に、この戦争の疑問を感じたと証言する。平和記念公園の礎(いしじ)には、沖縄戦で亡くなった、23万人余りの戦死者の名前が刻まれる。そこに立つと、刻まれた名前の帯が果てしなく続くようで、めまいがする。日本人だけではなく、米兵、英兵、韓国人の名もある。 今年も8月がやってくる。「月光の夏」上映イベントがあったら、是非ピアノを弾かせて頂きたい。舞台から伝えられることがある。

青い洞窟

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ピアノの先生は、ストレスを溜めることが多い。こんなに一生懸命やっていても、誰も分かってくれないと。そんな、相談をよく受ける。というより、愚痴の相手をする。先が見えない。空回りする。それで、自分のことが、仕事が、人生が嫌になってしまう。背伸びなんて無理にしないで、等身大の自分が、どんな音楽教育ができるのか、もう一度考え直す時期です。専科ピアノ教師。これは、全国的にトレンドとなってくると思う。医者に専門があるように、ピアノの先生も得意な分野を強調して、近辺のニーズを図ってみる。例えば、少子化が進む土地では、熟年対象のレッスンが求められるだろうし、新しい団地では面倒見の良い先生が、短時間レッスンでテンポ良く小さな子供の相手にする方が求められる。ニーズは変わらない。我々が相手に合わせる。より得意な分野は何?「歌に電子楽器にピアノに、ソルフェージュも教えます。クラシック、ポピュラー問いません。二才から熟年まで。グループレッスン、及び個人レッスンの選択可。音大受験もお手伝いします。」こんな看板を掲げて、ストレスを溜めている先生方。そろそろ、看板の書き直し時期です。専門色を出すこと、横の連携を大事にすること。やれないこと、やりたくないことは、その専科の先生に任せましょう。時代は変わります。沖縄の読谷村から車で北に少し上がると、青い洞窟と呼ばれる場所がある。波の浸食によって、自然にできた洞窟。見逃してしまいそうな、小さな入り口から中に入ると、そこは暗く奥深く先が見えない。しばらくして、「振り返って下さい」と言う声に、振り向けばそこは別世界。洞窟内に波は無く、入り口から差し込む光に、反射した海底の砂地がブルーに輝く。本当に水が青く光っている。群れをなして泳ぐ魚の影が、黒く逆光に浮かんで見える。なんて幻想的なんだろう。ピアノを教える世界も、長い洞窟かな。入り口に立っても、先が見えてこない。でも、取りあえず、中に踏み込まなきゃ、見えてこない光もある。前ばかりを向いていないで、時には、振り返って、自分の歩んできた道が、少しでも輝いていることを確かめていきたいね。誰しも何かの役にはたっている。自信を持ってo(^-^)o

アフタヌーン・ティー

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ちょっとお茶に来ない?サッと、テーブルをしつらえてしまう友人がいる。ついつい、おっくうだなって思いがちだけれど、彼女はテーブルクロス、食器、カラトリーなど工夫を凝らして、食卓を飾る達人。食器棚に、積み上げられた食器を見上げて、「地震がきたら、大変なことになるね」と、言ったら、「また、新しいのが買える」ときた。達人は言うことが違う!「同じ釜の飯を喰う」という言葉があるけれど、お茶でも、食事でも一緒にすると、仲間意識は高まるよね。出会いや、交流を深めるには、食事は最も良好な手段かも知れない。この仕事をしていると、たくさんの出会いと別れがある。出会いには、それ程悩んだことは無いけれど、別れ方は難しい。互いの気持ちが救われるような、さようならの言い方。「あなたと出会えて良かった。また、いつか会いましょう。」こんなこと、心の底から言えたら良いけれど、なかなかどうして難しいです。ましてや、相手からも、そう思われたいなんてね…。生徒達が教室を辞めていく時には、あえて「卒業」という言葉を使う。私の元を卒業なさい。そして、次なるステップを踏み出すのを、見送りましょう。生涯を通して、ピアノを弾いて欲しいと願いながらも、別れの時は必ず来る。それが、ステップアップにつながるといったケースは、実はまれで、大方引っ越しだの、忙しくなった生活だったり、難しくなった勉強だったり、単に練習が嫌いだったりで、ピアノをやめていく。いつかまた、ピアノに触ってください。私自身、何人もの先生方にお世話になっては、別れてきた。どの方を欠いても、今の私はいない。時折、思い出してくれて、良い思い出の一つとして、記憶の中で存在していれば、それで良い。そのためにも、良いさようならの仕方、まだまだ勉強中です。

月光の夏

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8月15日がくる度に、終戦記念日がやってくる。千葉県の東金文化会館では、この時期に、「月光の夏」という戦争映画が、地元新聞販売店主催で上演される。特攻隊に駆り出されて、戦地に向かわなくてはならない音大生の悲話。いよいよ出撃という前日、基地近くの小学校のグランドピアノを借りて、この世との別れにベートーベンの「月光ソナタ」を弾くシーンが、この映画のハイライトになる。1992年に公開されたこの作品は、実話がもとになっている。上映後に、映画の中で流れる月光ソナタを中心にミニコンサートを弾くのが、仕事依頼の内容。なかなか気の効いた企画じゃない。一年目は小ホールで1日に二回公演。二年目は、好評だったからか、はたまた一回で終わらせれば楽ちんと主催者側が思ったのか、大ホールにて、一回きりの開催となった。ところが、生ピアノの音が小さくて聞こえない、と後からクレームを会館側に寄せてきた人達が何人もいたらしい。戦争映画の爆音の後に聴く、生のピアノの音量は、弛緩した耳には、蚊の鳴くようにしか聞こえかったよう。それでなくても、二千人近く収容できる大ホールは、アコースティックなグランドピアノには大き過ぎる。う~ん、それならばマイクを使って、大音量で映画に対抗しなくてはならなくなる。静かにゆったりと味わう月光ソナタの第一楽章を、スピーカーで拡大したガンガン音量で聴くのは難しいです。…というより、無理です。耳を澄まして聞きたい音楽だってあるじゃないですか?今では、ピアノは望めば、誰だって触ることのできる楽器になったけれど、戦時中に音大に通っていた男子のピアノに対する思いは、私達が想像できるレベルではないよね。それを無理に夭折させてまで…。戦争なんてロクなもんじゃないって、世界中の皆が知っているのに、何故に繰り返す?石垣島で空港まで乗り合わせたタクシーの運転手さん、唐突に子供の頃の話しを始めた。ここいらは埋め立てられる前は、貧弱な海岸だったんだよ。浜にはまだ弾がたくさん落ちていてねぇ。防空壕には骨が転がっていたもんだ。子供心にも怖かったもんさ。貧しくて、海に潜っては食べるもんを捕ったけどね…。同じ話しを、観光客相手に、何度も繰り返し語っているに違いない。聞きもしないのに、抑揚のない声で喋べり続ける。観光客の興味を満足させようと、話してくれたのだろうけれど、戦争の傷あとを四方山話みたいには聞きたくはなかった。何も伝えることなく散っていったピアニストが、ふと思い出されてね…。

トークコンサート

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まだ留学中のこと、日本に帰国した折、神楽坂にある音楽の友社が持つホールで、リサイタルを開いていた。無名(今だって無名だけれどね…)だったから、当然、自主公演。なのに、有名な評論家がふらっと立ち寄って、雑誌に批評を書いてくれた。名刺を受け付けに置いて行ったので、来場したことが分かった。果たして、実際に載るのかなぁ?翌月、こちらには、何の知らせもなく、「音楽の友」という雑誌に掲載された。好意的に、「分かりやすく表現力のあるピアニスト」と、書いて下さった後に、一言。「でも、トークは要らない」と…。ショック( ̄○ ̄;)!トークが入った方が、聞きやすくて、分かりやすいかなと、自分なりに考えていたからね。その後、かなり長い間いじけていました。今でこそ、トークコンサートはそれ程珍しいことではないけれど、当時、演奏者は一言も喋らずに、舞台から去るのが当たり前でした。欧米で見かけたトークコンサートは、弾く側も聴く側も、肩を張らずに楽しんでいる様子で、これは良いなと思っていた。舞台と客席の距離は縮まり、そこには交流があった。自分を元祖と名乗る程の根拠はないけれど、日本でトークコンサートを始めた、初めのほうの一人は私かも知れない…なんて密かに思っていたりする。ピアノを弾くだけでは、伝えきれないものがあると、ずっと前から思っていた。音中時代にブタ小屋のような、アプライトピアノがようやく入る程度の狭い練習室でのこと。メンデルスゾーンの無言歌集を広げ、浮き雲や熱情や二重唱やらを、気持ち良く弾いていた。学友達は無言歌集をつまらないと言っていたが、小さな曲が、一つ一つ絵はがきのような情景を描く、この曲集を気に入っていた。体を揺らし、その気になって歌いながら弾いていた。ふと気付くと、小さな窓から必死に覗き込む幾つもの顔と、目が合った。「うわぁ~っ、あはは…。ナオが可笑しな弾き方してるよぉ…。」それまで静かだった廊下に、けたたましく笑い声が響き、私は急に恥ずかしくて居心地が悪くなった。楽しく弾いていたのに…。感じたことをありのままに表現して、何が可笑しいのか?「ぽっかり浮かんだ雲を見上げていたら、ふわりと体が浮いて空を飛ぶイメージが湧かない?私は、この曲を弾くと、そう感じるのよ。」友達を追いかけて言いたかったけれど、気持ちだけが置いてきぼりを食った。ポツンとね。音楽を志しているはずの子供達の世界でさえ、個性、自己主張、自己表現といったことは、認められにくいことだった。トークコンサートがそれ程珍しくもなくなった今、舞台の上で私の役割がある。そんなにかしこまって聴かないで、何を感じ何を思いますか?トークを通して、自由にイマジネーションを働かせてみてと、問いかけている。石垣島でのトークコンサート、初めての経験に戸惑ったたくさんの顔に出会った。クラシック音楽に憧れはするものの、楽しむという意味が見えなかった子供達。この人、喋ったり弾いたりするんだぁ。はにかみながら、本当は幻想即興曲が聞きたかったと、後で伝え聞いた。すでに弾かれ過ぎた曲は、今更いいだろう、なんて考えていた私。まだまだ、聞き手の目線を捉えていないね…♪隣りの竹富島には石垣島から高速船に乗って、たったの10分で行ける。古い沖縄の町並みが、大切に保存されている。観光客相手に水牛車を牽く青年。まだ朝早く、人気のない庭に停まった水牛車の中で、三線の練習をしていた。こういう暮らしもあるんだよね。

ピアノ探し

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困った(>_<)。ピアノが借りられない。沖縄県からさらに飛行機で小一時間ほどの、石垣島でのトークコンサート。早朝の便に羽田から乗り込み、移動に丸一日掛かってここまで来たものだから、鍵盤をしばらく触っていない。不安、心配、寂しいの連鎖の波が押し寄せてくる。そのクセ、ガイドブックでみた日本百景のひとつといわれる川平湾(かびらわん)は、是非観なくては、なんて張り切ったりする。おいおい、1日は24時間しかないんだよ。石垣空港から外に出れば、そこは異国だった。だって、1月というのに、24度もあるんですよ。コートにブーツをはいた私は、どう見てもよそ者。タクシーに乗り込んで、運転手さんと島の観光案内を交渉。まずは石垣島鍾乳洞に連れて行ってくれたのは良かったけれど、オフシーズンの平日とあって、だぁれもいない。順路の標識に従い洞窟入り口から階段を降りて行くと、鍾乳洞の中は薄暗い。急に、ぱぁっと明かりが点いてビクッとした。人が通ると電気が点くようになっているらしい。節電かぁ…。振り返れば、歩いて来た道は既に明かりが消えて薄暗い。前に進むしかないよね(;_;)。繰り返し流れるアナウンスの声だけが、妙に響く。「天井の黒いシミは、コウモリの糞で…。」うきゃあ~っ、コウモリがいるのか!お化け屋敷さかながら、足早に駆け抜けて行くと、突然声を掛けられた。ひえ~っ。「あのぅ~、写真、如何ですか?旅の思い出に一枚。別に買わなくても良いんですよ。」結構ですっ!もう、びっくりしたなぁ…。それから、川平湾へ。グラスボートに乗って、海底を覗いてきました。熱帯魚の水槽を、真上から見下ろした感じ。鍾乳洞でさんざん脅されたので(?)今ひとつ感激できない。それから宿へ。途端に、ピアノ~っ探さなきゃってモードに入る。タウンページで見つけた楽器店、二軒に電話して、「ピアノ貸して下さい」と言うと、「ウチにはピアノは置いていないんだよ」と、あっさり断られる。はぁ?楽器屋なのに楽器がない?アプライトさえ、置いてないっていうのか。貸し渋りかな?あちらこちらに電話して、ゴネてゴネまくって…。とうとう、ピアノの先生のお宅で、貸していただけることに。天使に出会えた。有り難いことと感謝!島の楽器店は、なんて不親切なんだと思いきや、沖縄は独自の音楽文化を持ち、三線を使ったバンドも流行っていることを、後で知った。西欧音楽には、まだまだ未開拓な部分があったんだね。前を通り掛かったら、本当にピアノを置いていない楽器店だった。思い込みでした。ケチ扱いしてすみませんでした。ピアノを貸していただいた後、居酒屋に行って、名物の海ブドウを食べてみました。海藻の一種で、プチプチした食感が美味。丼いっぱい食べてみた~い。カウンター席の隣に座った女性は、イカスミチャーハンを注文。口の周りを黒く染めて、すまして食べているのを、横目で盗み見た。これを注文するのは止めておこうっと。焦ったり、怖がったり、慌てたり、怒ったり、喜んでみたり、全く忙しい1日だった(*u_u)。

鏡開き

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鏡開きはしましたか?昔、武家では正月に鏡餅を供え、11日にこれを割って、一年の縁起を願い、食べるという習慣があり、これを「鏡開き」と言ったのが由来とか。昨年末には、プラスチック容器に切り餅が詰まっている市販タイプの鏡餅を幾つも買って、会う人ごとに差し上げていた。「今年もお世話になりました。良い年を!」とか言いながら。果たして、鏡餅を人様に差し上げて、良いのかどうか分かりませんが…。我が家では、お汁粉を作って切り餅を入れ、さて今年も頑張るぞと気合い入れた。お汁粉は小豆から煮て、アクを丁寧に取りながら、黒糖と上白糖を半分づつ入れ、お塩は多めに味を引き締めて仕上げる。つやつやに煮上がった小豆は、ほっこりと美味しく炊けた◎。子供の頃、お正月から飾ってあった鏡餅は本物で、乾燥してひび割れて、カチンコチンに石のように固くなった。新聞紙を広げた上に乾いた餅をのせ、トンカチで叩いて割っていたっけ。細かいかけらは油で揚げて、おかきに。からっからに乾燥した餅は、焼き網で焼いてからお汁粉に入れても、はじっこは固いままで、それがまた妙に美味しく感じていた。ちょっとしたことに、わくわくとした時代。色々なことに手間をかけなくなった今、生活の中のこだわりを見つける習慣が、ピアノを弾く上で大切なのではないかと思う。自分がどう感じるか、また自分にとって、何が大切かを、鍵盤の上で表現していくきっかけになる。先生に言われたままに弾くのでは、味気なく色褪せる。甘味と塩気の絶妙なバランスの感覚。素材の味は、殺さずに。バランスのとれた自己主張は、自然な味わいが感じられて共感がもてる。ほどよい甘さで。

悲劇のピアニスト

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アメリカ人ピアニスト、ウィリアム・カペルの名前を聞いたことがありますか?有望なピアニストとして期待されたのにもかかわらず、たった31歳の若さで他界しまう。オーストラリアでの演奏会で、成功をおさめた帰り道、運悪く乗り合わせた飛行機が、ロスアンジェルス郊外の山腹に墜落してして亡くなってしまった。悲劇のピアニスト。彼がピアニストとして活躍したのは、たったの10年余り。1922年生まれ、1953年没。あまりにも、短い人生だよね。それでも、カペルの名演奏は幾つか録音されて、CDに遺されているので、聴くことができる。音源は60年も前なのでアナログ。なのに、ピアノの弦がしなる様が分かるような溌剌とした演奏だから、是非とも聴いてみて下さい。こんなにピアノが弾けたら、良いなぁ…。19才でジュリアード音楽院に入学し、在籍中から注目を集め、その天才振りを発揮していた。アメリカの今では廃刊になってしまったピアノ雑誌、ピアノ・クォータリーに、カペルの日記が掲載されていたことがあった。その時点で、すでに世間では前途洋々とされていたカペルの苦悩を、本人自ら衝撃的に語っている。なんとカペルは、手が痛くてたまらない、指が思うように上がらないと、故障を切実に訴えていた。日記を読めば、飛行機事故に会わずとも、もしかしたら、長い間、現役で活躍することは難しかったかも知れないと、ふと思ったりして…。光と影。カペルは、ご覧の通り、影をたたえたハンサム・ボーイ。今風に言えば、イケメンだったので、なおのこと、悲劇性が増します。華やかな人生に思われがちなピアニストの実像。舞台の上では、地道な努力と苦労は見せるべきではないからね。音楽と共に夢も売ります。

タウブマン

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恩師ガーツ氏が提唱していたピアノ奏法が、タウブマン・テクニックだった。私自身、様々なピアノ奏法について勉強したわけではないから、ここでピアノの弾き方の是非を論じるつもりはないけれど、この機会に体験談ということで…。ガーツ氏に会ったその日、初めて弾いた曲が、ベートーヴェンのソナタ「月光」。全楽章を一気に弾き終えると、「あなたは素晴らしいピアニスト」と、褒めながらも、「そのような弾き方をして、腕が疲れませんか?」と聞いてきた。はぁ?当時、ピアノを長時間弾いたら疲れて当然、と思っていた私は、きっと怪訝な顔をしていたに違いない。「ピアノを弾いて疲労するようでは困るでしょう。まずは、打鍵の仕方から見直しましょうか。」ここから、ドレミファソのたった5音を弾くレッスンが始まった。「1音1音、力を抜いて。うん、その調子。かぶせるように打鍵したら、直ぐ脱力を意識して。鍵盤が自然に上がってくるのを指先で感じてごらん。さぁ、もう一度ドレミから弾いてみよう。」こればかり一時間。ガーツ氏は、非常に忍耐強く、丁寧に言葉を掛けてレッスンを進めていく。しかし、レッスンの度にドレミでは、先にこちらが耐えられなくなってきた。ある日、「あの…、ドレミはもう結構ですから、曲を弾かせてもらえませんか?」「あっ、そうだね。」ドレミより、ましなものを弾きたいと言ったことが、さも意外そうだった。肩からの脱力、手首の柔軟な回転、ひねりを生じさせない指使い。ピアノ技術の伝達を文章ですることは難しいけれど、大方この三点に絞られていた。Release, rotation, fingering. その後、タウブマン女史が、実際にガーツ氏の教鞭をとるイースタンミシガン州立大学に来られ、公開レッスンを行った。その時、ショパンのスケルツォ第4番で出演したこと、終了後に参観に来られていた他大学からの教授陣に、良かったよと、声を掛けられたことを覚えている。タウブマン女史自身は、かなりお年を召されていて、実際に教えることが大儀そうであった。ガーツ氏は、早くタウブマン・テクニックを記録に残さなければと、焦っていらした…。それを本人を前に言うのは、ちょっと失礼かなと思ったけれど、ガーツ氏はいたって真面目だった。現在、私のレッスンでは、ドレミ…は、つまらないので省いているし、タウブマンの名前を出すこともない。曲を弾きながら、脱力の仕方や、腕から手首に掛けての使い方を提案しているだけ。ドレミに付き合うほど、気が長くないからね~。タウブマン・テクニックを知ったお陰で、何時間でも楽にピアノが弾けるようになることは確か。「音楽の為に技術がある。」テクニックばかりに走ってしまえば、やるせないレッスンにもなりかねないから、少し控えめに導入しているってところかな。

空飛ぶペンギン

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初夏6月に、北海道旭川市にある、旭山動物園を訪れた。旭川の駅前は広々と整備されてはいるけれど、どこか閑散として空気がぽかんとしている。この街の売りは、ラーメンと動物園。空港からのバスの中でも、ホテルのロビーでも、動物園のビデオがしきりに流れ、観光客にアピールしている。今、全国的に注目を集めている旭山動物園は、その展示の仕方に独自のアイデアを凝らしていた。目の前の太いガラス管を通り抜けるゴマアザラシ。ガラス越しに、手で触れることができそうな錯覚を誘う。水中トンネルから見上げれば、ペンギンはまるで空を飛ぶ鳥。そうだった、ペンギンは鳥だったよねと思い出す。豹の檻の下からは、足の裏を見上げることができる。猫の肉球とそっくりで、豹って猫科なんだよねと納得する。オラウータンは、ピンと張られた綱を渡り、人間のはるか頭上を悠々と空中散歩する。見上げる人間が、オラウータンに見下される仕様。どうか落とし物などしませんようにと、はらはらする。動物達は、この環境に適応して、伸び伸びとしているように見受ける。うんと低い位置に、四角く開けられた窓から、ライオンの檻の中を覗きこむ。まるで、草原の中からライオンの様子を窺うかのイメージが沸く。動物の生活を邪魔しないように、見る側の視点に工夫を凝らしてある。それが、かえって動物達により近づいた効果を生み、ついつい夢中で見入ってしまう。旭川での仕事ついでに寄ったので一人っきり。動物園に一人で行くのはやめましょう。我を忘れて、シロクマをじいっと見入ったりしていると、隣の子供に観察されたりしますからね~。ずっと以前に、埼玉県にある東武動物園で見た、切ない光景を思い出した。確か黒豹だったか、夕日に向かって切ない声を張り上げては、狭い檻に体をぶつけていた。ガシャーン、ガシャーン。繰り返し繰り返し響く金属音が、痛々しく耳に残っていたっけ。住環境を整えてあげないと、動物だってストレスを溜める。そうそう、名物ラーメンの方は、一軒目で間違えてサッポロラーメンを食べてしまい、翌日、旭川ラーメンを出す店に連れて行ってもらった。山形で焼き肉を食べ、「やっぱり、米沢牛って美味しいよね~」って、全国チェーンの牛角で言ってしまい、周囲からバカにされてましたから、私の味覚なんてそんな程度です…。

木に登ってみれば

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それまで、あまり褒められたことの無かった私が、恩師ガーツ氏に初めて出会った時、こともあろうに、この人格者を疑ってかかった。「君は、素晴らしいピアニストだ。」褒められることに慣れていないから、面と向かって、そう言う彼には下心があるか、はたまた胡散臭いに違いないなどと思ってしまう。実際にレッスンが始まってみれば、彼は、門下生皆を素晴らしいピアニスト呼ばわりしていることに気付いて、今度はムッと腹を立てたりした。アメリカ人には、褒めの文化がある。元来、ネガティブ思考の日本人には、ウソ寒さを感じるほどのポジティブな思考回路が出来上がっている。例えば、愚息や愚妻に値する言葉はない。それどころか、ダーリン、愛しい人と、家族のことを謙遜どころか、人前で褒め上げてしまうのだからねぇ。文化の違いは天と地ほどある。お前はダメだと言われ続けた日本人が、お前は出来ると囁かれて、戸惑いを感じながらも、舞い上がらない訳がない。実際、同じ門下であったイエナが変貌を遂げた。イエナは、マレーシアからの留学生。始めの頃は、作品番号の若いモーツァルトのソナタかなんかを、ちんたら(ごめん)弾いていた。その後に、ラヴェルの「亡き王女に捧げるパヴァーン」をヨタヨタ(またまた、ごめん)弾いていた。ある日、モーツァルトのピアノ協奏曲を弾くと言う。物事には、順序ってものがある。それは無理だから、と思いきや、ガーツ氏のピアニスト・マジックにより、何とか弾き倒していたのには驚いた。ガーツ氏は、褒めるばかりではなく、困難な箇所には必ず助言も与えてくれた。指使いや手首の使い方、脱力法。あらゆる技術的な難題に解答を出そうと試みていた。彼は有能な指導者であったから、褒められ、適切な指導を受け、木に登ったブタさんは数知れなかった。但し、木に登ったブタさん達は、たいてい東洋人だった。褒められることに慣れ過ぎていたアメリカ人には、ガーツ氏のマジックはあまり効かなかったのかも知れない。卒業間際のある日、ガーツ氏のレッスン室に中国人の卒業生が訪ねて来た。タイトなスーツを着こなし、ブリーフケースを携え、完璧な大人のいでたち。試験のための練習をしたいとかで、シューマンのクライスレリアーナを颯爽と弾き、まだまだお子様チックな在校生に差を付けていた。「誰、この人?」と、小声で聞くと、イエナが不機嫌そうに、「ビン。卒業生。マンネス音楽院で、博士号の勉強している生意気な女。」イエナは、見た目は小柄だが、自分より出来る女が大嫌いな気の強さがある。レッスン室の外に出たビンを捕まえて、何故マンネスに行ったのか聞いてみた。当時、ガーツ氏の教授法に心酔していた私は、彼女が門下を離れた理由を聞きたかった。「技術的な点を強調して助言を貰うレッスンには、限界があるのよ。」心臓がドキっと音をたてて鳴る。「音楽を支えるために、技術があるってことなの。」そう言えば、ある程度弾けるようになると、そこから音楽的な解釈を掘り下げていく作業は、おざなりにされていた。次なる次元で語るビンに憧れた。木に登ってみれば、視野が開けることもある。もっと、学びたい。卒業の時期は、もうすぐそこまできていた。

ブタもおだてりゃ

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褒めの教育。そりゃあ、叱りつけて教えるよりは、褒めて育てた方が良いに決まっていると、誰しもが、どこかで聞き知っていることでしょう。昔のピアノの先生方は、不機嫌に怒ってばかりいた記憶があるけれどね。私自身、あまり褒められた記憶はない。音中に通っていた頃に体験したり、聞いたりした、気短か先生方の逸話は山のようにある。手を叩かれる、肩を小突かれるなんざ、日常茶飯事。気に入らないと、突然、ピアノの蓋をバシッと閉められたり、楽譜を窓から放り投げたり、途中でレッスンを打ち切られたり…。「弾けないなら、お帰りっ!」ピアノの先生には、不機嫌でヒステリックなイメージがあった。しかも、親達はそんな厳しい先生を、かえって有り難がった。今、ピアノを教える側の立場になってみれば、「そりゃ、ないよね」と、言いたいけれどね。叱ること自体は、まぁ、良しとしても、指導の放棄はいただけない。どう、練習したら良いか、指南を与えるというよりは、練習量が足りないから弾けないのだ、と言い切られていた覚えが強く残る。当時、ピアノ教師の横行に、文句なんて面と向かって言う、勇気ある生徒はいなかったから、好きなようにやり放題、言いたい放題。きっと、褒めの教育の概念が、無かっただけなんでしょうけれども…。生徒達はというと案外しぶとくて、きつく叱られても、「こんなことされた」と、むしろ友達の間で語り草にしては、ケロッとしていた。それでは、褒めの教育がベストかと言うと、そうでもないらしい。褒めただけより、厳しい教育を施した方が目標達成率が上がる、との結果も聞いた。要するに、飴に鞭。褒めながらも厳しくかな。ブタだって、おだてりゃ木に登る、と言うじゃないですか。何てことない籐の椅子。無垢だったのを、オフホワイトのペンキで塗ってもらったら、急に生き生きと表情を変えて、部屋の中に収まった。家具だって、ピアノ教育だって、少し手を掛ければ、変わるもんです。

花寿司寄席

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千葉に越してきて間もなく、母が花寿司を習いに行った。この辺りでは、昔から祝いの席に作る郷土料理だそう。よそ者の目にも、華やかな花寿司は魅力的で、どうやってこれらの模様を描き出すのだろうか、と知りたくなる。きっと、組み立てるときから、絵柄を想像する能力が要るのだろうね。中でも一番簡単、という花模様を習ってきたはずなのに…母が、持ち帰ってきた花寿司は、どうみても海に沈める錨(いかり)にしか見えなかった…。中学生の生徒から聞いた、定期試験でのエピソード。音楽のテストにまつわる笑い話を一席。問い:シャープ♯とは?答え:白鍵の隣の黒いやつ。◎はぁ、そんなんで、よくピアノを弾いているわね(*u_u)。問い:赤トンボの作曲者は?答え:赤川次郎。◎あはは、山田耕作ですよ。これは、苦しまぎれだ。問い:エルガーが作曲した有名な曲は?答え:正々堂々。◎もぅ、正しくは、威風堂々ですからっ。問い:ベートーベンが抱えた悩みは?答え:女にもてないこと◎それもあったかも知れないけれど、彼の耳の障害は常識です!レッスン中にこの話しを聞いて、お腹を抱えて笑い転げました。想像はついていることでしょうが、こんなお茶目な過ちを真面目に犯してしまうのは、もちろん男子生徒です。面白い答えに、先生は少し加点してくれたかと尋ねたところ、それはなかったそう。まぁ、そりゃあそうね。学校の先生方は、きっと珍回答には慣れっこなのかも知れません。ピアノ習っていてもこんな程度だから、後は推して知るべしよね…。

スタバな女

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どこの都市に出掛けても、スタバ=スターバックスの珈琲店を見かけるようになった。15年前にロス郊外の店舗に入った時に、こんなお店が日本にあったらきっと流行るよね…って、思っていた。それが今や、どこにでもスタバはある。スタバという単語は、携帯のメール語録に含まれているほど、ポピュラーになりましたね。日本人は、外来語を言いやすく簡素化したり、象徴的に扱うのが好きだよね。ところで、ニーディーという言葉、聞いたことがありますか?依存性が強く、激高しやすいタイプの人間を指します。簡単に言えば、他力本願の我がままな人。Need=必要とする。つまり周りの助けを必要とし、さんざん「助けてぇ~」と、騒ぎ立てる一方で、執着心は冷めやすく、興味がよそに移ってみれば、またそこで周りの助けを求めて大騒ぎ。迷惑なことです(-_-メ。誰しも、他人に頼りながら生きてますが、あまりに一方的な要求や、行き過ぎた依存は問題。ところが、ニーディー本人は、そんな自己に目を向けることなど決してしないのでお構いなし。相手の立場をおもんばかることは実に難しい…なんて、とり残された人間の方が深く反省したりして。だから、ニーディーなんですよね。スタバが流行り始めの頃、トール・ラテ、つまりたっぷりサイズのカフェ・ラテ目当てに、余りに頻繁にスタバに通いつめ、お財布の中身が苦しくなった人達がいたそうです。約四百円のコーヒーを1日に3杯も4杯も飲めば、そりゃあキツい。これもある意味、依存症。何事もほどほどに。

にわか専門家

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外灯が壊れた。そのことに気が付く少し前から、レッスン室の電気が飛んでしまい、それが頻繁に続くようになった。突如、真っ暗になっても慌てふためく子供はいない。ろうそくに火を灯して手渡し、「ちょっと待っててね」と、一人きりで後に残しても、静かに待っていることには感心~。始めのうちは「あらっ、電気を使い過ぎたかしら?」と、気にもかけなかったけれど、しょっちゅうブレイカーが落ちるようになってしまったので、とうとう電気屋さんにお願いして見てもらった。外灯の根本から漏電しているので、安全装置が作動して、ブレイカーが落ちるのだとの診断結果。このまま放置すれば、火事の危険∑( ̄口 ̄)と言われ、大慌ててで外灯を取り替えることに。コンセントにプラグを突っ込めば、何でも作動して当然と、信じている現代人の私。「お邪魔でしょうね~」、とか言いながら、工事屋さんの横に張り付いて、感電を恐れぬ勇気と器用さにひたすら感心していました。その方曰わく、「どんな仕事でも引き受けているうちに、プロになるんですよ」とのこと。ピアノ指導も、ピアノ弾きも同じですよね。得意や不得意な分野はあるにしても、仕事が来た以上はプロにならざるを得ない。以前から、トークコンサートの合間に、ディズニーや坂本龍一やら、時にはゲゲゲの鬼太郎なんかを弾いていたら、ポピュラーを弾いてトークコンサートをしてください、という依頼が来てしまった…。ポピュラーは専門外!それでも、引き受けました。引き受けた以上は、プロですっ。う~っ、大変だけど、やらねばねぇ。バイオリニストの高島ちさとさんが、まだ今ほど売れていなかった頃、インフルエンザか何かで舞台をキャンセルせざるを得なかった時に、「断ったりしたら、金輪際仕事が入らないかも知れないよ」と、周りから脅されたそう。この世界、そんなもんです。出た者勝ち。続けられた者勝ちなんです。以前に、小学校の体育館で弾いた時、ピアノの音が聞こえないほどザワザワしていて、その場に居合わせた友人が見かねて、「仕事を選んだらどう?呼ばれたから行くっていうんじゃ、芸者と同じじゃないかしら?」と、進言してくれました。まぁ、それもそうなんですがね…。才能に恵まれながらも、時の運に恵まれなかった人達を大勢見てきました。声が掛かり、弾かせて頂ければ、有り難いことです。仕事が頻繁に入るようになると、初心を忘れてしまいがちになってしまう。足元を照らす灯りは、自分で灯していかなければならないってことは、決して忘れてはいけない。時折、自戒。さて、ポピュラー曲のレパートリーを増やさなくてはね。

オズの魔法使い

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ピアニスト、イストバン・ナダス氏に出会ったのは、ルイジアナ州都バトン・ルージュとニューオーリンズの境ほどにある、タイースの実家であった。当時、メキシコに住むナダス氏は、モーツァルトのピアノ協奏曲を、ニューオーリンズ・シンフォニーと演奏するために訪米。その間、彼はタイースの実家に泊まっていた。タイースの母親が、その昔、ロヨラ大学の音楽科に在籍していた頃の恩師とか。彼女はナダス氏の訪問を、まるで有頂天といえるほどのテンションで喜んでいた。ニューオーリンズでの演奏会に連れていかれた私は、白人の知識層に囲まれて、独り場違いな感じでちょこんと座っていた。いまだに人種差別の激しい南部ならではの光景。この地では、白人と黒人は融和しない場面がある。根深い歴史の怨念は、そう簡単に人々の考え方を変えない。協奏曲を弾いた後に、ナダス氏はアンコールに、モーツァルトのソナタを全楽章弾いて、ちょっと引いてしまった。だって、20分余りもオケのメンバーは舞台の上で、ナダス氏が弾き終えるまで、じいっと手持ちぶさたで待っていなければならなかったからね。観客に顔を向けて目のやり場に困っている楽団員たちの様子が、居ずらそうで気の毒だった。次の日、タイースから連絡が入り、ナダス氏がタイースと私にレッスンをしてくれるという。ちょうど演奏会前だったので、シューマンの幻想曲を弾いた。弾き始めたら、「ちょっと、代わって」と言い、それから二時間余り、タイースを右に私を左に従えて、ひたすら喋りながら弾きまくっていた。彼のエネルギッシュなレッスンに、私達2人はすっかり参ってしまった。ナダス氏は70才くらいだったかな。断っておくが、見た目は老人であるのに、体力気力では私達より、間違いなくはるかに勝っていた。1922年生まれナダス氏は、ハンガリー生まれの往年のピアニストで、バルトークの直弟子でもあった。また、作曲をコダイに師事。これってすごくないです?歴史の生き証人ですよ!晩年のバルトークを知るナダス氏は、バルトークが部屋に引きこもり、戸をうっすらと開けて食事を差し入れてもらう以外は、外部との接触を断つようになってしまっていたことを語っていた。多分に、精神を病んでいたのかも知れない。ナダス氏本人も、歴史の波にもまれてきた体験をされていて、それを淡々と話してくれた。ユダヤ人である彼は、捕らえて収容所に送られる列車に乗せられたという。木の床板を周りの大人達が剥がし、まだ子供であったナダス氏をこっそり逃がしてくれて、すんでのところで命拾いしたという。その後の詳しい経緯は知らないが、安全を求めアメリカに渡るために、毎日、海岸を歩きながら、英語の堪能ないとこから、英単語を20づつ習っては暗記したと話してくれた。静かな口調ではあるが、たかが小娘の私が、彼の話しに相槌など打てるわけもなく、ただただ聞き入るばかりだった。ナダス氏は、頭がハゲて小太り。超人的で、異国にて名声は得ていながらも、帰る所がない。まるでオズの魔法使いだった。宝物の飛び出す絵本。エメラルドの街にそびえ立つ、オズの城。慕われ、恐れられ、孤独な王様。

お正月ブルー

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この頃、おせち料理は、元旦にいただくだけでも、もう飽きてしまう。お重の中身は年々簡素化して、今年はとうとう、お重を棚から出しもしなかった。出来合いの、かまぼこ、伊達巻、栗きんとんに黒豆を買ってきて、それを平皿に並べて終わり。子供の頃は、母が炊く煮しめの匂いにわくわくして、何日もお煮しめを食べていたのに…。おせちとは、もともとお節と言って、ことの節目に贅沢な料理を食べて祝うというのが由来とか。今は普段から飽食になってしまったから、ちょっとした節目のご馳走も、あまり有り難がらなくなってしまうのは、どんなもんかと思うよね。アメリカでは日本に比べ、新年をさほど大袈裟に祝うことはしない。秋からビッグ・イベントが目白押しだから。10月にハロウィン、11月には感謝祭、そして12月のクリスマスと続いて、新年を迎える頃には、疲れ果ててしまう。だいたいクリスマス・ブルーって、聞いたことあります?これからクリスマス・シーズンに向けて、あれこれ準備しなきゃ…って、思い悩んでノイローゼになってしまう人々のことです。その時期になると、新聞にクリスマス・ブルーのやり過ごし方、なんて記事が載ったりしますからね。日本人なら、さしずめお正月ブルーってところかしら?掃除しなきゃ、年賀状書かなきゃ、買い物しなくちゃ、お膳も整えて~なんて、一々それほど思い悩まずに、それなりに支度すると思いますけれど…。ニューヨークに住んでいた頃、大晦日にリンカーン・センターでおこなわれた、カウントダウン・コンサートに、物珍しさで出掛けてみた。ズービン・メータ氏率いるニューヨーク・フィル。何を演奏したかすっかり忘れてしまったけれど…、何しろ12時ピッタリに演奏が終わり、その途端にパーカッションの後ろからバーンという音とともに、勢い良く紙ふぶきが舞い散ったのには驚いた。「ハッピー・ニューイヤー!」すごい!この国の人は、何たってお祭り好きなんだよね~。今年、生まれて初めて、玄関先に門松を飾った。なんと、年末に門松をふたつも抱えて我が家に訪ねて来て、「これ飾って下さい」と、贈って下さった方がいらしたんです。仕事柄、色々頂いたりしますが、門松は初めてです。お心遣いありがとうございます(*^_^*)。めでたい!

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鈴木直美

Author:鈴木直美
ピアニスト、指導者として活動中。
Suzuki Piano School主催

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