思い違い

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知らないでいると、大きな思い違いを招いてしまうことに。憎まれっ子世にはばかる。このことわざの意味を、どう捉えていましたか?お恥ずかしいことに、つい最近まで、嫌われている人間に限って長生きしたりするもんだ、と思い込んでいたんです。本当の意味はというと、わんぱくな小僧のほうが、かえって世の中で幅をきかせ、成人したときには出世する…ということらしい。全然違うじゃないの!悪口が誉め言葉になる。エディット・ピアフが歌う愛の賛歌、めでたい席で聞くことがありますよね。実は、1949年のこと、恋人のボクサー、マルセル・セルダンが、公演中のピアフのもとへと向かう途中に飛行機事故に遭い、死んでしまった時に、深い悲しみを歌った曲。できることなら、もう一度逢いたい。悲しみの賛歌。ところが、歌詞が日本語訳され、「あなたの燃える手で私を抱きしめて~」と、くるせいか、はたまた、「愛の賛歌」という題名が勘違いを呼ぶのか、幸せな賛歌と思い違いされているようです。本来の意味を知った今、これを結婚式で歌うのはどうかと…。今日は大晦日。この一年、時計を見ながらレッスンを進めてきた。年が明けようと、明日も時計は同じように時を刻むんですよね。
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タイースの母

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ワインのコルク栓を抜く時に、失敗した経験がありますか?仕方なしに、コルクを少しづつ掻きだして、ようやく小さくなったところで、瓶の中にぎゅっと押し込んだ。コルクの細かいカスがいっぱい浮かんで、そのままでは飲めない。それをざるで濾して、デキャンタに注いだ。その途端、タイースの母親の顔が、フラッシュのような勢いで浮かんだ。彼女に初めて会った時、わしづかみしたデキャンタから強いウイスキーをグラスになみなみと注いで、「一杯どう?」と言いながら、ひと息に喉に流し込んでいた。見たこともないようなスピードでグラスを空にすると、またたっぷりと注いで、今後はゆっくりとウイスキーをすすり始めた。アルコール中毒?「母さん、そんなに呑むと…また。」また何なんだろうか?タイースはルイジアナ州立大学の同期で、授業を一緒に受けているうちに、次第に親しくなった。彼女はすでに三人の子持ちで、職を転々とする旦那さんのウィルとは、しょっちゅう口げんかをしていた。ある日、休暇の間、実家に来ないかと誘ってくれた。連れていかれた家は、高速道路を降りて大分走った郊外にあり、広大な敷地に建てられていて、まるで映画のシーンに出てくるかのよう。ゲートを車のまま入ると畑が続き、開けた右手に池があり、その先にある花畑の後ろに、モダンな横に長い家が唐突に現れた。もちろん、入り口から家は見えない。弁護士で自ら事務所を構える父親は、地元の成功者。両親は大学の音楽科に在籍していた頃出会い、その後、父親は食べていくためにと、法学部に入り直して弁護士になったそう。白黒写真には、とてつもなく美しい若い頃の母親が微笑んでいた。家の真ん中あたりに広い書斎があって、壁一面に並ぶ本棚に囲まれるように、二台のスタイン・ウェイが収まっていた。どちらでも、気に入った方で練習してよいという。腰から上の窓から、柔らかな日差しが差し込んでいるのに、居心地の悪さを感じながら練習させてもらった。なぜ?頭の中で、何故だろうか、という疑問がくるくる回る。あんなに綺麗で裕福な人が、歩くのが大儀なほどでっぷりと太り、お酒のせいで顔も人格も崩れてしまって…。いったい何が不幸と思うのだろうか、まったく理解できなかった。お酒がすすみ過ぎると発作が起こり、幻覚とともに暴れ出すらしい。そして入院。終わることのない連鎖。なのに、ウィスキーなどの強い酒が注がれたデキャンタが、家中に何本も置かれている。本人も家族もにっちもさっちもいかない様が、クリスタルのデキャンタから読み取れる。じっとして、冷たい光を放つ。タイースによると、子供の頃に聞いた母親のピアノは、相当な腕前だったらしい。今ではピアノの鍵盤に指をおくこともない。赤ワインをガブガブと飲みながら、「私は、母のように病まないわ」と、言っていた。あれから十年余りの時間が流れ、タイースから長い手紙が送られてきた。ハリケーンがルイジアナを襲い、街は壊滅的ダメージを受けたと。タイースの家はどうにか大丈夫だったが、この天災に政府は何もしてくれない。この国の将来は危うい。延々と不平不満を書き綴った後に、母親が亡くなったことが書かれていた。死んでしまったほうが、彼女にとっては幸せだったでしょ…と。父親も、それから間もなくして癌で逝ってしまったそう。今は、遺産をめぐり姉妹三人で争いが絶えないとか。この手紙に、返事はまだ出していない。何をどう書いたら良いのか、思い浮かばないから。

年始のご挨拶

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「やっと、年賀状書き終えたのよ~っ。」友人からのメール。しまった、年賀状のこと忘れてた。慌てて年賀状を買い求め、ようやく大方書き終えた。まったく日本人は、クリスマスにカードを書いたかと思えば、年賀状を書いたり、大変に忙しい。どちらかで良いじゃないかと思うけれど…。「メリークリスマス!楽しい年末と良い年をお迎え下さい。」昨年、これ一つで簡素化しようと、文面を考えてクリスマス・カードを出したものの、結局元旦に届いた年賀状に、一々返信していた。お正月は初売りどころではなく、年賀状書きに忙しかった。だって、年賀状を頂いておきながら、クリスマス・カード送ったからいいや…っていう訳には、なかなかいかないよね。年賀状は年始の挨拶まわりが簡略化されたもの。そもそも、平安時代から明治にかけて、お正月の1日から15日の間、お世話になった方々の家に、年始の挨拶にまわる習慣があって、それが新年の祝いの書状に代わったそう。そのころは1月2日の書き初めの日に、したためていたようです。その後、明治6年に郵便はがきが発行されたことを機に、はがきで年賀状を送る習慣が急激に広まり、今に至っているということです。やはり、横着はいけませんね。日本の文化ですから。お店には色とりどりの年賀状が並び、どれにしようか迷ってしまう。相手は一枚しか見ないのに、何種類か買って、写真やシールを貼ったりとデコレーションを施して楽しんでいました。パソコンで宛名を印刷してしまえば楽チンなんでしょうけれども、印字のべったりした感じが今一つ好きになれず、せっせと手書き。百枚は出すのに、そうこうして遊んでいたら、年賀状書きに丸2日要しましたね~。そうそう、書き損じたり、未使用の葉書&切手は、ユニセフに募金として寄付できますよぉ。年始めの人助け。

すみれの鉢

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ショパンは、すみれの花が好きだったらしい。花言葉は、花の色によって異なるが、一般的な紫色のすみれの花言葉は、誠実、真実の愛。これはギリシア神話に由来しているのだとか。川の神の娘、イオには許婚がいたのに、太陽神アポロンが、イオを我が物にしようと横恋慕。そこで、女神ディアナが、イオの姿をすみれに変えてアポロンから守り、イオは無事許婚と結ばれた。このギリシャ神話から、真実の愛などの花言葉がついたそう。ショパンは長い間、留守にしていた部屋に旅行先から戻る度に、部屋の管理人に、すみれの花を飾って欲しいと手紙で頼んでいた。もしかすると、留守宅に戻ったときの寒々しい空気を、嫌っていたのかも知れない。しかし、すみれとは。ショパンは意外や意外、地味な花が好みだったのねぇ、と思いきや、すみれは、ばらや百合とともに、西洋では古くから尊ばれてきた花だそうです。すみれの花がなぜ紫色をしているかというと、ヴィーナスが息子のキューピットに、「私とすみれと、どちらの方が美しいかしら?」と訊ねた。キューピットはうっかり、「すみれ」と答えてしまい、怒ったヴィーナスがすみれの花をひどく叩いて、白かった花を紫色にしてしまったとか…。昨日で仕事納めでした。今年も一年、良く働きました。私に叩かれて紫色になってしまった方々、お疲れ様でした!今回、冬休みは7日間。たまっていた宿題、ピアノを弾きます。手紙を書きます。本を読みます。買い物に行きます。掃除します。特に、窓の掃除は念入りに。幸せを呼び込むそう。そして、ショパンのように、花を愛でます。充電しなくちゃね。

朝からうどん

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香川県観音寺にあるうどん屋さん、岩田屋。朝7時、タクシーの運転手さんに、讃岐うどんを食べずにこの地を去りたくないと、連れて行ってもらった。果たして、こんな朝早くから、うどん屋さんなんて開いているんだろうか?岩田屋さんは、朝早く暗いうちから製麺作業をしている。左の台で生地を伸す。右の機械で生地を細く切る。店の片隅にあるテーブルに座り、茹でたてのうどんを食べることができる。全てセルフサービス。手渡された丼に、ストーブの上にかけられた鍋から勝手に汁を注ぐ。お玉ではなく、ひしゃく。そこいらに置かれたタッパーウェアには、ネギと揚げ玉の薬味が。それをたっぷり入れてすする。メニューは大中小のみ。中は一杯180円。安い!丼を手に途方に暮れていたら、タオルを頭に巻いた兄ちゃんが、ぶっきらぼうに流儀を教えてくれた。あっ、どぅも…。これから仕事に出掛ける人達が、うどんを一杯すする。さすが、讃岐うどんの本場。朝からうどんなんだ。スーツを着て旅行カバンを引きずる姿は、異邦人であったに違いないけれど、ちょっぴり、地元の人たちと触れることができた。物置小屋(すみません…)みたいな店構えで、ちょっとたじろいでしまったけれどもね。体も心も温まった一杯でしたよ~。フランチャイズの店舗が増えて、サービスや味に安心して入れるけれど、発見や驚きは薄れてきた昨今。新鮮でした。

壊れもの

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ウェッジウッド社のジャスパーというお皿。上薬がかかっていないので、ザラッとした手触りだけれど、渋みのあるパステルの色味が好み。食器として使用するというよりは、飾りもの。緑色の小皿は、その昔、洋食器に憧れて始めた当時に買い求めたもの。最近、仲間が増えて、また飾ってみた。思い返せば、演奏活動はこの頃から始まった。以来、20年余り。相変わらず、本番前の緊張には、慣れない。緊張しなくなったら舞台芸は終わりだと、あのたけしは言っていたっけ。そうは納得していても、緊張感から最低な人格に変貌する。多重人格の自己中心的思考に陥ってしまう。私ったら才能も乏しいのに、何故こんなことをしているんだろうか?自己卑下。今日を最後に、演奏活動からは足を洗おう。現実逃避。私だけ、こんな思いに耐えなくてはならないなんて。被害妄想。この年で、まだ頑張ってる自分は偉いっ。自己陶酔。秒単位で押し寄せる感情の波と戦う。自分が壊れそうになるけれど、壊さない。そうこうしているうちに、時間となる。舞台袖から見るピアノは、スポットライトに輝いて異次元の世界のように映る。さて、いよいよ本番。逃げも隠れもできない。胸に深く息を吸い込んで、背筋を伸ばす。異次元の空間に一歩踏み出す。そこには、この空間を音で満たす仕事が待っている。日本クラシック音楽コンクールの全国大会に行ってきた。中学生の部。自由曲で参加できるこのコンクールは、大曲が並び、実に聞き応えがある。だって若干中学生で、スクリァビンのソナタや、リストのタランテラだよ。この先、どれだけ伸びていけることか。どの子も、まばゆいばかりに溌剌と輝いていて、うらやましいね~。

ポット・ラック

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渡米して初めてのマラソン・コンサートを終えた後、ロザリンが自宅に学生達を招いてくれた。テーブルの上には、キッシュだのサラダだのパスタにゼリーやら、たくさんの大皿がのっていた。作法が分からない私に、平皿とフォークを手渡し、好きなものを取ってね、と言う。どこで食べるのかしら?テーブルの周りに椅子はない。ソファに腰かけたり、カウンターに寄りかかったり、思い思いに話をしながらフォークを動かしている。ロザリンは、平日ピアノを子供達に教えているらしい。「私の自慢のピアノで、弾いてちょうだいな。」リビングに置いてある、茶色のグランドピアノを指しては、学生たちがぽろぽろと弾く。何かというと、お手製料理を振る舞っては、パーティーを開くそう。皆を食べさせては幸せな、天使のような彼女。ある日、そこにいたはずのトムの姿がいつの間にか消えていた。寮に帰ると、練習室に楽譜を忘れていたことに気づいて、慌てて取りに戻った。薄暗くなりかけた時分。練習室に明かりがついて、そこだけ浮かんで見えた。音がもれる。そっと、覗いてみたらトムがピアノに向かっていた。何故だか、見てはいけないものを見てしまった気がして、足音を殺した。翌日、学友のマイケルにそのことを話したら、トムはいつもそうさ、と。トムは紳士でガツガツとしたところがない。パーティーを抜け出してまで練習する、そんなイメージがとんと湧かない。本人に直接聞いてみた。「何故、そこまでして練習するの?」「毎日、練習を欠かさないようにしているんだよ。僕はお酒を飲むのも止めたんだよ。飲むと、練習がかったるくなるからね。」穏やかに諭すかのように答えるトム。こういうタイプを、ストイックな勤勉家というんだね。私なんて、つい今日はいいやって、さぼってしまう。いいやいいやの精神なのに…。ポット・ラック・パーティーは、思い思いに自慢の一皿を持ってくる。持ち寄りパーティー。レシピを交換したり、会話が弾む。日本でも、この頃定着しつつある人寄せの形。誘われて、クッキーを持って行った。「わぁ、焼かれたんですか?」嘘をつくのが下手なもんで、ついうろたえる。「はい、あの…いいえ、その…。」毎年この時期に、スノーボールクッキーを焼いて、届けてくださる方がある。粉糖にまぶされたまあるいクッキーは、外はふわっと中はカリッと。ごめんなさいっ。それをお皿に入れて持参しただけなんです。告白f^_^;。

クリスマス・イブ

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クリスマスにケーキは欠かせない。今年は初めて、市販のスポンジと生クリームを買って、ケーキを組み立ててみた。イチゴやチョコレートの家を飾ってみたら、まあまあ、それらしく見える。自家製と威張れるほどのものじゃないし、味だって、飽食に慣れた舌にはお粗末なもの。それでも、イブな気分は盛り上がる。ケーキに加えて、チキンの足にサラダでもあれば、完璧なクリスマス・ディナー。アメリカでは、11月末の感謝祭に七面鳥を食べてしまったせいか、クリスマスにチキンというイメージはなく、むしろハムの塊やロースト・ビーフなんかを切り分けたりする。近所から通う生徒達も呼んで、ケーキを一緒に作る。生クリームを泡立て、イチゴを洗って切る、スポンジにクリームを塗って、デコレーションをほどこす。そんな作業を嬉しそうに続ける。ピアノにもこれくらいの熱心さがあればねぇ…。まぁ、いいっか。キャンドルに火を点けて、「せぇの~」で、吹き消した。菓子パンみたいな味だけれど、子供達はおいしいおいしいと平らげてくれた。サンタクロースは、こんな楽しい一時をプレゼントしてくれる。

知らない世界

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ノートルダム大学で語学研修を受け、しばらくして、音楽科の授業を少しづつ受け始めた。先ずは、しゃべることもあまり無く、レポート書きもいらない合唱やソルフェージュに、ピアノのレッスンをとって、のんびりとした学生生活をおくっていた。それでも、充分に充実感は味わえた。ピアノの担当は、ラ・ラータ教授。彼はイタリア系アメリカ人。いつも陽気で、顔の半分かと思われるくらい大きく開いた口から、泡を飛ばしてしゃべる。レッスンを受け始めたある日、今までに弾いた曲を書いてきて、と言われ困った。書き連ねるほど、レパートリーがあったかしら?覚えたてのタイプライターに向かって、ガシャガシャと打ち出す。それまでに弾いた曲を並べてみたが、A4のレポート用紙半分も埋まらない。だって、全楽章弾いたソナタなんて皆無だし…。バッハは組曲を一つも完全制覇していない。まさかツェルニーなんて書けやしない。ショパンだってエチュード、ワルツ、ノクターン、スケルツォにバラードを、ちょこっとづつ。近現代の大曲はなし。こうしてみると、虫食い状態のレパートリーに。あぁ、なんと情けないこと!二楽章とか弾いていなくてもウソをついて、曲目をどうにか書き連ねて、ラ・ラータ教授に持っていく。一瞥して、「これの中から、一時間のプログラム組んでみて。」「はい?今なんて言いました?」一時間のリサイタルって聞こえたけれど…。耳を疑った。レッスンの後で、練習室にたむろしていた学生に、いったいどういうことか聞くと、毎年ピアノ科の学生によるマラソン・コンサートがあるのだそう。一人一時間づつ弾きつないでいくのだとか。それに出ろというのか(><;)!無理だ。そんなに長い時間、弾いたことがないし、絶対に無理だ。しかも二週間後では、時間が足りない。慌てて断りに行く。「今までに弾いたことのある曲で良いんだよ。君のくれたリストに充分な曲目が書いてあったじゃないか。」当時、それ以上反論できるほど、英語は上手くなかった。寮から離れのレッスン室まで、キャンパス内を少し歩く。売店が二階にあるが、夕方にはもちろん閉まる。夕飯をカフェテリアで食べながら、「はぁっ、日本に帰ろうっかな…。」ようやく、学生生活を楽しみだしたのにね。食事の後、重い腰を上げピアノの練習を始める。気が付くと外は真っ暗で、辺りは静まり返っていた。警備員の懐中電灯の光が窓辺をなで、ビクッとする。ドアの鍵を確認して、ブラインドを全て下ろす。静寂。再びピアノに向かう。ピアノの音が止まると、怖いほど静かだ。歩いてすぐの寮まで帰れない。朝まで弾いていた。突然、シャーっと鋭い音がして、心臓がバフっと鳴る。ピアノに寄りかかって、うとうと寝てしまったらしい。スプリンクラーが回り出した音に、目が覚めた。下ろしたブラインドから、紫色の朝焼けが差し込む。バサッと楽譜を抱えて、走って寮に戻る。部屋に勢い良く飛び込んだ。「ドアをバタンと閉めないでよっ。」ベッドの中から、ルームメイトが顔も上げずに、不機嫌な声を投げつける。無性に腹が立って、ドアを叩き付けるように閉めたら、背後で大きな音をたてた。すぐそこが、遠いこともあるんだよね。

窓のそと

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この仕事をしていると、引きこもりではないけれど、つい引きこもりがちな生活になってしまいます。朝から晩まで座りっぱなしでのレッスン。演奏会前になれば、何時間もの練習。気が付けば、窓のそとの季節が移り変わっているような感じで、時間が流れていきます。人間ドックの先生に、「運動不足です。あなたは、このままでは周りに迷惑を掛ける老人になります」と、断言され唖然と。そんなに脅さなくともねぇ…。もう少し、優しい言い方ってもんがありますでしょう?無理やりバリウムを飲まされ、踏み台昇降で息を切らし、血は採られ、眼底検査で目をくらまし。挙げ句の果てに、迷惑老人の予言。やはり、頑張りには、それなりの言葉掛けをすべし!独りで憤っていました。ピアノのレッスンでは、三悪追放運動を心掛けています。三悪とは、遅れる、忘れる、触らない。レッスンに遅れる、楽譜を忘れる、練習をしてこない。大抵の場合、これらは一緒くたになって、ピアノ教師を襲う。これでは、いつまでも上達できないよ。まぁ考えてみれば、運動もせずに、お酒を呑んで、ストレスを溜めていれば、医者から迷惑呼ばわりされるのと変わらないよね。そんなんで人間ドック受けて何になるっ。まずは、自分の生活態度改めろってところですな。それじゃあ、やはり、ここはひとつ厳しくいきましょう。窓のそとに目を向け、一気にまくしたてる。「このままじゃ、迷惑な生徒になるわよ。時間を守って、忘れ物をせず、練習なさいっ。」うわっ、キツい。でも、これって、おけいこの基本だよね。

贈り物の妙

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贈り物は難しい。相手のことを良く知らないと、失敗してしまうから。北海道、漁港で知られる釧路の親類に、何を考えていたのか、こともあろうに、あじの干物を送ってしまった。ほっけや鮭を常食とする土地。「食べるところがあまり無いねぇ~。本州の魚は小さいなぁ」と、言われ返す言葉がなかった。新築祝いにとスリッパを一揃え贈ったら、「床暖房なので使わないのよ」と、言われ気まずい思いに。いづれにしても、黙って貰っておけば良いのに…とは思いますけどね。バザーに出ていたタオルのハンカチは、贈った物と同じだったりするとドキッとする。それでも、贈り物は、差し上げるのも頂くのも楽しい。その人のことだけを考える瞬間があるから。クリスマス・シーズン、我が家のツリーの下は、プレゼントでいっぱいになる。コーヒーカップ、箸、靴下、タオル、パジャマ、バンドエイドやヘアスプレーなどの生活用品から、チョコレートや焼き菓子のお菓子にいたるまで。何だって一々包んでリボンをかけてしまう。お歳暮を下さる方があれば、「これ、腐ります?」「はぁ?大丈夫だと思いますけれど…」と、困惑しながら仰る。即、ツリーの下へ。「24日の夜にぜーんぶ開けるんですぅ。楽しみがまた一つ増えました。ありがとうございますっ。」いい大人がねぇ…と、思われていますよね。翌年から、「ツリーの下にどうぞ、日持ちしますから」と、先に言われることが。そうよね、「腐ります?」は、いくら何でもないわよねぇ~。「ローストビーフはお好きですか?」と、聞かれたりしたら、我が家へご招待。「あなたが食べたい物を贈ってください。一緒に頂きましょうよ。」相手はかえって困ってしまう。日頃、生徒達には言葉の持つ力を意識するようにと、言っているくせに、私ときたらこの有り様。この時期、ついウキウキとお祭り気分で調子にのってしまう。幸い、周りの方々は寛容で、笑って聞き流してくださるから助かっています。クリスマス仕様のプリザーブド・フラワーはプレゼント。地味なトーンのレッスン室が、ぱあっと華やかになる。腐らないし、食べられない。考えましたね!

茶色の茶器

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初めての留学先は、アメリカ西部、サンフランシスコから車で30分程南下した、サン・マテオという郊外にある私立のノートルダム大学。語学力を何とか短期間で伸ばしたいと、寄宿舎に入った。初めのルームメイトは台湾からの留学生イダとハワイからの学生。大きな部屋にシングルベッドが3つ並び、隣にはリビング。別に、トイレとお風呂に広い洗面台、それに小型ながらもキッチンも付いていた。ベランダから下を覗けばプールが青く目に飛び込み、脇にはコイン・ランドリーの小屋が建っていた。日本から来たばかりの目には、全てが贅沢に映る。3ヶ月も滞在すれば英語なんてペラペラになると、タカをくくっていたが、少し話しが通じてくれば、授業を受けるには越えなければならない壁が見えてきただけだった。音楽専攻なのに、用語が分からない。ト音記号とか四分音符やら大譜表。全て分かっちゃいるけど英語で言えない。喋れる、読める、書けるだけではダメ。その上に、タイプが打てないことには、レポートが提出できない。ルーム・メイトのイダに、「あんた、国に帰って勉強してから出直しなよ。」と、言われ落ち込む。そりゃあ、そうだよね。英語が出来たら良いな~、なんて甘っちょろい考えで、短期間留学するのは日本人だけだよ。何とか学位を取って、アメリカに居着いて生きていかねば。努力を重ねて渡米してきた彼等から見たら、「顔を洗って出直しなっ。」と、憤りを感じることだろう。イダは中国人仲間で集まっては、中国語で遠慮なしに大声でまくし立てる。そんなことが長く頻繁に続けば、こちらだって面白くない。「英語で話してよ」と、文句を言ったら、「私のおじさんは日本人に殺されたのよ。あんたは何も知らないでしょ。」と、やり返された。そんなこと言われても…。無知さに恥じ入ったが、何か反論する度に、「私のおじさん…」を持ち出すものだから、その内あまり恐れ入らなくなった。悔しさと劣等感にさいなまれながら、タイプ打ちの練習を始めた。「キーを見ずにアルファベットを打てないことにはねぇ」と言われ、毎日ABC…と繰り返し打っていたら、ある日のこと、イダが「小指はここに固定した方が楽だよ」、と。その後も、次第に助言してくれるようになった。休暇で台湾に帰った折に、つやつやした小さな茶色の茶器を買って来てくれた。「日本人は、正しいお茶の煎れ方を知らないでしょっ。」相変わらず、手厳しかったけれどもね。後から、中国人街で手に入れた少し大振りの茶器。「それは安物だ!」こき下ろされたっけ。

脱出しなきゃ

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英語なんて、向こうに行けば何とかなるわよ~。甘い考えで一人乗り込んだ飛行機。音大卒業当時、音楽教室を経営していた母親の後を継いで、当然のようにピアノを子供達に教えていた。親戚がビクター関係の仕事をしていた伝手で、エレクトーンならぬビクトロンを習い、電子楽器も教え始めた。その頃、電子楽器はピアノよりも人気があったかも知れない。スイッチひとつで変わる多彩な音色に、リズムボックスを操って、一人でわいわい賑やかに楽しくアンサンブルできちゃう感覚が大いに受けていた。楽器を新たに購入してもらおう、という楽器会社の思惑にもピッタリと合う。地味なピアノは色あせて見えた。家の片隅に眠っているピアノを使われるより、流行の電子楽器なら新しい物を購入してくれる。しかも、車みたいに、モデルチェンジなんてするから、買い換えてもくれる。検定やコンクールなどの開催時に、必ず新しい機種を舞台にのせるものだから、教室側も新機種に慣れていなくてはならなかった。熱心な生徒になればなるほど、上位機種を欲しがった。市井のピアノ教師は専門色を押し出すより、何でも教えられることが求められた。バブル景気にのって、大勢の子供達が、まるで押し掛けるかのように教室に来ていた。何をどう習うというより、親が出来なかった習い事を、子供達が通っているということ自体が大切だった。当然、向上心は希薄。練習などしなくても、平気でレッスンに通ってくる子供が大半だった。まだ、若く経験不足の私自身、この流れ作業のようなレッスンをどうして良いか分からずに、嫌気だけつのらせていった。このままじゃ嫌だ。こんな仕事のために勉強してきたわけではない…。サンフランシスコ郊外で当時、駐在員をなさっていた方が声を掛けてきた。留学したかったらホスト・ファミリーになると。もちろん、この話しに飛びついた。今の生活から脱出できる!トフルという留学生対象のテストを受けるべく、塾を探した。今とは違い、自費で留学することはまだ珍しく、トフル受験を目的とした塾は神田にあるイフ外語学院だけだった。アメリカ大使館に行った。赤坂にある留学センターにも足を運んで資料を得た。細かい経緯は忘れてしまったが、脱出したい、その思いだけでがむしゃらに動いていた。栃木県佐野市にあるミレニアム・アウトレットには、チョコレートの名店ゴディバがある。賞味期限は切れていないが、バレンタインを過ぎて売れ残ったそれ用のチョコレートが、格安で売られていた。ハート型のチョコレート、15粒で六千三百円のところ二千円に。七割引。これは安いっと、手に取ったものの、買わずに棚にもどした。本当にそのチョコレートが欲しい訳ではないから。音大卒業しただけで、一流と錯覚してしまう自尊心と、実際の仕事内容とのギャップに耐えかねての留学。高級と言われるチョコレートと同じだ。買い手から欲しがられずに、どう一流と言えるのだろうか?甘い考えでスタートした留学は、その分、苦労でいっぱいだったけれどね…。帰国後、結局ピアノ教師をしているけれども、迷いはない。

花ことば

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ガーベラ。花弁を迷いなく、しゃきっと開くから、好きな花のひとつ。気温の温暖な千葉には、巨大な温室の中で一年中花を育てる花農家が点在する。時折、白子町にある花農家に足を向ける。バケツにドカッと放り込まれた色とりどりのガーベラは、B級品。いわゆる出来損ないのガーベラ。一本30円の格安な値段で買うことが出来る。茎が少し曲がっていたり、花弁が小振りだったりと素人目には、その違いはあまり分からない。束ねてみると、なあるほど…。花があちらこちらに顔を向けてしまって、お行儀良く収まらない。それでも、百本くらいまとめて抱えると、ガーベラのまあるい顔が四方に笑顔を振りまきながら、輝きを一層増して見える。うちの門下生もB級ガーベラみたいだ。昨日、門下生の発表会を終えた。皆、あっちゃこっちゃで崩れ傷つき…、それでも果敢にぐっと気を取り直しては、なんとか弾き通していた。音楽を感じ取り、表現しようとする姿勢は、とても集中していて、その気持ちはまっすぐに聴く側の耳に届いていた。お辞儀した後のその笑顔、輝いていましたよ。束ねてみたら、一級品だった。ガーベラの花言葉は、神秘・光に満ちてだそう。発表会のお祝いにと頂いた花かご。たくさんの方々に支えて頂いて、感謝。また、頑張れる。

雪景色のお城

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去年のクリスマスに仕事で福島県に行った時のこと。電車が大雪で止まってしまい、郡山駅前のスタバで二時間も待たされた。雪に慣れたこの地の人でさえ、にっちもさっちもいかないほどの大雪だった。翌日はぴかっと晴れて、積もった雪が目にまぶしいほど。時間がとれたので、観光気分で会津若松市のシンボル、鶴ヶ城に行ってみた。雪景色の中に佇む天守閣は、高く澄み渡る青空を背に、堂々とした姿でそびえ立っていた。時が止まっているかの錯覚を起こす。ほんの少しの間見上げていても、しんしんと足元から冷えてくる。タイムスリップ。現存する天守閣は復元されたもので、館内は資料館になっている。戊辰戦争にまつわる展示品の数々。白虎隊員19枚の肖像画は、とりわけ胸に迫るものがあった。もちろん彼等の写真など現存しないから、何を元にこれらの肖像画を書き上げたのか分からない。若干16~17才で自決してしまった少年達の顔は、大方想像であろう。現実感の希薄な美しい顔立ちをしている。それなのに、肖像画の前に佇むと目頭が熱くなった。歴史が目の前に鮮やかに蘇ってくるようで。お腹もすいていただろう。8月末とはいえ、会津山中の夜は寒かったろうに。敵の銃撃を受け、逃げ込んだ洞窟。その洞窟を見てきたが、用水路になっていて腰のあたりまで水が流れ、澄んでいるがために一層水の冷たさを感じる。周りの空気は暗く、長い間の哀しみを冷え冷えとたたえていた。洞窟を抜けて、見下ろした街は煙りに巻かれ、遠目に天守閣がおちたと誤解して図った集団自殺。1868年、明治元年、8月23日のこと。自ら絶って良い命などありはしないのに…。死ぬ勇気がなかったと言う人に、生きる勇気があったのだと説得している人がいた。たった一人生き残った少年は、生涯その固い口を開こうとはしなかった。誤った思想は悲劇を招く。死んで保てる誇りはない。死んでとれる責任なんてないのに。土産物屋では、白虎隊饅頭や煎餅が売られている。かわいらしいマンガのイラストが刷り込まれ…。彼らはヒーローではないのに。商売根性の浅ましさに、手に取ることさえもはばかられた。

リハーサル効果

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「舞台で演奏を重ねる子供達は、人生の修羅場をくぐり抜けるのだから、顔つきが違います。」大阪芸術大学の小原久幸先生は、言葉の魔術師。舞台は修羅場かぁ~。なるほど、そうかも知れない。ご自身曰わく、「僕にピアノを習ったって、ピアノは上達しませんよ。上手くなるのは、話しです」だって。あはは~。こういう先生にレッスンして頂いたら、きっとピアノ大好きになるでしょうね。発表会より一週間前に、ホールを借りてリハーサルをします。練習が足りずに、焦りまくって顔を上気させる女の子。暗譜がおぼつかず、母親に叱られ膨れっつらの男の子。ペダルがにごるよと注意され、どうしたらよいか分からずに茫然とする子。舞台に掛けてみれば、クライマックスの音量が足りない。フレーズの合間に息がつけない。アクセントの響きが悪い。スタカートの歯切れがイマイチ。テンポ操作が不自然などなど。細かい指摘が飛び、次第に空気がどんよりと重くなる。出来ているつもりだったのにね…。舞台で演奏してみると、それぞれに課題を抱えることに改めて気が付く。それまでも、何度となく注意されてきたことが、突然理解できるようになる。皆、一様に焦りを感じてリハーサルを終える。それからの一週間で、生徒達はうんと上達してくる。見違えるほどに、生き生きと音が舞う。子供って凄いよね。たった一週間で成長できるんだからね。修羅場をまたひとつくぐり抜けて、弾いた後は、きっと、少し成長した顔を見せてくれるに違いない。舞台で学ぶ。周りの大人は、ほんの少しの手助けしかできない。空の客席は良く音が響き渡る。リハーサルの練習時に、美しい残響に気を良くしていると、本番で慌てるはめに。客席が埋まった時の音響の悪さを、想像して練習しないとね。まぁ、プロ・ゴルファーが芝目を読むようなもんですかな。

みかんと漫画

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叔母から、みかんが届いた。細かい気配りの行き届く叔母は、高齢だがかくしゃくとして、理想の女性。会う度に、自分には無い優しさと、心の広さに感心してしまう。大変、尊敬している。みかんには想い出があって、それはピアノの練習嫌いだった幼少のころの話し。母親が台所に立っているのを良いことに、本を読んだり、お菓子を食べたり、時計の針を進めてみたり…。音だけ鳴らして、サボっていましたね。ある日、いつものように、何か気晴らしをしながら練習しようと企む。みかんをこっそりと腕に抱えて練習室に入り、もくもくと食べながらいい加減な練習。しめしめ、母親は気が付かない(^-^;)。間抜けなことに、みかんの皮をピアノの上に置きっぱなしに。見つかって怒られたのなんのって!ピアノが汚れるって…。ちょっと視点がズレていた。それからは、背後からこっそりと覗かれるハメに。漫画本片手に練習していた時は、振り向きざまにじっと覗き見していた母親に叩かれたっけ。現行犯に言い訳はできない。それでも性懲りもなく、サボる手だてに試行錯誤を繰り返していましたね。今なら、そんな子供には、どう対処するかな~?「さっさと練習して、好きなことをしたらどう?」気の利いたことが言えるほど、懐の深い大人にはならなかったね。留守をしたら、子供が練習をサボったと嘆くお母様方へ。それって、ごくごく普通ですから。

至福の一時

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万年、寝不足気味…。早起き、夜更かしの生活ですから当たり前ですよね~!そのせいか、冷え性に拍車がかかり、いつも寒がっています。とりわけ、布団に入った時にひんやり(>_<)が、きつい。電気毛布を使っていたけれど、朝になってもだるさが抜けない。この頃は、布団乾燥機でふわっふわに温めてから潜り込む。「ふぅ~っ、幸せ。」ほんわかと温かさに包まれて、ぐっすり安眠できますよ。モーツァルトの母親は寒さをしのぐために、布団にくるまってベッドに横たわっていたそう。モーツァルトが、旅行先のパリで書いたといわれるピアノソナタは5曲あります。中でも、パリ・ソナタと呼ばれるピアノ曲(K.310)は、癒し系のイメージが強いモーツァルトらしからぬ、不安に駆り立てられるような曲風。全部で18曲あるソナタの中で、たった二曲の短調の内の一つ。それなりの逸話が付いて回ります。パリにいたモーツァルトは、母親が亡くなったとの訃報を受け取り、遠く離れた母の元へ一刻も早く駆け付けたい、という焦りをピアノ曲に表した。母親思いのモーツァルトの心情を描写しているというのは、ガセ。だいたい、パリに母親は一緒に来ていたし、このソナタが書かれた時、彼女は健在だった。偉人の周りにいる人間は、時として世間の都合で殺されてしまうよね…。母親の死を予感して、悲劇的な作風になったと憶測する人もいる。それも、どうだか疑わしい。パリで安定した就職先を探していたモーツァルトは、それを口実に、お金持ちの家にお呼ばれしては、夜な夜な遊び回っていた。一方、パリへの旅に同伴していたモーツァルトの母親は、薪を節約するために冷え冷えとした安宿部屋で、独り寂しくモーツァルトの帰りを待って、暖をとるため布団にくるまっていた。実際、母親がパリで亡くなったと父親に手紙で告げたのはモーツァルト本人だった。7月3日に亡くなる。その日に、モーツァルトは父親に宛てて手紙を書いている。母親の具合が悪いと。なぜに母親は死んでしまったと書けなかったのだろう?父親がショックを受けないようにと、善意に解釈する向きもあるが、どうだろうか?孝行を尽くしたとは感じとれない。むしろ逆で、言い訳がましい印象を受ける。そこら辺の事情は、石井宏氏著の「素顔のモーツァルト」に書かれている書面から、想像してみることができます。ベッド・サイドには本と目覚まし時計。安眠出来るほどに、バタン&キューで、本を読む間がなくなってしまいました。

お茶をどうぞ

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ここ千葉にて、教室を始めてから八年経ちます。時間の経つのは、何と早いこと。振り返れば、色々してきたようでもあり、何もしなかったようでもあり…。誰一人として知り合いのいない土地に越してきて、ぼちぼちと教え始めたのは、ほんの少し前のことと感じる。引越しで、グランド・ピアノを搬入しているところを、ご近所の方から声を掛けられてがきっかけに。「教えてもらえませんか?」理由は、近いから。一人二人では寂しかろうと、生徒募集をしてみた。初めて迎える年末に、たった5人の生徒さんの発表会。ご家族を招待して、ツリーを飾った自宅で開催。小さな演奏会を終わってから、リビングで食事をしたっけ。全ては手作りで、アットホームだった。それからあれよあれよと、今や一人で教えきるのが目一杯な程に成長した教室。年末の発表会は、クリスマス・コンサートと称し、リハーサルと当日の二回、会館を借りて朝から暗くなるまで行う。ホーム・パーティーは、ホテルを借りての宴会になっている。子供達は、これがお目当てなので外せない。年に一度の大騒ぎ♪~もはや、全てを自分一人で切り盛りすることが不可能に。お母さん方が裏方を手伝って下さる。舞台の花の手配や、プログラムの製本、記念品のラッピングに、パーティーの設定にいたるまで。細々と気を配って下さり、大助かり。発表会の前に、我が家に集まって、最後の作業をする。皆さんテキパキとたくましく働いて、私ときたら、「お茶でもいかが?」と、所在なげ…。全て自分の手の中にあったものが、成長して一つの社会を作っているよう。たかが一介のピアノ教師ではありますが、責任が大きくなったよね。

アンコール

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アンコールの曲は、いつも最後の最後に決める。練習が間に合わないから、アンコール曲が後回しになってしまう、というだけの情けない理由。ひどい時には、いよいよ演奏会の前日になって、さて何を弾こうかと慌てる始末。中国人ピアニストのランランみたく、何でもかんでも、お茶の子さいさいで弾けちゃえば良いのにね。普通の人はそうはいかないから、あたふたする。お客さんの層でも曲目が変わる。親子連れが多ければ、子供達が学習していそうな曲を選んでみる。エリーゼの為に、子犬のワルツ、トロイメライ、アラベスクにトルコマーチ。大人の方々には愛の夢、ノクターン、別れの曲、革命エチュード、月の光などのロマン派を。これらは、いつでも弾ける。だから毎度、同じようなアンコール曲になってしまうのだ。何度となく足を運んで下さる方々へ。変わり映えしなくて、すみません…。しかし、実際のところ、聞き飽きたかと思われるこれらの曲が、一番ウケる。紡ぎ歌を弾いた時には、「紡ぎ歌が聴けて、今日は来たかいがありました。ありがとう。」なんて真顔で言われた。「あっ、どうも…」と、しか返事できない。二時間に渡り弾きまくった難曲、大曲が、たかがエルメンライヒの紡ぎ歌の前にかすんでしまうんだよね。拍子抜け。だいたいエルメンライヒって何者です?彼の作品と言えば、紡ぎ歌しか知らないのですが。そういえば、乙女の祈りだってそうだよね。作曲したのはバダジェフスカ。この曲しか知らないし、名前も覚えにくいったらありゃしない。いやいや、傲慢はいけません。曲があっての演奏家。聴いて下さる方々がいてこその演奏家です。何を弾いたところで、少しでも喜んで頂けたら、それで良かったと、真摯な気持ちは忘れずに!生花は枯れてしまう。そう言って、コンサートの折りに、プリザーブド・フラワーの花カゴを贈ってくれた友人。プリザーブド・フラワーとは、特殊加工された花で、生き生きと色あせずに何年も保つという。それなら、私自身もプリザーブしてもらいたいもんだ、とバカを言ってはしゃいだりして。演奏会の後は解放感から、やたらハイテンションになります。二年前、ショパンのコンツェルトを弾いた時に頂いた花カゴ。あの時の集中と緊張と高揚、いまだに色あせずにいる。楽しかったなぁ~。

イルミネーション

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千葉駅前のイルミネーション。この時季、夜の外出は電飾に彩られ、なんだかウキウキとします。ここ数年で、年末のイルミネーションも定着してきましたよね。夕方からコンサート。何となく、熱意が薄れ気味の生徒を連れてのお出かけ。中学生にもなると、子供でも大人でもない中途半端な時期に突入する。それまで、何の疑いも持たずに親や先生の言うことを聞いて、黙々とピアノに向かっていたのに、そうそう素直ではなくなる。目的意識は低くなり、しかも集中力がなかなか持続しない。何のために、頑張らなきゃいけないの?前向きな姿勢は、格好悪いと考え始める。反抗期と言う言葉で、全てがあきらめられていく。仕方がないよ、反抗期だからね…と。演奏会が目前だからピアノの練習をしなさいと、言ったところで、素直に聞きゃしない。自分の内面に目を向けることより、他人からどう見られるかが気になって、落ち着きを失う。そこで一計。コンサートに引っ張って行った。客席から舞台を見上げる。舞台の上で、ピアニストは一回りも二回りも大きく、オーラに包まれ眩しく輝いて見える。君たちだって舞台の上で、輝いているんだよ。遠ざかれば、近づくのが億劫になってしまう。帰り道にご飯を食べて、送って行く。別れ際に、「ねぇ、ピアノ弾きたくなった?」と聞くと、「かなり、やばいと思いました。」だって。やった~、思惑成功かな?いや、そんなに簡単に、人の気持ちは変わらん変わらん。だって、反抗期だからね。何か出来るということが、自分を輝かせている。そんなこと、わざわざ口にしなくたって、分かっているはずなのにね。本当に大事なのは、自分自身を大切にすることと気が付くには、もう少し時間が掛かるかも知れない。

継承者不足

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仕事柄、いろいろなお菓子を頂く。うふふ、役得~♪(*^ ・^)。それにしても、瓦煎餅とは珍しいこと。くださった方が仰るには、ご主人様の顔が焼き付けてあるとか…。聞けば、そこには事情があった。神戸にある老舗、瓦煎餅の久井堂さんは、がんこに手焼きにこだわる。しかし、後継者が育たず、この仕事は自分の代までとあきらめていると…。それを、耳にされたご主人様は、絵柄入りの瓦煎餅を沢山作ってもらい、あちらこちらに配っているとのこと。かっこいい!なかなか、こういったことは思っていても、行動が伴わないものです。私にも何か出来ないかしら?一箱から注文できるそうです。ご興味のある方は、こちらまで。連絡先、瓦煎餅の久井堂:電話とFAX、共に078(361)4385。そんじょそこらの瓦煎餅とは味が違います!継承者不足は、クラシックの作曲家達だって悩まされました。モーツァルトの唯一残った子供は、この子はいつか芽が出るに違いないと、言われ続けてとうとう生涯終わってしまった。ショパン、メンデルスゾーン、ブラームスは結婚せず、一代限り。偉大なる芸術家の末裔で、活躍している人達はあまり見かけない。音楽一家として有名な、バッハ一族をみてみよう。2人の奥さんとの間に20人も子供がいたというのに、結局、誰一人として、父親のヨハン・セバスチャンを超えられなかった。芸術家に限らず、代々偉人を輩出するなんて、めったに聞かない。後継者に不足するのは、その人が卓越すればするほど深刻になる。越えなければいけない壁が高いからね。

甘やかし

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これは発表会の記念品。高校生のために王冠のネックレスを用意してみた。お店の人によると、ちょっとした流行り物とか。小さなネックレスは、ハート型のケースにタオル・ハンカチを敷いて、ガラスの花形小皿にのせて包む。よし、完璧!これで喜ばないわけがない。幼稚園児から高校生まで生徒がいる。同じ物で喜んでっていうわけにはいかないから、あれこれ悩んで選ぶ。小さな子供にはキルトのバッグ。ハートのパッチワークが縫い付けてある。プリンセスな文房具をアクセントにして、ラブリーに包む。中学生には、松ぼっくりの形をしたキャンドルにト音記号のついたヘアピンを組み合わせて、キラキラ☆っとラッピング。今の子供達は物に溢れていて、何を手に入れてもあまり感動しない。手ごわい相手を、いかにして喜ばせようかと挑む気分だけれど、こちら側の自己満足の世界だね。良いか悪いかは別にして、基本的に子供には甘いんだよね。教育上よろしくないと思いつつも、ついつい…、悪い大人です。何故だか、男の子には想像力が働かないんです。ごめん×2。今年は筆箱になりました。去年は鉛筆削り。一昨年は、え~っと…、財布だったかな。実用品のみですね~。

顔のない犯罪

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前々から欲しかったドイル。そこだけロマンティックな雰囲気に染まる。レースのドレスは永遠の憧れ。夏の海外旅行からひと月経ち、カード会社から80万円の請求がきてびっくり。いや、驚いたのなんのって。おまけに内訳が三枚も同封されていて、2日間に渡り使い込んだ形跡が長々と連ねてある。しかも、一回の金額は一万円位。ちょっと待ってよ。ルピーってインドの通貨じゃなかったかしら。インドなんて行ったことないし、だいたいカードを使ったとされる日には、既に日本に帰っているじゃない。慌ててカード会社に電話を掛けると、たらい回しにされた挙げ句、担当部署は休みだから週明けに電話し直して下さいとのこと。おまけに、留守番に「事件性がありますね。カードを使う時は、気を付けて下さいよぉ。」と、言われて、「あなたに言われたくないしっ」と、嫌~な気分に。おかげで落ち着かない週末を過ごし、週明けに開業時間を待って電話した。ようやく、「被害に遭われましたね。番号が盗難されたのですよ。」と、言ってもらえた時には、気疲れでくたくただった。カードを使った店で、番号が闇市に漏れたらしい。アメリカでも、同じような被害に遭ったことがある。それは電話番号だった。ニューヨークで公衆電話を掛ける際、暗証番号を先ず入力してから先方の番号をダイヤルすると、後日まとめて請求されるというサービスを利用していた。携帯電話がまだ普及していなかった頃の話し。小銭がなくても電話が掛けられるので便利だった。ある日突然、電話会社から連絡があり、あなたの電話番号は盗難されましたので使用不可能にしてありますとのこと。使用の仕方を見ていれば、盗難されたのが分かるらしい。我々の日常生活は、知らないうちに監視されているんだと空寒くなった。それまでにない、特異な行動パターンは、管理されたシステムの中で警鐘を鳴らす。ウルグアイとかグァテマラへ、突然に長電話を頻繁に掛け始めたとかで、請求額は数万円に昇るとか。柱の影などに隠れ、指先の動きで番号を読み取ってしまう犯罪が横行していることを、初めて知った。アメリカに出稼ぎに来た貧しい人達が、家族に電話したくても料金が高くて、闇のルートで手に入れた暗証番号を使うケースが増えているらしい。それを気の毒にと同情したりするのは、日本人のおめでたいところ。被災地では、普通の人達が略奪や暴行を始めるのを、ニュースなどの報道で聞いたことがあるでしょう。1992年に、ロスアンゼルスで暴動が起こった時、飛行機で空港に降り立った。空から見た街は、停電で灯りは消え真っ暗だが、あちらこちらにオレンジ色の火の手が上がり不気味だった。日本でも、銀行の自動支払い機に鏡を取り付けて、番号を盗み見た犯罪があったっけ。犯罪まで欧米化して欲しくない。ロマンティックなドイルは歓迎。だけれど、犯罪の欧米化はごめんだなんて、都合の良いことは果たして言っていられるのだろうか?どちらも顔が見えない。

プロフェッショナル

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もし、世界でたった一人のピアニストが必要とされたとしたら、何を基準に選ぶのでしょうか?一番指の動く人が選ばれるのか、レパートリーの豊富な人が良いのか、より美しい音色を出せる人が好ましいのか、表現力の豊かな人か、はたまた、演奏する姿が見目麗しいことが大切と考える層もいるみたいだし…。でも、美しい音色って好みによるし、表現力ってどう判断するの?そうしてみると、演奏する側にだって個性があるように、聴く側にだって好みはあるから、やはり一人だけなんて選べない。ケーキ屋さんのケースに並べられたお菓子みたいに、色とりどりが楽しい。ピアニストはいろんなタイプがいて良いんですよ。昔、音中時代に「人それぞれの弾き方があって構わないんだ。」と、言い切っていらした永井先生の言葉。まだまだ幼い頭にはあまりピンとこなかったけれど、斬新な響きがあったので記憶にある。それまでは、そんなんじゃダメ、とばかり言われ続けたからね。それも良いと言われて戸惑った。今になって、ようやく分かり始めた。音楽は競争じゃないし、先生の押し付けや刷り込みだけでは創造性がないから、感じとったものを自分なりに表現していけば良いんだよね。聴く人達の中に共感する人が、ほんの少しでもいてくれたらと願うのみです。学校の先生や弁護士のように、これといった資格が必要ではない音楽家という職業。何を持ってしてプロと言えるのだろうか?ピアノを弾く人は、皆ピアニストと言えるし…。「ご職業は?」と聞かれて、答えにつまったことは一度や二度ではない。仕方なく使い分けている。資格がいるわけではないこの世界。自分のためにではなく、聴く人のためにピアノを弾き始めたらプロフェッショナルと言えるかな~と、今のところ考えています。では、どこから聴く人のためにと考え始められるのだろうか?出たもの勝ちよ、と聞いたことがある。なるほど、そうかも知れない…。舞台があるから腕に磨きがかかるし、回を重ねれば、必然的に聴く人のために演奏するようになる。演奏回数をこなすには、いつも満足せずに、前を向いて歩いていかなくてはならない。だって、ヴァン・クライバーンのように、第1回チャイコフスキー・コンクールで優勝し時代の寵児ともてはやされつつ、酒とドラッグに溺れてしまうんじゃぁね。プレッシャーに耐えきれなかったのかなぁ。どこに行ってもコンクールの優勝曲ばかり弾かされて、嫌気が差したとの供述もある。もちろん、彼のプレッシャーは、たったそれだけではなかったのだろうけれど。才能があるのに寂しいよ…!資格がない分、周りの期待に追いつく精進が必要なんだよね。かえって大変じゃないか、この仕事Y(>_<、)。人生やり直しが難しいこの年になって、今更、気が付く。演奏会で頂いた花束は、ばらして生ける。そうすると、我がもの顔で居心地よさそうに花瓶におさまる。

モテる条件

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ある男の子に出会った。学生服の彼は、好青年。自己紹介が、「僕はデブだけれど、ピアノは弾けます」だって。あはは…、面白い子だね。これだけピアノと話しが上手ならば、大丈夫!君は絶対にモテます。(^_-)☆ベートーベンは、むさ苦しい熊のような風貌であったとの記述が残っています。酒場や道ですれ違った女の子をじろじろ見回したり、興奮のあまり同席した友人がたじろぐほど、にやにやしたり奇声を上げたり。なんとまぁ、下品なこと。一方、よせば良いのに、身分の高いお弟子さん達とのかなわぬ恋愛を次々と重ねる。ショパンの写真を見たことがありますか?彼の甘い音楽から王子様を想像すると、実際の容姿にガッカリするかも。なんだぁ…。鼻ばかりデカい、不機嫌そうなやさ男の印象。ごっつい姉さん肌のサンドと長年付き合うものの、身も心もボロボロになり捨てられてしまう。ドビュッシーに至ってはでこっぱちなんですよぉ。当時の新聞に、その容貌は個性的で醜いとまで書かれた。そりゃ、ひどいよね。でも、容姿は恋の妨げにはならなかったようで、次々と金髪美人と浮き名を流す。ガビーとテレーズにふたまたをかけ、共に婚約していたのに破棄。その後、マヌカンの可愛いリリーと結婚。それも飽きた彼は、よその奥さんエマと駆け落ち。すったもんだの末に落ち着く。以上、ハンサムとは決して言えない彼等だけれど、どうやら女の人からはもてたらしい。音楽において堪能であったことが最大の魅力となって、女性達の心を惹きつけたのでしょうね。女性にモテる条件は容姿ではなく、何ができるかということが大切なのかな~。ただし、せっかくの関係を好転させることができるかどうかは、本人の人間としての資質次第なんだよね~。前述の男の子をほうふつとさせるスノーマン。彼の人柄を思い出す。あったかい。これからも、がんばって下さい(^O^)/。

テリトリー

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ポールとマリオと加藤さん。彼等に共通していることは、調律師であるということ。そして、サポーターに徹する達人であること。私の性格や好みを知り、黙々と仕事に専念してくれる。こちらの演奏前の緊張を理解し、彼等は寡黙に仕事をこなす。張りつめた空気を読み取って、余計なことは決して言わないでいてくれる。「今日はお疲れですかぁ?」なんて、リハーサル中に意味深な発言をする無神経な調律師とは、二度と一緒に仕事をしたくないものです。信頼のおける調律師は、同時に音楽愛好家でもある。調律後、リサイタルに残るとも言わずに客席から聴いて行く。演奏前に1~2時間チャラチャラっと調律して、本番の演奏を少しも聴かずに帰ってしまう輩は、自分の仕事が何か少し考え直した方が良いのではないかと常々思う。演奏家にとって、信頼できる調律師との仕事ほど有り難いことはない。チームワークはこの仕事には欠かせない。狂ったピアノでは、たとえ名器でも歌わないし、歌えない。調律師とピアニストは、それぞれの分野でプロでなくてはならず、互いにテリトリーを犯したりしてはどうかと…。だって、ピアニストが演奏やコンディションにあ~だこ~だと言われたくないのと同じに、ピアノのメカニズムを専門に勉強したわけでもない人間に知ったかぶりをされれば、調律師だって面白くはないでしょうしね。演奏家と調律師。孤独な商売ってことも、互いに通いあえる部分がある。こだわりが強く、自己満足と言われてしまう領域にプライドを見いだす点もね。レッスン室のソファ。誰もいない時には特別客が陣取る。

グロテスクな美

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ブライスという頭でっかちな人形が巷で流行っているらしい。どちらかと言うと子供対象というより、オタク対象。大人のファン層の厚い着せ替え人形だとか。頭の後ろに付いているコードを引っ張ると、目の色がくるりとくるりと4色に変わる。しかし、コードは壊れやすく、乱暴に引っ張ってはいけないのだそう。なるほど…、そんなに扱いがデリケートなら、確かに小さな子供向きではないよね。中学生の生徒が自慢のブライスちゃんを見せてくれた。でも、コードを引っ張らせてくれなかった。師弟関係の深さが象徴されるよね~。(^_^;)ブライスちゃんは、グロかわな容姿が受けている。つまり、グロテスクであるけれど、どこか可愛いらしいという感覚が今時とのこと。旧ソ連の作曲家、プロコフィエフは今から約百年も前に、グロテスクさと美しさを兼ね備えた作品を発表した。当時、斬新な音楽は、頭でっかちの人達には受け入れてもらえなかった。プロコフィエフのグロ・ビューティーは、その怪しげな不均衡で壊れそうなバランス感覚が美しい。まぁ、ブライスちゃんみたいなもんです。完璧でキレイなバービーちゃんに飽きたら、次はグロかわなのブライスちゃんがもてはやされるようなる。音楽もロマン派の時代に華やかな美しさが求められたが、ついには飽きられ、グロ・ビューティーの時代を迎えた一面を見せる。ピアニストとしても活躍していたプロコフィエフは、アメリカに亡命する際、日本に寄ってリサイタルを行っている。宣伝が悪く、客はまばらにしか入らず、しかもマナーが悪かったそう。いや…、お恥ずかしいことです。

グリーン・トマト

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フライド・グリーン・トマト。映画のタイトルですが、ご覧になった方はあまり多くないのでは?アメリカ南部の市民生活を描いた作品。南部では、まだ青くてかたいトマトを炒めて食べることがある。厚く輪切りにしてたっぷりの油で両面を焼きつける。アメリカは広大で、土地柄によって食べ物の好みは違う。南部では、コーヒーの代わりにアイス・ティーを好む。たっぷりサイズのグラスに、冷たいアイス・ティーがなみなみと注がれる。ケイジャンと呼ばれるフランス南部からの移民がたどり着いた街、ニューオリンズ。特徴あるご当地料理が並ぶ。ざりがにのしっぽは煮込み料理のエトゥフェと呼ばれ、ごはんにかけて食べる。カメの肉は豆と一緒にスープに。ガンボはオクラとトマトがベースのごった煮。ジャンバラヤは茶色の蒸し焼き風チャーハン。カーペンターズの歌にも出てくるのをご存知ですか?牡蠣も産地なので、生のまま好んで食べられている。牡蠣はクラッカーにのせて西洋わさび(ホースラディッシュ)と共にカクテル・ソース(ケチャップみたいな物)で喉に流し込む。噛まない。オイスター・バーという店がフレンチ・クォーターと呼ばれる街中に点々とある。決してキレイな店というわけではない。カウンターの向こう側に屈強なおじさん達がいて、注文すると牡蠣の殻をいとも簡単にこじ開けてくれる。速いけれど、雑な仕事。貝のかけらやゴミは自分でよけて食べる。ポパイに出てくるブルートみたいな彼等に声を掛けること事態、ちょっと勇気がいるけどね。ルイジアナ州はタバスコの産地であるせいか、辛いものはけっこう平気。デザートはピーカン・パイが有名。キャラメルをつなぎにしたピーカンという木の実が、パイ生地にぎっしりと敷き詰めてあり、たった一切れでも持つとズシッと重い。うわぁ、高カロリー!それを少し温めて、アイスクリームを添えて食後にペロリと。ケイジャン料理を出すレストランでは、良くバンドを見かける。白人というよりは、少し褐色の肌を持つケイジャンの人達。髪は黒く、どちらかといえば背は小柄な方。昔、日本にもあった洗濯板を棒でこすって打楽器に。ヴァイオリンはビィブラートはほとんど掛けず、楽器を上下に激しく振りながら弾く。歌って踊って陽気に見える彼等も、不遇な時代を乗り越えてきたんだよね。だって、食材がざりがにに亀だよ!ルイジアナ州立大学のマグカップは鉛筆立てに。描かれているのはペリカンです。

華やかさの影に

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千葉側から、アクアラインを通って向こう岸に渡る時、横浜で生まれ育った私は言いようのない懐かしさが込み上げてくる。アクアラインを使い、木更津から対岸に渡ると、中華街へのアクセスがぐんと良くなった。子供の頃、中華街は今ほど観光地化されておらず、中国系の人達の生活の場であった。家族揃って中華街へと食事に出掛けることが特別なイベントだった。思えば、老人達は中華街とは言わず、南京街と呼んでいたっけ。ラーメンはしなそば。肉まんはしな饅頭と言っていた。母によると、昔は席に付くと、お通しのように中華饅頭が出されたらしい。食べる時は、赤い判が押された饅頭の皮を薄くむいたとか。何故なら、本当かどうか定かではないけれど、前の客が手をつけなかった饅頭を次の客にそのまま出すから、皮をむいて食べた方が衛生上よろしいと。そんな流言が悪ぶれもせずにまかり通っていた。人種差別の思想が行動に表れたのだろうね。学校帰りに、中国人の家に向かって石を投げたり、そこの家の子供に向かってはやし立てたガキ大将もいたとか。卑劣な行為がまかり通っていたんだね。無知なのは子供達だけではない。それを止めなかった大人達が、愚かな影響を与えていたのは想像できる。横浜駅周辺は人種のるつぼ。横浜で生まれ育った私に、華やかな街の影は見えなかった。南京町という響きは好きだったのに。そういえば、ゴキブリのことを南京虫と呼んでいたことを思い出して、一寸胸が悪くなった。今や、中華街の賑わいから、たった半世紀前の過ちを感じとることは難しいけれど、決して忘れてはいけないよね。ミシガン州デトロイトで、スティービー・ワンダーのコンサートに出掛けたことがある。会場が黒人で埋め尽くされていて驚いた。そのことを当時の教授に話したら、人種差別は良くないとたしなめられたっけ。彼はユダヤ系アメリカ人だった。そんなつもりで言ったんじゃないのに…。誤解を招いたことが寂しく思えた。でもね、南京虫と同じだよね。そんなつもりで言ったんじゃないっていう感覚は。平和ボケかも知れない。
プロフィール

鈴木直美

Author:鈴木直美
ピアニスト、指導者として活動中。
Suzuki Piano School主催

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